「草の根フェミ」による「ジェンダー・チェック」批判とは?

執筆者:斉藤正美

『バックラッシュ!』の上野千鶴子氏インタビュー記事における「ジェンダーチェック」に関する記述を読んで、上野氏の「草の根フェミ」とは何を指すのか、具体的に述べられておらず、上野さんは女性運動について知らないで書いておられるのではないかと思った。同インタビューについては、先にmacska氏がセクシュアルマイノリティの扱いについて厳しく論じておられ、議論になっているところでもある。当ブログでは、上野氏の原稿を読み、フェミニズムが起こした「ジェンダーチェック」批判が表に出ていないことに改めて気づかされたので、ここでは、運動経験者として行政に関わった体験について記しておきたい。フェミニズム内部から行政主導の「ジェンダーチェック」が「検閲」にあたることを怖れて阻止されたケースが確かに起きていたことを明確に記しておく必要があるからだ。

東京女性財団の「ジェンダーチェック」路線には、90年代後半にフェミニズム運動として実際に待ったがかけられていた事実があったのだ。わたし自身が関わったこの「ジェンダーチェック」集刊行阻止のケースは今まで表にはでていなかった。紙媒体でも、ネットでもこれが明らかになるのは当ブログが初めのはずだ。さらに、この事例以外にジェンダーチェックにストップがかかったケースは、わたし自身はまったく耳にしたことがない。行政の検閲、啓蒙批判の動きが間違いなくあり、実際それを阻止し、女性運動のサイドにたった内容の冊子に転換したことはフェミニズム運動の歴史として重要なことだと思うのでここで明確に記録しておきたい。

ところで、上野氏の記述はこうだ。上野氏は、日本でのジェンダーフリーの歴史を語る中で「ジェンダーフリー」という言葉が「行政フェミニズムと草の根フェミニズムの亀裂を衝く、という意味で」「フェミニズムのアキレス腱だった」と述べる。その説明のあと、「日本のフェミニズムはしょせん行政フェだった」という発言への反論として以下のように書く。

「行政フェミの背後には、それを支えたり伴走してきた草の根フェミが存在しました。行政フェミの典型的な事業の事例に、東京都女性財団がつくった「ジェンダーチェック」がありますが、行政側のきわめて啓蒙主義的なやり方に対して、草の根フェミは批判をもっていました」(p.378-9)

行政主導の「ジェンダーチェック」刊行に対し、草の根フェミニズム、すなわち女性運動は断固として反対してきたという文脈を示す箇所である。しかし、これについては異論がある。第1に、1990年代半ば以降のフェミニズムは、ほとんど「行政フェミニズム」一色に塗りかえられ、70-80年代に健在だった行政から距離をおいた「草の根フェミニズム」はほとんど目立たなくなっていったように思う。それを象徴するのが1996年の「行動する女たちの会」解散だった。わたし自身がかかわった「メディアの中の性差別を考える会」も、1996年に上野氏と共編著『きっと変えられる性差別語』を刊行した後、(インターネットでの発信は続けている一方)グループとしての活動は行っていないことも挙げられるかもしれない(この点の考察は別途行う必要があるだろう)。女性運動はどこでどのように「ジェンダーチェック」に抵抗してきたか、上野さんはご存じだったのだろうか。例を挙げて指摘するべきではなかったか。これでは実際にあったことかどうかわからない。想像の産物と言われかねないことを懸念する。

第2に、行政が市民の心の持ちようを『ジェンダー・チェック』することへの批判は、2000年以降、フェミニズムの外部から、つまり「バックラッシュ派」によって引き起こされたのではなかったか。ここで言われる「草の根フェミ」がだれのどの運動を指すのかわからない。実際には、上野氏がいう「ジェンダーフリー」批判や「ジェンダーチェック」批判はだれのどのような行為を指しているのだろうか。実は、フェミニズム内部からの「ジェンダーチェック」批判は、ほとんど起きなかったのではないだろうか。前にエントリーを立てた日本女性学会『Q&A』本でも、山口智美さんとわたしの「ジェンダーフリー」批判や批判をあげている「ジェンダーフリーとフェミニズム」サイトhttp://homepage.mac.com/saitohmasami/gender_colloquium/Personal22.htmlは、まったく言及されていない。匿名でバックラッシュ派の動きと類似のものとされているか、存在しないことにされているのだ。上野さんがあるといわれるのなら、それがだれのどの主張やどの運動を指すのかはっきりさせる必要がある。ここのところはフェミニズムの歴史にとって重要なので確認したい。また、上野氏ご自身のスタンスも明確に示していただきたいと思う。東大ジェンダーコロキアムでのご発言とその後の国分寺事件以降の上野さんの動きを見ていると、上野さんがどのようなスタンスなのか、が極めてわかりづらいものに映っている。

上野氏は何も具体的に言及しておられないが、ここでわたしが今から述べようとする東京女性財団の『ジェンダー・チェック メディア編』作成プロジェクト阻止を事前にご存じだったのだろうか、それとも、それ以外に「ジェンダーチェック」批判の動きをご存じだったのだろうか。上野氏の原稿からは実際の運動の動きがまったく見えてこない。上野氏の原稿を読み、フェミニズム内部から、行政主導の「ジェンダーチェック」が「検閲」にあたることを怖れて阻止した事実が表に出す必要性を感じ、ここに記しておくことにした。『バックラッシュ!』本刊行や上野氏の議論を機に改めて日本のフェミニズム運動の歴史を確かめるいい機会でもあるはずだ。

東京女性財団は、東京ウイメンズプラザがオープンした1995年より毎年『ジェンダーチェック』シリーズ「家族・家庭生活編」(1995年)、「地域・社会生活編」(1996年)、「学校生活編」(1997年)、「職業生活編」(1998年)を1冊ずつ刊行してきた。(それに関わった女性学者から「ジェンダーチェック」批判が起きたという話は聞いたことがないが、実態はどうだったのだろうか。)そして、1998年8月、東京女性財団は、このシリーズの最終弾として、『ジェンダー読本(メディア編:仮称)』普及・検討委員会を設立した。これは、これまで続いた『ジェンダー・チェック』シリーズを締めくくるものとして計画されていた。(「ジェンダー・チェックメディア編」という言葉は、98年12月財団職員の方からわたしがもらった資料にも使われていることから、相当後になるまで内部での規定事項であり続けたようだ。)しかし、新たに設立された検討委員会では、いくら財団法人とはいえ、公的機関がメディア機関に対して、表現をチェックさせる趣旨の冊子を出すというのは「表現の自由」に抵触する行為であり、止めるべきだという議論が起きた。そして、最終的には、これまでのシリーズとは名称も趣旨も異なる『女性とメディアの新世紀へ』という冊子として刊行された(1999年)。それは、当初計画されたメディア組織やメディア人向けの「ジェンダーチェック」ではなく、「女性たちがどのようにメディアを使い、またメディアについてどう考え、行動したらよいのか」という市民のためのメディア読本へと方向転換したのであった。どんな内容かというと、1.みんなが発信者になる 市民とメディアの新時代、2.マスメディアを読みとる 女性はメディアをどう変えてきたか、3.座談会「マスメディアの現場から」、4.マスメディアのしくみを知る、 5.女性とメディアのいい関係をめざして、6.マスメディアが本当に公器なら、巻末資料というものだ。

この時の討議内容記録を引っ張り出して調べたところ、最初の会合で「今まではジェンダー・チェックとして出してきているが、全国・都内からの引き合いが多い。効果は図りにくいが、ジェンダーフリーという言葉が広まってきたように、反響は結構ある」と財団側が述べ、「ジェンダーチェック」シリーズを続行したい由が語られていた。それに対しては、メディアについて公的機関の介入と思われるものを出すのは疑問だということが委員から述べられていた。「メディア人向けジェンダー・チェック」という当初の方針を阻止しようとする委員からは、メール、電話、面会などで働きかけが行われた。「ジェンダー・チェック」を阻止しようとした理由としては、「1.メディアの表現の自由の侵害の危険性、2.行政のチェック(検閲)という反発がメディアから予想される(東京女性財団は、ジェンダー・チェックで名が通っていますので、今度はメディアに向かってきたと反発を受ける)、3.以上の2点から(「ジェンダーチェック」本を出しても)メディアの紹介が期待できない。」と主張されていた(以上は当時の資料より)。

なお、このプロジェクトの「執筆者は、マスメディアに関する市民活動に取り組んできた女性とメディアに関する研究実践をしてきた人、そしてマスメディアで働いていた人たち」(同書・はじめに)5名であった。FCT市民のテレビの会(当時)の竹内希衣子氏と「メディアの中の性差別を考える会」のわたしは、いわばメディアのジェンダーチェックを押し進めてきた市民活動家という役割で検討委員会に加わっていたようであった。先に述べたように、わたしは1996年『きっと変えられる性差別語??わたしたちのガイドライン』(上野千鶴子・メディアの中の性差別を考える会編)刊行に関わっていた。この委員会は、竹内氏とわたしという市民運動家が主張するメディアのジェンダー・ガイドラインを、マスコミ研究者である村松泰子氏と諸橋泰樹氏が正副の会長としてまとめあげるという性格のものとして企画されていたように思われる(富山在住のわたしが東京女性財団の事業に関わったのは、当時お茶の水女子大の院生であったことが関係していよう)。村松、諸橋両氏は、96年に刊行された東京女性財団『ジェンダー・チェック 地域・社会生活編』の編者としても名を連ねておいでであった。最終弾として当初予定されていた当「ジェンダーチェック」メディア編プロジェクトの委員会には、メディア界の重鎮である元共同通信社社長も加わっておられた。

こうした「ジェンダーチェック」プロジェクトのねらいに、それを推し進める立場を授かった市民運動代表と目されたわれわれ二人は、委員辞任をかけて上記のように「ジェンダー・チェック」企画を阻止する動きをした。最終的には、メディアに向けた「ジェンダー表現チェック」という計画はひっくり返り、上述のような一般読者向けに変わったのであった。そのことは、「この冊子は、私たち執筆者相互のコミュニケーションの成果です。会合だけでなく、電子メール(メーリング・リスト)という新しい情報メディアを使って、ひろく今のマスメディアの状況や、インターネットを通じて行われている活発な議論についての意見などを交わしながら執筆・編集しました。東京女性財団という公的な機関が、こういう冊子をつくることの意味についても、議論を重ねました。」(はしがき)という記述からも読みとれる。一方で他の『ジェンダー・チェック』シリーズには、まとめにあたった学者諸氏の名前は列記されているものの、議論があったとか、内容についてどのような議論を経て決めたなどという作成過程に関する記述は書かれていない。

最終的に、これまでの「ジェンダーチェック」シリーズとは名称も趣旨もまったく異なる『女性とメディアの新世紀へ』という冊子として刊行されたことは、東京女性財団が推し進めた「ジェンダーフリー」政策の中で、フェミニズム内部から行政主導の「ジェンダー・チェック」批判が起きた数少ない事例として表に出す必要あるように思い、ここに記すことにした。これは、東京女性財団にとって、作成過程でストップがかかった初めての「ジェンダーチェック」本だったと思われる。「ジェンダーチェック」が「男女共同参画、ジェンダーフリーの観点からの行政による検閲」としていわゆるバックラッシュ派から批判されている昨今から振り返れば、メディアの「ジェンダーチェック」本が幻に終わり刊行されなかったことは、東京女性財団にとっても福音だったのではなかろうか。なお、東京ウイメンズプラザでこの冊子を検索したところ、現在この冊子は「禁貸出」とあった。おそらくこれは、他の「ジェンダーチェック」が批判されたあおりをくったものと思われる。なお、これ以降、わたしが東京女性財団の事業に関わったことはない。

ところで、最初に戻るが、上野氏の言われる「行政側のきわめて啓蒙主義的なやり方に対して、草の根フェミは批判をもっていました」という「草の根フェミ」とはだれのどのような行動を指すのであろうか。(2006-06-30ジェンダーとメディア・ブログエントリー)

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