解説 行動する会を女性運動史に位置づける

< 「性別役割分業」概念と運動の展開>
  行動する会は何よりも、個別具体的な社会問題に関して行動を起こすことを重要視した。リブ運動と同様に意識改革の重要性を唱えたが、 具体的な性差別を撤廃するための行動を通じて意識改革を行い、さらなる社会変革につなげようといった活動を行っていった。会の名称に表れているように、国連の1975年の国際婦人年、およびその後続いた国連婦人の10年は、会の前半の活動に大きな影響を与えた。だが、行動する会は単に海外のものを輸入しようとした団体ではなかった。むしろ、あくまでも自らの生活の足下の性差別を告発し、それを撤廃すべく行動することを重要視する会だった。結成後、最初に行われた 「女の一生を語りつぐ集い」(1975年4月活動報告【第5巻収録】)が、「一人ひとりが自身の体験を通じてはっきりと表明し差別の実感として告発しようという集会」だったことからも、まずは足下の問題からスタートしたことがよくわかる。自らの体験を語ることが運動の重要な要素だった、ウーマンリブ運動とのつながりもはっきりと見て取れる。
 1975年3月に採択した 「私たちは行動を起こします」声明文【第1巻収録】は、「私たちは国際婦人年をきっかけとして、次のことがらの実現に向けて具体的な行動を起こし、完全な実現までやむことなくその行動を続ける決意です」と述べている。「具体的な行動」は行動する会の鍵だった。国連が提示した性差別撤廃宣言や行動計画などに記載された概念などは、自分たちの足下の問題を解決するための行動の理論づくりや、抗議、提案のために使われた。
 「私たちは行動を起こします」 には、「家事育児を女のみの責任とする考えを改め、性の違いにかかわらず、同じ意志に対して同じ機会、同じ結果に対して同じ評価が与えられる必要があります。そして、男も女も一人一人の意志と個性に従って自分の人生を選び取れるような社会をつくり、新しい文化を創造することをめざします」という一節がある。ここで提示された、性によって役割が分担させられずに、個人個人が人生を選び取れる社会や文化を創造するという目的の言語化として最適だったのが、国際婦人年メキシコ会議で採択された「世界行動計画」で示された、「性別役割分業」概念だった。そして、行動する会にとっての「性別役割分業」概念は、個人がもつ意識のみならず、社会構造まで視野にいれ、意識、構造両方の変革を射程にいれたものだった。 すなわち「性役割」や「性別役割分担」といった言葉から想起されがちな、個人の意識や生活における「分担」のみならず、社会全体に及ぶジェンダー構造を問題としたのだ。
  行動する会のマスコミ分科会は1975年にNHKへの要望書提出、そしてハウス食品「私作る人、僕食べる人」CMへの抗議を行い、注目を集めた。そして、それらの抗議の中で「性別役割分業」概念を理論的支柱にすえた。『一年目の記録』を読むと、マスコミの「性別役割分業」の問題を問うために適切なターゲットとして、NHKとこのCMを選んだ事がわかる。(初期のマスコミへの抗議の詳細については井上輝子さんの解説および第3巻収録の『1年目の記録』などをご参照いただきたい。)
 他にも行動する会の数々のメディアへの抗議の中で、性別役割分業への問題意識に基づく抗議は多かった。例えば1980年、NHK英語会話番組 への抗議では、「女房なんてどうでもできるものですよ」「私につくすのが女房の仕事なんですから」などの表現を含む教材に関するものだった。会はこれを差別的であり、 「男は仕事、女は家庭」という性別役割分業の固定化を促進する役割を果たすものとして抗議を行った。徹夜でNHKに座り込んで抗議した結果、NHKは問題の箇所を削除して放送し、番組内容の変更に成功した。
 さらに会は、抗議するのみならず、マスコミをどう変え、どう自分たちの声を発信させていけるのかを大きな課題と捉えた。行動する会の発信のための「同一誌面の提供」を女性週刊誌『ヤングレディ』に得るというアクセス権を勝ち取った「女性週刊誌裁判」は、会の初期の活動での大きな成果だった(本資料集成に多数の資料が掲載)。
  こうした「性別役割分業」概念を 理論的支柱の一つにおいた性差別への告発に加え、具体的な提案も行動する会の重要な活動の一つだった。例えば、国際婦人年で採択された「世界行動計画」で政府が義務づけられた「国内行動計画」の策定に先んじて、「わたしたちの行動計画」を提示している。また、「裁判・調停・離婚問題分科会」は、ドメスティック・バイオレンスという言葉は一般的に使われておらず、 DVシェルターもない時代に、東京都に女性のための駆け込み寺として「離婚の母の家」の建設を要望し、結果、設立させることに成功した。これも重要な「提案」の活動だった。
 さらに、会は地道な情報収集も行った。とくに公開質問状グループが果たした役割は特筆されるべきだろう。 質問状の結果を情報として収集するのみならず、質問状を受けた側がそれらの問題を知るきっかけとなり、さらには世論喚起までも視野にいれた行動だった。公開質問状グループは、10年にわたり、政府・官庁、 議員、知事、政党、 マスコミ等に対し、政策やマスコミ報道、教科書の内容など多岐の内容に関して、質問状を出し続けた。
 会にとっては、情報の発信も重要な行動だった。毎月発行された『活動報告』をはじめとして、『教育分科会ニュース』など、分科会の発行したニュース、月定例会のお知らせビラや集会チラシ、 パンフなどのミニコミ媒体や、書籍にいたるまで、積極的に多様な印刷媒体を使って情報を発信した。また、日本国内だけではなく、国際社会への日本の状況の発信も会の重要な活動だった。1975年メキシコ、1980年コペンハーゲン、1985年ナイロビの世界民間女性会議では、フォーラムやワークショップを開催。また、コペンハーゲンとナイロビでは、『ACTION NOW IN JAPAN』と題された英文パンフを配布した。
 このように、 行動する会は、告発、提案、情報収集と世論喚起、国内および世界への活動の発信など、多様な運動を展開していった。

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