「ジェンダー・フリー」論争とフェミニズム運動の失われた10年

(8)バックラッシュ後の「ジェンダー・フリー」論争

フェミニズムに対するバックラッシュが高まり、2003年頃からの行政による「ジェンダー・フリー」という言葉の意味があいまいだから使用しないようにという対応などを受け、「ジェンダー・フリー」概念を守ろうという学者などの動きが目立ち始めた。

日本女性学会は、2003年3月にプロジェクトチームによるQ&A文書を出し、「ジェンダー・フリー」概念を守ることでバッシングに対抗する方向性を打ち出す。同年6月には年次大会で「『男女共同参画社会』をめぐる論点と展望」と題されたシンポジウムをおこない、その内容は学会誌にも掲載された。これらの文書類によれば、日本女性学会は「ジェンダー・フリー」概念擁護の立場に立っていることはあきらかだ。

日本女性学会のQ&A文書のなかにおいて、「ジェンダー・フリー」は以下のように解説されている。

ジェンダー・フリーは、男はこうあるべき(たとえば、強さ、仕事・・・)・女はこうあるべき(たとえば、細やかな気配り、家事・育児・・・)と決めつける規範を押しつけないことと、社会の意思決定、経済力などさまざまな面にあった男女間のアンバランスな力関係・格差をなくすことを意味しています。ですから一人ひとりがそれぞれの性別とその持ち味を大切にして生きていくことを否定するものではありません。「女らしく、男らしく」から「自分らしく」へ、そして、男性優位の社会から性別について中立・公正な社会へ、ということです。(日本女性学会「Q&A 男女共同参画社会をめぐる現在の論点」『学会ニュース』号外、2003年3月)(14)

東京女性財団から引き続く、意識、規範としての「ジェンダー・フリー」のほかに、社会的な格差という定義がくわわってはいる。だが、「『女らしく、男らしく』から「自分らしく」』という表現は、ナイーブとしか言いようがない。ジェンダーからはなれた「自分らしさ」というのは何なのか。そして、例えば 「自分らしく」暴力をふるう人、差別をする人などはどうすればいいのか。問題は山積みだ。そして、「性別について中立・公正な社会」という場合の「中立」という表現からは、性差別撤廃という強い姿勢は感じられず、積極的な差別是正という意味合いも弱い。

学会誌における特集では、亀田温子、伊藤公雄らによって、「和製英語」批判に答えるかたちで、いまだに誤読に基づいたバーバラ・ヒューストンの権威が使われている。亀田は、バックラッシュ側が、意識中心主義に話題をずらしたという趣旨の批判をしているのだが、じつは自身が東京女性財団から影響を受けて導入した「ジェンダー・フリー」という言葉自体の大元の意味が、意識中心だったことには触れていない。行政と女性学の方向性自体が問われていることへの反省、という視点はそこにはなく、「ジェンダー・フリー」は制度についての概念だったといつの間にかすり替えられているのだ。

同様に、「ジェンダー・フリー」概念を擁護することに重点を置く方向性は、ジェンダー・フリーバッシングへの対抗という視点を打ち出した学者たちの最近の主張にも表れている。例えば、木村涼子編『ジェンダー・フリー・トラブル』(白澤社 2005年)において、木村は「『ジェンダー・フリー』概念が特性論、らしさ批判をむきだしなまでに明確にしているラディカルな面があるからこそ、攻撃の対象となったと見るべきではないか」(木村編、前掲書、90頁)と述べる。しかし、特性論、らしさ批判は女性運動の中ですでにずっと存在してきたものではないのか。

木村は「ジェンダー・フリー」という概念自体の問題のためにバッシングを受けたのではないことは、「ジェンダー」が現在攻撃されていることからもわかると述べる。私も、右派は「男女平等」だろうが何だろうが攻撃したいという本音だと思う。とはいえ、「ジェンダー・フリー」概念そのものがあいまいな意味を持ち、それゆえに誤解されやすいような糸口を与えた事は、否定できないのではないのか。さらに、行政主導の「ジェンダー・フリー」概念の歴史的経緯を見る限り、「ラディカル」どころかどう見ても「後ろ向き」の概念だったと私は思う。男女混合名簿の実践にしろ、その他の平等教育の実践にしろ、「ジェンダー・フリー」以前から、女性運動の中で、そして教育の現場でも地道になされていたことである。

また、木村自身が「『ジェンダー・フリー』のスローガンの中で議論されてきたことを「普通」に解釈すれば、それがきわめて個人主義的で、個人の自由を尊重した発想に基づいていることがわかるはずだ」(木村編、前掲書、83頁)と、「個人主義」の方向で論をたてている。現在、アメリカでは、個人の選択に帰結してしまってきた、「チョイス・フェミニズム」の限界という視点が出されている。(15)この木村のいうジェンダー・フリーの「普通」の解釈も、リベラリズム的であり、ラディカルとはきわめて程遠い発想ではないだろうか。ネオリベラリズムに危惧をもつという木村だが、けっきょくはジェンダー・フリーを守ることで何がしたいのか、どう教育を変えていきたいのか、行政とどういう関係を持つべきだと考えているのかは、明確に指摘していない。

伊田広行は、日本女性学会の幹事として、バックラッシュに関係して「ジェンダー・フリー」を擁護する趣旨の発言を多くしている男性学者の一人である。伊田は近著『続・はじめて学ぶジェンダー論』(大月書店、2006年)の中で、バッシング状況があるためにジェンダー概念を整理し直そうと試みている。だが、伊田の「スピリチュアル・シングル主義」なる精神中心主義的な枠組みからも想定されるように、やはり、「意識」に偏った解説となっている。たとえば、ジェンダー・センシティブは「ジェンダー・バイアスを持たずに接する態度」(伊田、前掲書、34頁)、ジェンダー・フリーは「社会的性別(ジェンダー)にこだわらず、囚われずに、行動したり考えたりすること、という意味です。」(伊田、前掲書、35頁)と、いずれも個人の「意識、態度」レベルで説明されてしまっている。

伊田や伊藤公雄のみならず、 「ジェンダー・フリー」バッシングやバックラッシュの動きが注目を浴びてくるにつれ、 男性のジェンダー論学者の動きがますます顕著なものとなってきた。「男女共同参画」や「ジェンダー・フリー」概念のおかげで、男性学者たちが女性学や女性運動の場に進出しやすくなり、行政の男女共同参画関係の仕事も多々こなすケースが目立ってきた(16)。『論座』(朝日新聞社)や『世界』(岩波書店)における「ジェンダー・フリー」特集号、そして、日本女性学会においても、男性論者たちがなぜか前面に出て、フェミニズムへのバックラッシュについて語るという妙な状況になっている。それら男性論者の論考において目立つのは、「意識」や「心理」について集中的に語る傾向である(17)。

2004年 4月になると、内閣府はジェンダー・フリーという用語にについて「使用しないほうが良い」の考えを示した。同年8月には、都教委の「ジェンダー・フリーに基づく混合名簿禁止」通達など、「ジェンダー・フリー」不使用の動きが広がっていった。そんな状況において、「ジェンダー・フリー」という言葉を守らねば、というムードが女性学や女性運動の中でますます広がっているように思える(18)。

このように、さまざま「ジェンダー・フリー」に関する立場があるなかで、2004年末、 東京大学で「ジェンダー・フリー概念からみえてくる女性学・行政・女性運動」という会が開かれた(19)。この会は、もともと斉藤正美さんと私が共同で企画したものを、上野千鶴子さん主催のジェンダーコロキアムに持ち込んだものである。企画趣旨として、以下のような文章を斉藤さんとともに書いた。

『We』11月号での上野千鶴子インタビューにて、「ジェンダー・フリーなど使わず、男女平等を使えばよいのではないか」という論点が出された。だが、女性学では、保守派のバックラッシュ攻撃や、東京都による「ジェンダー・フリーに基づく混合名簿禁止/廃止」通達をうけて、「ジェンダー・フリー」を今さらやめるのは「後退」であるとみなす見方も示されている。しかし、「ジェンダー・フリー」や「男女共同参画」は、本当に「家父長的な逆風」をはね返す根拠となってきただろうか?
「ジェンダー・フリー」とは、いったい何を意味するのか?「ジェンダー・フリー」は、どのように作り出され、実践されてきたのか?この概念をめぐる問題は何なのか?そして、「ジェンダー・フリー」を使わない運動は可能なのか?
むしろ、反動勢力によるバックラッシュが激化している現在だからこそ、「ジェンダー・フリー」概念を導きの糸として、女性学、行政、女性運動が歩んできた歴史を振り返る機会としつつ、今後の女性運動や女性学の展開にむけての戦略を練っていきたい.

もともと、ちいさな勉強会のつもりだった。だが、ふたを開けてみれば部屋は超満員で、学者のみならず、ジャーナリストや運動家の顔もみえた。「ジェンダー・フリー」問題への関心の大きさがうかがえた。

パネリストのうち、4人までがジェンダー・フリーに批判的であり、ひとりは擁護する立場であった。だが、聴衆からは、圧倒的にジェンダー・フリーを擁護する発言が多かったように思う。ジェンダー・フリーという言葉がこれだけ攻撃され、言論の自由が脅かされる現状の中で、これを批判することはどういうことなのかという疑問。そして、「男女平等」は特性教育論として文部省が使ってきた歴史があるため、限界がある、という意見なども出た。また、「ジェンダー・フリー」を使えば、現場で攻撃されずに聞いてもらえたという教員からの意見もあったが、それに対して、「ジェンダー・フリー」という言葉が行政から下りてきた事、意識中心で、なおかつわかりづらい概念だったために安全だと思われたことなども再度提示された。

この議論の中で、男女平等では特性論が超えられないので、「ジェンダー・フリー」が必要だったという観点が、ある女性学者から提示された。その後、気をつけてみていると、どうやらこの考え方は、女性学や、教員組合などで主流になっているようだ。とはいえ、女性差別撤廃条約の批准や、「性別役割分担」などの概念、そして家庭科共修をめぐる運動などにおいて、女性運動はすでに特性論は超えていたはずだ。また、混合名簿運動などの教育における運動も、もともとはジェンダー・フリー運動ではなく、「男女平等教育」や「教育における性差別撤廃」という目的で広がってきたものだったはずだ。

じつは、この会で興味深かったのが、会場から発言する人たちの多くが、「自分はジェンダー・フリーは使って来なかったが」と断りながら、「ジェンダー・フリー」を擁護する発言をしていることだった。なぜ「使ってこなかった」という人たちが、使ってきた人たちを代弁するかのごとく、必死に擁護しているのか。使ってきた人たちは、どこへ行ったのか。そんな不思議な状況だった。

「ジェンダー・フリー」を使ってきた人たちを代弁する人は、言論の自由論をもって「ジェンダー・フリー」を擁護しているように思われた。私も当然、言論の自由が脅かされることには反対だ。とはいえ、「ジェンダー・フリー」概念の歴史、とくにこの言葉を作り上げ、広めた、行政と学者のありかたについて、反省的に振り返らなくてよい、という免罪符にはならないだろう。本来の目的のための戦略として、この言葉をひたすら擁護し、使い続けることが、本当に効果的なのかどうかを検討すべきではない、というのだろうか。そうではないはずだ。言論の自由の抑圧に反対しながら、同時に「ジェンダー・フリー」を批判的に振り返る作業をすることは、可能であろう。

「ジェンダー・フリー」が導入された歴史を批判的に振り返り、今後の戦略を練るという目的で、斉藤さんと私が問題を提起したのだが、その後のインターネットの議論などにおけるとらえられ方をみる限り、「男女平等か、ジェンダー・フリーか」という言葉のレベルの問題に収斂させられてしまっている。肝心な点、すなわち、「ジェンダー・フリー」が意識の啓蒙を中心とするうしろ向きな概念であることや、概念自体につけこまれる要素が多かったという弱点、そして平等を進める動きに関して、行政と学者が今までになく近い関係で結びつき、それを主導し、支えていったこと、さらには女性運動もその流れに取り込まれていってしまったという問題については、なかなか議論されない現状がある。

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