「ジェンダー・フリー」政策への反発を「バックラッシュ」と呼びたくない理由

執筆者:斉藤正美

9月25日『ふぇみん』寄稿原稿の見出しが編集サイドで変えられ、私の伝えようとした意が伝わらなくなったので再度記事を寄稿することになり執筆した2番目の記事原稿です。「ジェンダーフリー」批判は、2002年時からせっせと展開していました。しかし、2000年時に再度批判した時には、それ以前には「批判自体がなかったこと」にされることが多く、かつて厳然と存在した批判記事原稿をここ記録のためにアップする次第です。

『ふぇみん』2002年9月25日掲載。掲載タイトルは、「足下でしっかりと対策を練ること」でした。

隣の面で「バックラッシュには幅広い連帯行動が必要」という主張をされているのに、このタイトルにされては私の意図は伝わりませんでした。


最近、行政の「男女共同参画」政策や「ジェンダー・フリー」教育に対する反発を指して、「バックラッシュ」と呼ぶ例が見られる(例えば、橋本ヒロ子(『女性展望』7月号)、伊藤公雄(『インパクション』131号)。

しかし、自治体条例の「男女共同参画」や「ジェンダー・フリー」政策に反対する伝統主義者が条例に「女らしく」「男らしく」と書き込む動きを指して「バックラッシュ(揺り戻し)」と呼ぶのは、女性たちが開いてきた地平からみて適切であろうか。

第一に、現在起きている感情的反発を「バックラッシュ」と呼ぶことにより、地方行政が進める「ジェンダー・フリー」政策ばかりに目がいってしまう。「性差別撤廃」条約が「男女共同参画」基本法になり、「性差別」が「ジェンダー・フリー」にとってかわっている。「性差別」や「男女平等」は、力関係を指す言葉である。しかし、「男女共同参画」や「ジェンダー・フリー」は、権力関係に言及せずに使えるという点で支配者を脅かさない都合のいい言葉となってしまう。長い間「性差別」を言挙げしてきた女性運動からすれば、これは明らかな後退と受けとめたい。つまり、「ジェンダー・フリー」政策への抗議を「バックラッシュ」だと言うことで、「個人の意識における女らしさからの自由」だけに注目が集まり、それだけが女性政策において重要な課題であるかのように認識されかねない。結果的に、伝統主義者の「引き戻し」戦略が効果を持つことにならないだろうか。

第二に、各地の動きを一括して「バックラッシュ」と呼ぶことが女性たちを萎縮させるおそれがある。反論や対抗策を軽視しているから言うのではない。これまで女性たちは挑戦するたびに批判を受けてきた。主張したら当然反論は跳ね返ってくる。振り返れば、ウーマンリブや行動する女たちの会などの活動に対する社会の反発や攻撃は、現在のものとは比較にならないほど大きかった。「バックラッシュ」とくくることで反対勢力が大きなものに見えることを危惧している。

第三の理由として、女性たちへの批判や反発に対処するなら、「バックラッシュ」と一括りにするのではなく、それぞれの現場で批判の相手方をみて、背景や原因を踏まえた反論や対抗言説をつくり出すことが重要だ。全国の関心を集めることで問題解決が進まない場合もある。例えば、富山市の学校給食において、女子生徒のパンの大きさが男子生徒より小さいという、「女子生徒差別」問題では、全国的に大きな話題になったことが行政をより頑なにさせた。それぞれが、足下でしっかりと対策を練ることこそ大事だと考え、行動を起こす時ではないだろうか。

女性たちは、批判を怖れているわけにはいかない。要は、それぞれの現場で批判が起きた背景や原因を踏まえて、機敏な対応をとることが重要だ。「性差別の撤廃」という運動の原点に立ち返り、果敢に挑戦していきたい。(シャキット富山35)

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