作者別: 山口智美

『海を渡る「慰安婦」問題——右派の「歴史戦」を問う』から「はじめに」

執筆者:山口智美

『海を渡る「慰安婦」問題—右派の「歴史戦」を問う』(岩波書店2016)から「はじめに」の文章を掲載します。PDFで読まれたい方は岩波書店サイトからダウンロードできます。

「はじめにーー 海外展開を始めた日本の歴史修正主義者たち」

「歴史戦」と称して、日本の右派が「慰安婦」問題を中心とした歴史修正主義のメッセージを、海外に向けて発信する動きが活発になっている。 歴史修正主義の動きは今に始まったわけではないが、第二次安倍政権発足後、政府による河野談話作成過程の検証や、2014年の『朝日新聞』の「慰安婦」報道の再検証後のバッシングを経て、右派、および政府の海外に向けた発信や、海外での右派在外日本人、大使館や領事館の動きが加速した。本書は、こうした海外展開の実態を明らかにし、日本の政治・社会の歴史修正主義を問うことを目的とするものである。

「歴史戦」という言葉を広めたのは、現在も続く、『産経新聞』の連載「歴史戦」だろう。この連載をまとめた書籍において、取材班キャップで政治部部長の有元隆志は、連載を「歴史戦」と名付けたのは、「慰安婦問題を取り上げる勢力の中には日米同盟関係に亀裂を生じさせようとの明確な狙いがみえるからだ。もはや慰安婦問題は単なる歴史認識をめぐる見解の違いではなく、「戦い」なのだ」と述べている。(産経新聞社『歴史戦ーー朝日新聞が世界にまいた「慰安婦」の嘘を討つ』産経新聞出版、2014年)また、同書の帯には「朝日新聞、中国・韓国と日本はどう戦うか」と記されていることから、「歴史戦」の敵は朝日新聞と中国、韓国であるという想定が見える。

また、同書の日英対訳版の帯に掲載された推薦文、「これはまさに「戦争」なのだ。主敵は中国、戦場はアメリカである」(櫻井よしこ)、「慰安婦問題は日韓米の運動体と中国・北朝鮮の共闘に対し、日本は主戦場の米本土で防戦しながら反撃の機を待っているのが現状だ」(秦郁彦)を見ると、「歴史戦」の「主戦場」がアメリカと考えられていることもわかる。(産経新聞社『History Wars: Japan — False Indictment of the Century』産経新聞出版、2015年)

すなわち「歴史戦」とは、 中国、韓国、および『朝日新聞』が日本を貶めるために、歴史問題で日本を叩こうと「戦い」を仕掛けている、そして今、その主戦場がアメリカとなっており、日本は対抗せねばならないということなのだろう。右派は、「慰安婦」問題に関しては国内では勝利したと考える一方で、海外では負け続けていると認識している。「仕掛けられた歴史戦」に負け続ける被害者としての日本が強調され、こうした状況をつくっているとして、国内の左派や『朝日新聞』に加え、外務省も右派の槍玉にあがり、叩かれてきた。

こうした右派による「歴史戦」の動きと、安倍政権の関係は深い。そもそも安倍晋三は政治家としての活動初期から歴史修正主義に基づき発言、行動してきた人物であり、海外メディアにおいては歴史認識問題に関する安倍首相の姿勢を「歴史修正主義的」であるとする評価が定着している。安倍首相のもとで、現在は、右派市民のみならず、日本政府も「慰安婦」問題をはじめとして、日本の植民地主義や戦争責任を否定する内容の海外発信を積極的に展開している。

第二次安倍政権以降に本格化した 「歴史戦」だが、そのきっかけとなったのが、2010年にアメリカのニュージャージー州パリセイズパークに「慰安婦」碑が建てられたことだ。そして、13年、カリフォルニア州グレンデール市の「慰安婦」像の建設に関し、日本の右派や、在米日本人右派が反対運動を起こし、グレンデール市を相手取る訴訟にまで発展した。それ以降も、アメリカのみならず、オーストラリア、カナダ、フランスなど各地で「慰安婦」像や碑の建設、博物館や漫画祭の展示や「慰安婦」決議などに関して、日本の右派や、在外の右派日本人から抗議運動が起こされてきた。

右派メディアに大きく取り上げられた右派市民の動きの陰には、「慰安婦」碑や像の建設反対の立場で介入してきた外務省、大使館や領事館の姿があった。また、外務省はアメリカの歴史教科書の「慰安婦」記述の訂正を要求し、学問の自由への介入だと海外の学者らから大きな批判を浴びた。与党自民党も、「国際情報検討委員会」や「歴史を学び未来を考える本部」などを設立し、歴史修正主義本を海外の政治家や学者にばらまくなど、「歴史戦」戦略を積極的に展開してきた。

日本の右派は国連を舞台とした「歴史戦」にも積極的な取り組みを見せるようになっている。特に2014年からは毎年、右派代表団をジュネーブやニューヨークで開催される、「女性差別撤廃委員会」や「女性の地位委員会」などの会議に送り、現地で集会を開いている。

2015年末の「日韓合意」を経た現在、「合意」の評価については右派内部でも意見が対立しているが、右派の「歴史戦」展開が落ち着く様子は見えない。日本政府に関しても、16年2月、ジュネーブで開かれた国連の女性差別撤廃委員会で杉山晋輔・外務審議官が、「朝日新聞の報道が大きな影響を与えた」、「『性奴隷』という表現は事実に反する」など、歴史修正主義者と同様の主張を行っている。 国連の舞台で、まるで政府自ら「歴史戦」への参戦宣言をしたような状況だった。

本書は、このような「慰安婦」問題を中心とした右派や日本政府による海外展開の実態や、その背景に迫るものである。 能川元一は1990年代から現在に至る、論壇での「歴史戦」の経緯を詳細に追い(第1章)、 小山エミは、アメリカのグレンデール市とサンフランシスコ市での「慰安婦」碑建設をめぐる係争と、日系アメリカ人コミュニティへの影響や日本政府の役割を論じる(第2章)。 テッサ・モーリスースズキは、日本の右派や政府による植民地主義の歴史の否定、およびそうした歴史観の対外発信について批判的検証を行い (第3章)、山口智美は、 右派の「慰安婦」問題に関する運動の流れを概観するとともに、そうした動きと政府や自民党の関わりを指摘する(第4章)。

こうした日本の右派や政府による海外での「歴史戦」の展開について、まとまった論考が書籍という形で出版されるのは初めてだろう。海外在住の小山、スズキ、山口は右派の「歴史戦」の働きかけを身をもって体験する当事者である。本書が、現在も広げられている歴史修正主義の動きの批判的分析を通して、現状への理解を深め、対抗策を編み出していくための一助となることを期待したい。戦時性暴力のサバイバーである元「慰安婦」たちの声が、歴史修正主義者らによってこれ以上、中傷され、否定され、消されていくのではなく、逆に歴史に刻まれ、記憶に残され、そして「慰安婦」問題の被害者の側に立った本当の意味での解決につなげられるためにも。

海外を主戦場とする「歴史戦」

執筆者:山口智美
(新日本婦人の会発行「月刊女性&運動」2016年10月号掲載)

2012年12月に第二次安倍政権が発足して以降、日本の右派や政府が「慰安婦」は性奴隷ではないなどの歴史修正主義のメッセージを海外に向けて発信する動きが活発になっています。特に2014年8月、『朝日新聞』が過去の「慰安婦」報道の一部を取り消したことで、国内では、朝日新聞や元「慰安婦」などへの激烈なバッシングが起きました。そして右派は「国内では慰安婦問題に関しては勝利を収めた」と認識するようになり、「主戦場」は海外、特に国際的な影響力が大きいアメリカであると主張するようになりました。

『産経新聞』は、「慰安婦」問題は単なる歴史認識を巡る見解の相違ではなく「戦い」だと言います。そして、その「敵」は中国、韓国であり、中韓がアメリカを「主戦場」としてしかけた戦いに日本は対抗せねばならないのだと言います。この「仕掛けられた戦い」こそが「歴史戦」であり、その中で不当に名誉を貶められているとされる日本はあくまで「被害者」ポジションに置かれています。2014年以降、『産経新聞』や、右派の論壇誌や書籍などでの膨大な「慰安婦」問題バッシングを通じてこの「歴史戦」概念が急速に広がっていきました。

こうした右派の動きと、安倍政権の関係は深く、政府・自民党、及び右派が官民一体の動きとして「歴史戦」戦略を展開してきました。本稿では「歴史戦」の海外での展開と、それに女性が積極的に関わっていること、にもかかわらず、「慰安婦」問題が「女性の人権」に関する問題だという本質が否定されている現状について紹介します。

(まだまだつづきます。ページ移動は下にある「ページ」からどうぞ。)

『行動する女たちの会資料集成』全8巻と、映像記録『行動する女たちが未来を拓く』

執筆者:山口智美

2015年7月から、2016年6月にかけて、編集復刻版『行動する女たちの会資料集成』全8巻が発行された。

運動体の記録を残すとき、過去の運動体による発行物を集めた資料集を作るべきなのか、または 過去を振り返って、運動の当事者および第三者が歴史を記述するべきなのかの2つの方向性がある。1999年に未来社から刊行された『行動する女たちが拓いた道』は、後者の方法をとった。「行動する会」の歴史を、運動に関わった当事者が記述することで、現在や未来の女性運動につなぎたいという問題意識が大きい本だったからでもある。そのため、あくまでも、運動当事者が、この記録の執筆当時であった1999年の視点から、自らの記憶を中心として歴史を振り返った ストーリーを提示したものとなった。

51axxbwt4fl-_sx332_bo1204203200_

巻末に収録された年表により、運動の流れはわかるが、年表もやはり、すべての出来事を記述することはできない。1999年当時の編集委員の視点から重要だと考えた出来事等を選び、小さな表形式のスペースに入るような形で執筆、編集したものである。 ページ数の限定もあり、運動の記録としては不十分な面があったことも否めない。

編集復刻版『行動する女たちの会資料集成』全8巻(詳細情報はこの記事最後に掲載)が発行されたことで、会の運動を実際に行っていたときの視点からの資料をまとめて見ることができるようになった。『行動する女たちが拓いた道』と合わせて読むことで、当時と現在と両方の視点からの行動する会の歴史がまとまった形で提示された。(私が書かせていただいた「解説 行動する会を女性運動史に位置付ける」は当サイトにも掲載している。)

資料集成のパンフレットの表紙。年表や推薦文などが入ったパンフレットは六花出版サイトからダウンロードできる
screenshot-2016-10-16-20-19-58

さらに、今年の6月には、映像記録『行動する女が未来を拓く』が完成し、9月にはDVDの形になり販売が開始された。
この映像に記録は、昨年7月の『行動する女たちの会資料集成』出版記念の集会での元会員の方々のご発言に加え、個別に何人かの元会員の方々にさせていただいたインタビューも収録されている。さらに、元会員が所有していた、当時の運動の貴重な写真からも収録されており、どんな人たちが、どんな雰囲気で運動していたのか、彼女たちの生の声が聞ける、貴重な記録だ。

私自身もこのプロジェクトのインタビューをいくつもさせていただいたが、お話の内容も貴重だったし、それを語ってくださる皆さんのパワーや感情などに動かされるところがかなりあり、私にとっても本当に貴重な経験になった。行動する会関係の編集の際はいつもそうなのだが、DVDのための編集作業でもやはり様々な議論が喧々囂々となされたりもして、参加すること自体が楽しく、かつ考えさせられたり、自分の思いをお互いに語ったり、、という場でもあった。

DVDは、送料込みで680円で販売。複数枚ご注文の場合、680円×○枚。運動として広げたいという意味もあってのこの値段。是非ご覧ください!
お申し込みご希望の方は、「行動する女たちの会」映像を記録する委員会 kodosuruonna@gmail.comあてにメールでお申し込みください。追って、お支払い方法などをメールでご連絡させていただきます。

dvd%e3%82%b8%e3%83%a3%e3%82%b1%e3%83%83%e3%83%88%e6%9c%80%e7%b5%82

以下、編集復刻版『行動する女たちの会資料集成』全8巻の詳細情報を紹介しておきます。

国際婦人年をきっかけとして行動を起こす女たちの会(1975~96年)の全記録!
インスタントラーメンCM「私作る人、僕食べる人」、NHK女性アナウンサーが天気予報とアシスタントばかり担当していることなど、性別役割分業に抗議し、家庭科の男女共修、出席名簿の男女混合の運動を推進して70年代から90年代のウーマンリブ/フェミニズム運動の一翼をになった「行動する会」。
その活動を記録するチラシ・宣言文・裁判資料・リーフレット・機関誌等、資料約630点を編集復刻!
1975年、性差別への怒りを行動に変え、果敢に異議申し立てを実行した、「国際婦人年をきっかけとして行動を起こす女たちの会」(1975〜96年)の活動記録のすべてを網羅!

「女らしく」「女だから」の常識=性別役割分業に挑み、分断されている女たちに連帯を呼びかけ、教育・労働・マスコミ・離婚・主婦・などのグループを立ちあげて、女をめぐるさまざまな問題に取り組んだ「行動する会」。
自分たちのいたみや怒りから出発し、男社会のバッシングに徹底的に反駁しながら、あらゆる場にひそむ女性差別を告発し、社会を動かしたその行動は、1910年代の『青鞜』から始まった、日本の女の運動史に明確に刻印されるべき運動である。
現在もなお頑強に残り、さらに深刻になっている性差別問題を解決したいと望むすべての人に、女たちの二二年間の記録を提供する。

◉体裁
A4判(第1巻・第2巻)
B5判(第3巻〜第8巻)
上製/総約3、300ページ
◉揃定価
180、000円+税〈全3回配本〉
第1巻 チラシ・抗議文・声明書等Ⅰ(巻頭に解説)
第2巻 チラシ・抗議文・声明書等Ⅱ
第3巻 パンフレット等出版物Ⅰ
第4巻 パンフレット等出版物Ⅱ
第5巻 機関誌「活動報告」1975年4月~80年
第6巻 機関誌「活動報告」1981~86年3月
第7巻 機関誌「行動する女」1986年4月~90年
第8巻 機関誌「行動する女」1991~96年10月

◉編
高木澄子/中嶋里美/三井マリ子/山口智美/山田滿枝
◉推薦
笹沼朋子/樋口恵子/ノーマ・フィールド/安田常雄
栗田隆子/千田有紀/谷合規子/角田由紀子/福島みずほ/三木草子/山口里子/横田カーター啓子/米津知子
◉解説
井上輝子/山口智美

私のフェミニズム研究の原点としての「行動する女たちの会」

執筆者:山口智美

(元々は『行動する女たちの会資料集成』(六花出版)の解説文の冒頭部分用として書いた文章ですが、字数削減の必要がありカットしたものです。)

私のフェミニスト研究者としての原点、それが「行動する会」だった。 1996年、当時アメリカのミシガン大学の大学院生だった私は、博論のためのフィールド調査を行う目的で東京にやってきた。日本での活発なフェミニズム運動の実態を調査するという計画で、とくにどのグループに焦点を当てるとはその時点では決めていなかった。そして、 「聞いた事ある有名な団体だな」という程度の認識しかない中で、行動する会に連絡をとってみた。だが、その時、会はすでに解散の話し合いを進めている最中だったのだ。結局、私が二回目に新宿区曙橋にあった、会の事務局「ジョキ」に行ったときの会議で、解散が決定。「行動する会」の最後の新入会員となった私ではあったが、会の活動への参加は、 解散決定の会議と、その後の事務局の片付けと掃除、そして打ち上げパーティーだけだった。

本来の博論研究計画からいったら、私が会に行ったときはすでに遅すぎ、会の解散とともにこの会の調査は終わるべきだった。でも、私はこの会こそに強く惹かれた。それはおそらく「解散」というタイミングだからこそ 、この会の運動をどう振り返り、どのように解散し、歴史に位置づけるのか、という分厚い議論が、まさにそこで行われていたからだったように思う。

そんな中で、会の歴史の前半10年間に中心的に活動していた人たちが、会の歴史をまとめるプロジェクトを進めていることを知った。そのプロジェクトの成果は 『行動する女たちが拓いた道——メキシコからニューヨークへ』(行動する会記録集編集委員会編 未来社 )としてまとめられ、1999年に出版された 。このプロジェクトに興味を覚えた私は、新宿御苑前にあった、中島通子さんの法律事務所で行われていた編集会議に出席した。1997年4月のことで、この時私が 参加したのは、4度目の編集会議だった。中島さんのほか、吉武輝子さん、駒野陽子さん、金谷千都子さんなど、今は亡くなられたそうそうたる会の元会員たちも出席していた 。そして、一度参加しただけでいつの間にか私は編集委員の一員ということになってしまった。

その後、2年近くに渡って中島通子法律事務所で、ひと月に一度程度のペースで開かれた編集会議に通い続けた。いきなり編集委員会に飛び込んでいった私は当時20代で、世代的には図抜けて若かったが、参加して意見を言うことは歓迎され、中島さん、吉武さんから私まで、皆でお茶の準備や片付けをしたりもした。そしてお互いの呼び名は、それぞれの職業や世間的な著名度がどのようなものであろうとも関係なく、「先生」ではなく「さん」だった。私は中嶋里美さんとともに、マスメディア抗議の章を執筆し、さらに、山田満枝さんと小林みち子さんとともに、年表作成を担当することにもなった。そのため、 中嶋さん、山田さん、小林さんとは何度も会って長時間作業をし、食事もともにし、その中で行動する会についての様々なお話を伺ったりもした。

要するに私自身も、行動する会の解散に至る過程と、その後の歴史をまとめるプロジェクトに参加して、 行動する会の「平場」の実践を体験したことになる。さらに会員たちの会や、執筆の際に掘り起こした様々な資料への思いの大きさも、作業に共に関わりながら、会員たちの語りを通じて理解することとなった。

そして、編集委員会の場で聞いた、会の歴史、および日本の女性運動 の話は、私にとっては興奮の連続だった。過去の自分たちが関わった運動へのノスタルジアとして歴史は語られるだけではなく、当時進められていた「男女共同参画社会基本法」づくりのプロセスへの疑問や、「男女共同参画」という行政主導でつくられた概念への批判、および女性運動の方向性への問い直し等を議論する中で、行動する会の歴史が位置づけられ、議論され、語られていたのだ。すなわち、 歴史は過去を懐かしむためだけに語られるのではなく、現在を問い直すためこそに、その解釈も含めた議論が熱く行われていた。「こんなにすごい話を私だけが聞いていていいのか」と会議に出るたびに思ったのをよく覚えている。

同時に、そこで多々言及されていた70年代中盤から80年代にかけての運動の歴史について、 「なぜ、私はこんなに知らなかったのか?」と 衝撃を受けた。 もちろん 私の不勉強もあるだろう。だが、それだけではないのではないか? これは、私が博論研究を通して問い続けた課題となり、その後のフェミニズムに関する調査研究においても、常に「なぜ行動する会の歴史は抜け落ちてきたのか?」「今でもまた落とされ、書き換えられていくのはなぜか?」という問いは、私が様々な局面で立ち戻る問題であり続けた。(注)

(注)例えば、双風舎編集部編『バックラッシュ!—なぜジェンダーフリーは叩かれたのか』(双風舎2006)に寄稿した「ジェンダーフリー論争とフェミニズム運動の失われた10年」という拙論は、 行動する会へのオマージュという意味もこめて書いたものだった。本資料集に収録されている「男女平等教育をすすめるシリーズ」パンフレットなどにおいて、行動する会が目指した「男女平等教育」は、明らかに男女の特性論を乗り越えたものであり、人々の意識、社会構造両方を問題として捉えたものだった。2000年代の「ジェンダーフリー」をめぐる論争においては、「男女平等教育」は制度に関することに限定されるとか、特性論は超えられないなどという主張がなされていた。少なくともこれは行動する会が主張してきた「男女平等教育」とは大きく異なり、これでは行動する会の教育分科会の運動の積み重ねはなかったことにされてしまう、という危機感のために執筆したものだった。

解説 行動する会を女性運動史に位置づける

執筆者: 山口智美
編集復刻版『行動する女たちの会資料集成』第1巻(2015年7月 六花出版刊)所収

<行動する会の歴史とリブ、女性学>
  「国際婦人年をきっかけとして行動を起こす女たちの会」(以下「行動する会」と略す)は1975年1月13日に発足した。 市川房枝、田中寿美子両参議院議員が、国際婦人年に民間の女性たちの機運を盛り上げたいということで女性たちに呼びかけ、1974 年の秋に新宿の婦選会館で準備会が開かれた。準備会での議論をへて、行動する会は、団体の連絡会ではなく、「原則として個人参加」の会と定められた。
 初期の世話人には両参院議員に加え、評論家や弁護士、教員、主婦などのさまざまな女性たちがいた。そして、1975年9月末、NHKへ27項目からなる「要望書および質問状」を持って小野会長に面会したことや、ハウス食品インスタントラーメンCM「私作る人、僕食べる人」への抗議などが大きく報道されたこともあり、 新聞記事や集会案内等を見た事などがきっかけとなって、新たな会員も加入していった。その後、会はマスコミ、教育、労働、政治など多様な分野にわたる活動を行った。「国連婦人の10年」は1985年に終わりを迎え、会は1986年に名称を「行動する女たちの会」に変え、より若い世代が中心となった。その後も会は活動を続けたが、1996年12月に解散した。
 行動する会は、女性学の文献でも、また女性運動やウーマンリブの歴史という文脈でも、その知名度や役割の大きさに反して、驚くほどに語られてこなかった会だった。1970年代のウーマンリブ運動の歴史についての出版物も、70年代始めから半ばまでを扱うことが多く、行動する会の歴史は抜けがちだった。女性学において後に主流となった歴史記述では、1975年以降は国連の動きや外圧が強まり、行政主導の運動が盛んになり、1977年以降は女性学が生まれ発展した時代と捉えられた。こうした歴史解釈の中で、行動する会の運動の歴史は十分に顧みられず、埋もれていった。
 井上輝子さんは本資料集の解説で、行動する会を「生活者版リブの集まり」だったと表現している。本資料集第3巻収録の『女の分断を連帯に 1年目の記録』に掲載された、「明日をつむぐ女たち」は、行動する会が結成された年に、会の歴史的な位置づけを詳細に論じた大変興味深い論考であるが、そこでも 労働運動、既存の婦人運動に加え、リブ運動の流れの中で会の発足が論じられている。元会員たちに私が行った 聞き取りでは、自分をリブと自認する人とそうではないと思う人と、その人の世代や出身地など、背景状況によって様々なケースがある。 しかしながら、リブに大きな影響をうけたことを語る元会員は多く、紛れもなくリブの歴史を受け継いだ運動だったと言えるだろう。よって、リブの歴史を現在につなげるという意味においても、行動する会の歴史は外す事はできないものだといえよう。
 本資料集成は、2012年に亡くなられた吉武輝子さんをはじめ、編集委員である高木澄子さん、中嶋里美さん、三井マリ子さん、山田満枝さんら、元会員の 方々の、 歴史の欠落を埋めたいという強い思いのもとに実現したものだ。さらにたくさんの元会員の方々が、手もちの資料を共有してくれた。70年代のウーマンリブ運動のミニコミ等の資料をどう保存するのかは、紙の劣化や資料の散逸などがある中で大きな課題となっているが、行動する会の関連資料も例外ではなかった。 そうした中で、今回の復刻版資料集の出版は大きな意義がある。
 会の事務局専従を7年間にわたってつとめ、活動報告の編集も行っていた山田満枝さんは「この復刻版は私の命」と言い切った。その言葉の持つ意味は大きく、重い。このプロジェクトは「過去語り」のためだけのものではない。現在の日本社会を考えるにつけ、今だからこそ「行動する会」の活動の歴史を振り返り、そして今後の運動に生かしていくべきなのではないか。 今の運動にとっても「性別役割分業」批判や「性差別」の撤廃にこだわった、行動する会の運動は現在にも続く重要な視点を提示しているのではないか。
 では、 行動する会の 歴史の中で、とくに何が重要だったのか。 本復刻版収録の資料に加え、私自身の元会員らへの聞き取りなどの調査 も参照しつつ、以下で考察してみたい。

(まだまだつづきます。ページ移動は下にある「ページ」からどうぞ。)

小田嶋隆氏「『女性差別広告』への抗議騒動史」の何が問題なのか?

執筆者: 山口智美

コラムニストの小田嶋隆氏が、「「女性差別広告」への抗議騒動史」という記事をブログにアップした。そもそもの経緯は、小田嶋氏のツイッターでの「従軍いやん婦」発言にさかのぼる。その発言をめぐる一連の経緯はTogetter「小田嶋隆さんの”従軍いやん婦”発言をめぐるやりとり」参照。Twitterでの経緯から、小田嶋氏がこのブログ記事で言及している「フェミニズム運動にかかわっておられると思しき女性」というのは、私のことを指しているかと思われる。

ブログ記事としてアップし、追記まで加えておきながら、「以後、この問題については、議論しません」というのは、どうなのかとは思う。まあ一方で、私の側とすれば、絶版状態の本の文章をブログで批判するのもどうかと思っていたのだが、アップされたことで誰でも検証できる状態になったこともあり、批判をまとめるよい機会を与えていただいたということになる。小田嶋さん、ありがとうございました。

しかし、小田嶋氏は、コラムの文章全文をアップすれば、「ミソジニーバックラッシュのアンチフェミのセクシストのマッチョ」という疑いがおそらく晴れるであろうと思われた様子なのだが、なぜそんな認識になってしまっているのか不思議だ。アップされた記事も、「ミソジニーのバックラッシュの…(以下略)」にしか見えないからだ。

小田嶋氏の「『女性差別広告』への抗議騒動史」 は「国際婦人年をきっかけとして行動を起こす女たちの会」(1986年から「行動する女たちの会」に改称。96年解散。以下、「行動する会」と記述)による、メディア抗議行動の批判である。 私は博論で、この「行動する会」を扱った。それ以来、今に至るまで私がずっと追い続け、資料を集め、元会員への聴き取りを積み重ねてきたテーマだ。 *1 さらに、『まれに見るバカ女との闘い (別冊宝島Real (050))』は、2000年代前半から中盤にかけて出版が相次いだ、フェミニズムの「バックラッシュ」本の一冊である。私は『社会運動の戸惑い』本のための調査でフェミニズムへのバックラッシュを扱ったが、この「バカ女」シリーズについて、宝島社や関係者に聴き取りを行っている。そんなわけで、小田嶋氏が今回再掲した記事は、私の取り組んできたテーマの、ど真ん中をついていることになる。それもあり、今回反論を書く事にした。

バックラッシュ本としての『まれに見るバカ女との闘い』

まれに見るバカ女との闘い (別冊宝島Real (050))』(2003)は、全3冊の別冊宝島「バカ女」シリーズの2冊目にあたる。一冊目の『まれに見るバカ女』が売れたために、続編ということでこの企画が出たという。この後に出たのが、2005年の『男女平等バカ』だった。売り上げは一冊目が最もよく、だんだん減っていったという。

フェミニズムへの「バックラッシュ」本の先鞭をつけたのは、1996年から約10年にわたり多数のフェミニズム批判本を出した林道義氏だった。だが「バックラッシュ」最盛期に突入したのは2002年、フェミニズム批判本が多数出版され始めたのが2003年である。その中でも最も売れたと思われる『まれに見るバカ女―社民系議員から人権侵害作家、芸なし芸能人まで! (別冊宝島Real (043))』(2003)が火をつけたといっていいだろう。そして、 『まれに見るバカ女との闘い』(2003)は、シリーズ前作よりもフェミニズム批判の色彩が濃くなっており、バックラッシュの運動で大きな役割を担った 長谷川三千子氏と岡本明子氏の対談も掲載されている。そして小田嶋氏は、この本の「Part 4 バカ女の事件簿」と題された章で、フェミニズム運動批判を展開している。

小田嶋氏はブログ記事で「私自身は自分のことを、かなりフェミニズム寄りの人間だと考えています。」と書いているが、少なくともこの本は2003年当時、フェミニズムへの「バックラッシュ」盛り上げに貢献したことは確かだし、それがトレンドで売れるとみた編集サイドが、もっと盛り上げようという意図をもって出版されたものでもある。こうしたフェミニズムへのバッシング狙いで作られた本に寄稿している小田嶋氏が「フェミニズム寄り」だという発言で念頭においている「フェミニズム」とは、いったい何なのだろうか。

女性史は「党派的なヒステリーの温床」なのか?

小田嶋氏は「女性史」を「党派的なヒステリーの温床」だと位置づけている。以下、該当部分を引用してみよう。

が、女性史のような一見社会的に見えるタームにこそ、個々人のパーソナルな視点と一個人の固有な記憶の裏づけが要求されるべきなのだ。なんとなれば、「公的な」「資料付きの」「定説化された」情報には、多くの場合、党派的なバイアス(「フェミ側の」あるいは「マッチョ寄りの」でなければ、プロ市民臭かったり、偽善っぽかったり、利口ぶっていたりするような様々な偏向した圧力)がかかっているものだからだ。逆に言えば、党派的な思惑や商売上の利害関係の持ち主でもなければ、誰もこんな厄介な問題(女性史のことだが)には、手を出さないはずなのであって、とすれば、誰かが女性問題について発言しているということは、すなわちその発言が偏向していることを意味している。……って、厄介だなあ。

 ともあれ、女性史が厄介な話題であり、党派的なヒステリーの温床であるという、このうんざりするような状況に水をかけるためにも、一個人のナマの記憶は第一次資料として、ぜひ、珍重されるべきではあるのだ。

女たちの歴史というのは、男の歴史 に比べて、圧倒的に記録に残ってこなかった。そうした記録に残っていない歴史を、地道な聴き取りを重ね、まとめていったのが、女性史における多くの仕事の成果だった。著名ではない、市井の女たちの歴史を記録し、残したという面で、とくに成果は大きい。まさに、「一個人のナマの記憶」および「経験」の積み重ねに関して、「公的な」「資料付きの」「定説化された」形では残ってこなかったものを、丁寧に掘り起こしたのが女性史の歴史だろう。そしてこうした成果は、大学に所属の研究者のみならず、多くが、在野の歴史家、研究者、市民らの仕事でもあった。

だが、長年の積み重ねのもとに収集されたたくさんの女性たちの声は、小田嶋氏にとっては単なる「党派的ヒステリー」であるらしい。さらには小田嶋氏一個人の「ナマの記憶」こそがそうした積み重ねに優先して、「第一次資料としてぜひ珍重されるべき」という位置づけになっている。

結局のところ、小田嶋氏は冒頭で「ボク個人がこんなことを思っていました」の歴史でしかないものを書きますよ、と言い訳をしているのだろう。しかしながら、その小田嶋氏「一個人のナマの記憶」は、「ヒステリー」として打ち捨てられる数多くの女たちの経験や記憶の記述よりも、なぜか優先されるべきものとして扱われる。さらに言えば、ボクの個人的な記憶こそが、一般の人たちの記憶や考えの反映であると考えるからこそ、これだけ自信をもって自分の記憶こそ聞くべき、と主張できるのだろう。これだけ無頓着に、自身の記憶=一般の反映、と思えることこそ、マジョリティ性の発露であり、女性史はすべからく「ヒステリー」であるという認識は、まさにミソジニーそのものだ。

批判対象の女性運動の歴史への関心の欠落

小田嶋氏は、今回アップした記事の追記として、「ただ、女性運動の歴史が、抗議活動の歴史とほぼイコールになっている展開が、女性運動にとって不幸なのではないかということを指摘したつもりでいる」のだと書いている。

ここで小田嶋氏が、女性運動の歴史が実際に抗議活動の歴史とイコールなのか、それともそういう印象を与えたのが不幸だったといいたいのか、わかりづらい。だが 小田嶋氏の「ナマの記憶」ではそういう印象であったとしても、この文章では女性運動の歴史が実際に抗議活動の歴史イコールだったということは論証されていない。たまたま小田嶋氏が触れていた情報や、当時のメディア報道が抗議運動ばかり扱っていた可能性などもありうるだろう。当時の週刊誌メディアを主な情報ソースとしたら、おそらくそういった印象になるだろうと思う。

この文章は2003年に書かれたものだ。その時には、『行動する女たちが拓いた道―メキシコからニューヨークへ』(1999)も出版されていた。巻末年表をざっと見れば、会の幅広い運動の流れだってわかったのに……だが、おそらくこういった本も読まずにこの文章を書いたのだろう。あくまでもこの文章は小田嶋氏「一個人のナマの記憶」を綴ったものという位置づけのようなので、特に批判対象の運動についての資料を調べる必要すら感じなかったのかもしれない。

行動する会は、分科会方式をとっていた団体である。分科会には、労働分科会、教育分科会、主婦問題分科会、裁判・調停・離婚問題分科会、独身女性分科会など、様々なものがあり、それぞれが活発な活動をしていた。80年代前半は、会は82年の優生保護法改悪阻止運動、さらには雇用平等法をつくる運動などに追われた。こうした様々な運動を展開する中で、例えば84年の雑誌『モーニング』広告抗議なども同時進行で行っていた。そして、会は「告発と提案は車の両輪」という考え方のもとで運動を展開した。メディア抗議は会の重要な運動の柱の一つだったが、決してそれだけを行ってきた運動体ではない。*2 行動する会の歴史だけをみても「女性運動の歴史が抗議運動の歴史とイコール」というのは、事実ではない。女性運動全体に広げるなら、なおさらだろう。

あるいは、小田嶋氏がそういう印象を与えたメディア表象の問題を扱っているのだというつもりであるなら、メディア側の責任も大きいのは明らかだが、それへの言及は一切ない 。

メディア抗議の積み重ねは瑣末なのか?

1)70年代「つくる人、食べる人」抗議とその後

行動する会のマスコミ分科会は1975年に ハウス食品「ワタシ、つくる人、ボク、食べる人」CMへの抗議と、NHKへの要望書の提出を行い、注目を集めた。そして、それらの抗議の中で「性別役割分業」概念を理論的支柱にすえた。会はマスコミの「性別役割分業」の問題を問うために適切なターゲットとして、NHKとこのCMを選んだのだ。

この行動する会のハウス食品およびNHK抗議は、当時は瑣末な問題として、マスコミ上で嘲笑の対象にもなった。だが、小田嶋氏はこの抗議は高く評価しているようだ。マスコミでおおいに議論がかわされたということ、さらに、「『性差』『男女役割論』『家庭における家事分担』といった、女性問題における最重要かつ本質的な論点が典型的な形で提示」されていたことから、抗議は大成功であり、小田嶋氏自身もこの抗議によってジェンダーについて考えるようになったという。

この抗議の重要性に関しては、私も小田嶋氏に同感する。この抗議は、この年の年鑑にも掲載されており、ウーマンリブ・フェミニズム団体によるメディア抗議は初めてではないものの、これだけ注目を集め、影響力をもったものは初めてだった。

だが、小田嶋氏は、主要な論点はここで出尽くしたとし、行動する会の運動は「最初のバカ当たり以後は、徐々に後退することになる」と書く。ハウスCM抗議は評価しているものの、まるで行動する会はハウス抗議の一発屋だった、的な評価だ。

ここで小田嶋氏が触れていない動きが、当然ながら多々ある。先ほど述べたように、このハウスCM抗議と同時期に、行動する会は、NHKに対して要望書を提出、面会を行っており、この行動もハウスCM抗議と同様、かなり大きくマスコミに扱われた。そして、 もちろん注目を集めなかった抗議行動もあるが、会はハウス食品CM抗議後にも、 マスコミへの抗議、話し合いや交渉などを多数積み重ねていった。

また、ハウスCM抗議とNHK抗議に関する報道の多くは酷かった。行動する会は、多々あるこうした週刊誌報道の中から、雑誌『ヤングレディ』に焦点をあて、編集部との話し合いをもった。『ヤングレディ』の記事が、行動する会の抗議は「女性差別の本質から外れている」という批判だったため、「では、女性差別の本質とは何か」という議論の場を持つ狙いもあったのだという。そして、法廷を議論の場にすべく、裁判にもちこんだ。 裁判は79年、和解という結果となり、行動する会は、会が作った記事を『ヤングレディ』に掲載するという成果を勝ち取った。これが、日本で初めての市民によるメディアへの「アクセス権」の獲得として、注目を浴びた事例である。

問題となった75年の『ヤングレディ』記事

f:id:yamtom:20140513203456j:image

行動する会が作った『ヤングレディ』1980年1月22日号掲載記事

f:id:yamtom:20140513203457j:image

ほかにも70年代後半から80年代にかけて、行動する会は様々なメディア抗議を積み重ね、一定の注目を浴び続けた。*3

2)80年代「より瑣末でチンケな話」

行動する会の活動がだんだん瑣末なものとなり、効果がなくなっていったという後退の歴史を語る小田嶋氏。そして、氏が「女性問題における最重要かつ本質的な論点性」だと考えるのは「性差」「男女役割論」「家庭における家事分担」といった課題であるとする。80年代の会によるメディア抗議と、「性の商品化」という問題意識は、まさに性差別告発の行動であり、女性のセクシュアリティに関する問題で、セクハラ告発の視点も含んでいる。だが、それは「広範な層の男女の問題意識に訴え」ることはなく、「所詮マニアックな議論に過ぎなかった」のだと小田嶋氏はいう。そして、ハウスCM抗議に比べて、「より瑣末でよりチンケな話」「重箱の隅」と形容されている。*4 だが、これらのポスタ―の問題は、そんなに「マニアック」といえるようなものだろうか?

「チンケ」な抗議の事例として小田嶋氏が挙げているのが、『モーニング』の車内釣り広告への抗議、また営団地下鉄英文ポスタ―抗議だった。ポスタ―は以下のものになる。

84年『モーニング』広告

f:id:yamtom:20140513203447j:image

『モーニング』ポスタ―に関しては、会は講談社、および電鉄会社に申し入れた。講談社側は今後はモニター制度をつくり、注意していくと回答し、翌号の女性のお尻を扱ったポスタ―はすでに印刷されていたが、キャンセルされたという。*5

1989年営団地下鉄ポスタ―

f:id:yamtom:20140513203448j:image

外国人に地下鉄の便利さを知ってもらおうと作られたポスタ―。「アピール度を強くしようと、考案された」(営団地下鉄広報課)とのことだったらしい。日本女性学会等、他団体も取り組んだが、行動する会の外国人の女性会員が送った手紙が大きな意味をもったという。 新聞で話題になり、ポスターは撤去された。*6

地下鉄ポスタ―については、『モーニング』にくらべたら、大きな問題とは感じない人もいるかもしれない。(それにしても、地下鉄の便利さを知ってもらうという目的と、女性の足が巨大にうつったイメージとの関連性は全くわからないが。)だが、これらの広告は、女性の身体の一部だけを切り取って「モノ」かのように扱っている点で共通している。そして、とくに『モーニング』広告についてはあまりに酷く、「瑣末」とか「重箱の隅」といえるような問題ではないと私は思う。

そして、「このような抗議自体はすぐ効く即効薬でもないし、大転換させる革命でもない。」と会員は言う。だが、「この小さなことの積み重ねが、社会通念という怪物を作ったりこわしたりしてゆくのではないか」*7という考えのもとに、一つ一つ、注目を集めない場合も多々あったメディアへの抗議行動を20年間にわたり積み重ねてきたことは、行動する会の歴史としても、そして日本の女性運動の歴史としても、非常に重要な意味をもったと私は考えている。

3)90年代「さらに些末かつヒステリックな色彩」

小田嶋氏によれば、90年代に入ると、行動する会の抗議は「さらに些末かつヒステリックな色彩を帯びてくる」という。小田嶋氏がここで事例に挙げる、会が抗議した広告は以下のものである。

91年エイズ予防財団

f:id:yamtom:20140513203451j:image

f:id:yamtom:20140513203450j:image

厚生省外郭団体「エイズ予防財団」によるこのポスタ―。海外での買春、女性差別、エイズ患者への偏見を助長するとして会は抗議した。初め厚生省は、「自信作です」と胸をはっていたというが、とうとう降参し、ポスター回収。同時に抗議した側は、「わたしたちのつくるエイズポスター」を公募、3ヶ月間で261点の応募が集まった。厚生省は、この翌年のポスターは公募で制作することにしたという。*8

92年オンワード「五大陸」

f:id:yamtom:20140513203452j:image

抗議の結果、オンワードからはお詫びの回答文が届き、また 朝日新聞の投書欄でも批判が盛り上がり、オンワードの反省の回答文が朝日新聞に掲載された。また会は電通にも抗議を行っている。

これらのポスタ―への抗議は、女性差別、性暴力、セクシュアリティ、さらにはレイシズム等の様々な問題を提起するものだった。だが、 これらの抗議について、小田嶋氏は「さらに些末かつヒステリックな色彩」と評価する。さらに以下のように書く。

「これは、性の商品化です」

 と、女性団体が居丈高に指摘しても、

「ご指摘の通りですがそれが何か?」

 という反応が返ってきたりさえした(つまり、指摘された側が、どこを反省して良いのやらわからないでいるわけです。面白いことに)わけで、要するに、あんまり一般向けの説得力がないのだ。

現場にいってもいないのに、「威丈高に指摘」などと、まるで実際のやりとりを見てきたかのような描き方になっているのが興味深いが、それはさておき。ここで小田嶋氏は「一般向けの説得力」の欠落に非常にこだわっている。だが、小田嶋氏が挙げている事例は、エイズ予防財団についても、オンワードについても、新聞記事や投書欄などでも扱われ注目を浴びた事例であり、最終的にポスタ―が回収されたり、反省の回答文を引き出すなどの展開になった。これらの抗議が、新聞などの媒体で取り上げられ、注目を集めたという点では、「つくる人、食べる人」CM抗議と似た展開だ。

また、89年時の会の行動について扱った、『週刊ポスト』の記事は以下のようなものだった。

f:id:yamtom:20140514143100j:image

いったいどちらが「ヒステリック」なんだ、というトーンである。75年当時の週刊誌報道とこの頃のものを比べると、70年代は茶化すトーンが多かったが、80年代はこうした、女性団体の抗議を脅威として煽るタイプの記事が多かった。小田嶋氏の「威丈高に指摘」などの描写とも重なってくる。

小田嶋氏は、これらの抗議はマスコミで注目を浴びても、それが逆効果だった、と言いたいのかもしれない。そして、「一般向けの説得力」としてここで氏が言いたいのは、まさに、「ボクが説得されたかどうか」ということなのだろう。そして、ボクは反発を感じたし、啓蒙的で、かつ瑣末だと思ったということなのだろう。*9

なぜ反発を感じたのか、反発を覚える自身の感覚に問題はないのか、抗議の顛末の詳細を自分が知らないだけではないか、マスコミが報道しなかった、あるいは偏って報道したのではないか、抗議された側の対応の問題もあったのではないかなど、様々な可能性はすっとばして、女性団体のやり方が悪いのだ、とする。

小田嶋氏の80年代以降の抗議運動に関しての文章からは、自己の感覚や視線を振り返り、 問い直すという感覚が絶対的に欠落しているように思う。「性役割」や「家事分担」までは理解できても、セクシュアリティが関わると途端に自省的なまなざしを失ったようにも見える。マジョリティの男性である自身には「瑣末」な事柄に見えても、女性にとっては違うのではないか、さらに自身も、男社会であるマスコミ業界のものの見方にはまっているだけではないか、といった問い直しは見えてこない。小田嶋氏によって問題視されるのは、あくまでも 女性団体の運動ということになる。

さらに小田嶋氏は以下のように述べる。

ともあれ、かくして、抗議はシステム化する。つまり、抗議それ自体を自己目的化するプロ抗議集団と、抗議を折り込み済みの天災として受忍するプロの腰抜け自主規制表現者が並立する不幸な体制が完成するということだ。

 そんな中で、女性団体のクレームは、結果として、エセ同和による職業的恫喝や、総会屋の出勤風景に似て来ざるを得ない。不幸なことだ。*10

 先述の『週刊ポスト』記事と同様の、「女性団体が恫喝」「プロ市民」的なイメージ*11、この小田嶋氏の「総会屋の出勤風景」等の記述にも色濃く見える。  行動する会の抗議が自己目的化していたというが、そんなことをしている余裕は当時の会員たちにはなかっただろう。*12さらに小田嶋氏の文章の最後では、「男性差別」とか「殴られ利権」などの言葉まで飛び出す。2003年前後の別冊宝島Realが、『同和利権の真相』『北朝鮮利権の真相』『中国利権の真相』などといった書籍を連続して出していた中、同様の論調を女性運動にあてはめたものであり、マジョリティ側こそが「差別」されていると言い立てる主張は、まさに「バックラッシュ」だろう。(その後、こうした論調が、2006年の別冊宝島『嫌韓流の真実!ザ・在日特権』に行き着いたことは言うまでもない。)

もちろん、男性中心マスコミの壁は厚く、全ての会のメディア抗議が成功したわけではない。小田嶋氏が言う「それが何か?」という反応がなかったわけではない。 その問題は、私が聴き取りを行った会員たちも、十分に認識していたし、どうしたらいいのかと模索もしていた。だが、こうした状況は、すべて女性団体のやり方の問題だと結論づけていいのだろうか。そもそも問題なのは、いつまでも男性中心のあり方にどっぷりはまりこみ、疑問をもつことすらなかったメディアや企業、政府、そして社会ではないのか。だが、小田嶋氏の文章はそこは問わないままだった。

性差別をめぐる問題の根深さ

フェミニズムの思想や運動の歴史や背景を知ろうともせず、自分の視点こそがなぜか正しく「一般」の意見の反映だと思い込み、上から目線で「やり方が悪い」とアドバイスをしてくる人。フェミニズムについてコメントする男性に多いパターンであり、迷惑なことである。マサキチトセさんが説明する、いわゆる「マンスプレイニング系男子」といえるの かもしれない。ただ、小田嶋氏の場合、フェミニズムを茶化す目的の、「バカ女」と題されたバックラッシュ本でこれをするわけだから、そもそもフェミニスト当事者にその批判をまともに聞いてもらおうという気もなかったのだろう。

さらに、小田嶋氏の普段の言論がリベラルであるとか、性差別以外の差別問題には敏感であるなどの状況があるとしても、だから小田嶋氏のミソジニーやセクシズムも酷くないはずだということにはならない。そもそも、リベラルや左派系でありながら性差別には鈍感な人々(とくに男性)は多い。さらに、他の課題に比べてジェンダーやセクシュアリティをめぐる課題が瑣末であるはずも、重要性が低いということもないはずだ。性差別に関してだけはおおらかに見てあげるべき、ということにもならない。

小田嶋氏がこの記事をアップすることで、「ミソジニーのバックラッシュのアンチフェミのセクシストのマッチョ」という疑いが晴れると考えたとすれば、その認識のほうが心配だ。 こういう認識になるのは、ミソジニーやセクシズムがいったい何なのかも、どれだけこの社会に蔓延し、自らも簡単に逃れられるような問題ではないことも、本気でわかっておられないのだろうと思うからだ。問題の根は深い。

*1:1996年、解散直前の時期に私は会に初めて行った。会員としての活動はほとんどできなかったが、会のニュースレター「行動する女」の最終号には会員からの解散に際してのメッセージの中に私の文章も載っている。そしてその頃、元会員の数名が始めていた、行動する会の記録集をつくるプロジェクトに参加した。その記録集は、1999年、『行動する女たちが拓いた道』として出版。私は、「第1章 マス・メディア性差別を告発」の執筆グループの一員となり、年表作成にも参加。そのプロセスの参与観察と会員のインタビュ―に基づき博士論文を執筆。その後もずっとフォローは続け、昨年から、行動する会の過去のニュース等の復刻版をつくるプロジェクトに関わり、再び行動する会の元会員らの聴き取りを始めたところである。

*2:75年時点からの会への批判のテンプレとして、会が何かの行動を起こせば「そんな瑣末なことではなく、もっと本質的な女性差別撤廃のための運動をすべき」というものがあった。だが、そうしたときに「本質的」とされる行動は、分科会活動のいづれかで、すでに会が行っている運動であることも多かったと元会員たちは言う。

*3:この時期のメディア抗議の詳細については、『行動する女たちが拓いた道―メキシコからニューヨークへ』をご参照ください。

*4:86年以降の「行動する会」は、教育分科会とメディアグループが活動の中心の会になっていた。メディアに抗議を行うのみならず、集会を行い、企業との交渉を行い、メンバーはテレビを含むマスメディアで意見を伝えるなども行っていた。さらに、こうしたメディア抗議行動と同時進行で、男女混合名簿推進運動に火をつける役割を果たしていた。決して中心になって動いていたメンバーの数が多かったわけではない。そうした中で、私が元会員たちに行ってきた聴き取りによれば、仕事ももっていた中心メンバーらはとてつもなく忙しい日々を送りながら、運動に関わっていたという。

*5:三井マリ子・中嶋里美・坂本ななえ『女たちは地球人』学陽書房1986

*6:行動する女たちの会ニュース『行動する女』1989年12月号で引用された、『日刊スポーツ』1989年12月7日号記事「退脚地下鉄ポスタ―」、行動する女たちの会・メディアグループ『ポルノ・ウォッチング―メディアの中の女の性

*7:三井マリ子・中嶋里美・坂本ななえ『女たちは地球人』学陽書房1986: 27-28

*8:三井マリ子『桃色の権力』三省堂1992:264-265

*9:フェミニズム運動の流れの中で、とくに95年以降の「男女共同参画」が出てきて以降は確かに「啓蒙」要素が前面にでたことはあったと思うので、フェミニズムすべてにおいて、小田嶋氏の啓蒙性に関する議論がまったく的外れとは思わない。だが、啓蒙的かどうかとう面では、「性別役割分業」の問題を問い、周知させるためにターゲットとして取り上げたハウスCM「つくる人、食べる人」抗議のほうがむしろそうなのではないかと思う。しかし小田嶋氏はむしろ啓蒙性を、問題があまりに大きいポスタ―への怒りが表れたという面も大きい、90年代前半のエイズ予防財団やオンワードの広告抗議のほうに見いだしているようなのも興味深い。

*10:『社会運動の戸惑い』第7章でも書いたように、「行動する会」の当時の主力メンバーらは、行政による表現規制は主張していなかった。1991年「異議あり!「有害」コミック規制」集会に参加した会員の坂本ななえは、「私たちは性差別に反対するからこそ批判の自由を守るためこの集会に参加した」と述べている。山口・斉藤・荻上『社会運動の戸惑い』288

*11:追記:小田嶋氏は「プロ市民」という単語はここでは使っていないが、「プロ抗議集団」「職業的恫喝」「総会屋の出勤風景」などの表現は使われており、「プロ市民」と同様の意味あいをもつのだろうと思われる。5.15.2014さらに追記:この部分では出てこないが、上記の「女性史」についての引用部分では、小田嶋氏は「プロ市民」という単語を使っていた。

*12:元会員たちは、私の聴き取りに対して、日々働き、それぞれの生活を抱えながら、時間を縫うようにして運動を続け、体力的にも時間的にも、交通費など経済的にも厳しかったと語っている。

初出 2014-05-14 『ふぇみにすとの論考』

多様性への考慮が欠けた沼崎一郎『「ジェンダー論」の教え方ガイド』

執筆者:山口智美

沼崎一郎氏による『「ジェンダー論」の教え方ガイド』(フェミックス)は、フェミニズム系ミニコミ誌のWe連載時 たまたま自分の文章が掲載されたため、一定の期間送られてきたので、目を通していたときがあった。そのころからいろいろ疑問を感じる面があった。本が発売されてから一年がたってしまい遅くなってしまったが、とくにこの本を使って授業や講座が行われたりする可能性や、ネットに批判的感想があまりアップされていない現状を考え、やはり私が感じた問題点については書き留めておきたいと思う。

私自身も女性学、ジェンダー関係の講座を教えてきている。沼崎氏と専門分野は同じ文化人類学だ。この本は沼崎氏の女子大での授業の様子を記しているが、「ジェンダー論」というタイトルの講座にありがちな、「ジェンダーとは何ぞや」といった抽象論からではなく、具体的に学生の日常にかかわる問題を扱うという姿勢には共感する。

だがこの点を除き、私は沼崎氏との間には根本的なアプローチの違いを感じた。端的にいえば、沼崎氏のスタンスには、学生たちに「目覚めてもらう」という、上からみたようなパターナリスティックな視点が色濃く感じられるのだ。簡単にいってしまえば「エラそう」ということ。そして、「多様性」はあくまでも「外部」に存在することして捉えられ、自分たちの中にある問題として捉えられていないことである。

もっとも驚いた章で、ある意味典型例なのが、第五章 「ピルを飲まずにHをするな!」である。実用的な性教育 避妊の知識を与えようとして行うセクションであるという。明らかに矛盾しているのが、この「ジェンダー論」の重要なメッセージのひとつが自分のことは自分で決めろ、ということだといいながら、沼崎氏が一方的に「ピルを飲まずにHをするな!」と言い放っていることだ。

沼崎氏によれば、ピルについては誤解と迷信、怖いというイメージばかりが流布しているという。もともとピルに対して偏見をもっている人は、「客観的」な説明をみると副作用のことばかりが目について、ピルは怖いと思ってしまう。このような考え方に基づき、ピルの確実性と安全性を強調するビデオを授業で見せるらしい。そうでなければ、ピルに対する迷信と誤解を打破することはできないというのだ。沼崎氏もピルに副作用があることは認めるが、しかし「軽い頭痛」などの副作用と妊娠(堕胎)を比較したら後者のほうが傷つくので、軽い頭痛くらいあってもピルを飲むべきと主張している。

また、毎月の薬代が3000円かかっても高くないといい、「彼に半分ださせろ」とも言う。学生たちがモノガミーを前提にしたヘテロな関係をもっていると勝手に決め付けているか、そうであるべきだ、という考え方に基づいているのだろうか。そして、口紅や服を買うお金があるならピルを買えとまで言い、学生たちに自らのお金の使い方を反省させ、「ピル購入代」は高いわけではないと思わせようとする記入式プリントまで配布するらしい。「月3000円の出費」は痛くないはずだ、と、学生たちの階級背景についても、勝手に皆が中流で経済的に困難に面してはいないと思い込んでいるようである。

沼崎氏は、ピルの副作用を「軽い頭痛」程度と勝手に決めているようだが、副作用がない人から、あってもたいしたことがない人、そして重い副作用を感じる人まで、個人差があるだろう。また、ガンに過去かかった人や、ガンの家系の人などで、医師がピルをすすめられない場合だってある。ガンになる危険をおかすのか、ピルを飲まないでセックスするかを選べというなら、後者を選ぶ人だって多いのも当然だと思う。そして、沼崎氏はたいしたことがないと言っているようだが、毎日の頭痛だっていかに辛いことだろうか。沼崎氏の論理に従えば、ピルを飲めない状況にある人は、セックスするなということなのだろうか。ピルのみならず、コンドーム=ラテックスアレルギーの人だっているだろう。個人個人に適した避妊法を使っていくことが重要なのであり、一律に「コンドームとピルの併用をしないならセックスするな」と言い切れるのはどうしたことか。とにかく、知りもしない他人の体のことなのに、よくここまで言い放てるものだ、と思う。しかも、「教員」としての権力がある中で、だ。

私自身はピル反対論者ではなく、ピル解禁をめぐる議論の際には解禁を支持していたくらいだ。だが、副作用はもちろんあるわけだし、ピルを服用するかしないかは個人の身体によっても、状況によっても、変わってくる選択だろう。他人にむかって、「副作用があってもピルを飲むべき」などとはとてもいえない。そして、ネットを検索すれば、製薬会社によるサイトなどでピルに関して好意的な情報を、ピンクなどのかわいらしい色合いを使ったりしながら掲載している場合が多い。ピルに関して「否定的な情報ばかり」とは、何に基づいていっているのか疑問である。

また、以前イダヒロユキ氏の「ジェンダー論」についても書いたことだが、「女子学生」たちが、中流でヘテロセクシュアルだという前提(思い込み)にたって授業をすすめているようなのだ。女子大の教室にレズビアンやバイセクシュアルの学生たちがいる可能性は考慮されていないようである(少なくともこの本からはみえてこない)。たとえば、授業中配布されるプリントに「彼とあなたはいい関係?」などといったものがあるが、「ヘテロセクシュアル女性」の学生以外には当てはまらない内容である。自分に関係のない内容のプリントを、自らの経験に基づいて書けといわれてしまった学生たちは、どう思うのだろう?

そもそも、100人以上もの大教室での講義にもかかわらず、セクシュアルマイノリティがいないと思い込むほうがおかしい。セクシュアルマイノリティのことは授業のネタとしては扱われても、あくまでも自分たちの近くにはいない、特殊な人たち扱いで、自分たち自身の問題として考えられていないようだ。 また、妊娠しない身体の人たちだっているだろう。その人たちの存在も少数派だから考えなくていいのだろうか。

他人の身体について、一大学教員が口出しすることなど当然できないはずだ。それよりもできうる限りの手に入る情報をあたえ、偏っている可能性があるならそれについて議論し、批判的に考えることも経験しつつ、多様な経験を共有しながら、自分で自分の体についてどうするか決めていくことができる力をつけるのが、「ジェンダー論」のあり方ではないのかと私は思う。

(初出 2007-12-29 「ふぇみにすとの論考」

杉本貴代栄氏によるアメリカ女性学の歴史認識の謎

執筆者:山口智美

当ブログに「女性学者・杉本貴代栄氏の出版物の数の多さと代わり映えしない内容」というエントリを斉藤正美が執筆した。そこで、 私も少々、杉本氏の著作を読んでみることにした。

現在は金城学院大学教授の杉本氏の経歴をみると、東洋大学の大学院在学中に渡米、カリフォルニア州立大学に留学したという。 そして、1983年から1987年にかけて、イリノイ大学シカゴ校の「マルチカルチュラル女性学研究所」の研究員として、女性学の研究に従事したと書かれている。杉本氏の経歴の中で、アメリカ滞在経験は目立つ位置にある。 さらには、杉本氏はアメリカをはじめとして、「国際的視点」「国際化」や「国際比較」などを掲げ、海外について扱った著作も多い(杉本1997;2001;2003; 2004; 2009;2012など)。

そこで、最新刊の『福祉社会の行方とジェンダー』(勁草書房2012)収録の女性学についての章に注目してみることにした。この書籍は「2008年以降に発表した論文」(杉本2012:1)を掲載した論文集ということで、その中の「女性学の発祥と発展」という章である。この章は、「アメリカに発祥し、日米それぞれが辿った女性学の発展と課題」(88)について論じたものであり、同氏が2010年6月にミネルヴァ書房から刊行した『女性学入門』の中の「女性学とは」という章の再掲である。
だが、読みながらここで論じられている「アメリカ女性学」に関して、いったいいつの話についてであり、何に基づいて執筆しているのかという疑問が募った。一例として、以下の記述をあげる。

女性学が修正を迫られたもう一つの課題は、ヘテロ・セックスへの偏向の修正である。非白人女性や貧困女性と同様に、現代のアメリカで抑圧されているもう一つの女性の集団とは、レズビアン女性たちである。しかし女性学は、人種問題同様にこの問題を避け続け、女性学のなかで取り上げることにはきわめて消極的であった。女性学はレズビアン問題を無視しているという批判が出ると、女性学はその問題を中央の主題として積極的に登場させるようになる。1980年代に入ると、NWSA全米会議においても人種問題と並んで、レズビアンのための特別な提案・分科会・集会が盛んに行われるようになった。しかしこのような性急な取り組みにもかかわらず、実際の女性学の講義のなかでレズビアン問題が取り上げられること、また調査や研究が行われることはいまだに多くはない。(93)
2008年以降に書かれた論文で「いまだに」と記述されている場合、普通は2008年以降をさしているのかと思うだろう。だが、当然ながら、アメリカの「女性学の講義のなかでレズビアン問題が取り上げられること、また調査や研究が行われることはいまだに多くはない」というのは、2008年以降のアメリカの女性学やジェンダー研究の現実からあまりにかけ離れている。さらに杉本氏はレズビアンだけに言及するが、ほかの多様なセクシュアルマイノリティをめぐっても、 アメリカの女性学・ジェンダー研究において議論が積み重ねられているということはまったく言及しないままだ。

そして、歴史認識もおかしい。レズビアンに関する研究はすでに70年代から行われているし、80年代になるとかなりの論文や著作が出版されるようになっていた。1990年代以降のクィアスタディーズの充実ぶりは言うまでもない。さらに、レズビアンに関係する授業も、アメリカの大学では70年代から開講されはじめているし(McNaron 1997)、現在は多数の大学がクィアスタディーズの講座を開講している。(例えばこのリストを参照。)

また、杉本氏が指摘している、アメリカの大学で女性学が、独立した学部をつくるのではなく、学際的な「プログラム」として成立してきたという歴史はあり、そのスタイルで続けている大学もある。しかしながら、現在は、独立した学部 (Department)をもつ大学もあり、状況は変わっている。さらに全米女性学会NWSAのサイトによれば、現在アメリカでは13大学が女性学・ジェンダー研究での博士号を出している。杉本の言う「プログラム」だった時代から、かなり状況が変わっている大学も多い。

このように、2008年以降に書いたという論文で指し示す「いま」というのが、どう考えても現在についてのこととは思えないのだ。さらに、仮にこれが杉本氏が在米だった1980年代についてだとしても、認識がずれているのではないかとも思う面がある。巻末の参考文献リストをみても、アメリカ女性学の歴史についての文献は、77年のものが一冊あるだけだ。同じ著者やその他の著者による、女性学の歴史に関する本はその後も出ているにもかかわらずである。さらに、クィアスタディーズに関しては参考文献は皆無だった。

細かい間違いも目立つ。Ethnic Studiesを杉本氏は「民族学」と訳しているが、Ethnologyのほうが「民族学」だろう。そして、「オレゴン州立大学ポートランド校」が女性学プログラムを先んじて開始した大学としてあげられているが、これはPortland State University「ポートランド州立大学」の間違いだろう。さらには、「コンシャスネス・ライジング(意識覚醒)」と書かれているのは、明らかに「コンシャスネス・レイジング」の間違いと思われる。こうしたミスについて、ミネルヴァ書房、勁草書房両出版社の編集者も気づかなかったのだろうか。

さらには、著者が作成したという「図6−1」もよくわからない。「女性学の構造」と題された図なのだが、この図によれば、「哲学」と「史学」は例えば交わるところがないように見える。文化人類学と社会学は、教育学を介してつながっているようでもあり、「女性文化学」という何を意味するのかよくわからない分野が、文化人類学と女性学のつながりとして示されている。さらに「女性学」は真ん中のみならず「女性解放の政治学」を介して再び枠の外側にある「女性学」とつながる。(これはもしかすると「政治学」の間違いなのだろうか。)これが「女性学の構造」だといわれても何がなんだか…である。(これは図を示さないと意味不明かと思うので、とりあえずイメージをアップしておく。関係者の方、これについては問題あったらカットするのでその場合はお知らせください。)

ほかにも杉本氏のアメリカ女性学状況の記述には疑問を感じる点が多々あるのだが、きりがないので、最後にもう一点指摘しておきたい。このエントリでとりあげた章ではないが、杉本氏の著作には「セカンドステージ」という言葉が頻発する。だが、この「セカンドステージ」でいったい何を意味するのか、私が読んだ範囲内でははっきりしないままだ。杉本氏が留学していた頃におそらく話題になっていたのだろう、1981年出版のベティー・フリーダンのThe Second Stageからとっているのだろうか。だとしたら、1981年のアメリカの状況で使われていたコンセプトが、2008年以降の日本に当てはまるというのはどういうことなのだろう。あるいは「セカンドステージ」とは全く違う意味合いで使われているのか。よくわからないまま、「セカンドステージ」がバズワード化しているように思えた。アメリカの特定の歴史・社会状況のもとで使われていたコンセプトを、歴史的・社会的背景も異なる日本にもってきて当てはめることにそもそも無理があるのではないか。もしどうしてもそのコンセプトを使う必要があるというのなら、せめてどういう意味で使っているのか、丁寧な解説が少なくとも必要なはずだ。

(初出 2013/02/10 11:49 am)

イダヒロユキ(伊田広行)氏の『社会運動の戸惑い』批判に関して(2): 「フェミニスト」とは誰なのか?

執筆者:山口智美

イダヒロユキ(伊田広行)氏のブログ「ソウル・ヨガ」にて、「小手先のコミュニケーションーー思想の視点がない」という1月21日付エントリに関して、もう一点、気づいたことを記しておきたい。

イダ氏は、「保守運動側にあってその言い分を聞き、温厚な人間性(対話の可能性)だと記述し、一定の理解をするがフェミ側へは取材もしないのは」と『社会運動の戸惑い』を批判している。実はこの批判は、イダ氏のほかにも何度か耳にした批判でもある。

だが、『社会運動の戸惑い』においてフェミニスト側への取材は行われている。宇部市のフェミニズム運動に関わりつつ博士号ももっている研究者でもある小柴久子さん、千葉県の「条例ネット」の方々や、堂本暁子前知事、元男女共同参画課長、都城市の旧条例制定にむけて活発に活動を展開した「シエスタ」の皆さんや、女団連の方々、アドバイザーのたもつゆかりさん、元大阪府議の尾辻かな子さん。7章で、フェミニズムとインターネットをめぐる初期の動きについて語りを書かせていただいた井上はねこさんもいる。この方々はフェミニストだと私は思うわけだが、イダ氏にとっては違うのだろうか。

イダ氏にとっての「フェミ」とは誰なのか?東京近郊や関西の学者のみをさして「フェミ」といっているのだろうか。あるいは運動家も「フェミ」だと思っているが、自分の知り合いや仲間ではないと、「フェミ」の枠には入ってこないのだろうか。なぜこのように、イダ氏のようなジェンダー研究の学者自らが、地域で地道に運動に関わってきたフェミニストたちの声や存在を無視してしまうのか。

『社会運動の戸惑い』では、保守派についても、学者や知識人へのインタビューは実はしていない。本書での著者の興味が学者や知識人の声を聞くことではなかったからでもあるし、一冊の書籍で扱いきれなかったということもある。だが、保守側の学者や知識人のインタビューがないことは問われず、フェミニストだけ問われるのも不思議なことでもある。

『社会運動の戸惑い』で誰も女性学系の学者をインタビューしていない、ということは実はなく、インタビューさせていただいたが直接の引用という形では書籍に活用させていただくことができかなかった方々もいる。(巻末の「調査年表」を見ていただくと少々垣間見えるかもしれない)。また、インタビューだけに基づいて書いた本ではなく、参与観察も重要だった。公開のイベントでの学者の方々のご発言内容などについては参考にさせていただいている。

フェミニスト=学者、という理解は、私はまったく違うと思う。だが、もしかしたら女性学やジェンダー研究の中に、中央の学者ばかりを「フェミニスト」と考える思考が無意識にこびりついてはいないか。

もう一点だけ指摘しておきたい。
そもそもイダ氏に「山口智美さんなどはフェミニズムをかなり誤解」と理由も指摘せずに言われたことから、この一連の、何ら発展的な議論にはつながってこなかった不毛な状況は始まっているのだが、今回もイダ氏は斉藤、荻上という共著者と私に、「フェミではない」というレッテルを貼っている。例えば以下である。

フェミの側といっていても実は、フェミの立場ではなく、いい子ちゃんの立場に過ぎない
2009年6月の女性学会のワークショップの後、イダ氏は、「フェミを誤解している」というご発言は「オレのフェミ」についてのことだったとご発言されたという。だとしたら、ここでも「フェミの立場」は「オレのフェミ」の立場、という意味なのだろうか。そうなのであれば、私はイダ氏の立場とは違うだろうからかまわないが、「オレの」をカットされて「フェミの立場ではない」と、イダ氏に私が「フェミ」の枠外として一方的に認定されるのはおかしい。そして、これも以前から、小山エミ氏やマサキチトセ氏のエントリにおいて、イダ氏が指摘されてきた問題でもある。

最後に、イダ氏は当該エントリにおいて「世間知らずの「いいこちゃん」(お坊ちゃんお嬢ちゃん)」として『社会運動の戸惑い』の著者陣を批判しているわけだが、個人的な背景をよく知る訳でもない、学者や評論家として活動するフェミニストを「お坊ちゃんお嬢ちゃん」とからかい、見下すような調子で断罪している。さらに、昨年のエントリにおいて、共著者で女性の学者である斉藤正美を批判する文脈で「憎しみに囚われていて、ここまでよくもゆがめられるなという感じでした。この程度の無茶な読みをブログに書き残していて恥ずかしくないのかなと思いました。」と記載している。女性=憎しみというステレオタイプを持ち出しつつ、ここでも見下したトーンで批判している。こうした見方も、イダ氏にとっては「フェミ」的なことなのだろうか。

(初出 2013/02/03 11:18 pm)

イダヒロユキ(伊田広行)氏の『社会運動の戸惑い』批判における学者としてのルール違反

執筆者:山口智美

イダヒロユキ(伊田広行)氏のブログ「ソウル・ヨガ」にて、「小手先のコミュニケーションーー思想の視点がない」という1月21日付けエントリが掲載された。(魚拓はこちら

このエントリの特に後半部分で、書名も著者名も言及されていないのだが、斉藤正美・荻上チキと私の共著本『社会運動の戸惑いーーフェミニズムの「失われた時代」と草の根保守運動』への言及と思われる記述がある。

書籍についての批判や意見がきて、それが議論につながることは大歓迎なのだが、今回のイダ氏のエントリに関しては、それ以前の段階で問題がある。学者としての根本にかかわる問題である。

イダ氏は大学の教員であり、現在、日本女性学会の幹事をつとめている。学者として仕事をしてきた人だ。日本女性学会などの学会誌の査読を担当されることもあるだろう。にもかかかわらず、学者であるならば最低限のルールである、出典も示すことをしていない。しかも書籍からそのまま文言を引用しながら、である。

今までも、対象をぼやかして批判を行うということは、イダ氏も、またほかのジェンダー研究者も繰り返して行ってきていることであり、それについては何度も私もブログでも学会の場でも指摘し、「批判をするならソースをはっきりしてくれ」と主張してきた。例えば以下の拙ブログ「ふぇみにすとの論考」のエントリでも何度か扱ってきた。

批判対象をぼやかし続ける伊田広行氏の論(2006年10月16日)
伊藤公雄氏のいう相互批判の「作法」とは?(2006年12月14日)
「ようやく名指し批判が!」と思ったらぬか喜び(2007年10月13日)
日本女性学会ワークショップ『「ジェンダーフリー」と「バックラッシュ」を再考する』をふりかえって(2009年6月28日)
だが、今回、また繰り返されたということになる。さらに今回は今までにも増して、非常に悪質なやり方だったといえる。

なぜ悪質かといえば、鍵カッコを使い『社会運動の戸惑い』からほぼそのまま引用している文章と、同じく鍵カッコを使い引用かのように見せかけながら、引用ではなくイダ氏の作文であるという文と、両方が混在しているからだ。具体的には以下の箇所である。

「保守運動とフェミニスム運動の対立は合わせ鏡のような構図だった」と第3者的に双方を批判。
この文の鍵カッコ内の部分は、『社会運動の戸惑い』、328ページの荻上チキによる「結びにかえて」からの引用だ。オリジナルは「対立は、合わせ鏡」と、読点がはいっているが、それ以外は一字一句同じである。

その後、イダ氏のエントリ内では、同様に鍵カッコを使って、以下の文が書かれている。

第3者的に、「相手に勝手なイメージをつけて不信感ばかりを強化し対立(攻撃)するのでなく、相手をよく知り話し合えば、対話可能だし、理解もできるし、問題解決の道も見える」という凡庸なお説教レベルはみあきた。
ここでの鍵カッコ内の文は、『社会運動の戸惑い』には全く書かれていない、イダ氏の創作であり、イダ氏なりの拙著の解釈のようである。

だが、一方は書籍からのそのままの引用(しかも出典情報皆無)、もう一方はまったく書籍には書かれていない文章を全く同じように鍵カッコを使い書くというのは、読者に著しく誤解を与えるだろう。さらに後者の文に関しては、『社会運動の戸惑い』の著者がそのような記述をしているかのように誤解されかねず、ひじょうに迷惑だ。

そもそも、すでに書いたとおり、学者として文章を書く際に、しかも文献からの直接引用を含んでいる場合、ページ数はおろか、書名も著者名すらも何も言及しないというのは、ありえない。私はアメリカの大学で教えているが、学生が出典情報を示さずに書籍について議論をしたり、引用などしたら、それは確実に剽窃扱いとなり、退学処分になることもあるだろう。引用の際にソースを示すということは、アカデミアにおいてはそれだけ基本中の基本であり、必須とされていることなのだ。

著者について、「現実の経験が浅い」「世間知らずの「いいこちゃん」(お坊ちゃんお嬢ちゃんの作文)」などとすごい言われようなのだが、そういった批判をするなら、もっと具体的に何がどのようにそうなのかを指摘した上で、最低限、文献情報くらい示し、その上で批判してほしいと切に願う。

そもそも、こうした批判対象をぼやかしたり、ソースをしっかり確認しないという状況がいかに大きな問題につながりかねないかを、『社会運動の戸惑い』では記した。それにもかかわらず、その点をまったく受け止めずに、さらに悪化した形で同じ問題を繰り返しているというのは、問題はあまりに深刻だといえよう。

(初出 2013/02/02 1:55 pm)