作者別: 斉藤正美

斉藤正美【書評】『海を渡る「慰安婦」問題』

山口智美・能川元一・テッサ・モーリス・スズキ・小山エミ『海を渡る「慰安婦」問題 右派の歴史戦を問う』岩波書店を読んだ。本書は「歴史戦」が、右派運動による、安倍政権、外務官僚まで総抱えの仕掛け戦であり、その結果、「歴史戦」が諸外国から顰蹙を浴び、彼らがいうところの「国益」を損じていることを明らかにしている。

安倍政権が巨大な勢力となった現在、安倍政権のアキレス腱である、日本の植民地主義や戦争責任を否定する歴史修正主義がどのような背景から生まれ、どのような思惑と戦略が込められているかを検証した本書は必読である。安倍政権の弱点を突き止めるためにも本書を多くの人が読むことを薦めたい。

なお、「歴史戦」とは、「中国、韓国、および『朝日新聞』が日本を貶めるために、歴史問題で日本を叩こうと「戦い」を仕掛けている、そして今、その主戦場がアメリカ」である」(p.ⅵ)という言論の「戦い」を指すという。仕掛けたのは、彼らが「敵」とみなす勢力であり、自らは被害者という位置づけだ。

ところで、能川元一さん@nogawam の「「歴史戦」の誕生と展開」によれば、大量に流布するゆえ「事実」と誤解しがちな「歴史戦」言説は、実は「論証において怪しくとも、熱心、かつ声高に、さらには確信的に自説を唱えるのが有効である」(佐瀬昌盛教授、p.9)という戦略により右派が仕掛けた言説運動であるというのだ。

「日本側から、「熱心、かつ声高に、さらには確信的に自説を唱え」ることによって歴史認識「対日包囲網」を突破しようとする戦いこそが、「歴史戦」なのである」(p.10)とする。このように右派運動は、被害者と見せかけているが、実は右派が野心に富んだ言説運動を自ら仕掛けたものなのである。仕掛ける媒体は、『産経新聞』や『正論』が中心であるが、論証に基づかなくとも「確信的に」「唱え」ればよいという「戦略」を打ち出しているのが上述のように学者であることも本書では明らかにされており、興味をそそられる。

第二次安倍内閣時代には、今度は「歴史戦」や「歴史戦争」と名付け、「強い日本へ——さらば、「心の戦後レジーム」」という特集を組むなど、歴史認識問題で安倍政権をもり立てようと、大攻勢に出ていた。すなわち、「歴史戦」というのは、安倍政権のために仕掛けられたプロパガンダなのである。

この書により、安倍政権のプロパガンダの仕組みが解明されたことは、極めて重要な意味を持つ。 安倍政権のアキレス健の一つが丁寧に解析され、その弱点も晒されている。それをどのように使って、対抗方法を組み立てるかが今、我々に問われているのだと思う。これらが能川さんの第一章を紹介したものである。

ところで、この書の重要性に気づかされたのが、たまたま安倍政権が改憲三分の二を勝利したターニングポイントであったことに意味があるのかもしれない。この機会にこそ、ぜひ多くの人が本書を読まれ議論が盛んになればと願う。

また、ここまでは、国内政治にのみ言及したが、この「歴史戦」という仕掛けのせいで最も大きな被害を被っているのは、植民地主義や戦争の被害者の方がたである。未だに解決していないのみならず、繰り返し、中傷され、否定され、いないことにされているのであるから。この状況を変えないといけない。

『右派の「歴史戦」を問う』本は、1)日本を、中国、韓国、朝日新聞という「反日」勢力から狙われた「被害者」であるとするのは右派勢力が仕掛けた虚構のプロパガンダであること、2」このプロパガンダは安倍政権を反日の中国、韓国に対抗する「強い政権」として打ち出してきたこと、を暴いている。

amazon軍事部門で1位の人気を博する『海を渡る「慰安婦」問題』いわゆる「歴史戦」本であるが、2章小山エミ章で重要なのは、ネットでよく言われる、海外在住日本人が慰安婦像設置後に「日本人いじめ」が多く勃発しているという件を調査し、一件も実態がなかったことを報告していることだ。

小山エミさん@emigrl は、報道されているグレンデール市について、現地の警察・学校・教育委員会、他のさまざまな機関や民間団体に問い合わせたが、何の連絡も通報も報告されていなかったことを明らかにする。さらに、デマの蔓延こそが、関東大震災時にもあった差別的なデマを連想させると言う。

『海を渡る「慰安婦」問題』は、海外に在住する著者らが海外で「慰安婦」問題を否定したり否認したりと暗躍する日本政府の意を汲む外交官の活動をつぶさに知る機会があり、そうした実態を丁寧に報告している。私たちは、これを読み、それがいかに顰蹙を買う行動であるかがわかり、慄然とするわけだ。

国内に住む私たちも、「日本の名誉」のために行われているそうした行動をきちんと知っておく必要があるとつくづく思わされた。知れば知るほど、「誇り」や「国益」のためにということでなされていることのあまりのお粗末さに、気分が暗くなってくるのであるが、、。

歴史学者であるテッサ・モーリス・スズキさんの3章は、ケニアでの虐殺事件や、インドネシアで「慰安婦」にされたオハーンさんの物語を挿入することで読者の感情を揺り動かしつつ、その主張を伝えようとしていると感じられた。テッサさんの章で最も興味深い問いは、「戦後生まれの人々にも先行世代が行った戦争や不正義に対する責任や謝罪の義務は存在するのか」(P.73)という問いとその答えを示す部分だった。

「実際に手を下ろしたことではないにせよ、過去の不正義を支えたその問いの答えは、「差別と排除の構造」が現在も生き残っているのであれば、私にはそれを是正する責任が確実にある」(P.74)というものだ。なぜなら「過去の憎悪と暴力、歴史的な嘘に塗り固められた差別と排除は、現在も社会の中で生き残り、再生産されていくのだから(P.75)という理由を、テッサさんは、ケニアの虐殺を忘れない記念碑、オーストラリアのアボリジニー、インドネシアで「慰安婦」にされたオハーンさんの例を引いて述べる

大正期にヒットした「籠の鳥」という「娼家」の女性を歌った歌の詩を紹介して、戦時「慰安婦」が世界の人々の定義によればどの角度から見ても「性奴隷」であるとしか言えないことを述べている部分は、圧巻であった。ぜひ『海を渡る「慰安婦」問題』お読みいただきけたらと思う。

山口智美さん @yamtom の4章「官民一体の「歴史戦」のゆくえ」では、「慰安婦」問題を中心とした歴史修正主義と右派の流れについて、1990年代から安倍政権での2015年末の「日韓合意」に至るまでを辿り、日本会議から在特会などの排外主義運動までかなり主張が異なる右派運動が、「慰安婦」問題ではある意味、共に闘ってきたこと、また安倍晋三をはじめとした主要な政治家も積極的にこの動きに関与してきたことなどを明らかにしている。現在は「女性活躍」や女性閣僚の登用を目玉とし、海外では女性登用のリーダーを任じている安倍晋三だが、「慰安婦」問題では早くからバッシングの急先鋒でもあったことがわかる。

さらに、「「慰安婦」問題の主戦場はアメリカ」と右派が主張するようになってから、海外の研究者やジャーナリストへのバッシングが増えたという。そして、著者自らがこのバッシングの対象にもなったことが記されている。さらに、右派による海外発信の増加に伴い、これまた著者自身が、国会議員から送られた、呉善花の著作と産経新聞の「歴史戦」という発行物を手にするくだりは、「真実はこうだ」というドキュメンタリーを読んでいるようだ。

山口さんの章では、国会議員や外務省の官僚、電通といった私たちが信頼をおいていた方々が、「主戦場はアメリカ」という右派の考えと共振し、歴史修正主義の言説を海外に拡散している事実がこれでもかこれでもかというくらい報告されている。

私たちが知らないところで、こうした情報の拡散がなされていることはぜひ多くの方に知っていただきたいと強く思う。

(ツイッターで連続ツイートしたものに、若干加筆しました。)

 

 

男女共同参画条例:男女共同参画政策への反発を「バックラッシュ」と呼びたくないわけ

『ふぇみん』2002年9月25日掲載記事(記事タイトルは「足下でしっかりと対策を練ること」)。

保守派による批判の動きを総称して「バックラッシュ」とフェミニズムが呼ぶようになったことに気づきそれが問題だということを提起した記事です。しかしながら、これが『ふぇみん』の「バックラッシュ」特集号(2002年9月25日)に掲載されたこともあり、特集全体の方向と矛盾しないようにということで、「足下でしっかりと対策を練ること」という題がつけられた形で『ふぇみん』に掲載されました。

このタイトルでは「バックラッシュ」と呼ぶことを問題にする私の意図が誤読されかねないと考え、再度寄稿したいと訴え、掲載されたのが、「「ジェンダーフリー」より「積極的格差是正策」を」という記事(『ふぇみん』2002年11月15日)でした。

これは10年前の記事です。素朴ですが、先頃発刊された『社会運動の戸惑い』の原点となる発想を言葉にしたものです。歩みを振り返るために、ここに掲載しておきます。

田村哲樹氏の書評に応える 「再帰性」を糸口に

田村哲樹氏によるシノドス・ジャーナル掲載の「社会運動は『戸惑って』いるのか? あるいは、『失われたもの』をどのように取り戻すのか?」は、『社会運動の戸惑い フェミニズムの「失われた時代」と草の根保守運動』(以後、『戸惑い』本、と略す)に関する書評である。『戸惑い』本については、刊行後、幅広い方から書評やコメントをいただいているものの、男女共同参画と関わりの深い女性学・ジェンダー学者からは表立った応答はまだいただいていない。そんな中、ジェンダー学や男女共同参画政策に関わりが深い田村氏が書評を書いてくださったのは、大変うれしいことである。

田村氏は、『ジェンダー法・政策研究叢書』や『ジェンダー社会科学の可能性』シリーズなど大沢真理、辻村みよ子といった女性学・ジェンダー学者が編纂する叢書でも論考を執筆している上、ご自身もフェミニズムに関する単著『政治理論とフェミニズムの間 国家・社会・家族』を著している。

さらに田村氏は、名古屋大学男女共同参画室に所属した経歴をもち、愛知・岐阜・三重の三県下自治体などで男女共同参画審議会委員や講座講師を務めるなど、男女共同参画政策にも深い関わりをもつことを自著でも明らかにしている(田村2009:200)。

一方同氏は、政治の規範理論では、異なる人々の間で「『熟慮し議論する』こと、その結果として選好が変容することの重要性」を唱えるなど、民主主義社会における政治過程として「熟議」や「熟議民主主義」を重視している論客としても知られる(田村2008;2010)。
実は、田村氏への応答については、書こうと思ったにもかかわらず、なかなか考えがまとまらなかった。うんうんうなって1ヶ月余り、なぜ田村氏へのレスが書きづらいのか、ようやく私なりにわかったことがある。

それは、田村氏の書評が、現実の男女共同参画政策やフェミニズム運動の実態とは別個に、いや、別個にというとちょっと語弊があるかもしれないが、直接関係することを避けた点も多い議論であったことが大きいと思う。そのために、あくまで現実に即した議論をしたい私は、どうやって議論していいか、考えあぐねたことがあったように思う。

1)現実から離れていく議論

近年、フェミニズム研究が運動から生まれたにもかかわらず、次第に現実に即した問題群より 構築主義、「ジェンダー概念」といった理論系の仕事を評価する流れが強くなっているように思う。そして 2000年代半ばにおきた対抗運動については、「バックラッシュ」と批判しつつも、それがどういった人々の動きであるかの実態調査も行われなかった。そうした事態に対し、 男女共同参画政策の現場での実態を踏まえて問題提起することが重要だと考え、政策立案過程とフェミニズム運動の双方に関わる中での経験を践まえ、新たにいくつかの事例について調査を加えたのが、私にとっての『戸惑い』本であったとも言える。

フェミニズム運動については、私自身1980年代初めから富山での運動に関わってきたし、またフェミニズム研究については、論文や書籍など文献のみならず、1990年代初めからフェミニズム研究者との交流経験も少なからずあった。一方、男女共同参画政策については、1990年代初めから2000年代初めまで、断続的ではあったが、15年間にわたり、富山県高岡市で市の女性政策立案過程にかなり時間を割いて関わってきた。関わっていない時期も女性運動には関わってきたので、関心を注いできた。

さらに『戸惑い』本における著者のスタンスについては、「斉藤・山口はフェミニズム研究や運動に当事者として深く関わってきている。ここで指摘したことは、決してどこかにいるフェミニストや女性学・ジェンダー学者らのことを指しているのではない。これは筆者自身へとはねかえってくる自省の物語であり、どうしてこうなったのかという省察でもある」(ローマ数字の4頁)としている。

こうした問題認識に立って書かれた『戸惑い』本について論ずる田村氏の書評だが、現実から離れた議論が多いように私には映った。

その理由の第一に、田村氏が 直接的に関連するテーマについてご自身が 研究を行ってきたことに触れていないことがある。田村氏には、山口県宇部市の男女共同参画条例について論じた先行研究があるが、書評では触れられていない(田村2006a)。 さらに、田村氏は書評において、「この時代を、これまでのフェミニズム・女性運動の成果の帰結としての男女共同参画社会基本法の制定とそれに基づく様々な政策の形成によって肯定的に評価する立場もあるだろう」と述べている。

しかしながら、田村氏自身こそが「1990年代後半以降の日本においてはナショナル・マシーナリーとしての内閣府男女共同参画局を中心に、ジェンダー平等政策の推進が図られてきた」(田村2006a:92)と男女共同参画社会基本法の制定とそれに基づく様々な政策を肯定的に評価し、実際にも取り組んでいる立場であることには触れていないのだ。

このように、『社会運動の戸惑い』に書かれた内容について田村氏の具体的な経験があるにもかかわらず、そうした自身の先行研究やそこで下してきた男女共同参画条例や政策への評価についてはまったく触れないままに、第三者の視点に立ち『戸惑い』本について批判的な議論をしていくのである。こうした田村氏の議論の進め方から、議論が現実より離れて、抽象的な次元に向かっている印象が避けられなかった。

また、論文における考察のみならず、田村氏は、自身がいわゆる「バックラッシャー」の批判を受ける立場になるという経験も持ち併せているようだ。本書5章で取りあげた福井の近藤實氏は、2008年4月6日以降「名古屋大学男女共同参画室への苦言」メールを何度も出したことをブログで報告している。そこでは名古屋大学サイト上に掲載されている、田村氏執筆の名古屋大学のジェンダー関連授業に関する文書(田村2004)が近藤氏から批判の対象とされている。

近藤氏から批判の対象となったのは、田村氏も執筆に加わった『ジェンダーを科学する――男女共同参画社会実現のために――』(ナカニシヤ出版)であった。自身も執筆者である書籍が批判対象となっている以上、当事者意識がないとは考えづらい。だが、こうした自身の具体的な経験についても書評ではまったく触れられていない。

田村氏は、本書を批判する際、本書が「『具体像』『現実』を明らかにするというより『批判』の方が強く出ている」と難じるが、同じ事象について自身が先行研究を執筆していることや、自身が草の根保守運動家から批判されたことがあることには触れないままに、当該事象について論評している。田村氏は、「価値の出すぎない」公平な論評を目指すというがために、自身の先行研究の有無や、当該事件との関わりも示さなかったのだろうか。だが、それを示さず、あくまでも第三者的視点からのみ論評することは、果たして「公平な論評」だと言えるのであろうか。

さらに、田村氏は、政治理念を語る際には、熟議や熟議民主主義を重視していると主張している(田村2008;2010)。本書で描かれている保守運動家の姿や思いをどのように受け止めたのか、男女共同参画政策を進める側として、また攻撃を受ける側の当時者として自身がどのような思いや考察をしたのか。こうした論点について、田村氏が重視されている熟議という観点からの分析を伺えると、現実の政治過程において熟議という概念を実践的に考察することになってより一層興味深かったように思う。

2)ジェンダーフリー誤読問題への突出した関心

ここまでは、田村氏が書かなかったことについて記した。だがこの書評について、田村氏は「『書評』といっても、およそ1万6千字くらいありますので、かなり異例ですね。」と自身のブログで述べている(田村2013)。では、このような原稿用紙40枚を越す、いわば一つの論文に匹敵する長文の書評で、田村氏は何について記述しているのか。

田村氏書評では、最初に『戸惑い』本についての概要が示され、次いで、詳細なフィールドワークを通じて、保守運動の実態と男女共同参画条例制定をめぐる地方政治の政治過程を丹念に描き出している、という本書の意義が記されている。ただ、意義の部分は500字とごく短い。『戸惑い』本を紹介する概要部分を含めたとしても、全体の1割程度である。そしてそれ以外の、全体の9割近くが「本書への疑問また論点」から成っている。

では、田村氏は本書のどこに興味を示しているのか。田村氏がもっとも大きな紙幅を割いて論じているのが、一章「ジェンダーフリー」とその「誤読」問題についてである。「ジェンダーフリーの誤読」問題については、学者が行った誤読を明らかにした山口が論じるだろうから私は立ち入らない。しかしながら言えることは、このテーマについての田村氏の記述箇所は、5000字近くであり、書評全文の27%を占めている。 草の根保守運動に関する記述が500字程度で約3%であったのに比べ10倍の分量を占める。田村氏がジェンダーフリー誤読問題に寄せる関心の高さが示されている。

そもそも、田村氏が縷々論じている「ジェンダーフリー誤読」問題の論点は、『戸惑い』本では、「バーバラ・ヒューストン誤読事件とその後の混乱」というわずか2ページ弱の小節である。単に、誤読事件とその後の顛末を簡略に示しただけで 本書全体では決して大きな扱いではなかった。当初、この箇所は、別の媒体で既出なので外そうかという意見もあったくらいだ。

それが評者にかかると書評の三分の一近くを占めるとは、英語原典に当たることなく学者が次々に拡散していったという誤読問題をめぐる経緯が、田村氏にとっていかに大きな問題であるのかを改めて浮き彫りにしている。

しかも、「ジェンダーフリー誤読」問題についての田村氏の主張が、「『完全なる誤読』とまで言えるかどうかは、疑問である」というもので、弱い主張に分類される議論である。そうした幾分差し挟む疑問といった程度の主張が、全体の3分の1ほどまでの大きな紙幅を占めているわけだ。これは、田村氏の関心が現実的な男女共同参画政策よりも 学者による誤読をめぐる議論というジェンダー学者絡みの課題に向いているということを映し出しているようにも思える。

3)「再帰性」:政治学での注目と批評での消失

田村氏が真っ先にあげた批判は、「フィールドワークに基づく記述だけではなく、著者たちの2000年代フェミニズムに対する価値判断がはっきり表れている」という点にあった。「本書がフィールドワークに基づく記述を謳うのであれば、その記述をもう少しフィールドワークで得られた知見に止めるべきではなかっただろうか」というのである。

そして、「具体像」「現実」を記述するはずの箇所に、「しばしば、『上から』『外部から』への、あるいは『啓発事業』中心の男女共同参画への著者たち自身の批判的な評価を差し挟むものとなっている」と田村氏は述べる。さらに、「後半は『具体像』『現実』を明らかにするより、『批判』の方が強く出ているのである」や、「学術書として見る限りでは」「批判の対象となり得るのである」とする。すなわち、価値判断が出過ぎるものは「学術書」としてふさわしくないと田村氏は主張する。

ところで、田村氏は、宇野重規・田村哲樹・山崎望『デモクラシーの擁護 再帰化する現代社会で』(ナカニシヤ出版)において、「再帰性」という言葉を「現代の社会理論においてもっとも注目の集まる概念の一つである」(宇野・田村・山崎2011:ローマ数字の3)とし、「キーワード」として積極的に使っている。その際、「再帰性(リフレクシヴィティ)」という概念は、「自らや自らの行為を振り返ること、またその反省の結果として、自らが変わっていくこととして理解しておきたい」(宇野・田村・山崎2011:ローマ数字の3)と説明する。

「熟議」と同様に、この「再帰性」も自らの行為や経験を通して「変わっていくこと」を重視する考え方と言えよう。田村氏が「行為を振り返ること」「反省の結果として自らが変わっていくこと」を重視されていることが見てとれる。

一方、1970年代以降のウーマンリブやフェミニズム研究は、社会を再定義し再解釈することに取り組んで来た。個人的なこと、日常的なことが政治的な力関係につながっていること(「個人的なことは政治的である」)から、日常生活に根を持った権力とどう闘うかを考えたからだ。そうした潮流の一つに、学問や知を再定義する流れもあり、分厚い蓄積が存在する(例えば Harding 1986; Haraway 1988; Ramazanoglu& Holland2002 など多数)。

フェミニストによる社会科学を再解釈する初期の取り組みであるスタンレーとワイズによる『フェミニズム社会科学に向かって』(勁草書房)を例にあげる。ちなみにこの書は、初期の研究であるため、運動との関わりについての問題認識を強く残しており、また研究と経験との関わりについて深く追求している。そこでは、研究と研究者の関係は次のように再定義されている。

 『研究』とは、ある人間を媒介して生起する過程である。研究者は、常に不可避的に研究の中にいるのである。そう公言されているかいないかは別として、研究者の存在は否定できない。(スタンレ−&ワイズ1987:257)

それは、研究者と研究が密接に絡み合うからでもある。以下、引用する。

 私たちがどのような人間なのか、そしてどのように研究を経験するかは、私たちが何を見、何をするか、またどのような出来事を解釈し、構成するかといった問題にとって決定的な影響を与える。フェミニストにとってこれらの経験は研究結果についての議論からはずされるべきではない。はずすようなことをする限り、私たちは従来男性がしてきた「研究」や「科学」の神秘化を単に繰り返すだけにとどまる。またそうすることで個人的なものや日常的なものを過小評価することにもなるだろう。(スタンレ−&ワイズ1987:75)

研究者はどこでもない場所に立ち、「中立」に判断を下す存在などではなく、研究過程に自身が立ち入っていることを広く認めることを主張する。さらに、真実や客観性という概念すら、研究者自身の行為や価値観を含んだ社会的経験に他ならないと、次のように述べる。

 「真実」は社会的構成物であって、その意味で「客観性」と同じように、経験から構成されるのである。しかも実際これらの経験は「嘘」や「主観性」と同一なのである。したがって、すべての研究はそれが一人の人間の眼をとおして「現実」を見、構成するという意味において「フィクション」である。(スタンレ−&ワイズ1987:251)

フェミニズム研究における再帰性は、「総じて、権力関係ならびに研究過程で生じる力関係を明らかにしようとする行為を指す」(Ramazanoglu2002:118)と理解されている。フェミニズムが学問の権力性を再考するために、糸口の一つとしたのが、「再帰性」の概念であった。

ウーマンリブ運動から発展したフェミニズム研究では、それまで学術研究から女性の経験が捨象されてきたことから、学術研究が「どこでもない場所」に立つことによって権力を持つことに敏感であったからだ。スタンレーらが述べている「研究者は、常に不可避的に研究の中にいる」という発送が研究や調査の過程で生じる権力関係に敏感な「再帰性」につながったといえよう。

別の表現をするなら、かつて、「学術」や「知」として正当であるか、ないかを決めるのは、「どこでもない場所」に立ちうる男性知識層だけであった。そのため、フェミニストたちは、自身の依って立つ立場を明らかにし、自身の経験を研究から除外せず、さらに自身がいかに研究対象に関与しているかという再帰性に敏感な研究を選択してきたのである。『戸惑い』本は、基本的にこうしたフェミニズム研究の流れを踏まえた研究実践であった。

一方、自らの「反省」や「変わっていくこと」を指す「再帰性」や「熟議」という概念を自らの政治学のキーワードと掲げる田村氏だが、フェミニズム本の書評である本論考においては 政治学者としての自身の理論的立ち位置とは異なる視座に立って分析しているように思われる。

書評では、自身が行った先行研究の存在や、保守派から受けた批判の経験、ならびに自身と女性学・ジェンダー学との関わりなどについての情報がすべて省かれ、「どこでもない場所」からの「中立」な論評者という位置をとっている。男女共同参画政策を論ずる書評で、書き手が自治体の審議会委員や講座講師を務めてきたことは読者にとって重要な情報である。しかしながら田村氏は、このような自身と男女共同参画との関わりについて一切触れないで考察する。

政治学の理論を論じる際には、「再帰性」や「熟議」を高らかに掲げる。翻って、『戸惑い』本の書評で、現実の男女共同参画政策の政治過程を論じる段になると、中立で学術的という伝統的な原理に立ち戻る。自分自身を問題とする「再帰性」に立ち返ることなく、「どこでもない場所」から当該書を批判する位置取りを確保する。

田村氏は、わたしたちの生きる後期近代という社会では、各人はさまざまなリスクに対して集団ではなく、自分自身で解釈し対処していかねばならない再帰的な社会であり、そうした個人の再帰的な行為が新たな構造を生み出す可能性へと開かれていると述べているが(宇野・田村・山崎2011:15-39)、氏が書評においてとった位置取りは、こうした後期近代の再帰性という秩序とは相容れないものと私には映った。

こうした田村氏の書評を読みつつ考えさせられたのは、現実社会との関わりは、フェミニズム研究の生命線であることの再確認であった。それと併せて、フェミニズムや男女共同参画というテーマにおいて、研究と男女共同参画政策や推進活動との連携はどうしたらいいのかということも考えるようになった。

私自身を含め、審議会委員や講座講師として招かれて男女共同参画に関わる研究者が多いが、そうした特定の自治体との関わりを持つ研究者はどこまで男女共同参画政策の実態一般について把握しているといえるのだろうか。私自身もそうであったが、調査研究をしていなくても、審議会委員や講座講師に指名されるだけで自身を男女共同参画の実態に詳しい専門家のように錯覚することも往々にして起きる。だが、居住自治体以外の地域に調査に出向いてさまざまな立場の方に聴き取りをする中から、指名されて参加する研究者の立ち位置から来る特権性や付随する視野の狭さも感じるようになった。

研究者の審議会参加をめぐる状況に関連しては、『戸惑い』本の4章都城の条例の特異性に関して述べている箇所で若干触れている(198頁)が、研究者の地域における男女共同参画政策への関わりの功罪についても議論していく必要はあると思う。

田村氏の書評を通じて、フェミニスト研究者として拠って立つ地点はどこにあり、何をめざして研究・執筆をしていくのかについて考えを深めるよい機会をいただいた。また男女共同参画について検証をすすめていく必要性についても考察することができたことにも感謝したい。
■参考文献
宇野重規・田村哲樹・山崎望2011『デモクラシーの擁護 再帰化する現代社会で』ナカニシヤ出版
近藤實2004「名古屋大学男女共同参画室への苦言」 http://plaza.rakuten.co.jp/manandwoman/15038/
スタンレー,L.&S. ワイズ、矢野和江訳1987『フェミニズム社会科学へ向かって』勁草書房
鈴木譲2006「言説分析と実証主義」佐藤俊樹・友枝敏雄編『シリーズ社会学のアクチュアリティ:批判と創造5 言説分析の可能性??社会学的方法の
迷宮から』東進堂:205-232
田村哲樹2004「名古屋大学がかんがえていること・やっていること」『学生のみなさんへ 男女共同参画室・法学研究科助教授田村哲樹 平成16年
度名古屋大学学生便覧より』 http://www.kyodo-sankaku.provost.nagoya-u.ac.jp/sankaku/binran.html
田村哲樹2006a「ジェンダー平等・平等戦略・制度改革??日本の『男女共同参画社会』政策の展開を事例として」宮本太郎編『比較政治叢書2比較福
祉政治制度転換のアクターと戦略』早稲田大学出版部:91-114
田村哲樹2006b「フェミニズム教育 同一性と差異の間で」シティズンシップ研究会編『シティズンシップの教育学』晃洋書房:162-179
田村哲樹2007a「デモクラシーとポジティブ・アクション ヤングとフィリップスを中心に」田村哲樹・金井篤子編『ポジティブ・アクションの可能
性 男女共同参画社会の制度デザインのために』ナカニシヤ出版:17-40
田村哲樹2007b「公/私区分の再定義」辻村みよ子編『ジェンダー法・政策研究叢書 第10巻 ジェンダーの基礎理論と法』東北大学出版会:225-
245
田村哲樹2008『熟議の理由 民主主義の政治理論』勁草書房
田村哲樹2009「あとがき」『政治理論とフェミニズムの間??国家・社会・家族』昭和堂:195-201
田村哲樹2010『<政治の発見>第5巻 語る 熟議/対話の政治学』風行社
田村哲樹2011「シティズンシップの再構想 政治理論はどのようにパラダイム・シフトするのか」 辻村みよ子編『ジェンダー社会科学の可能性 第
3巻 政治と行政のジェンダー主流化』岩波書店:43-63
田村哲樹2012「『熟議』が現代社会を生きる基本スキルとなり、学校を変え、社会を変える」『ポスト3・1変わる学問 気鋭大学人からの警鐘』朝
日新聞出版:62-65
田村哲樹2013「書評」『tamuraの日々の雑感』2013年2月22日 http://d.hatena.ne.jp/TamuraTetsuki/20130222/p3
Alcoff, Linda & Elizabeth Potter eds.1993, Feminist Epistemologies, New York and London: Routledge.
Harding, Sandra 1986, The Science Question in Feminism. Ithaca, NewYork: Cornell University Press.
Ramazanoglu,Caroline & Janet Holland 2002. Feminist Methodology; Challenges and Choices, Sage;London.

(初出 2013年4月19日)

「ジェンダーギャップ指数は、適切な指標か」への若干の補足

世界経済フォーラム(WEF)が発表した「ジェンダーギャップ指数(Global Gender Gap Index,GGGI)」は、女性の政治参画の割合や、出生率や健康寿命など異質な指標を加算し、単純に平均を出したものであり、それゆえに、各国の男女平等度を示す指標として適切ではない、というのが前回の記事の主張である。

内閣府男女共同参画局ですら、個別の状況を考察することなく、全体のランキングの上下だけをとりあげ、日本がいかに男女平等後進国かを示すデータとして活用している。だが、そのような指数の利用の仕方は、決して日本の差別状況を改善する方策にはつながらないことだけは確かである。

「ジェンダーギャップ指数」というのが、それぞれの社会の性差別状況を指し示す「適切な指標か」と、統合化された指標の妥当性について疑問附を投げかけたもの。統合的な指数の妥当性に疑問符がつく以上、それによって算出された各国の男女不平等状況についての妥当性も担保されていないと考えられる。

しかしながら、日本の性差別状況に問題がないということを主張したものではまったくない。女性の平均賃金が低いなど日本の性差別状況は依然厳しいことは厳然たる事実である。

「ジェンダーギャップ指数」には、健康医療の機会、教育機会、政治参加、経済的平等という4つの領域があり、健康や教育領域では日本は平均寿命は女性の方が長いなどすでにギャップがほぼ埋まっている(この指標では、女性のほうが数値が高い場合に関しては、ギャップとしてカウントされない仕組みである)。しかし、政治の領域では日本は女性の参加が少ない。経済的平等についても確立できていない。日本は、今年度の経済ギャップは昨年度より縮小したが、そのスピードが遅いと経済フォーラムの年次報告は指摘している。こうした個々具体的な指標の変化について、多くの報道では取りあげられていなかったようだが、個々具体的な指標の結果をもたらす背景をしっかり分析し、それを改善するための施策こそが、もっとも重要な点である。

日本社会の不平等を本気で改善しようと思うなら、政治参加や経済領域などそれぞれの領域において、どの差がどう変化したのかを経年的に検討し対策を練ればよいと思う。それは、この指数の利用方法としても有効なものだと思う。

(初出 2012年11月26日)

女性学者・杉本貴代栄氏の出版物の数の多さと代わり映えしない内容

杉本貴代栄氏は、「福祉とジェンダー」や、福祉に関する女性学的研究では、しばしば、第一人者とみなされている研究者である。著者の一人である山口佐和子氏によるWANサイトにおける紹介によれば、2012年9月に出版された『フェミニズムと社会政策:男女共同参画社会の形成過程とその課題』の執筆陣は「それぞれの領域において日本を代表する深い見識をもつ研究者」とされる。杉本氏は編者であるから、さしずめ、「フェミニズムと福祉政策」領域では、この分野で深い見識をもつ、日本を代表する研究者とされているということのようだ。

 看護学校や保育士養成学校などで授業をすることが多い私は、保育や医療・介護領域には女性労働者が多く、それらは労働に見合った待遇が受けられていない場合が多いことが大変、気になっている。そして、保育士の待遇の悪さと離職率の高さについて書いた拙ブログ記事は、2008年に書いたものにもかかわらず、最近、拙ブログでもっともアクセスが多いエントリーとなっており、依然としてコメントがつくなど、この分野の関心の高さと同時に、その後もあまり芳しい取り組みがなされていないことが伺える。

 医療・福祉系向けのテキストとして、早坂裕子・広井良典・天田城介編著『社会学のつばさー医療・看護・福祉を学ぶ人のために』(ミネルヴァ書房、2010年)や、早坂裕子・広井良典編著『みらいを拓く社会学ー看護・福祉を学ぶ人のために』(ミネルヴァ書房、2004年)などを買ってみたが、テーマが女性の多い職域についてであるにもかかわらず、執筆者のほぼ全員が男性であることにひっかかりを覚え、またテキスト内容も社会理論の紹介などが多い点であまり魅力を感じなかった。

そうした事情もあり、「ジェンダーの視点から福祉をとらえなおす」とか「福祉社会の行方とジェンダー」という杉本貴代栄氏の書籍は、これまでも購入してきた。私から見ると、今喫緊で考えるべきテーマであると思ったからだ。

だが、杉本氏の本を改めて授業で使おうと思うと、今一つ活用できるものがないことに気づいた。そして、今度こそはどうか、と杉本氏の書籍に期待することを繰り返してきた。だが次第に、杉本氏の本に疑問が募るようになり、一度杉本氏のご研究は、どこが物足りないのか考えてみたいと思うに至った。

 

1)杉本氏の刊行物の数と重複掲載

第一に、杉本氏は、書籍の刊行数が非常に多い。例えば、2012年に勁草書房から刊行された『福祉社会の行方とジェンダー』の著者略歴をみると、単著だけでも、『女性化する福祉社会』『アメリカ社会福祉の女性史』『福祉社会のジェンダー構造』『女性が福祉社会で生きるということ』(いずれも勁草書房、1997年、2003年、2004年、2008年)、『ジェンダーで読む福祉社会』『ジェンダーで読む21世紀の福祉政策』(いずれも有斐閣、1999年、2004年)と7冊にのぼる。

このほかに、編著については、『日米のシングルマザーたち』『日米のシングルファーザーたち』『フェミニスト福祉政策原論』『シングルマザーの暮らしと福祉政策:日本・アメリカ・デンマーク・韓国の比較調査』『女性学入門:ジェンダーで社会と人生を考える』(いずれもミネルヴァ書房、1997年、2001年、2004年、2009年、2010年)と5冊を数える。15年あまりで12冊を数える多作ぶりである。

しかも、勁草書房、ミネルヴァ書房、有斐閣と学術書の刊行出版社として定評のある出版社が多い。しかしながら、掲載されている原稿は、かなりの割合で他の書籍でも重複掲載されているという実態である。これには、心底驚いた。

学術雑誌への論文投稿の場合とは異なり、書籍への重複掲載については特段の罰則はない。とはいえ、別の出版社から最近出版された書籍に掲載されているのと同じ原稿がより新しい本にダブって掲載されていることが、杉本氏の場合かなり多いのだ。

例えば、もっとも最新刊である『福祉社会の行方とジェンダー』(勁草書房、2012年10月20日刊)では、10章のうち、書き下ろしは1章と2章のみである。残りは、既出原稿から成る。しかも、重複の8章のうち、杉本氏ご自身あるいは別の編者によりすでに別の書籍という形で発表されたものが、5章と全体の半分をも占めているのである。

具体的に例をあげてみよう。6章「女性学の発祥と発展」は、同氏が2010年6月にミネルヴァ書房から刊行した『女性学入門』の「女性学とは」の章と同じものである。同様に、7章「今日の売買春と性の商品化」も、同じく『女性学入門』に入っている章を再掲載したものであると、いずれも、<初出一覧>に書かれている。

さらに、8章「日本の福祉国家の特徴と課題:4カ国調査の比較から」は、杉本貴代栄共著『シングルマザーの暮らしと福祉政策:日本・アメリカ・デンマーク・韓国の比較調査』というミネルヴァ書房で2009年4月に刊行された書籍に編纂されている章を改めてこの勁草書房本にも入れたものだという。(これらの章の内容にも大いに疑問があるが、ここではその点は取りあげない)

2009年、2010年に別の出版社から出した本の原稿を、2012年に別の出版社から刊行する。これは、私が知らないだけで学術書出版では商慣行として通用しているのだろうか。3150円もするハードカバーの高価な本で、その半分以上が他の単行本で書かれた内容というのは大変疑問である。

これを最初に見たとき、私は何かの間違いではないかと思った。しかしながら、同氏の『福祉社会のジェンダー構造』(勁草書房、2004年5月20日刊)を見てみれば、同じことが展開されているのがわかる。

ここでは、三部構成で各部4章からなるので全12章で構成されている中で、書き下ろしが12章中のわずか、2章にとどまる。他で発表済みの文章が10章と大半を占める。内訳は、自身の単行本で発表した重複が3章、共著本に既出の文章が1章。その他の5章は、雑誌の発表論文である。1章は既出かどうかがその書き方からははっきりしなかった。雑誌の発表論文を書籍にまとめることは慣行としてあることはわかるが、発売されて2、3年しかたっていない他の出版社から出版された書籍掲載の文章を、繰り返し別の書籍で掲載することはどうなのだろうか。

重複原稿の問題は、すでに他の出版社から書籍として販売したものを今度は別の出版社から再度販売すると、読者に対してダブってお金を請求しかねないことにある。15 年あまりのうちに、単著、編著あわせて12冊を数えるという杉本氏の書籍の量産態勢は、私の手持ちの杉本氏の本数冊を見る限りでは、先にあげたような同じ原稿を別の本に入れ込む重複原稿による可能性は高い。

これは、杉本貴代栄氏だけに見られることなのか。それともフェミニズム関連やその他の書籍にも広く浸透していることなのか。調査が必要なことであろう。

出版社であるミネルヴァ書房と勁草書房は、この状況をどう考えているのだろうか。購入する時に見落とした責任は私にあるとはいえ、大枚をはたいた読者としては、騙された気分を味わってしまうことは否めない。フェミニズム関係本が売れない、といわれて久しいが、こうした杉本氏のような重複の内容を多く刊行する状況が、仮に頻繁にあるとすれば、売れなくて当然だろう。

 

2)どの書籍も代わり映えしない内容

2004年刊行の『福祉社会のジェンダー構造』と、2012年の『福祉社会の行方とジェンダー』を見比べてみた。どちらも社会福祉政策をフェミニズム視点から見るという取りあげ方であり、高齢社会論、ソーシャルワーカーの仕事、介護労働が女性に多いこと、など同一のテーマが中心だ。それを国際比較から考えるというアプローチも共通している。

また、とりあげている内容自体、1999年に出ている『ジェンダーで読む福祉社会』の時から大して代わりがない。時々、売買春と「慰安婦」問題、母子世帯、父子世帯などについて書いているが、それらの内容にも特段の進化が見られないように思われる。独自の実態調査なども行われていないようで、引用されているデータは新聞記事などであり、単に軽く紹介として書かれているものが多い。さらに、どの本も筆者自身による書評、映画評などが入れ込まれている点まで共通しており、全体の構成のなかでの必然性を感じないものが多い。単に杉本氏が見たり読んだりしたから入れ込んでみましたという印象を受けてしまう。

例えば、福祉領域では女性が不利な状況で働かされているという点については、2004年本では、つぎのように書かれている。

介護保険をはじめとして、社会福祉の構造自体が、このような女性の不払い労働や安上がり労働を、いわば「含み資産」として構成している。その背景には、社会福祉と女性のかかわりを規定する、ジェンダーから派生する倫理?ジェンダー・エシックスの存在が問われなければならない(杉本編2000)。(杉本2004:55)

次に、2012年の杉本本で、ケア労働が抱える課題、「かつきわめて今日的な課題」と提起されている「労働条件の処遇改善と人材確保の課題」という箇所を引いてみよう。

不況が長引くなかで、介護職は労働条件の向上がないまま、平均して年間20%以上あった離職率が近年20%以下に低下し、多少上向き傾向にある。しかし、これも不況によって他の仕事がないためであり、景気が好況に転じれば、この離職率は直ちに上昇するだろう。慢性的な高失業率のもとでの介護市場の継続的な労働力不足は、介護職の労働条件の低さを表象している。(杉本2012:32)

どちらも現状追認にすぎず、これでタイトルにある「ジェンダー構造」を分析したと言えるのだろうか。単に、介護職の待遇が悪いという現状を繰り返し指摘することにとどまっているのではないか。介護職がどうしてこのような低い賃金に甘んじるようになったのか、その歴史的過程を杉本自身が調べることもなければ、ヘルパーや保育士などのケア労働者から杉本自身が聴き取りをしているということもこの2冊に限っては、見られない。これでは、杉本自身が「乗り越えることが目指されなければならない」と説く、ケア労働に見られる岩盤のように強固なジェンダー構造は、微動だにしないだろう。

このように現状を繰り返すだけで、労働者に大した益を与えないどころか、単に、ケア労働者を書籍のネタとしているだけのような研究アプローチである。これを十年以上も繰り返している。

さらに、杉本氏の本では、参考文献リストが非常に少ないことも物足りない。2012年に出された『福祉社会の行方とジェンダー』では、3ページから成る文献リストには、系統だって論じられていないことが読み取れるような、ジャンルや内容がばらばらの書籍が並んでいる。フェミニズム系の書籍が多いが、介護労働、医療職、看護職、ヘルパー、ソーシャルワーカーなどについて著者がたまたま目にしたものをリストしているような印象であり、とても基本文献を網羅しているとは思えなかった。系統だって読もうと思うと、決して十分なものでもないように思われる。

また、英語文献リストも若干あがっているが、1960年代、70年代の文献や辞書類(Encyclopedia of Social Work,1977など)がかなり多く、驚かされた。杉本氏は経歴でイリノイ大学シカゴ校に研究員として滞在したことが書かれているにもかかわらず、相当古い出版物と邦訳のある文献を除くと、英文文献も10点余りにすぎず、杉本氏自身が英文においても最新情報に接しているとはとても言えないことがわかる。

このように、福祉と女性、福祉とジェンダー、福祉とフェミニズム領域において第一人者と呼ばれるらしい杉本貴代栄氏の著作点数の多さは、重複原稿の多用により成し遂げられているものである。しかも、書籍の内容も似たり寄ったりのものが繰り返し刊行されている。これはフェミニズム研究の衰退にもつながりかねない重大な問題であると思う。ネットを見ても疑問すらあがっていない状況であったため、敢えて問題提起としたい。

(初出 2013年2月5日)

ジェンダーギャップ指数は、適切な指標か

今年も世界経済フォーラム(WEF)が今年の世界各国のジェンダーギャップ指数ランキングを発表した。
参考:グローバルジェンダーギャップレポートのサイト今年の世界各国のジェンダーギャップ指数ランキング(PDF)

メディアは、「男女平等ランク、日本は世界一三五カ国中、一〇一位」(読売新聞2012年10月25日)「男女平等ランク、日本は一〇一位に転落 上位四位は北欧」(朝日新聞2012年10月25日)など、アイスランド、フィンランド、ノルウェーなど北欧が上位で、日本は低い順位にあることを大きく報じている。

だが、この指数は、かねてより統計の専門家らより疑問が投げかけられており、国立女性教育会館(以下、ヌエック)のニューズレター(PDF)などでも問題点が指摘されている。さらに決して多いとはいえないが、ネット上でも批判が展開されてもいる。例えば、世界経済フォーラムのジェンダーギャップ指数/男女平等指数の読み方男女平等度「ジェンダーギャップ指数」のここがダメですなど。

それにもかかわらず、マスメディアでは何の留保もなく「日本の男女平等度が低い」指標として再三再四、無批判にとりあげられてきた。

そして、文部科学省が設置した審議会の「国立女性教育会館の在り方に関する検討会」でも、検討会委員や検討会座長らが、ヌエックの存続が必要な根拠として、ヌエックのニューズレターで批判されている、当のジェンダーギャップ指数を、「男女共同参画が進まなければ、日本の未来は拓けない」「男女共同参画の推進が、現在の我が国の最重要課題であるという大きな視点に立」つべき、とするための参照データとしてあげていた。いかに、この指数の問題点が、とりわけメディアや、男女共同参画の専門家や活動家に、浸透していないかを示している。

 

以下、『社会運動の戸惑い–フェミニズムの「失われた時代」と草の根保守運動』でジェンダーギャップ指数を取り巻く状況について書いたことを、限られた字数であり、脚註の文章ということもあり必ずしも十分とは言えないが、批判が少なすぎるゆえにここで紹介しておく。

男女共同参画が遅れている根拠として国立女性教育会館の在り方に関する検討会で、堂本暁子委員や、大日向雅美座長らが挙げているのが、世界経済フォーラムが算出する「ジェンダーギャップ指数」に基づく日本のランキング(一三五か国中九八位:二〇一一年)である(国立女性教育会館の在り方に関する検討会 2012c,国立女性教育会館の在り方に関する検討会 2012f)。

しかしながら、ごく一部の例だけを、「男女比」という基準のみに基づいて男女平等度を評価し、国ごとに格付けするというこの指数については、平均寿命の男女比と出生時の男女比など異質な指標を総合し単純に平均を出すという計算方式、何を指数に選ぶのかなどのウエイトづけ、計算根拠など多くの疑問が出されている(杉橋2008; 伊藤2009)。

「これは『男女平等の指標ではない』」、「マスメディアをはじめとして、批判的注釈なしにそのまま引用して使ってしまう傾向があり、あやしげな数字の一人歩き、そして世論誘導がますます強まってきている」という厳しい批判や、それゆえ『2010年人間開発報告書』からは、削除されるようになったことが、ヌエックが発行するニュースレターにも掲載されている(杉橋・伊藤 2011: 9-11)

 

参考文献

 

・伊藤陽一,2009,「ジェンダー統計研究(10):性別格差の総合指数について1── GEM とGender Gap Index を材料に」『経済統計学会ジェンダー統計研究部会ニュースレター』(10-15号) http://www.hosei.ac.jp/toukei/shuppan/g_shoho38_12ito.pdf
・国立女性教育会館の在り方に関する検討会 2012c,第二回配付【資料4-3】堂本委員提出資料(1)
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shougai/026/shiryo/attach/1321146.htm
・国立女性教育会館の在り方に関する検討会 2012f,第五回検討会配付【資料2】「論点2日本の男女共同参画の現状と課題について(検討メモ)」
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shougai/026/shiryo/attach/1323291.htm

・杉橋やよい,2008,「ジェンダーに関する統合指数の検討──ジェンダー・ギャップ指数を中心に」戒能民江編著『ジェンダー研究のフロンティア1巻 国家/ファミリーの再構築──人権・わたし的領域・政策』作品社:230-249.

・杉橋やよい・伊藤陽一,2011,「主要統計指標の開設(3):ジェンダー不平等指数(GII)(UNDP『人間開発報告書』の新指標)『NWEC 男女共同参画統計ニュースレター』No.5: 9-11.
http://www.nwec.jp/jp/data/NWEC-GSNL.6_20110623.pdf

リブ運動のメディア抗議

日本におけるフェミニズムのメディア批判に関する論考では、女性運動のメディア抗議は、主に1980年代以降起きたとされている(鈴木1992)。それ以前のものとしては、1975年の「国際婦人年をきっかけとして行動を起こす女たちの会」のハウス食品の「私作る人、僕食べる人」というテレビCMへの抗議が女性の性差別に関する抗議として挙げられるにとどまる(井上1992, 諸橋1997)。

しかしながら、リブ運動は、リブ合宿を報じた週刊誌の報道に「悪辣なものが多」いと、1970年リブ合宿後にいち早く抗議に出かけていた。長時間にわたり、男性編集者と話し合いをすることに成功していたのである。

マスメディア機関に抗議に出かけたという最初の記述が見られるのは、「リブニュースこの道ひとすじ』創刊号においてであった。「第一回リブ合宿・北から南から女たち駆けつける」という題で、1970年8月長野県で開かれた最初のリブ合宿の雑誌報道に対して次のような激しい怒りと批判が書かれていた。

男マスコミは庭先でシャットアウト。女性記者に限り合宿参加。しかし、味方の顔をした女性記者の合宿記事は「猛女と裸踊り」「性告白集会」など悪辣なものが多く、合宿後、女たちからの怒りの声が相つぎ、「文春」編集部へ抗議に行く。(「リブニュースこの道ひとすじ』創刊号、1972年)
これは、全国リブ合宿が1971年8月21日から24日まで飯山市のヒュッテ鈴荘で開かれたこと、そして「実行委のよびかけ通り、啓蒙主義的な一切を廃した合宿の成果は十分はたされた」というリブ合宿の総括のあとに載っていたくだりである。

これについては、「ぐるーぷ闘うおんな」の行動メモに、9月8日「リブ合宿総括集会」が開かれ、「男文化の手先となって働く女ジャーナリストの提供したブルマスコミ(ブルジョア・マスコミの略語)のニューズに対して『素直』になれない姉妹よ団結せよ!」(溝口他1992:211)というマスメディア批判の記述が記されていた。

そこで、筆者は、当時の『週刊文春』編集部の特集担当デスクを探し当て、当時のリブ運動の抗議がどうだったかについて1999年8月、当時の編集デスクから聞き取りを行った。当時のデスクによると、市民運動からの抗議というのは珍しく 、しかも「事前連絡がなくいきなりたくさん来る」のに驚いたと言う。だから、印象に残っていたのであろう。25年以上前のことではあったが、その時のことをよく語ってくださった。

リブの抗議で最も印象深かったのは、代表を置かず大勢で突然訪問し、長時間の話し合いをする、という新しい形式であったと語った。会議室がいっぱいになる15、6人という人数で、しかも二人くらいは赤ん坊連れであったという。会社側としての常套手段として代表のみ面会という形を提案したが、「抗議に来たリブの側は、『われわれはそれぞれが我々自身を代表しているのであって、誰かを代表してきているのではない』と口々に答えたのが実に当時の雰囲気」だと語る。全員が会議室に入ったが、赤ん坊が机の下をはい回ったり、自分の足下にまで来たりしたし、ミルクを用意したり大変手間がかかったことを『週刊文春』のデスクは述懐した。

そうした抗議の仕方は、1960年代盛んだった全共闘運動の「集団団交」の流れを汲むものとして特に印象に残っていると述べた 。リブの抗議のスタイルとして彼が次に挙げたのは、長時間に及ぶことと要求条件を出さず、話し合いそのものを重視する姿勢だった。合宿を取材した担当者と直接話し合いたいと望んだというが、それだと取材した女性記者に迷惑がかかるので拒否し、責任者として答弁したという。

リブの主張の中に、「女性記者というのも男社会の中で末端だから男のいいように使われているのだから敢えて責めない」といっていたことを覚えているという。同デスクにとって抗議とは、一般に、訂正を求めたり、抗議があったことを雑誌に載せることを要求する、あるいは訴訟にするなど具体的な条件闘争が展開されるものであった。だが、リブの抗議はそういった要求がないことが特徴であったと彼は述べた。ウーマンリブ運動の側は、10数名が四方八方から口々にあれこれ述べるという方式で、結局、抗議は結局、5〜6時間にも及んだという。

デスクは、当時、他のリブよりも年長であった田中美津がリブ運動の中では代表として振る舞っていたという。「この人達は組織の人間だからこういう反応をするものなのよ。代表して来るとこういうことを言うのよ」と組織の論理を仲間に教育していたと映ったという。デスクが、組織の代表として発言をすると、田中が「組織の代表はいつでもこういうことを言うのだから」と的確に反応してきたことも覚えているという。

こうした初期リブの抗議の方法は、私自身が80年代以降に経験してきた反原発運動や消費者運動、メディアの性差別批判の運動などさまざまな市民運動を行ってくる中での抗議の方法とよく似ている。

その抗議のスタイルは、基本的には、少人数ではなく大人数で出向く、代表を置かない、長時間の話し合いをする、条件闘争をしない、相互理解の向上を重視する、などの特徴があった 。こうした抗議が全共闘運動の影響が強いものであり、リブ運動に受け継がれ、その後のフェミニズム運動やその他の市民運動にどのように受け継がれてきたのか。そして、いつまで続いたのか。現在もそれは続いているのか。

格差拡大や原発事故などに対応すべく、今また盛んになりつつある社会運動。社会運動の抗議スタイルのあり方は、これまでの運動の抗議スタイルの功罪を振り返りつつ、再検討することが必要であろう。

井上輝子1980「ミニコミ・ウーマン・リブの季節ー報道されるリブから主張するリブへ」『女性学とその周辺』勁草書房:156-173

鈴木みどり1992「メディア問題に取り組む草の根の女性たち」加藤春恵子・津金澤聡廣編『女性とメディア』世界思想社:57-70

溝口明代・佐伯洋子・三木草子編1992『資料日本ウーマン・リブ史 (1)』松香堂書店

諸橋泰樹1997「日本におけるメディア・セクシズム批判の高まり」湯浅俊彦・武田春子編『多文化社会と表現の自由−−すすむガイドライン作り』 明石書店:143-171

(初出 2012/09/14 7:24 am)

ウーマンリブ運動とそのメディア戦略 

ウーマンリブ運動のメディア活動

1970年代のフェミニズム運動のメディア活動を見ると、女性の活動をからかい、矮小化したり、お飾りとして周縁化する「マスメディア」に対し、批判をしつつ、そうしたマスメディアを自らの活動を取りあげる媒体として利用するしたたかさを持っていた。

さらに、利用しようとしてもストレートに伝わらないマスコミを通じた発信に対し、チラシ、ミニコミなどの「自前メディアによる発信」も重視してきた。とくに1970年代には、ウーマンリブ運動(以下「リブ運動」と略す)がマスコミをはげしく批判しつつ、積極的に利用もした(斉藤2003)。

ウーマンリブ運動というのは、1960年代後半から全国で沸き上がっていたベトナム反戦、安保反対などの市民運動、学生運動のうねりの中から起きた女性解放をめざす運動。マスコミや女性学では、「銀座でリブのデモ」をリブ運動の誕生とするなど、リブ運動を東京で活動した運動として取りあげられることが多かった。そのため、運動体としては、東京の「ぐるーぷ闘うおんな」や「リブ新宿センター」がリブのグループとして多くとりあげられているが、北海道の「メトロパリチェン」から九州の「リブFUKUOKA」まで全国の都市部で自然発生的に生まれていた。

全国で起きていたリブ運動については、当時のガリ版刷りのビラなどの資料を集めた『資料日本ウーマン・リブ史 (1)〜(3)』(溝口明代・佐伯洋子・三木草子編、松香堂書店、1992-95年)などがある。山口智美による、リブ新宿センターに所属していたメンバーへの聞き取りによれば、リブ新宿センターは『リブニュースこの道ひとすじ』などミニコミやチラシ出版のために、写植機械を設置し、印刷技術を女性たちが自らもつようになり、それが後の女による印刷業の開業(「あいだ工房」)につながったりもしたという。「あいだ工房」については、女たちの現在を問う会編(1996:242-243)も参照。これも、リブのメディア活動への積極性を示すエピソードである。

なお、1972年にリブグループが共同で新宿に開いたリブ新宿センターでは、避妊、中絶などに関する相談を受け付けたり、デモ・集会、合宿、ミュージカル公演などを企画するなど、1977年まで地域における女の運動の拠点という役割を果たしていた。そうした活動を広報するメディアとして『リブニュースこの道ひとすじ』が大きな役割を果たしていた。

リブ運動の積極的なメディア戦略

リブ運動のメディア戦略については、「からかわれたリブ」イメージが強いためあまり注目されないできた。しかし、実際には、リブ運動はマスコミを積極的に利用しつつ、抗議や批判も行ってきた。例えば、斉藤がリブ新宿センターなどに所属していた運動関係者への聞き取りの際に見せてもらったジャーナリストの人名を書き連ねたノートの表紙には、「重要人名録(ブラックリスト)」というタイトルがつけられていた。そこには、当時のマスコミ関係者で取材に来てい人名が並んでいた。田原総一朗をはじめとして、現在は著名なマスコミ人の名前がそこには並んでいた。それらの男女を問わないジャーナリストたちは、彼女らにとってマスコミへのルートとして重要人物ではあるが、同時にどのように書かれるかわからないという意味で危険人物でもある。そのため、「ブラックリスト」とシニカルなルビを振っていた。

このことは、この時のリブ運動がメディアを単に批判的にとらえるだけではなく、積極的に利用しようということも含んだものであったことを示している。リブ運動は、マスコミ対策としては、批判しつつ活用するという両義的なローチをとっていた。

実際、首都圏のリブグループは初期運動においてリブ大会、リブ合宿などを開催する際にマスコミに積極的に広報する一方で、取材を女性記者のみに限定し、記者から取材費1万円(なお、1970年の大卒初任給は4万961円、はがき7円、封書15円。当時としてはかなりの高額。現在の4-5万くらいに相当)をとるなど確かな戦略をとっていた。

リブ合宿におけるマスメディア対応

1971年8月23日『毎日新聞』夕刊「合宿女館」という8段に及ぶ記事は、長野県信濃平で8月21ー24日に開かれた「ぐるーぷ闘う女」主催「ウーマン・リブ合宿」に参加した記者の報告であった。記事に添付されている写真に映し出されている案内板には、次のような文字が書かれていた。

「マスコミのおにいさんたちへ  この入り口から入ってください。 ビジネス、フリーを問わずいらっしゃった方は受付へ 取材協力カンパとひきかえにワッペンと名札(所属と指名)を差し上げます。ただしカンパをもらったってお見せします、お話ししますにはならない。それを前提に協力します。」

写真下のキャプションは「取材費 カンパ1万円ナリ」とある。

「男はシャットアウト」といいつつ、「おにいさんたちへ」とするのは矛盾してみえる。ただ、筆者が、『女性自身』の記者としてこのリブ合宿の取材に入っていた女性記者Yさんに行った聞き取りによれば、この合宿では夜になると、主催者が何人か遠巻きにいる男の記者たちを一部テーブルに呼んでいっしょに酒を飲んでいるのを見たという。そしてその女性記者は、昼はシャットアウトといいつつ、夜は周辺にいる男性記者たちにその日のことを取材させているというその現実的なやり方に「なかなかやるじゃない」と感心したと語っていた。決して原理的に「男はシャットアウト」を実践していたということでもなく、利用できるものは利用するという現実的な戦略が取られていた。

さらに、『資料日本ウーマン・リブ史 (1)』(330ページ)には、「リブ合宿をもし取材しようと思っているなら、、、」というリブ合宿実行委発の取材関係者へのアピール文が掲載されており、積極的に事前からリブ合宿を広報活動していたことが伺える。

その一方、取材した記者からの反発を含めた批判としては、例えば写真家の上野千鶴子(女性学者と同姓同名だが、別人)からの「やりきれぬリブの『幼児性』」と題する、次のような批判がある。

「集合の異常さに疑問を発する私の言葉は『ナンセンスだド!』と一蹴される。(中略)そして、『マスコミは敵だド』『カメラなんて撮ったらブッコロスゾ』。取材協力費一金一萬円也をとりあげていての発言だからおそれいってしまう」(溝口他編1992:389)

そして、『資料日本ウーマン・リブ史 (1)』でも、取材協力費が1万円だったことは、編者らにより註記されている。

1970年10月-11月の『朝日新聞』都内版は、蜷川真夫記者による積極的な初期報道が掲載されている。それら記事の中には、この当時のリブのマスメディア対応についてもとりあげられてもいる。11月2日「14日にティーチ・イン」という記事には、「参加者は女性に限り、男とカメラはお断りとし、違反者にはバケツで水をかけることもある、という」というリブのメディアに対する方針が掲載され、若干おもしろおかしくというトーンではあるが、見出しにまで取りあげられている。

さらに同紙11月21日「リブとマスコミ」というコラムでは、リブの集会がマスコミ取材拒否であることに賛同する都内女子高校生の意見と、「いずれは、芸能週刊誌まで巻き込んで、インテリだけの理屈だらけの運動にならないようにする方がいい」と、マスコミに目くじら立てないのがリブのいいところ、という集会参加者の声を併記している。男性やマスコミ記者取材拒否か、週刊誌にとりあげられて話題になるほうを選ぶか、リブ運動のメディア対応については、当時から話題になっていただろうことがうかがえる。また、それを新聞で報道していたというのも興味深い。いずれにしろ、当時から、リブ運動のマスメディア対応には、拒否的スタンスと積極的にアクセスという二つのアプローチが存在、あるいは混在していたことは確かである。社会運動のメディア戦略、古くて新しいテーマである。

そして、1971年夏のリブ合宿が新聞や週刊誌などでおもしろおかしく盛大に報道された後に、主催者グループは、早速、報道したある週刊誌企業に抗議に出向いている。それについては、別のエントリーで紹介したい。

女たちの現在を問う会編1996『全共闘からリブへ』インパクト出版会

斉藤正美2003「ウーマンリブとメディア」「リブと女性学」の断絶を再考する?一九七〇年秋『朝日新聞』都内版のリブ報道を起点として」『女性学年報』第24号:1-20

溝口明代・佐伯洋子・三木草子編1992-95『資料日本ウーマン・リブ史 (1)〜(3)』松香堂書店

(初出 2012/09/13 6:12 pm)

ヌエックが「戦略的推進機関として創設」される?!

去る八月二八日、国立女性教育会館(略称:NWEC,ヌエック)の在り方に関する検討会(以後、ヌエック検討会と略す)が、報告書を発表した。

この報告書は、約三年前ヌエックが事業仕分けの対象となり、蓮舫議員とヌエック理事長の神田道子がバトルを繰り広げたのはいったい何だったのかと思うほど、ヌエックを現状維持で存続させると述べているものだ。

私は、かつて、シノドスでヌエックと箱モノ問題について書いたが、10月末に出る新刊『社会運動の戸惑い  フェミニズムの「失われた時代」と草の根保守運動』(勁草書房)でも、ヌエックについては一章をあてて書いている。ヌエックが設置された背景やだれが運営に関わってきたかなど詳しくはそちらをご覧いただきたい。

まず今回は、1)ヌエックが一体どこにいこうとしているのか、2)税金で運営される施設の費用対効果としてどうなのか、3)そもそも一体ヌエックはなぜ存続されることになったのか、など、検討会がまとめた報告書をみながら、ヌエックの現状と方向性についてかいつまんで書いてみたい。

1)ヌエックが一体どこにいこうとしているのか

まず、ヌエックの方向性だが、報告書は「男女共同参画社会の実現を図る新たな推進機関を創設すべきであるとの結論に達した」と結論づける。「新たな推進機関を創設?」 どんな機関? ヌエックとは別に創設するの?と思うのは早計だ。ヌエックの建物を壊して新たな建物を建てるわけでは決して、ない。

ちょっと安心したあなた。じゃ、何をどう創設するの?と思うだろう。報告書を見ると、ヌエックが平成二四年度のヌエックの業務計画で示したものと、在り方検討会で示されている新たな創設機関が行うこととの間には大きな変更箇所は見られない。いずれも、教育・学習支援機関であること、女性教育のみならず男女共同参画社会の実現に貢献することをその方向として示している。

さらに、目を凝らして見ると、変わるのは、まあ名称らしい。新たに「戦略的推進機関を創設」するという。「戦略的推進機関」という名称、あるいは位置付け(?)が新たに「創設」されることのようだ。そして、「推進機関」の「名称」は「市民公募」を含めて検討するとある。名づけだけに巻き込まれて、市民も参加したと言われるのは、うれしくないぞ、という気分だ。

だが、それが一体何を指すのか、何をもって「戦略的」というのか、は、よく理解できなかった。教育機関というなら、意味の通じる説明がほしい。仕様がないので、過去の検討会の議論を振り返った。

しかし、ネット上には、議事録は第一回分しかあがっていないのだ。文科省担当課に電話してみたところ、おいおい上げていく予定だが、追いつかないので配付資料でみてほしいと言われた。それで配付資料を見てみると、第六回の検討会で事務局案として示された「報告書(素案)」では、具体的な名称「○○○○○○」(仮称)が想定されていたようなのだ。

教育・学習支援を通じて男女共同参画社会の実現を図る国の「戦略的推進機関」としての「○○○○○○」(仮称。以下同じ。)を創設する方向
「戦略的推進機関」が何を指すかをさらにこの素案からみてみる。

「○○○○○○」が、男女共同参画に関する「意識の変革」を戦略的に促進していくためには、1.対象者に応じた戦略的な教育・学習支援の展開、2.戦略的な教育・学習支援を支える調査・研究・プログラム開発、3.調査・研究・プログラム開発のための情報・資料の収集とその活用、といった機能が特に重要となる。
「戦略的推進機関」とは、われわれ市民の「意識の変革」をねらった機関とされている。どんな意識をどう変えるか、という点については以下のように述べる。

男女共同参画会議は、男女共同参画が進まない主な理由に、1.固定的性別役割分担意識が根強い、2.男女共同参画が働く女性の問題と認識され、男性を含む多くの国民の共通認識となっていない、3.社会の各主体のリーダーの認識が不足している、などを挙げ、「意識の変革」こそ最大の課題であることを示唆している。
要するに、私たち市民が固定的性別役割分担意識を持っていることが諸悪の根源であるから、それを変貌させるのに、決死の覚悟で臨むんだーという検討会委員の「意識」が感じられた。わたしたちの意識って、そんなに悪いものだったのかと感じてしまった。

というわけだが、ヌエックはこれまでも啓発事業を行ってきたわけであり、実はなんら方向転換を意味していない。なにやら管理職男性を対象とか、学校教員を対象とか、対象の範囲が拡がる程度のことである。ヌエックの意識啓発事業は、今後も継続されることが決まったということだ。意識啓発以外の事業への取り組みが進まない中、これだけの経費をかけて意識啓発事業を最も重要と位置付け、続けるのは、疑問に思う。

2)税金で運営される施設の費用対効果としてどうなのか

事業仕分けでは、理事長や理事など人件費の高さや、官僚の出向や天下り先など高コスト体質と投入する税金の大きさに対する費用対効果の悪さが指摘された。だが、報告書には、「宿泊施設等のハードの管理運営」を民間に委託することにさらりと触れるだけで、運営や財政の見直しにはほとんど触れていない。外部研究資金の活用や寄付金の拡大に触れている程度である。さらに、七回の検討会の配付資料を振り返っても、費用対効果が大きなテーマとなることはなかった。

3)そもそも一体ヌエックはなぜ存続されることになったのか

それは、今年の一月段階で、ヌエックの存続が閣議決定されていたからだ。廃止されるのは、102ある独立行政法人のうち、日本万国博覧会記念機構など3法人のみで、あとは、全部存続が決定している(独立行政法人の制度・組織の見直しについて)。しかも、ヌエックについては、その際、「民間との連携により効率化が進展していること等から成果目標達成法人として位置付けることか適当」と、効率化がすでに進展していると積極的に評価されていたのだ。

独立行政法人の見直しでは、新たな法人制度及ひ組織への移行に当たっての措置として、「独立行政法人の職員の雇用の安定に配慮」という役所内の雇用にまで気を使うようにご丁寧に注文が付けられているほどだ。徹底した官僚優先主義を前提とした見直しが決定されているのである。これでは上記ヌエック検討会の報告書が何も変わっていないのもむべなるかなと言えよう。

まあ、その代わりといっては何だが、この時も変更されたのは、名称だった。独立行政法人に代わり、「成果目標達成法人」(仮称)と「行政執行法人」(同)という新たな名称を創設していたのだ。

「戦略的推進機関」は、この時の「成果目標達成法人」(仮称)という「新たな名称の創設」(?)とうり二つの筋書きである。独立行政法人改革は、事実上棚上げ。棚上げの代わりに、新たな名称がつくり出されるという。新たな名称で、なんかアタラシーイ印象を醸し出せるということだろうか。

で、ヌエックは、「成果目標達成法人」になった。「成果目標達成」ってわざわざ言わなくても、すべての機関は成果目標をもっており、それを達成することをめざしている。いわずもがなである。「略したら、成人?」という声や、「看板かけかえるのもタダじゃないんだから改革したフリはやめてもらいたい」などネット上ではさんざんに書かれていたものだが、同感だ。

最後に。

単に名前だけ変えるのにも、看板の付け替えから道路のサインボードの掛け替えまで莫大な費用がかかる。名称を公募するにも人件費など経費がかかる。大きな変更もないのに、名前だけ変えるのは、経費だけかかって意味のないことだ。批判を浴びた高コスト体質の人件費の削減はないままに、「意識啓発」事業こそが男女共同参画推進のために最重要と再び位置づけられる中で、現状維持で存続が決定したヌエック。それをごまかし、見えなくするための名称変更ではないことを願いたい。

(初出  2012/09/04 2:44 pm)

中ピ連のメディア活用とその功罪

「中ピ連(中絶禁止法に反対し、ピルの全面解禁を要求する女性解放連合)」は、1972年6月に結成。代表は、榎美沙子。代表をおかないことが多いリブグループの中では、代表を明確に定めている数少ないグループであった。

中ピ連の活動を追うと、73年10月、日本家族計画連盟主催「産児制限を考える」討論会に出向き、「ピルを解禁せよ」と主張した。75年4月、中ピ連は、日本産婦人科学会総会(京都)に出向き、ピル解禁勧告を政府に提出するよう要求した。その他、72年10月には、ミスインターナショナルコンテストへの抗議行動も行っている。こうした動きは週刊誌などで大きく取りあげられ、多くの人の目に触れることになる。

74年8月には、「女を泣き寝入りさせない会」発足、暴力を振るう夫、一方的に離婚したがる夫の会社に、ピンクヘルメットの女たちが抗議デモをしかけ、それがテレビや雑誌で大きくとりあげられるなどした。「激突中パ連」(玄海つとむ作『週刊明星』)というマンガでもとりあげられた。さらに、75年11月には、NHK「紅白歌合戦」に襲撃予告を出した。ターゲットになった芸能人は、三船敏郎、前川清、にしきのあきらなどの名が取りざたされ、週刊誌などで盛んに報道され、「中ピ連」の名前は知れ渡った。

その後、76年6月、中ピ連は宗教団体『女性復光』を創設、77年7月には、参議院総選挙で「日本女性党」を立ち上げ、7人の候補を立てるが、1700万円の供託金を没収され、中ピ連自体が解散に至る。中ピ連の解散は、女性学会がスタートするのとちょうど時を同じくしていた。

榎美沙子と中ピ連は、雑誌やテレビなどでの表出が大量かつ群を抜いて目立っていた。例えば、『大宅壮一文庫雑誌記事索引総目録』(1985年)には、「婦人問題、婦人運動」の項目を見ると、そこにはさまざまな運動体の名前と、その運動体について書かれた記事が集録されている。

そこに登場する運動グループの記事中、「中ピ連」に関する記事が119と、ダントツトップだ。中ピ連は、誕生から解散まで、たかだか5年程度の活動期間にすぎないにもかかわらず、「主婦連」という長期間に活動がおよぶグループが56であるのに比べ、断然多い。名前の上では誰でも知っている「青鞜社」に関する記事は、時代が異なるとはいえ、19であるから、中ピ連がいかに、当時のマスメディアに注目されていたかがわかるだろう。

また、同じ『索引総目録』で「女性著名人」をみると、現在、「ウーマンリブ」では最も有名な人物といえる、田中美津に関する記事が6件、当時からリブの活動にも参加し、その後評論家や男女共同参画行政でも活躍した、樋口恵子についての記事が45件掲載されているところ、榎美沙子は173件である。中ピ連および榎美沙子のメディア表出は、他の運動体と比較しても、他の女性著名人と比較しても、飛び抜けて多い。

中ピ連は、問題にしていることが「避妊」や「ピル解禁」「男の不倫に泣き寝入りしない」など身近であり、抗議に記者を同行させたり、テレビの歌合戦などにも出演したり、ビジュアル的にもピンクのヘルメットをかぶるなどと目立つ行動をとることが多かった。

多くの女性団体がメディアに載るのは、お堅い言論誌やニュース系雑誌であったのに対し、中ピ連が取りあげられるのは、もっぱら『女性自身』『ヤングレディ』『アサヒ芸能』といった週刊誌が中心であったし、榎美沙子は当時、テレビの娯楽・バラエティ系番組にもよく出演した。

中ピ連はよくも悪くも広くメディアにのったことで、リブ運動を幅広い層に知らせることができた。例えば、オノ・ヨーコが中ピ連のために、「女性上位万歳」という歌をつくっておくってくれたりした。また、アメリカで中ピ連の活動が報道されると、在米日本人女性たちは、「日本の女性たちもなかなかやるじゃない」と力づけられたという(溝口他編1994:246)。

しかしながら、当時は誰でもが知っている中ピ連と榎美沙子について、その後の女性学や女性史などにおいての評価や考察は決して十分とはいえない。いや、80年代以降、リブ運動に関する研究が盛んになったにもかかわらず、中ピ連と榎美沙子に関する論考は非常に少ない。その上、数少ない論考での、中ピ連の評価が著しく低いのである。

例えば、リブ運動に参加していた秋山洋子が、「中ピ連は本当にリブだったのか」と、次のように、中ピ連の活動に懐疑的な見方を示している(秋山1993:121-138)。

ピンクのヘルメットをかぶって華やかに行動する中ピ連は、マスコミにとっては格好の話題だったし、中ピ連のほうも意識的にマスコミを利用した。それによって、リブ=中ピ連といったイメージがかなり広範にばらまかれ、他のもっと地味な活動をしていたグループは、いろいろな形で迷惑をこうむった。(中略)中ピ連の側にもマスコミに乗じられる問題があった。それは軽率さというようなことではなく、もうすこし中ピ連という組織の本質に係わる問題である。端的にいえば、中ピ連は本当にリブだったのか。真剣な運動だったのかという疑問を、当時リブ運動に参加した女たちの多くがいまだに持ち続けているのである(秋山1993:125-26)。
そして、秋山は、「リブ運動の中で中ピ連とは何だったのかと問い直すとき、すくなくとも仲間だったと評価することはできない」という。

確かに、宗教団体設立や女性党で候補を立てるなどの活動に関しては、「アイデア倒れ」(溝口他編1994:244)であり、リブ運動に悪しきイメージをつけた面もあったと思う。しかし、設立当初掲げた優生保護法をどうとらえるか、という提起や、避妊薬ピルの解禁を求めるという活動まで無視していいとは思えない。

どうして中ピ連に対して、これほど冷たいのだろう。『社会運動の戸惑い』本でも取りあげているが、日本の女性学系メディア研究(「メディアとジェンダー研究」)では、強大なマスメディアの被害者としての女性像を主に研究対象としてきた。私自身もこうした流れの影響を受けてきた一人であるが、女性たちの主体的なメディア活用についての研究がその蔭ですっぽりと抜け落ちてきたのは損失であると思う。

別エントリーで、リブ運動のメディア抗議について紹介したが、そうしたメディアに対する主体的な活動はやはり重要である。中ピ連の活動でも、メディアの強大な影響力を認識し、その被害者にならないようにと行動を萎縮させるのではなく、むしろ、自ら主体的にその強大なメディアを活用し、自らメディアに登場するというメディア戦略をとる。その主張をメディアを通して、幅広い層に届けるという点において、中ピ連は見事に成功している。

秋山が「意識的にマスコミを利用した」「中ピ連の側にもマスコミに乗じられる問題があった」と述べているように、「迷惑をこうむった」面も確かにあっただろう。しかし、当時は、厚生省が番組/CMを問わず、『ピル』『経口避妊薬』という言葉を一言たりとも口にしてはならない、などと民放にピルの報道規制を要請している時代であった。さらに、厚生省はピルを要指示薬に指定、処方箋のない薬の店頭販売を禁止。同時に、薬事法違反の取締りを強化し、ピルを店頭で販売していた店に恫喝をかけるなどと、70年前半は、避妊薬ピルの規制が強化された。中ピ連は、女性にとって厳しいこの状況の中で、声を上げたのであった。

避妊に対して厳しい社会で、「妊娠の決定権は女にある」「中絶よりもピルの方がいい」(「男性用のピル開発を急げ!」『サンデー毎日』1972年9月17日)などという主張を広く届かせることができたことは、ある意味すごいことだと私は思う。

私なりに考えると、中ピ連のメディア露出が多かった理由には、第一に、ピル解禁、ミスコン反対、(不倫する男を懲らしめ)女を泣き寝入りさせない、などだれにでも、わかりやすい主張を次々に繰り出したことがある。第二には、ミスコンへの抗議や、産婦人科学会総会におしかける、NHK紅白歌合戦に襲撃を予告、女を泣き寝入りさせない会の行動など、中ピ連が派手なパフォーマンスで行動が人目を惹いたことがある。主張にしても、行動にしても、誰の目にもわかりやすかったことが、中ピ連の報道が非常に多くなった要因であると思う。第三には、榎美沙子がピンクのヘルメットをかぶったり、着物を着たり、テレビの歌番組に出演したりなどを厭わず、自ら広告塔となったことがある。

思えば、これは、90年代以降、バラエティなどに多く出演してフェミニズムの主張を社会に届かせた田嶋陽子に対する女性学の冷たい対応ともよく似ていると思う。不思議なことだが、あれだけ多くのメディアに出演してきた田嶋陽子についてもメディア研究でとりあげられることはこれまでなかったように思う。そして、中ピ連同様、田嶋についても、バッシング言説のみが蔓延しているのは、不幸なことだと考えている。

メディアを主体的に使っていく方向に冷たいのは、フェミニズム系のメディア研究の背後にある「メディアの強力効果説」(被害者としての女性像研究)や、それとネガポジの「主体的なメディア活用」への薄い関心(視聴者はメディアの影響をいかに被ったか、というオーディエンス研究は盛んだが)などが影響しているように思われる。

秋山の中ピ連評には、マスコミを「意識的に利用」するなど、マスコミを利用すること自体を悪しきこととする感覚がかすかに覗いているように思われる。当時は「ブル新=ブルジョワ新聞」などという呼び方があったくらい、全共闘運動や反安保の運動が盛んな中、大学や政府、マスメディアなどの「体制批判」が強い時代でもあった。そんな中だからこそ、積極的にマスコミを利用したことが今から見ると過剰な反発を招いた面もあったのではないだろうか。

だが、真面目に主張するだけでは届かなかった、多くの人に、避妊薬ピルやその必要性について知らせることに成功したことも事実である。こうしたメディア活用の戦略は、現在でも運動のメディア活用として十分有用なものである。いろいろ意見は分かれるかもしれないが、いずれにしろ、中ピ連の主体的なメディア戦略の功罪についての検証が必要なことだけは確かである。

秋山洋子1993『リブ私史ノート―女たちの時代から』インパクト出版会

溝口明代・佐伯洋子・三木草子編1994『資料日本ウーマン・リブ史 (2)』松香堂書店

(初出 2012/09/21 12:21 pm )