山口当日配布資料

東京女性財団版「ジェンダーフリー」:「心や文化の問題」

1)「男女平等という用語は、これまでおもに制度や待遇面での、男女間の不平等の撤廃をテーマにして使われてきましたが、最近ではそうした不平等問題の背景にある、人々の『心』のありかたに関心が払われるようになりました。・・・性別に関して人々が持っているこうした『心や文化の問題』をテーマにするために、このハンドブックでは「ジェンダー・フリー」というコトバを使っていくことにしたのです。」(東京女性財団ハンドブック『Gender Free』1995, 6) 

「ジェンダー・フリー」提唱者にされたバーバラ・ヒューストン

2) ジェンダー・フリーは、人々の意識や態度的側面を指す用語である。この用語に関する論文が、最近刊行された論集に収められている。(Houston B., “Should Public Education be Gender Free?”, in Stone, L. ed., The Education Feminism Reader, Routledge 1994, pp.122-134. 参照)。この論文では、ジェンダー・フリーの意味を強いものから弱いものまで、三つに区分している。我々が用いる意味は、第三のジェンダー・バイアスからの自由に近いだろう。論文の筆者は、ジェンダー・センシティブという用語のほうにコミットしているが、それはジェンダー・フリーの戦略上の観点からである。(東京女性財団報告書「ジェンダーフリーな教育のために」1995, 24 ―深谷和子執筆章)

3) ジェンダー・フリーについては、バーバラ・ヒューストンが”Should Public Education be Gender Free?” (…)のなかで検討しているように、ジェンダーを無視するのではなく、ジェンダー・センシティブになりジェンダー・バイアスを除去し、性の平等の実現をはかることです。(亀田温子・館かおる『学校をジェンダーフリーに』2000, 亀田温子「はじめに」4)

4) バーバラ・ヒューストンはジェンダー・フリーをジェンダー・バイアスから自由であることとする見解を示した人物である。・・ヒューストンの『ジェンダー』から『ジェンダー・バイアス』そして『ジェンダー・フリー』に展開する説明をみても・・(亀田温子 「教育装置のつくりかえ」女性学 2003 Vol 11)

5) ヒューストンの立場は、当然、第三の見地(註:ジェンダー・バイアスからの自由)であるし、日本社会におけるジェンダー・フリー教育についての実践も、このジェンダー・バイアスからの自由という立場が主流だろう。(伊藤公雄 「バックラッシュの構図」女性学 2003 Vol 11)

6) ジェンダー・フリーとは和製英語であるという非難もあるがそうではない。1980年頃から英語圏の教育学の研究者の間では使用されている。(Barbara Houston “Should Public Education be Gender Free?”) しかし、英語圏ではジェンダー・エクイティやジェンダー・イクォリティのほうが多く使われているようである。(鶴田敦子 子供と教科書ネット21代表委員 2004.11.23「ジェンダー・フリー これほどまでに攻撃されるのはなぜ?」集会資料)

「ジェンダー・フリー」概念の混乱と意味のズレ

7) ・・・男女双方且つマイノリティーの人を含むすべての人に対する「性差別」に反対し、固定的なジェンダーにとらわれないですべての人間がその個性と能力を十分に発揮することを目指すわかりやすい用語として「ジェンダー・フリー」があるのである。・・・ジェンダー・フリーは、性差の解消ではなく、性差別の解消(原ひろ子)を意味するものである。(鶴田敦子 子供と教科書ネット21代表委員 2004.11.23「ジェンダー・フリー これほどまでに攻撃されるのはなぜ?」集会資料)

8) ジェンダー・フリーは、男はこうあるべき(たとえば、強さ、仕事・・)女はこうあるべき(たとえば、細やかな気配り、家事、育児・・・)と決めつける規範を押し付けないことと、社会の意思決定、経済力などさまざまな面にあった男女間のアンバランスな力関係・格差をなくすことを意味しています。ですから一人ひとりがそれぞれの性別とその持ち味を大切にして生きていくことを否定するものではありません。「女らしく、男らしく」から「自分らしく」へ、そして、男性優位の社会から性別について中立・公正な社会へ、ということです。

・・現在、5月5日はすべての子どものための祝日とされています。ひな祭りも、性別と関係づけないお祝いにするのが良いと思われます。なぜ、そうしないのでしょう? (「Q&A ―男女共同参画をめぐる現在の論点」日本女性学会 男女共同参画をめぐる論点研究会)

マーティンとヒューストン:ジェンダーフリーとジェンダー・センシティブの違い

9) For some time I assumed that the sole alternative to a sex-biased conception of the educated person such as Peters set forth was a gender-free ideal, that is to say an ideal which did not take sex or gender into account.  I now realize that sex or gender has to be taken into account if an ideal of the educated person is not to be biased.  To opt at this time for a gender-free ideal is to beg the question. What is needed is a gender-sensitive ideal, one which takes sex or gender into account when it makes a difference and ignores it when it does not.  Such an ideal would truly be gender-just. (Jane Roland Martin, “The Ideal of the Educated Person” in Changing the Educational Landscape: Philosophy, Women, and Curriculum, 1994, 83)

10) ..there is another, a better approach to the elimination of gender bias, one that is conceptually distinct from the gender-free one, although it does not necessarily foreclose on any particular suggestions recommended by that strategy.  … What differentiates a gender-sensitive strategy from a gender-free one is that a gender-sensitive strategy allows one to recognize that at different times and in different circumstances one might be required to adopt opposing policies in order to eliminate gender bias… (Barbara Houston, “Should Public Education be Gender Free?” The Education Feminism Reader, pp.130-131)

「ジェンダー・バイアス」をめぐる混乱

11)「性別による偏り」大沢真理 「男女共同参画社会をつくる」p.47

12) 男はこう、女はこうという固定観念をジェンダー・バイアスといいます。このジェンダー・バイアスから自由になるという意味でジェンダー・バイアス・フリーといい、これを短くしたのがジェンダー・フリーです。「そこが知りたい ジェンダー・フリーって何?QアンドA」 ジェンダー平等社会をめざすネットワーク

13) ここでは、文脈によって使い分けはするが、学校における性の不平等、固定化、分別化、男子優位主義などを包括的に述べるときは、ジェンダー・バイアスと表現している。(館かおる「学校をジェンダーフリーに」15章 337)