続・カサイの気持ち

ユニオンWAN書記長のカサイさんが、集会を終えての気持ちについて書いてくださいましたので掲載します。ユニオンWANブログに掲載されている「カサイの気持ち」もぜひあわせてお読みください(山口智美)

続・カサイの気持ち(カサイさん)

6月の集会は、わたしにとっては良い区切り、というか、それまでの忸怩たる思いが整頓できて感謝しています。あれから一ヶ月以上が経過しましたが、少なくともわたしのところには理事会側から何も連絡もアクションもありません。

WANの件は、今ではもうなんだか夢のように思います。

しかしながらわたしには「失業」という事実が厳然としてのしかかり、去年の今頃はぶつくさ文句言いながらも、遠藤さんといろいろ工夫しながら結構楽しく「働いて」いたんだなあ、とか思ったりしています。

わたしはいわゆる「所帯持ち」なんですが、男性のそれと女性の場合とでは、世間の認識が大きく異なることは実感しています。その「認識の異なり」に潜む問題点を探り指摘し、検討のうえ改善の指標を出すのがフェミニズムと思っていたのですが、WAN理事の方々の認識は世間一般のものとは対して違わなかったのねと感じざるを得ません。

男性か、女性か、未婚か既婚か、扶養の有無、そういった属性が「働きかた、働かせ方」に大きく影響しています。この属性は一般の企業ではもちろん、NPOをはじめとする非営利団体や研究組織においては、更に大きく影響しているのでは、と考えています。何かを引き替えに不当な我慢を強いられる状況というのはおかしい。そういったことに気づく人がもっと多くなれば、そしてそこから声を上げる一歩につながる行動を今後も意識していきたいとわたしは考えています。

斉藤さんの文章を拝読して想起したのは、熊沢誠氏が著書や講演などでよく出される「強制された自発性」という問題です。使用者側の持ち出す過大過重なノルマや目標に、本心では応じたくないけれども、雇用の維持や査定、職場での人間関係への影響を危惧して「自発的に」応じる状況、といっていいかと思います。

企業のみならず、NPOや研究団体でも、こういう状況は水面下に多く広く存在していると、自らを省みても思います。

わたしは、「カサイの気持ち」でも少し書いたように、雇用を維持することで支えなければならない生活があるがために、理事たちの要求に対して、不当性や不快感を感じていても、多少のことなら、と飲んでいたこともあったと思います。どこからが不当なのか、その線引きを自ら行うことに不安があったのも確かでした。労働運動に関わるものとして情けないのですが。遠藤さんが、そこをしっかり見極め指摘し、臆することなく理事にきっぱりと宣言、通告してくださったことで目が覚めたことも何度もあります。本当に感謝しています。

また、多くの方々からのご支援をいただけたことは何よりの励みでした。改めてお礼申し上げます。ありがとうございました。また、サイトに掲載していただいた報告を読み、今回の争議は、ウェブから始まりウェブで広がったということを改めて認識した次第です。ウェブが人々を繋ぐ良きツールとして活用できるための、様々な可能性や方向性について、いろいろと考えを巡らすことができました。冒頭で「夢のよう」と表現しましたが、一連の騒動が夢のように思われても、決して夢でなく確かなものとして今もあることが、これからの励みになると信じています。

ありがとうございました。

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