林真理子作詞「ふるさと高岡」 父・兄の強調は性差別か? 高岡市男女平等問題処理委員会の回答

富山県高岡市の「市民の歌 ふるさと高岡」の歌詞が「男性だけを強調・賛美して」おり、市の男女平等推進条例にそぐわない、と問題提起したことについて、高岡市男女平等問題処理委員会の回答がでた。

まず最初に、問題になっている「市民の歌」歌詞は、以下をご覧ください。

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次にあげるのが、(1)「市民の歌」について男女共同参画に関する活動をしている「シャキット富山35」から高岡市男女平等問題処理委員会への申し立てである。

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その次が(2)高岡市男女平等問題処理委員会からの回答である。

高岡市男女平等通知書

これらから、市側の対応などについて疑問に思う点を書いてみたい。

まず、この申し立てと回答内容を検討したい。まず、申し立ては、1.歌詞に「女のことが全く謳われていない」、2.「父、兄という男性の表現しかない」などから、「男だけを強調・賛美している」、「男女平等推進条例との整合性がとれていない」と主張した。要は、法令と齟齬があると主張した。しかし、これに対する回答は、「男女平等・共同参画の推進に関する施策又はその推進に影響を及ぼすとは認められない」というものである。

「「男女平等・共同参画」施策に影響しない理由として、第一に、歌詞には、「旅する人」「誰もがきっと帰るところ」「愛する人」といった男女を問わない表現があり、女性のことがまったく歌われていないとは言えない」ことをあげた。

そして第二の理由として、「そもそも、歌詞は、歌い手、聞き手の立場などに応じて多様な解釈が可能なもの」、「多様性を互いに認め合うことこそ男女平等」ゆえに、「歌詞に偏った表現が多いとか、男性だけを強調・賛美しているとは認められません」と言う。

しかしながら、第二の理由である歌詞の解釈だが、多様な解釈が可能であるというのなら、第一にあげた性別を入れてない部分で「男」しか想定しないという解釈だって「多様な解釈の一つ」としてあり得ることになる。

これで第二の理由として、多様な解釈に拓かれているから、男性だけを強調していないという説明に、市民は納得できるだろうか。特に、この歌を市民の「心の支えとなる歌となってほしい」と作成した(市民の歌サイトより)というのであれば、より丁寧な説明が求められるのではないだろうか。

そもそも、高岡市の男女平等推進条例における「男女平等社会」とは、「男女が性別に起因する政治的、経済的、社会的、心理的その他あらゆる形態の差別を受けない社会」と定義されている。

なお、男女平等推進条例については、こちらを参照。市の男女平等・共同参画の推進に関する施策は、もとよりこの定義に則して推進されていると考えられる。

だとすれば、父と兄(「父兄」だ)のみを敢えて表記し、目立たせることが性差別でないという理由付けが必要だ。果たして、この回答はそれに答えているだろうか、はなはだ疑問である。

ところで、この回答を出した男女平等問題処理委員会のサイトは、こちら

この高岡市の男女平等処理委員会サイトにも、同委員会からシャキットへの回答にも、委員会メンバーや委員長が誰であるかが一切明記されていない。高岡市のサイトのどこをみても情報が公開されていないようである。市の独立した委員会として責任ある回答をしているのだから、回答した人々について情報公開する必要があるのではないか。

申し立てをした「シャキット富山35」によれば、男女平等問題処理委員は、以下の三人だとのこと。

弁護士 入江佑典(いりえゆうすけ)さん
富大副学長 神川康子(かみかわやすこ)さん
人権擁護委員 吉川佳子(よしかわよしこ)さん

任期は、 H29.11.1から2年間とのこと。

こうした情報は、通知書にも市のサイトにも公開であげておく必要があるはずだ。
さらに、どなたが委員長なのかについては、不明なままだ。責任の所在がはっきりしないことも、この問題の一つと言える。

こうやって委員会が突っぱねた形だが、持ち上がっていると報道されている。しかし、その一方で高岡市長は、歌に3番、4番を付け足すという話もしているというのだ。

9月23日市民の歌に「男だけ賛美」の指摘 林真理子さんが作詞:朝日新聞デジタル

および10月31日付け「男だけ賛美」と指摘された市民の歌、廃止しない判断:朝日新聞デジタル

において、「市民がつくる3,4番があってもいい」「市民の思いを反映できる形を検討したい」などと述べている。申し立てを突っぱねる市民委員会と、申し立てに沿った形で歌詞を追加する意向を示す市長の間には、齟齬が見られる。これはどういうことなのか。

歌詞に何も問題がないのであれば、「市が考える通りに手直しをする」という必要もないのではないだろうか。

その上、2つの記事での市長のコメントにも矛盾がある。9月23日付け記事では、市長は「(作詞をした)林(真理子)さんとも相談し、市民の思いを反映できる形を検討したい」と述べ、それに応じて林さんも「市が考える通りにしていただき、手直しなどのお手伝いはさせていただく」と回答している。

それが10月31日付け記事では、「必要があれば林さんにも相談したい」とまだ相談していないかのように後退している。これは何を意味しているのだろうか。市サイドが矛盾に満ちたメッセージを送っていることにも不安を覚える。

そもそも、高岡市は財政が破綻しかかっており、市長や議員、およびそれに気付かなかった市民が問われている。そんな中、500万も予算をかけて市民から反発まで招くような歌をつくったこと自体、大変遺憾に思う。