ジェンダーフリーとは何なのか(山口智美)

「ジェンダーフリー」「ジェンダーチェック」に関する東京女性財団パンフ、報告書の類いー現在、東京女性財団資料質から撤去状態―皆さん請求し、抗議しましょう!!

表現の自由は保証されるべきであり、このような焚書は許されるものではない。だが、「ジェンダーフリー」概念(「男女共同参画」も)やそれに基づく実践について批判的に検証しなおすことが、現在だからこそ必要ではないか。

「ジェンダーフリー」概念が生まれた背景、歴史、問題点について。「ジェンダー・バイアス」概念についても検証したい。

バーバラ・ヒューストン論文の誤読に基づき、日本で作られた「ジェンダーフリー」概念は本当に有用なのか?

  • ジェンダーフリ?概念の歴史―もとは保守的な和製英語 ー資料1参照
  • 女性財団パンフ&報告書 「心のありよう」―ヒューストンを完全に誤読
  • 他の学者たちのバーバラ・ヒューストン論文誤読、問題回避とその広がり―資料2〜6
  • 女性財団ジェンダーチェック、自治体、女性センターなどでの講座・啓蒙活動、行政助成事業としての市民団体、研究者などのプロジェクトとその報告書などを通じて、またたく間に広がった概念。女性財団の助成プロジェクト?「意識」面に集中
  • 「心のありよう」はマズいから、新たな定義づくり?資料6がその一例。当初の定義とはずいぶんずれてきたが、右翼が「心のありよう」にもっていったという無理な解釈をしている。実際はもともと保守的な「心のありよう」を示す概念だった。
  • 「ジェンダーフリー」の意味は本当に共有されているのか?
    東京女性財団版、大沢真理版などの様々なバージョンの「ジェンダーフリー」があるのでは?
  • 「ジェンダー・フリー」にこだわる必要性はあるのか? 説明しやすいはずの、男女平等や、性別役割分業/分担ではなぜいけなかったのか?
  • ジェンダーフリーを使わない=バックラッシュに「屈する」ということなのか?実は学者のメンツがかかっているから、行政と学者の密着関係を問い直すことにつながるから、やめられないのではないか?

ヒューストンは「ジェンダー・センシティブ教育」を提唱している。日本では「ジェンダー・センシティブ」は「ジェンダー・フリー」の一過程という解釈をされることが多いようだ。(ヒューストンとマーティンの引用をみると、これらは別概念としっかり定義されている)

アメリカ教育学での「ジェンダー・センシティブな教育」と日本の「ジェンダーフリー教育」の概念、実践における違いは何か?

ヒューストンとマーティン

  • I am too aware of the problems involved in ignoring gender altogether (e.g. not keeping track of how many girls are in science or engineering or mathematics, or using computers in school), and in trying to obliterate activities or characteristics that are thought to lead to differences in achievement because of natural and ineradicable differences biological differences between the sexes. So I do opt for Jane Roland Martin’s notion of a gender-sensitive approach. I think that only such an approach will allow us to acquire the information we need to institute programs that will bring about sex equity.
  • 山口によるマーティンさんへのインタビュにおいて、マーティンは 「ジェンダー・センシティブ」と「ジェンダー・フリー」は違う。あくまでも「ジェンダー・センシティブ」でなくてはならないと言明した。ジェンダーフリーへの一過程としてのジェンダー・センシティブは機能しないのだという。
  • ジェンダーフリーというのは、リベラルフェミニスト的な考え。
  • アファーマティブ・アクション。被差別者への特別プログラムなど。
  • 「レースフリー」などという概念は考えられない。=差別を見えなくするから。「ジェンダーフリー」も同様に、おかしな概念。

「ジェンダーフリー」概念の根本的な問題とは何か?

  • アファーマティブアクションー「レースフリー」
  • 他の差別との絡み?
  • 日本女性学会Q&Aなどでは、「女らしく、男らしく」から「自分らしく」へ、などと言われる:『ジェンダーフリー』な個人像を想定?「自分らしく」とはいったい何?ジェンダーがない人間など可能なのか?
  • 「性差をなくす」ことばかりに焦点がおかれている。(ひなまつり、ランドセルの色)
  • 「ジェンダー」の訳の問題―「性差」?―ここにも問題アリ?英語のジェンダーは「性差」ではなく、「性のありよう」的な意味をもつ。
  • ジェンダーバイアス概念―これも混乱している。(資料9?12)
  • ジェンダーバイアスという概念じたいの問題(アメリカ教育学自体の問題か?)―絶対的中立性を仮定?フェミニスト認識論―客観性批判―との自己矛盾

「誰でもわかる言葉」を使うことはなぜ重要なのか?

  • 敵は誰か?―保守派の「ジェンダーフリー」言説分析は重要。
  • 日本の女性学の問題考察―行政との関係、「専門」への考え方が強すぎる。
  • 女性学会誌での間違い放置―チェック体制の甘さ(とくに著名学者に対して?)
  • 相互批判の欠落?議論ができない状態?
  • 「ジェンダーフリー」とは、もともとは行政/学者がつくり、行政と近い関係をもって活動する学者によって行政講座やパンフを通じて広められた経緯をもつ言葉
  • 曖昧な概念―どうにでも解釈できてしまう。概念自体にも問題がある。
  • 「ジェンダーフリー教育」の一環としてくくられ、とばっちりを受けたのが混合名簿運動ではないか?