小田嶋隆氏「『女性差別広告』への抗議騒動史」の何が問題なのか?

執筆者: 山口智美

コラムニストの小田嶋隆氏が、「「女性差別広告」への抗議騒動史」という記事をブログにアップした。そもそもの経緯は、小田嶋氏のツイッターでの「従軍いやん婦」発言にさかのぼる。その発言をめぐる一連の経緯はTogetter「小田嶋隆さんの”従軍いやん婦”発言をめぐるやりとり」参照。Twitterでの経緯から、小田嶋氏がこのブログ記事で言及している「フェミニズム運動にかかわっておられると思しき女性」というのは、私のことを指しているかと思われる。

ブログ記事としてアップし、追記まで加えておきながら、「以後、この問題については、議論しません」というのは、どうなのかとは思う。まあ一方で、私の側とすれば、絶版状態の本の文章をブログで批判するのもどうかと思っていたのだが、アップされたことで誰でも検証できる状態になったこともあり、批判をまとめるよい機会を与えていただいたということになる。小田嶋さん、ありがとうございました。

しかし、小田嶋氏は、コラムの文章全文をアップすれば、「ミソジニーバックラッシュのアンチフェミのセクシストのマッチョ」という疑いがおそらく晴れるであろうと思われた様子なのだが、なぜそんな認識になってしまっているのか不思議だ。アップされた記事も、「ミソジニーのバックラッシュの…(以下略)」にしか見えないからだ。

小田嶋氏の「『女性差別広告』への抗議騒動史」 は「国際婦人年をきっかけとして行動を起こす女たちの会」(1986年から「行動する女たちの会」に改称。96年解散。以下、「行動する会」と記述)による、メディア抗議行動の批判である。 私は博論で、この「行動する会」を扱った。それ以来、今に至るまで私がずっと追い続け、資料を集め、元会員への聴き取りを積み重ねてきたテーマだ。 *1 さらに、『まれに見るバカ女との闘い (別冊宝島Real (050))』は、2000年代前半から中盤にかけて出版が相次いだ、フェミニズムの「バックラッシュ」本の一冊である。私は『社会運動の戸惑い』本のための調査でフェミニズムへのバックラッシュを扱ったが、この「バカ女」シリーズについて、宝島社や関係者に聴き取りを行っている。そんなわけで、小田嶋氏が今回再掲した記事は、私の取り組んできたテーマの、ど真ん中をついていることになる。それもあり、今回反論を書く事にした。

バックラッシュ本としての『まれに見るバカ女との闘い』

まれに見るバカ女との闘い (別冊宝島Real (050))』(2003)は、全3冊の別冊宝島「バカ女」シリーズの2冊目にあたる。一冊目の『まれに見るバカ女』が売れたために、続編ということでこの企画が出たという。この後に出たのが、2005年の『男女平等バカ』だった。売り上げは一冊目が最もよく、だんだん減っていったという。

フェミニズムへの「バックラッシュ」本の先鞭をつけたのは、1996年から約10年にわたり多数のフェミニズム批判本を出した林道義氏だった。だが「バックラッシュ」最盛期に突入したのは2002年、フェミニズム批判本が多数出版され始めたのが2003年である。その中でも最も売れたと思われる『まれに見るバカ女―社民系議員から人権侵害作家、芸なし芸能人まで! (別冊宝島Real (043))』(2003)が火をつけたといっていいだろう。そして、 『まれに見るバカ女との闘い』(2003)は、シリーズ前作よりもフェミニズム批判の色彩が濃くなっており、バックラッシュの運動で大きな役割を担った 長谷川三千子氏と岡本明子氏の対談も掲載されている。そして小田嶋氏は、この本の「Part 4 バカ女の事件簿」と題された章で、フェミニズム運動批判を展開している。

小田嶋氏はブログ記事で「私自身は自分のことを、かなりフェミニズム寄りの人間だと考えています。」と書いているが、少なくともこの本は2003年当時、フェミニズムへの「バックラッシュ」盛り上げに貢献したことは確かだし、それがトレンドで売れるとみた編集サイドが、もっと盛り上げようという意図をもって出版されたものでもある。こうしたフェミニズムへのバッシング狙いで作られた本に寄稿している小田嶋氏が「フェミニズム寄り」だという発言で念頭においている「フェミニズム」とは、いったい何なのだろうか。

女性史は「党派的なヒステリーの温床」なのか?

小田嶋氏は「女性史」を「党派的なヒステリーの温床」だと位置づけている。以下、該当部分を引用してみよう。

が、女性史のような一見社会的に見えるタームにこそ、個々人のパーソナルな視点と一個人の固有な記憶の裏づけが要求されるべきなのだ。なんとなれば、「公的な」「資料付きの」「定説化された」情報には、多くの場合、党派的なバイアス(「フェミ側の」あるいは「マッチョ寄りの」でなければ、プロ市民臭かったり、偽善っぽかったり、利口ぶっていたりするような様々な偏向した圧力)がかかっているものだからだ。逆に言えば、党派的な思惑や商売上の利害関係の持ち主でもなければ、誰もこんな厄介な問題(女性史のことだが)には、手を出さないはずなのであって、とすれば、誰かが女性問題について発言しているということは、すなわちその発言が偏向していることを意味している。……って、厄介だなあ。

 ともあれ、女性史が厄介な話題であり、党派的なヒステリーの温床であるという、このうんざりするような状況に水をかけるためにも、一個人のナマの記憶は第一次資料として、ぜひ、珍重されるべきではあるのだ。

女たちの歴史というのは、男の歴史 に比べて、圧倒的に記録に残ってこなかった。そうした記録に残っていない歴史を、地道な聴き取りを重ね、まとめていったのが、女性史における多くの仕事の成果だった。著名ではない、市井の女たちの歴史を記録し、残したという面で、とくに成果は大きい。まさに、「一個人のナマの記憶」および「経験」の積み重ねに関して、「公的な」「資料付きの」「定説化された」形では残ってこなかったものを、丁寧に掘り起こしたのが女性史の歴史だろう。そしてこうした成果は、大学に所属の研究者のみならず、多くが、在野の歴史家、研究者、市民らの仕事でもあった。

だが、長年の積み重ねのもとに収集されたたくさんの女性たちの声は、小田嶋氏にとっては単なる「党派的ヒステリー」であるらしい。さらには小田嶋氏一個人の「ナマの記憶」こそがそうした積み重ねに優先して、「第一次資料としてぜひ珍重されるべき」という位置づけになっている。

結局のところ、小田嶋氏は冒頭で「ボク個人がこんなことを思っていました」の歴史でしかないものを書きますよ、と言い訳をしているのだろう。しかしながら、その小田嶋氏「一個人のナマの記憶」は、「ヒステリー」として打ち捨てられる数多くの女たちの経験や記憶の記述よりも、なぜか優先されるべきものとして扱われる。さらに言えば、ボクの個人的な記憶こそが、一般の人たちの記憶や考えの反映であると考えるからこそ、これだけ自信をもって自分の記憶こそ聞くべき、と主張できるのだろう。これだけ無頓着に、自身の記憶=一般の反映、と思えることこそ、マジョリティ性の発露であり、女性史はすべからく「ヒステリー」であるという認識は、まさにミソジニーそのものだ。

批判対象の女性運動の歴史への関心の欠落

小田嶋氏は、今回アップした記事の追記として、「ただ、女性運動の歴史が、抗議活動の歴史とほぼイコールになっている展開が、女性運動にとって不幸なのではないかということを指摘したつもりでいる」のだと書いている。

ここで小田嶋氏が、女性運動の歴史が実際に抗議活動の歴史とイコールなのか、それともそういう印象を与えたのが不幸だったといいたいのか、わかりづらい。だが 小田嶋氏の「ナマの記憶」ではそういう印象であったとしても、この文章では女性運動の歴史が実際に抗議活動の歴史イコールだったということは論証されていない。たまたま小田嶋氏が触れていた情報や、当時のメディア報道が抗議運動ばかり扱っていた可能性などもありうるだろう。当時の週刊誌メディアを主な情報ソースとしたら、おそらくそういった印象になるだろうと思う。

この文章は2003年に書かれたものだ。その時には、『行動する女たちが拓いた道―メキシコからニューヨークへ』(1999)も出版されていた。巻末年表をざっと見れば、会の幅広い運動の流れだってわかったのに……だが、おそらくこういった本も読まずにこの文章を書いたのだろう。あくまでもこの文章は小田嶋氏「一個人のナマの記憶」を綴ったものという位置づけのようなので、特に批判対象の運動についての資料を調べる必要すら感じなかったのかもしれない。

行動する会は、分科会方式をとっていた団体である。分科会には、労働分科会、教育分科会、主婦問題分科会、裁判・調停・離婚問題分科会、独身女性分科会など、様々なものがあり、それぞれが活発な活動をしていた。80年代前半は、会は82年の優生保護法改悪阻止運動、さらには雇用平等法をつくる運動などに追われた。こうした様々な運動を展開する中で、例えば84年の雑誌『モーニング』広告抗議なども同時進行で行っていた。そして、会は「告発と提案は車の両輪」という考え方のもとで運動を展開した。メディア抗議は会の重要な運動の柱の一つだったが、決してそれだけを行ってきた運動体ではない。*2 行動する会の歴史だけをみても「女性運動の歴史が抗議運動の歴史とイコール」というのは、事実ではない。女性運動全体に広げるなら、なおさらだろう。

あるいは、小田嶋氏がそういう印象を与えたメディア表象の問題を扱っているのだというつもりであるなら、メディア側の責任も大きいのは明らかだが、それへの言及は一切ない 。

メディア抗議の積み重ねは瑣末なのか?

1)70年代「つくる人、食べる人」抗議とその後

行動する会のマスコミ分科会は1975年に ハウス食品「ワタシ、つくる人、ボク、食べる人」CMへの抗議と、NHKへの要望書の提出を行い、注目を集めた。そして、それらの抗議の中で「性別役割分業」概念を理論的支柱にすえた。会はマスコミの「性別役割分業」の問題を問うために適切なターゲットとして、NHKとこのCMを選んだのだ。

この行動する会のハウス食品およびNHK抗議は、当時は瑣末な問題として、マスコミ上で嘲笑の対象にもなった。だが、小田嶋氏はこの抗議は高く評価しているようだ。マスコミでおおいに議論がかわされたということ、さらに、「『性差』『男女役割論』『家庭における家事分担』といった、女性問題における最重要かつ本質的な論点が典型的な形で提示」されていたことから、抗議は大成功であり、小田嶋氏自身もこの抗議によってジェンダーについて考えるようになったという。

この抗議の重要性に関しては、私も小田嶋氏に同感する。この抗議は、この年の年鑑にも掲載されており、ウーマンリブ・フェミニズム団体によるメディア抗議は初めてではないものの、これだけ注目を集め、影響力をもったものは初めてだった。

だが、小田嶋氏は、主要な論点はここで出尽くしたとし、行動する会の運動は「最初のバカ当たり以後は、徐々に後退することになる」と書く。ハウスCM抗議は評価しているものの、まるで行動する会はハウス抗議の一発屋だった、的な評価だ。

ここで小田嶋氏が触れていない動きが、当然ながら多々ある。先ほど述べたように、このハウスCM抗議と同時期に、行動する会は、NHKに対して要望書を提出、面会を行っており、この行動もハウスCM抗議と同様、かなり大きくマスコミに扱われた。そして、 もちろん注目を集めなかった抗議行動もあるが、会はハウス食品CM抗議後にも、 マスコミへの抗議、話し合いや交渉などを多数積み重ねていった。

また、ハウスCM抗議とNHK抗議に関する報道の多くは酷かった。行動する会は、多々あるこうした週刊誌報道の中から、雑誌『ヤングレディ』に焦点をあて、編集部との話し合いをもった。『ヤングレディ』の記事が、行動する会の抗議は「女性差別の本質から外れている」という批判だったため、「では、女性差別の本質とは何か」という議論の場を持つ狙いもあったのだという。そして、法廷を議論の場にすべく、裁判にもちこんだ。 裁判は79年、和解という結果となり、行動する会は、会が作った記事を『ヤングレディ』に掲載するという成果を勝ち取った。これが、日本で初めての市民によるメディアへの「アクセス権」の獲得として、注目を浴びた事例である。

問題となった75年の『ヤングレディ』記事

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行動する会が作った『ヤングレディ』1980年1月22日号掲載記事

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ほかにも70年代後半から80年代にかけて、行動する会は様々なメディア抗議を積み重ね、一定の注目を浴び続けた。*3

2)80年代「より瑣末でチンケな話」

行動する会の活動がだんだん瑣末なものとなり、効果がなくなっていったという後退の歴史を語る小田嶋氏。そして、氏が「女性問題における最重要かつ本質的な論点性」だと考えるのは「性差」「男女役割論」「家庭における家事分担」といった課題であるとする。80年代の会によるメディア抗議と、「性の商品化」という問題意識は、まさに性差別告発の行動であり、女性のセクシュアリティに関する問題で、セクハラ告発の視点も含んでいる。だが、それは「広範な層の男女の問題意識に訴え」ることはなく、「所詮マニアックな議論に過ぎなかった」のだと小田嶋氏はいう。そして、ハウスCM抗議に比べて、「より瑣末でよりチンケな話」「重箱の隅」と形容されている。*4 だが、これらのポスタ―の問題は、そんなに「マニアック」といえるようなものだろうか?

「チンケ」な抗議の事例として小田嶋氏が挙げているのが、『モーニング』の車内釣り広告への抗議、また営団地下鉄英文ポスタ―抗議だった。ポスタ―は以下のものになる。

84年『モーニング』広告

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『モーニング』ポスタ―に関しては、会は講談社、および電鉄会社に申し入れた。講談社側は今後はモニター制度をつくり、注意していくと回答し、翌号の女性のお尻を扱ったポスタ―はすでに印刷されていたが、キャンセルされたという。*5

1989年営団地下鉄ポスタ―

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外国人に地下鉄の便利さを知ってもらおうと作られたポスタ―。「アピール度を強くしようと、考案された」(営団地下鉄広報課)とのことだったらしい。日本女性学会等、他団体も取り組んだが、行動する会の外国人の女性会員が送った手紙が大きな意味をもったという。 新聞で話題になり、ポスターは撤去された。*6

地下鉄ポスタ―については、『モーニング』にくらべたら、大きな問題とは感じない人もいるかもしれない。(それにしても、地下鉄の便利さを知ってもらうという目的と、女性の足が巨大にうつったイメージとの関連性は全くわからないが。)だが、これらの広告は、女性の身体の一部だけを切り取って「モノ」かのように扱っている点で共通している。そして、とくに『モーニング』広告についてはあまりに酷く、「瑣末」とか「重箱の隅」といえるような問題ではないと私は思う。

そして、「このような抗議自体はすぐ効く即効薬でもないし、大転換させる革命でもない。」と会員は言う。だが、「この小さなことの積み重ねが、社会通念という怪物を作ったりこわしたりしてゆくのではないか」*7という考えのもとに、一つ一つ、注目を集めない場合も多々あったメディアへの抗議行動を20年間にわたり積み重ねてきたことは、行動する会の歴史としても、そして日本の女性運動の歴史としても、非常に重要な意味をもったと私は考えている。

3)90年代「さらに些末かつヒステリックな色彩」

小田嶋氏によれば、90年代に入ると、行動する会の抗議は「さらに些末かつヒステリックな色彩を帯びてくる」という。小田嶋氏がここで事例に挙げる、会が抗議した広告は以下のものである。

91年エイズ予防財団

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厚生省外郭団体「エイズ予防財団」によるこのポスタ―。海外での買春、女性差別、エイズ患者への偏見を助長するとして会は抗議した。初め厚生省は、「自信作です」と胸をはっていたというが、とうとう降参し、ポスター回収。同時に抗議した側は、「わたしたちのつくるエイズポスター」を公募、3ヶ月間で261点の応募が集まった。厚生省は、この翌年のポスターは公募で制作することにしたという。*8

92年オンワード「五大陸」

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抗議の結果、オンワードからはお詫びの回答文が届き、また 朝日新聞の投書欄でも批判が盛り上がり、オンワードの反省の回答文が朝日新聞に掲載された。また会は電通にも抗議を行っている。

これらのポスタ―への抗議は、女性差別、性暴力、セクシュアリティ、さらにはレイシズム等の様々な問題を提起するものだった。だが、 これらの抗議について、小田嶋氏は「さらに些末かつヒステリックな色彩」と評価する。さらに以下のように書く。

「これは、性の商品化です」

 と、女性団体が居丈高に指摘しても、

「ご指摘の通りですがそれが何か?」

 という反応が返ってきたりさえした(つまり、指摘された側が、どこを反省して良いのやらわからないでいるわけです。面白いことに)わけで、要するに、あんまり一般向けの説得力がないのだ。

現場にいってもいないのに、「威丈高に指摘」などと、まるで実際のやりとりを見てきたかのような描き方になっているのが興味深いが、それはさておき。ここで小田嶋氏は「一般向けの説得力」の欠落に非常にこだわっている。だが、小田嶋氏が挙げている事例は、エイズ予防財団についても、オンワードについても、新聞記事や投書欄などでも扱われ注目を浴びた事例であり、最終的にポスタ―が回収されたり、反省の回答文を引き出すなどの展開になった。これらの抗議が、新聞などの媒体で取り上げられ、注目を集めたという点では、「つくる人、食べる人」CM抗議と似た展開だ。

また、89年時の会の行動について扱った、『週刊ポスト』の記事は以下のようなものだった。

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いったいどちらが「ヒステリック」なんだ、というトーンである。75年当時の週刊誌報道とこの頃のものを比べると、70年代は茶化すトーンが多かったが、80年代はこうした、女性団体の抗議を脅威として煽るタイプの記事が多かった。小田嶋氏の「威丈高に指摘」などの描写とも重なってくる。

小田嶋氏は、これらの抗議はマスコミで注目を浴びても、それが逆効果だった、と言いたいのかもしれない。そして、「一般向けの説得力」としてここで氏が言いたいのは、まさに、「ボクが説得されたかどうか」ということなのだろう。そして、ボクは反発を感じたし、啓蒙的で、かつ瑣末だと思ったということなのだろう。*9

なぜ反発を感じたのか、反発を覚える自身の感覚に問題はないのか、抗議の顛末の詳細を自分が知らないだけではないか、マスコミが報道しなかった、あるいは偏って報道したのではないか、抗議された側の対応の問題もあったのではないかなど、様々な可能性はすっとばして、女性団体のやり方が悪いのだ、とする。

小田嶋氏の80年代以降の抗議運動に関しての文章からは、自己の感覚や視線を振り返り、 問い直すという感覚が絶対的に欠落しているように思う。「性役割」や「家事分担」までは理解できても、セクシュアリティが関わると途端に自省的なまなざしを失ったようにも見える。マジョリティの男性である自身には「瑣末」な事柄に見えても、女性にとっては違うのではないか、さらに自身も、男社会であるマスコミ業界のものの見方にはまっているだけではないか、といった問い直しは見えてこない。小田嶋氏によって問題視されるのは、あくまでも 女性団体の運動ということになる。

さらに小田嶋氏は以下のように述べる。

ともあれ、かくして、抗議はシステム化する。つまり、抗議それ自体を自己目的化するプロ抗議集団と、抗議を折り込み済みの天災として受忍するプロの腰抜け自主規制表現者が並立する不幸な体制が完成するということだ。

 そんな中で、女性団体のクレームは、結果として、エセ同和による職業的恫喝や、総会屋の出勤風景に似て来ざるを得ない。不幸なことだ。*10

 先述の『週刊ポスト』記事と同様の、「女性団体が恫喝」「プロ市民」的なイメージ*11、この小田嶋氏の「総会屋の出勤風景」等の記述にも色濃く見える。  行動する会の抗議が自己目的化していたというが、そんなことをしている余裕は当時の会員たちにはなかっただろう。*12さらに小田嶋氏の文章の最後では、「男性差別」とか「殴られ利権」などの言葉まで飛び出す。2003年前後の別冊宝島Realが、『同和利権の真相』『北朝鮮利権の真相』『中国利権の真相』などといった書籍を連続して出していた中、同様の論調を女性運動にあてはめたものであり、マジョリティ側こそが「差別」されていると言い立てる主張は、まさに「バックラッシュ」だろう。(その後、こうした論調が、2006年の別冊宝島『嫌韓流の真実!ザ・在日特権』に行き着いたことは言うまでもない。)

もちろん、男性中心マスコミの壁は厚く、全ての会のメディア抗議が成功したわけではない。小田嶋氏が言う「それが何か?」という反応がなかったわけではない。 その問題は、私が聴き取りを行った会員たちも、十分に認識していたし、どうしたらいいのかと模索もしていた。だが、こうした状況は、すべて女性団体のやり方の問題だと結論づけていいのだろうか。そもそも問題なのは、いつまでも男性中心のあり方にどっぷりはまりこみ、疑問をもつことすらなかったメディアや企業、政府、そして社会ではないのか。だが、小田嶋氏の文章はそこは問わないままだった。

性差別をめぐる問題の根深さ

フェミニズムの思想や運動の歴史や背景を知ろうともせず、自分の視点こそがなぜか正しく「一般」の意見の反映だと思い込み、上から目線で「やり方が悪い」とアドバイスをしてくる人。フェミニズムについてコメントする男性に多いパターンであり、迷惑なことである。マサキチトセさんが説明する、いわゆる「マンスプレイニング系男子」といえるの かもしれない。ただ、小田嶋氏の場合、フェミニズムを茶化す目的の、「バカ女」と題されたバックラッシュ本でこれをするわけだから、そもそもフェミニスト当事者にその批判をまともに聞いてもらおうという気もなかったのだろう。

さらに、小田嶋氏の普段の言論がリベラルであるとか、性差別以外の差別問題には敏感であるなどの状況があるとしても、だから小田嶋氏のミソジニーやセクシズムも酷くないはずだということにはならない。そもそも、リベラルや左派系でありながら性差別には鈍感な人々(とくに男性)は多い。さらに、他の課題に比べてジェンダーやセクシュアリティをめぐる課題が瑣末であるはずも、重要性が低いということもないはずだ。性差別に関してだけはおおらかに見てあげるべき、ということにもならない。

小田嶋氏がこの記事をアップすることで、「ミソジニーのバックラッシュのアンチフェミのセクシストのマッチョ」という疑いが晴れると考えたとすれば、その認識のほうが心配だ。 こういう認識になるのは、ミソジニーやセクシズムがいったい何なのかも、どれだけこの社会に蔓延し、自らも簡単に逃れられるような問題ではないことも、本気でわかっておられないのだろうと思うからだ。問題の根は深い。

*1:1996年、解散直前の時期に私は会に初めて行った。会員としての活動はほとんどできなかったが、会のニュースレター「行動する女」の最終号には会員からの解散に際してのメッセージの中に私の文章も載っている。そしてその頃、元会員の数名が始めていた、行動する会の記録集をつくるプロジェクトに参加した。その記録集は、1999年、『行動する女たちが拓いた道』として出版。私は、「第1章 マス・メディア性差別を告発」の執筆グループの一員となり、年表作成にも参加。そのプロセスの参与観察と会員のインタビュ―に基づき博士論文を執筆。その後もずっとフォローは続け、昨年から、行動する会の過去のニュース等の復刻版をつくるプロジェクトに関わり、再び行動する会の元会員らの聴き取りを始めたところである。

*2:75年時点からの会への批判のテンプレとして、会が何かの行動を起こせば「そんな瑣末なことではなく、もっと本質的な女性差別撤廃のための運動をすべき」というものがあった。だが、そうしたときに「本質的」とされる行動は、分科会活動のいづれかで、すでに会が行っている運動であることも多かったと元会員たちは言う。

*3:この時期のメディア抗議の詳細については、『行動する女たちが拓いた道―メキシコからニューヨークへ』をご参照ください。

*4:86年以降の「行動する会」は、教育分科会とメディアグループが活動の中心の会になっていた。メディアに抗議を行うのみならず、集会を行い、企業との交渉を行い、メンバーはテレビを含むマスメディアで意見を伝えるなども行っていた。さらに、こうしたメディア抗議行動と同時進行で、男女混合名簿推進運動に火をつける役割を果たしていた。決して中心になって動いていたメンバーの数が多かったわけではない。そうした中で、私が元会員たちに行ってきた聴き取りによれば、仕事ももっていた中心メンバーらはとてつもなく忙しい日々を送りながら、運動に関わっていたという。

*5:三井マリ子・中嶋里美・坂本ななえ『女たちは地球人』学陽書房1986

*6:行動する女たちの会ニュース『行動する女』1989年12月号で引用された、『日刊スポーツ』1989年12月7日号記事「退脚地下鉄ポスタ―」、行動する女たちの会・メディアグループ『ポルノ・ウォッチング―メディアの中の女の性

*7:三井マリ子・中嶋里美・坂本ななえ『女たちは地球人』学陽書房1986: 27-28

*8:三井マリ子『桃色の権力』三省堂1992:264-265

*9:フェミニズム運動の流れの中で、とくに95年以降の「男女共同参画」が出てきて以降は確かに「啓蒙」要素が前面にでたことはあったと思うので、フェミニズムすべてにおいて、小田嶋氏の啓蒙性に関する議論がまったく的外れとは思わない。だが、啓蒙的かどうかとう面では、「性別役割分業」の問題を問い、周知させるためにターゲットとして取り上げたハウスCM「つくる人、食べる人」抗議のほうがむしろそうなのではないかと思う。しかし小田嶋氏はむしろ啓蒙性を、問題があまりに大きいポスタ―への怒りが表れたという面も大きい、90年代前半のエイズ予防財団やオンワードの広告抗議のほうに見いだしているようなのも興味深い。

*10:『社会運動の戸惑い』第7章でも書いたように、「行動する会」の当時の主力メンバーらは、行政による表現規制は主張していなかった。1991年「異議あり!「有害」コミック規制」集会に参加した会員の坂本ななえは、「私たちは性差別に反対するからこそ批判の自由を守るためこの集会に参加した」と述べている。山口・斉藤・荻上『社会運動の戸惑い』288

*11:追記:小田嶋氏は「プロ市民」という単語はここでは使っていないが、「プロ抗議集団」「職業的恫喝」「総会屋の出勤風景」などの表現は使われており、「プロ市民」と同様の意味あいをもつのだろうと思われる。5.15.2014さらに追記:この部分では出てこないが、上記の「女性史」についての引用部分では、小田嶋氏は「プロ市民」という単語を使っていた。

*12:元会員たちは、私の聴き取りに対して、日々働き、それぞれの生活を抱えながら、時間を縫うようにして運動を続け、体力的にも時間的にも、交通費など経済的にも厳しかったと語っている。

初出 2014-05-14 『ふぇみにすとの論考』

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