『癒しのナショナリズム』と『ネットと愛国』のあいだ

執筆者:山口智美

10月末に発売予定の『社会運動の戸惑いーフェミニズムの「失われた時代」と草の根保守運動』に関連して、個人ブログ「ふぇみにすとの論考」に、この本が『<癒し>のナショナリズム』と『ネットと愛国』の間をつなぐものかもしれないと一言書いた。それについてごくごく簡単に記してみたい。

『<癒し>のナショナリズム』、『ネットと愛国』と『社会運動の戸惑い』

小熊英二・上野陽子『<癒し>のナショナリズム』(2003)は、「新しい歴史教科書をつくる会」の一支部のフィールドワークに基づいた本。「新しい歴史教科書をつくる会」は1996年に結成され、『<癒し>のナショナリズム』掲載の上野陽子による調査は、2000年代初めに行われている。「つくる会」の最初の教科書採択運動は2001年の中学校教科書採択にかけてのものだったが、ちょうどその頃に行われた調査だ。

講談社ノンフィクション大賞などのいくつかの受賞や、多数の書評等により、今年4月の発売以降話題になっている、安田浩一『ネットと愛国』(2012)。この本は、在特会など「行動する保守」といわれる運動について扱っている。安田は、2010年頃から在特会などに関して膨大な取材を積み重ねてきた。「主権回復を目指す会」は2006年に設立、「在日特権を許さない市民の会(在特会)」は2007年初めに設立されている。他にもいくつかの団体ができ、中には既に解散した団体もあるが、「行動する保守」運動は現在も続いている。

『社会運動の戸惑い』は、ちょうどこの2つの書籍が扱う間の時期、00年代前半から中盤にかけてとくに盛んだった、地域、マスメディアおよびインターネット上でのフェミニズムへの「バックラッシュ(反動)」と呼ばれた動きを扱っている。そして、この2冊同様、フィールドワークや取材、聞き取りをもとにした本でもある。以下、1)運動の時代的な流れ、2)社会運動のネットやメディアの利用という、2つの意味において、どう『<癒し>のナショナリズム』と『ネットと愛国』の間をつなぐものになっているのか、簡単に触れる。

運動の流れとして

「新しい歴史教科書をつくる会」の一回目の教科書採択運動は、2001年に中学校の歴史教科書採択が終わり、一段落した。市販本が売れるなど世間的には注目を浴びたものの、採択数は少なく、採択運動としては失敗に終わっている。この結果をうけ、「つくる会」の内実も徐々に変化しつつあった。『<癒し>のナショナリズム』でも、「キリストの幕屋」などの、いわゆる宗教保守勢力の影響が「つくる会」内部で強まりつつあったことが指摘されている。そして、興味の矛先が夫婦別姓問題にシフトしつつあったことも示唆されている。

『社会運動の戸惑い』はこの後の流れを扱っているといえる。フェミニズムへの「バックラッシュ」といわれた動きは、2000年代にはいった頃に本格化しはじめ、2005年頃までがピークだった。1999年、男女共同参画社会基本法が国会で全会一致で可決された。それをうけ、全国の地方自治体に男女共同参画条例制定の動きが広まっていった。さらに、男女共同参画センターが各地で建設され、男女共同参画に関する事業も行われるようになっていった。こうした一連の動きへの反動が、2000年代のはじめ頃から広がった。そして、様々な地域でフェミニストと反フェミニズム保守派との係争が発生し、メディアやインターネット上でも反フェミニズム言説が目立つようになっていった。2005年4月には、安倍晋三幹事長代理(当時)が座長、山谷えり子参議院議員が事務局長となり、自民党が「過激な性教育・ジェンダーフリー実態調査プロジェクトチーム」(自民党PT)を立ち上げた。そして、「実態調査」やシンポジウムを行ったり、ウェブサイトで広報活動を行うなどした。その後安倍政権が誕生し、2007年に崩壊するまで、自民党PTの活動は続いた。

だが、2005年末に決定された「第二次男女共同参画基本計画」を反フェミニズム保守派が一定の「歯止め」になったとみたこともあり、サンケイ系メディアや、保守系ミニコミ、そしてネット上でも、2006年頃からフェミニズム批判の記事は大きく減少していく。2006年には福井県での男女共同参画センターの図書をめぐる事件や宮崎県都城市の男女共同参画条例の再制定、2008年のつくばみらい市DV講座をめぐる抗議などは発生し、まだ一部マスコミやミニコミでの盛り上がりは残っていた。さらに現在も、「従軍慰安婦」問題をめぐる論議は続き、反フェミニズム運動を続ける運動家も存在する。だが、男女共同参画社会基本法、および各地での条例の制定を契機として盛り上がった反フェミニズム運動の一つのピークは2002年から2006年頃までだったといえるだろう。

2006年以降、「行動する保守」運動の先鞭をつけた、主権回復を目指す会や在特会が設立された頃は、フェミニズムへの「バックラッシュ」とよばれた動きが勢いを落としはじめていた時期と重なっている。

社会運動のメディア活用の観点から

Windows95のでた95年頃から、インターネットが広がりはじめ、市民運動界隈でもブームになっていった。「つくる会」はその黎明期に初期の活動を行っていることになる。だが、初期の「つくる会」に関してはFAX通信や冊子やパンフ等のほうがまだまだ中心的な運動のメディアツールでもあった。そして、小林よしのりのマンガや教科書の市販本としての発売など、マスコミとタイアップした形でのメディア利用も行っていた。

2000年代、「ネット右翼」の言説から生まれてきた「行動する保守」運動の場合、団体サイトやブログ、mixiなどのSNS、そしてとくにYoutubeやニコニコ動画、ニコニコ生放送などでの生中継と、その活動の初期からネットを積極的に活用した。ミニコミ等を発行し、地域で足を使って運動を広げるよりも、まずネットで不特定多数に呼びかけるという方式をとった。そして、この運動の展開と、ネットへの常時接続、DSL、光ファイバーなどの高速回線の導入、モバイル環境でのネット接続等といった、ネット環境の変化は大きく関わっている。「行動する保守」は、街宣やデモなどを行い、それをネット中継するというスタイルを使い、運動を展開し、広げてきた。ネット、とくに動画の果たした役割は非常に大きい。

この2つの保守運動の流れにはさまれた、フェミニズムへの「バックラッシュ」とよばれた一連の保守系運動の最盛期の2000年代初期から中盤にかけては、運動のネット利用という意味でも、移行期だった。ウェブサイト、グーグル、掲示板、2ちゃんねる、ブログ、Wikipedia、そしてmixiなどが使われはじめ、そして広がっていった頃のことだ。フェミニズムへの「バックラッシュ」の動きの重要な場のひとつは、明らかにインターネット上だった。反フェミニズム系のサイトやブログ、「フェミナチを監視する掲示板」等の反フェミニズム系掲示板、Wikipediaでの編集合戦、2ちゃんねる男女板、まとめサイト、メルマガ等、様々な場で反フェミニズム言論が目立ち、広がっていった。

だが、当時、反フェミニズムの動きに関わった保守系運動がすべてネットを活用していたわけではない。むしろ草の根的にミニコミ等の手段を使っていたケースも多く、実際にこの時期の反フェミニズム保守運動の中で、ミニコミの影響力は大きかった。2000年代前半から中盤あたりにかけての保守運動では、ミニコミなどの小さな媒体、産經系メディアや『諸君!』、『世界日報』等の保守系マスコミや、その頃保守化傾向が目立ち始めた『別冊宝島』といったマスコミ媒体、そしてネット上での多彩な展開と、総体としては多様なメディアが活用され、反フェミニズムのメッセージが発信されていた。

このメディア活用上の移行期にあって、保守運動とフェミニズム運動のメディア活用はそれぞれどうなっていたのか。この問題も、『社会運動の戸惑い』では取り上げた。

このように、『社会運動の戸惑い』は、時代的にも、ネットやメディアの利用という意味でも、『<癒し>のナショナリズム』と『ネットと愛国』の間をつなぐ本なのかなと思う。そしてこの本では、今まであまり取り上げられず、目立ってこなかった人たちの活動をとりあげてもいる。人脈的にも、つくる会からも、行動保守の流れとも、異なる流れという面もある。だがそんな中で、それらの運動につらなる人たちの姿も垣間みえてもいる、そんな本でもある。

(初出 2012/09/27 11:33 am)

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