リブ運動のメディア抗議

日本におけるフェミニズムのメディア批判に関する論考では、女性運動のメディア抗議は、主に1980年代以降起きたとされている(鈴木1992)。それ以前のものとしては、1975年の「国際婦人年をきっかけとして行動を起こす女たちの会」のハウス食品の「私作る人、僕食べる人」というテレビCMへの抗議が女性の性差別に関する抗議として挙げられるにとどまる(井上1992, 諸橋1997)。

しかしながら、リブ運動は、リブ合宿を報じた週刊誌の報道に「悪辣なものが多」いと、1970年リブ合宿後にいち早く抗議に出かけていた。長時間にわたり、男性編集者と話し合いをすることに成功していたのである。

マスメディア機関に抗議に出かけたという最初の記述が見られるのは、「リブニュースこの道ひとすじ』創刊号においてであった。「第一回リブ合宿・北から南から女たち駆けつける」という題で、1970年8月長野県で開かれた最初のリブ合宿の雑誌報道に対して次のような激しい怒りと批判が書かれていた。

男マスコミは庭先でシャットアウト。女性記者に限り合宿参加。しかし、味方の顔をした女性記者の合宿記事は「猛女と裸踊り」「性告白集会」など悪辣なものが多く、合宿後、女たちからの怒りの声が相つぎ、「文春」編集部へ抗議に行く。(「リブニュースこの道ひとすじ』創刊号、1972年)
これは、全国リブ合宿が1971年8月21日から24日まで飯山市のヒュッテ鈴荘で開かれたこと、そして「実行委のよびかけ通り、啓蒙主義的な一切を廃した合宿の成果は十分はたされた」というリブ合宿の総括のあとに載っていたくだりである。

これについては、「ぐるーぷ闘うおんな」の行動メモに、9月8日「リブ合宿総括集会」が開かれ、「男文化の手先となって働く女ジャーナリストの提供したブルマスコミ(ブルジョア・マスコミの略語)のニューズに対して『素直』になれない姉妹よ団結せよ!」(溝口他1992:211)というマスメディア批判の記述が記されていた。

そこで、筆者は、当時の『週刊文春』編集部の特集担当デスクを探し当て、当時のリブ運動の抗議がどうだったかについて1999年8月、当時の編集デスクから聞き取りを行った。当時のデスクによると、市民運動からの抗議というのは珍しく 、しかも「事前連絡がなくいきなりたくさん来る」のに驚いたと言う。だから、印象に残っていたのであろう。25年以上前のことではあったが、その時のことをよく語ってくださった。

リブの抗議で最も印象深かったのは、代表を置かず大勢で突然訪問し、長時間の話し合いをする、という新しい形式であったと語った。会議室がいっぱいになる15、6人という人数で、しかも二人くらいは赤ん坊連れであったという。会社側としての常套手段として代表のみ面会という形を提案したが、「抗議に来たリブの側は、『われわれはそれぞれが我々自身を代表しているのであって、誰かを代表してきているのではない』と口々に答えたのが実に当時の雰囲気」だと語る。全員が会議室に入ったが、赤ん坊が机の下をはい回ったり、自分の足下にまで来たりしたし、ミルクを用意したり大変手間がかかったことを『週刊文春』のデスクは述懐した。

そうした抗議の仕方は、1960年代盛んだった全共闘運動の「集団団交」の流れを汲むものとして特に印象に残っていると述べた 。リブの抗議のスタイルとして彼が次に挙げたのは、長時間に及ぶことと要求条件を出さず、話し合いそのものを重視する姿勢だった。合宿を取材した担当者と直接話し合いたいと望んだというが、それだと取材した女性記者に迷惑がかかるので拒否し、責任者として答弁したという。

リブの主張の中に、「女性記者というのも男社会の中で末端だから男のいいように使われているのだから敢えて責めない」といっていたことを覚えているという。同デスクにとって抗議とは、一般に、訂正を求めたり、抗議があったことを雑誌に載せることを要求する、あるいは訴訟にするなど具体的な条件闘争が展開されるものであった。だが、リブの抗議はそういった要求がないことが特徴であったと彼は述べた。ウーマンリブ運動の側は、10数名が四方八方から口々にあれこれ述べるという方式で、結局、抗議は結局、5〜6時間にも及んだという。

デスクは、当時、他のリブよりも年長であった田中美津がリブ運動の中では代表として振る舞っていたという。「この人達は組織の人間だからこういう反応をするものなのよ。代表して来るとこういうことを言うのよ」と組織の論理を仲間に教育していたと映ったという。デスクが、組織の代表として発言をすると、田中が「組織の代表はいつでもこういうことを言うのだから」と的確に反応してきたことも覚えているという。

こうした初期リブの抗議の方法は、私自身が80年代以降に経験してきた反原発運動や消費者運動、メディアの性差別批判の運動などさまざまな市民運動を行ってくる中での抗議の方法とよく似ている。

その抗議のスタイルは、基本的には、少人数ではなく大人数で出向く、代表を置かない、長時間の話し合いをする、条件闘争をしない、相互理解の向上を重視する、などの特徴があった 。こうした抗議が全共闘運動の影響が強いものであり、リブ運動に受け継がれ、その後のフェミニズム運動やその他の市民運動にどのように受け継がれてきたのか。そして、いつまで続いたのか。現在もそれは続いているのか。

格差拡大や原発事故などに対応すべく、今また盛んになりつつある社会運動。社会運動の抗議スタイルのあり方は、これまでの運動の抗議スタイルの功罪を振り返りつつ、再検討することが必要であろう。

井上輝子1980「ミニコミ・ウーマン・リブの季節ー報道されるリブから主張するリブへ」『女性学とその周辺』勁草書房:156-173

鈴木みどり1992「メディア問題に取り組む草の根の女性たち」加藤春恵子・津金澤聡廣編『女性とメディア』世界思想社:57-70

溝口明代・佐伯洋子・三木草子編1992『資料日本ウーマン・リブ史 (1)』松香堂書店

諸橋泰樹1997「日本におけるメディア・セクシズム批判の高まり」湯浅俊彦・武田春子編『多文化社会と表現の自由−−すすむガイドライン作り』 明石書店:143-171

(初出 2012/09/14 7:24 am)

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