女性運動史をめぐる「江原史観」の問題点とその影響

執筆者:山口智美

「ふぇみにすとの論考」2006年7月6日付エントリ。女性学において「主流」とされてきた、江原由美子氏の「フェミニズムの70年代と80年代」論文に提示された、フェミニズムの「主体の交替」に関する史観が、結局のところ女性学の勝利の歴史になってしまっており、そこから漏れ落ちている運動史があることを指摘した文章。この江原論文は、日本のみならず、英語に翻訳されているため英語圏でも影響力が大きい論文となっている。(2009年7月20日 山口智美記)

1996年、「行動する女たちの会」(1985年までは「国際婦人年をきっかけとして行動を起こす女たちの会」)が解散した。その後、一部の元会員たちによって、会の記録集作成プロジェクトが始まり、1999年、『行動する女たちが拓いた道』(未来社)という本として、出版された。

この本の「はじめに」に、「女性学を学ぶ若い研究者や学生たちの中には、日本にはフェミニズム運動はなかったとか、’70年代初めの短期間の運動に終わったと思っている人たちが少なくない。 このような女性解放史の欠落は埋められる必要がある。私たちがこの記録集をまとめようと考えた動機はここにある。」(行動する会記録集編集委員会 1999:1-2)という一文がある。

近刊のジェンダーフリーバッシングに関する出版物などを見ると、どうも、多くの女性学やジェンダー研究者は、若くなくとも、このような歴史観を共有している場合が多いように思えるのだ。つまり、日本での運動は70年代初期の、初期リブの後勢いを失って終わってしまったかのように記述され、以降の運動史は無視されていることが多い。このように、70年代中盤以降の女性運動史を無視してきた結果が、私もたびたび『ふぇみにすとの雑感@シカゴ』ブログで問題にしてきた、男女平等教育は特性論に基づいていた、などといったような、実際の女性運動の成果を考慮にいれない歴史認識につながるのではないかと思う。

私自身を振り返ってみても、「行動する女たちの会」を中心とするフィールド調査を始める前、学術系の日本のフェミニズム本しか読んでいなかった時代には日本のフェミニズム運動に関する知識はほとんどなかったといってよい。私自身の勉強不足ももちろん原因ではあったが、日本語で学者が書いた文献の中で、70年代中盤以降の運動がなかったかのように扱われて来たことも大きな原因だったと今は思っている。

このような女性運動の歴史の欠落の背景として、は江原由美子氏の論集『フェミニズム論争』に収録された論文「フェミニズムの70年代と80年代」の影響が大きいのではないかと考えている。この江原氏が提唱した、日本のフェミニズム史観が、女性学で主流のものとなっている現状があると思うのだ。

そこで、この「フェミニズムの70年代と80年代」論文で論じられている、江原氏の「「主体の交替」に着目したという、フェミニズム運動史の問題点について考察してみたい。

 「主体の交替」論の問題

江原は、実体的な意味ではなく、反響や影響力に着眼して分析的に構成した意味であるとする「主体の交替」という視点にたって、日本のフェミニズム運動史を考察している。まず、この前提に問題がある。ここで江原氏が言う「主体の交替」論では、マスコミ上の影響力、社会の主流における影響力を重視するという視点にならないか。そのような視点で、オルタナティブな価値を求め、既存のマスコミなどを否定する側面を強くもっていた女性運動の歴史を語ることの限界は、まず問われるべきだろう。

この「主体の交替」視点にたち、「運動から制度へ」「活動家から研究者へ」「ミニコミからジャーナリズムへ」といった変化があったと江原は論じる。そして、70年代、リブ運動を契機として「運動の言葉」として始まったという日本のフェミニズムは、次第に行政関係者や研究者たち、そして、80年代にはジャーナリズムや有名人フェミニストによりリードされるようになったとする。

これは、いわば、学者と行政が女性運動を淘汰して生き残ったという歴史観ではないだろうか。要するに、江原が所属する「学者」の世界、とくに自身も含まれるだろう「有名人フェミニスト」が、フェミニズムの中心として君臨しているという歴史観のようでもある。

このような、ある意味社会進化論的な、歴史が直線的に進化するといったような歴史観に基づいた江原論では、フェミニズム内部の複雑かつ同時的な、時には対立も含んだ多様な動きは、ないものとされてしまうことになる。

そして、ここで落とされたのが、江原史観において、70年代後半から80年代に女性学によって取って代わられてしまったとされる、女性運動なのだ。例えば、行動する会が関わった、70年代後半から85年にかけての雇用平等法をつくる運動、82年の優生保護法改悪阻止運動などは、この歴史観からは抜け落ちている。80年代中盤から始まった、男女混合名簿運動についても同様だ。

リブ運動の時代区分の問題

江原は、1970年のリブ誕生から、1977年頃までを「運動の側」「活動家の側」に主導権があった時代だと捉えている。そして、この時代を(1)70〜72年の黎明期、(2)75年くらいまでの運動の専門分化期、(3)75年以降の質量ともに大きくなった時期、と3期に分ける。そして、各時代を代表する運動体として、(1)の時期に対しては「ぐるーぷ闘う女」(2)は「中ピ連」、(3)は「国際婦人年をきっかけとして行動を起こす女たちの会」であるとする。

だが、いわゆる初期リブの、全国にわたった多様な動きを、東京の一団体であった「ぐるーぷ闘う女」で代表させて語るというのは、いかにしても無理がある。おそらく、リブ運動の代名詞のように語られがちな田中美津氏が「ぐるーぷ闘う女」に関わっていた事から、このような評価になるのではないかと思われるが、「ぐるーぷ闘う女」は一例ではあっても、これを「代表」として捉えることで、リブの多様性が見えなくなる効果は否定できない。そして、「ぐるーぷ闘う女」だけを代表とすることで、田中美津氏こそがリブの代表的な声だったというような言説を強化することにもつながるだろう。

リブ新宿センターが開設されたのは72年だが、その時期にはすでに江原史観では、主体は「中ピ連」にとってかわられた(かわられつつあった?)、ということになっている。確かにマスコミ上で多く取り上げられたのは中ピ連だが、実際の運動現場においては、様々なリブグループが同時多発的に活動していた時期なのではないだろうか。実際、リブセンター系の団体と中ピ連は様々な論争も行っていた。そして、ぐるーぷ闘う女は、72年以降もリブ新宿センターにおいて、活発な活動を続けている。同様に、75年において、主体が中ピ連から行動する会に交替したというのだが、行動する会が結成された75年時点においても、中ピ連はまだマスコミ上で華々しく取り上げられていたし、「日本女性党」として参議院選挙に打って出たのは77年のことである。このように、運動は同時期に、時には対立も経験しながら、続いていたのだ。

女性学の誕生と論争の時代

1978年頃から1983年頃は、江原史観によれば、女性行政、そして女性学の誕生の時期であるが、いまだ運動家、行政関係者、研究者のいづれも主導権をとれなかった時代だという。初期の女性学は、リブ運動とは一線を画して始まり、結局リブ運動が内包してきた多くの未解決問題を残したままの状態であり、1970年代末には運動の下火化も進んでいたと指摘されている。

ここでの江原氏の解説中、全く無視されているのが、リブ系や、それ以外の幅広い全国の女性たちを巻き込み、しかも成功をおさめた、82年の優生保護法改悪阻止運動だろう。山上千恵子監督による、記録ビデオ『女たちは元気です!』で映し出されるデモ風景などをみても、この運動は最後のリブ的なデモなどが行われた運動といってもよいように感じた。この重要な運動の存在がまるで抜け落ちるということは、女性学がいかに実際の運動と遠い場所にいたか、の反映でもあるかもしれない。実際、私がこの運動について調べていた時、その頃にはすでに存在していた、女性学会などが出した声明文などを探したのだが、見つからなかった。(何かご存知の人がいたら、教えてほしい。)しかし、女性学がはじまって、主流化しつつある過程を描くことが中心の江原史観においては、この運動は無視されているのだ。

その後、この女性学の誕生期で取り残された問題を扱っているのが、83年頃からの「論争の時代」だと江原は解説する。「エコフェミ論争」「総撤退論争」「アグネス論争」に代表される「論争」であり、それをリードしたのが、上野千鶴子、小倉千加子、青木やよひなどの「有名人フェミニスト」だというのだ。(ご自分で言及はしておられないが、この「有名人フェミニスト」には江原氏ご自身もおそらく含まれるのだろう)。とくに、上野千鶴子氏の突出した地位についてが言及されている。

ここで抜け落ちている重大な運動は、当然ながら85年の雇用機会均等法、および労基法改悪に関する攻防であろう。運動現場での激烈な論争もあったという運動だが、このような運動の現場における「論争」は「論争」のうちには含まれないのだろうか。そして、86年以降は、売買春や性暴力に関する運動、そして「性の商品化」関係の運動が盛り上がってくる。だが、それも抜け落ちてしまっているのだ。

「国際婦人年をきっかけとして行動を起こす女たちの会」の会員でもあった、中島通子は、以下のように述べている。「『フェミニズム論者』にとって均等法とか労基法は、運動課題にはならなかったのか」ということである。・・しかも、「エコ・フェミ論争」と「総撤退論争」は、日本の女性の働き方、生き方を左右する均等法と労基法をめぐる攻防の真っただ中に行われたにもかかわらず、これらの運動とは直接かかわることはなかった。というよりむしろ、間接的には逆風として働いた、というのが正直な感想である」。(『「女が働くこと」をもういちど考える』 労働教育センター 1993:112)

江原自身も、これらの時代区分はあくまで目安だと述べているが、江原氏の論集が女性学において必読の文献とされていった過程で、このような女性運動史観が後の女性学やジェンダー研究の語りに大きな影響を与えているのではないだろうか。江原氏だけではもちろんないが、このような史観が積み重なって、運動といえば常に70年代初期ばかりがクローズアップされ、1970年代後半から1995年に至る運動が、存在しなかったかのように語られてしまっている現状があるのではないかと思うのだ。

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