おかしいぞ!「男女平等教育=性別特性論」説

執筆者:山口智美

「男女平等」では、教育現場に根強い「性別特性」論を乗りこえることができない、やっぱりジェンダーフリーは必要だという説への疑問。日本の男女混合名簿運動の源流を遡っての反論。1977年、日本の女性運動が「ジェンダー」というカタカナ言葉を使わずに、「ジェンダー」概念をきっちり説明していることに敬意を表したいと思いました(斉藤記)。

「男女平等教育」というのは性別特性論を超えられないので限界がある、という論が流通しているようである。

昨年の12月、東大でのジェンダーコロキアム「ジェンダーフリー概念からみた女性学・行政・女性運動の関係」の際の会場との討論で、私はこの論を初めて聞き、驚いた。そこでは、性別特性論を「男女平等」概念では超えられないからこそ、それを超える概念としての「ジェンダーフリー」が必要なのだ、という論理が展開されていた。

それ以降、この「男女平等=性別特性論」説というのがやたら目につくようになった。女性学者の集会などでの発言、そして教員組合の女性部のニュースレターや、緊急行動要請の類い、そして各地の条例審議会での議論などを見ても、この論がかなり広く流通していることに気がついた。

だが、少なくとも日本の女性運動の歴史において、このような理解は1995年頃までは主流ではなかったのではないか。女性運動は男女平等教育をめざして運動を続けてきた訳で、当然ながら性別特性論は超える対象であった。「男女平等教育=性別特性論」なんてとんでもない、「男女平等教育vs性別特性論」という枠組みだったはずだ。例え男女平等を性別特性論の枠内で語る勢力があっても、女性運動は常にそれを超える概念としての「男女平等」を提唱してきたのではないか。

性別特性論を超えた男女平等教育をめざして1975年に会が発足してから一貫して活動を続けてきたのが、「行動する女たちの会」だ。(85年までは「国際婦人年をきっかけとして行動を起こす女たちの会」という名称で、活動は1996年まで続いた。)この会の教育分科会は男女共学へむけての運動、教室や教科書の中の性差別の指摘、男女混合名簿をすすめるなど、数々の先駆的な活動を行ってきた。

行動する会が提唱し、そして多くの現役教員を含んだ会員たちが現場で実践し続けてきたのは、明らかに性別特性論などを超えた「男女平等教育」なのである。

行動する会・教育分科会が1977年に発行したパンフ「男女共学をすすめるために」から、一部引用してみよう。

3 男女の特性を生かすには別学のほうがいいと思いませんか?共学にすると男子は弱々しく、女子は粗暴になると言われていますが・・・

男女はたしかに生物学的に見れば性差はありますが、今の社会で言われている「男女の特性」の多くは、社会的・文化的な条件の中で後天的に作られたものです。ですから、教育の場で、特に性差を意識して教育しなければならない場合はないはずです。学校で学ぶ知識の量や、内容に差をつけることは、教育機会や内容の差別ということで、憲法の精神にそむくことになります。また、体力や言語能力、道徳的判断能力などは、男女ともに人間として必要ですし、男女が協力しあい、競いあう中でバランスよく伸びてゆくものだと思います。

男は強くたくましく、女はやさしくしとやかに、という“特性”は、長い歴史や社会的条件の中で作り上げられてきたものです。その証拠に、男らしさ、女らしさの特徴は、地域や国、時代によって異なっているではありませんか。女だって、強さやたくましさは必要ですし、男にとってもやさしさやデリケートな心遣いなどがなくては欠陥人間ではないでしょうか。男女それぞれがいっしょに学ぶことによって、異性のもつ長所を学びあい、人間として完全に成長しあえるようになるのが共学のもっともよいところなのです。強さ、たくましさ、やさしさ、思いやりなどを、男女別々の特性と決めつけないで、人間としてどちらにも必要な美徳だとわかるように教育しなくてはなりませんね。

同性だけだという気易さからくる安易な馴れ合いムードをなくし、お互いに異性からみても恥かしくない人間になりたいと努力する緊張感は、人間の成長にとってとても大切なことではないでしょうか。

(国際婦人年をきっかけとして行動を起こす女たちの会・教育分科会
男女平等の教育を考えるシリーズI「男女共学をすすめるために」1977 pp.12-13)

1977年発行のこのパンフの中には、「ジェンダー」というカタカナ語は一切登場しない。だが、上記のとてもわかりやすく書かれた引用文、これは現在私たちが使っている、「ジェンダー」概念の説明に他ならない。「男女平等教育」を達成するためには欠かせないとして「男女共学」をすすめる趣旨のパンフであるが、実に見事に「性別特性論」を論破してみせているのだ。

ちなみに、1977年は、嵐山の国立女性(当時は「婦人」)教育会館(NWEC)が開館し、日本で初めての女性学の学会(国際女性学会、日本女性学研究会)ができた年である。女性学的な試みをしてきた学者はいたが、まだ分野としての女性学は確立されていなかった時代である。この時代に、すでに行動する会は「性別特性論」などを超えた「男女平等教育」を提唱し、「ジェンダー」概念に相当する論理を打ち出し、それに向けて行動し、現場で実践してきたのだ。そして会の96年の解散まで、この運動は20年間続いたのである。

「男女平等教育=性別特性論」の存在をことさらに唱え、「だからジェンダーフリーが必要」「だから男女共同参画でなければならない」などという主張は、今までの行動する会などの運動の歴史を無視し、消してしまうことを意味しないだろうか?そして、この会が真っ先に提起した男女混合名簿の歴史をも歪曲することになるのではないか。性別特性論を超えた男女平等教育を女性運動はずっと主張して、実践してきたのではなかったのだろうか。

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