斉藤正美【書評】『海を渡る「慰安婦」問題』

山口智美・能川元一・テッサ・モーリス・スズキ・小山エミ『海を渡る「慰安婦」問題 右派の歴史戦を問う』岩波書店を読んだ。本書は「歴史戦」が、右派運動による、安倍政権、外務官僚まで総抱えの仕掛け戦であり、その結果、「歴史戦」が諸外国から顰蹙を浴び、彼らがいうところの「国益」を損じていることを明らかにしている。

安倍政権が巨大な勢力となった現在、安倍政権のアキレス腱である、日本の植民地主義や戦争責任を否定する歴史修正主義がどのような背景から生まれ、どのような思惑と戦略が込められているかを検証した本書は必読である。安倍政権の弱点を突き止めるためにも本書を多くの人が読むことを薦めたい。

なお、「歴史戦」とは、「中国、韓国、および『朝日新聞』が日本を貶めるために、歴史問題で日本を叩こうと「戦い」を仕掛けている、そして今、その主戦場がアメリカ」である」(p.ⅵ)という言論の「戦い」を指すという。仕掛けたのは、彼らが「敵」とみなす勢力であり、自らは被害者という位置づけだ。

ところで、能川元一さん@nogawam の「「歴史戦」の誕生と展開」によれば、大量に流布するゆえ「事実」と誤解しがちな「歴史戦」言説は、実は「論証において怪しくとも、熱心、かつ声高に、さらには確信的に自説を唱えるのが有効である」(佐瀬昌盛教授、p.9)という戦略により右派が仕掛けた言説運動であるというのだ。

「日本側から、「熱心、かつ声高に、さらには確信的に自説を唱え」ることによって歴史認識「対日包囲網」を突破しようとする戦いこそが、「歴史戦」なのである」(p.10)とする。このように右派運動は、被害者と見せかけているが、実は右派が野心に富んだ言説運動を自ら仕掛けたものなのである。仕掛ける媒体は、『産経新聞』や『正論』が中心であるが、論証に基づかなくとも「確信的に」「唱え」ればよいという「戦略」を打ち出しているのが上述のように学者であることも本書では明らかにされており、興味をそそられる。

第二次安倍内閣時代には、今度は「歴史戦」や「歴史戦争」と名付け、「強い日本へ——さらば、「心の戦後レジーム」」という特集を組むなど、歴史認識問題で安倍政権をもり立てようと、大攻勢に出ていた。すなわち、「歴史戦」というのは、安倍政権のために仕掛けられたプロパガンダなのである。

この書により、安倍政権のプロパガンダの仕組みが解明されたことは、極めて重要な意味を持つ。 安倍政権のアキレス健の一つが丁寧に解析され、その弱点も晒されている。それをどのように使って、対抗方法を組み立てるかが今、我々に問われているのだと思う。これらが能川さんの第一章を紹介したものである。

ところで、この書の重要性に気づかされたのが、たまたま安倍政権が改憲三分の二を勝利したターニングポイントであったことに意味があるのかもしれない。この機会にこそ、ぜひ多くの人が本書を読まれ議論が盛んになればと願う。

また、ここまでは、国内政治にのみ言及したが、この「歴史戦」という仕掛けのせいで最も大きな被害を被っているのは、植民地主義や戦争の被害者の方がたである。未だに解決していないのみならず、繰り返し、中傷され、否定され、いないことにされているのであるから。この状況を変えないといけない。

『右派の「歴史戦」を問う』本は、1)日本を、中国、韓国、朝日新聞という「反日」勢力から狙われた「被害者」であるとするのは右派勢力が仕掛けた虚構のプロパガンダであること、2」このプロパガンダは安倍政権を反日の中国、韓国に対抗する「強い政権」として打ち出してきたこと、を暴いている。

amazon軍事部門で1位の人気を博する『海を渡る「慰安婦」問題』いわゆる「歴史戦」本であるが、2章小山エミ章で重要なのは、ネットでよく言われる、海外在住日本人が慰安婦像設置後に「日本人いじめ」が多く勃発しているという件を調査し、一件も実態がなかったことを報告していることだ。

小山エミさん@emigrl は、報道されているグレンデール市について、現地の警察・学校・教育委員会、他のさまざまな機関や民間団体に問い合わせたが、何の連絡も通報も報告されていなかったことを明らかにする。さらに、デマの蔓延こそが、関東大震災時にもあった差別的なデマを連想させると言う。

『海を渡る「慰安婦」問題』は、海外に在住する著者らが海外で「慰安婦」問題を否定したり否認したりと暗躍する日本政府の意を汲む外交官の活動をつぶさに知る機会があり、そうした実態を丁寧に報告している。私たちは、これを読み、それがいかに顰蹙を買う行動であるかがわかり、慄然とするわけだ。

国内に住む私たちも、「日本の名誉」のために行われているそうした行動をきちんと知っておく必要があるとつくづく思わされた。知れば知るほど、「誇り」や「国益」のためにということでなされていることのあまりのお粗末さに、気分が暗くなってくるのであるが、、。

歴史学者であるテッサ・モーリス・スズキさんの3章は、ケニアでの虐殺事件や、インドネシアで「慰安婦」にされたオハーンさんの物語を挿入することで読者の感情を揺り動かしつつ、その主張を伝えようとしていると感じられた。テッサさんの章で最も興味深い問いは、「戦後生まれの人々にも先行世代が行った戦争や不正義に対する責任や謝罪の義務は存在するのか」(P.73)という問いとその答えを示す部分だった。

「実際に手を下ろしたことではないにせよ、過去の不正義を支えたその問いの答えは、「差別と排除の構造」が現在も生き残っているのであれば、私にはそれを是正する責任が確実にある」(P.74)というものだ。なぜなら「過去の憎悪と暴力、歴史的な嘘に塗り固められた差別と排除は、現在も社会の中で生き残り、再生産されていくのだから(P.75)という理由を、テッサさんは、ケニアの虐殺を忘れない記念碑、オーストラリアのアボリジニー、インドネシアで「慰安婦」にされたオハーンさんの例を引いて述べる

大正期にヒットした「籠の鳥」という「娼家」の女性を歌った歌の詩を紹介して、戦時「慰安婦」が世界の人々の定義によればどの角度から見ても「性奴隷」であるとしか言えないことを述べている部分は、圧巻であった。ぜひ『海を渡る「慰安婦」問題』お読みいただきけたらと思う。

山口智美さん @yamtom の4章「官民一体の「歴史戦」のゆくえ」では、「慰安婦」問題を中心とした歴史修正主義と右派の流れについて、1990年代から安倍政権での2015年末の「日韓合意」に至るまでを辿り、日本会議から在特会などの排外主義運動までかなり主張が異なる右派運動が、「慰安婦」問題ではある意味、共に闘ってきたこと、また安倍晋三をはじめとした主要な政治家も積極的にこの動きに関与してきたことなどを明らかにしている。現在は「女性活躍」や女性閣僚の登用を目玉とし、海外では女性登用のリーダーを任じている安倍晋三だが、「慰安婦」問題では早くからバッシングの急先鋒でもあったことがわかる。

さらに、「「慰安婦」問題の主戦場はアメリカ」と右派が主張するようになってから、海外の研究者やジャーナリストへのバッシングが増えたという。そして、著者自らがこのバッシングの対象にもなったことが記されている。さらに、右派による海外発信の増加に伴い、これまた著者自身が、国会議員から送られた、呉善花の著作と産経新聞の「歴史戦」という発行物を手にするくだりは、「真実はこうだ」というドキュメンタリーを読んでいるようだ。

山口さんの章では、国会議員や外務省の官僚、電通といった私たちが信頼をおいていた方々が、「主戦場はアメリカ」という右派の考えと共振し、歴史修正主義の言説を海外に拡散している事実がこれでもかこれでもかというくらい報告されている。

私たちが知らないところで、こうした情報の拡散がなされていることはぜひ多くの方に知っていただきたいと強く思う。

(ツイッターで連続ツイートしたものに、若干加筆しました。)