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杉本貴代栄氏によるアメリカ女性学の歴史認識の謎

執筆者:山口智美

当ブログに「女性学者・杉本貴代栄氏の出版物の数の多さと代わり映えしない内容」というエントリを斉藤正美が執筆した。そこで、 私も少々、杉本氏の著作を読んでみることにした。

現在は金城学院大学教授の杉本氏の経歴をみると、東洋大学の大学院在学中に渡米、カリフォルニア州立大学に留学したという。 そして、1983年から1987年にかけて、イリノイ大学シカゴ校の「マルチカルチュラル女性学研究所」の研究員として、女性学の研究に従事したと書かれている。杉本氏の経歴の中で、アメリカ滞在経験は目立つ位置にある。 さらには、杉本氏はアメリカをはじめとして、「国際的視点」「国際化」や「国際比較」などを掲げ、海外について扱った著作も多い(杉本1997;2001;2003; 2004; 2009;2012など)。

そこで、最新刊の『福祉社会の行方とジェンダー』(勁草書房2012)収録の女性学についての章に注目してみることにした。この書籍は「2008年以降に発表した論文」(杉本2012:1)を掲載した論文集ということで、その中の「女性学の発祥と発展」という章である。この章は、「アメリカに発祥し、日米それぞれが辿った女性学の発展と課題」(88)について論じたものであり、同氏が2010年6月にミネルヴァ書房から刊行した『女性学入門』の中の「女性学とは」という章の再掲である。
だが、読みながらここで論じられている「アメリカ女性学」に関して、いったいいつの話についてであり、何に基づいて執筆しているのかという疑問が募った。一例として、以下の記述をあげる。

女性学が修正を迫られたもう一つの課題は、ヘテロ・セックスへの偏向の修正である。非白人女性や貧困女性と同様に、現代のアメリカで抑圧されているもう一つの女性の集団とは、レズビアン女性たちである。しかし女性学は、人種問題同様にこの問題を避け続け、女性学のなかで取り上げることにはきわめて消極的であった。女性学はレズビアン問題を無視しているという批判が出ると、女性学はその問題を中央の主題として積極的に登場させるようになる。1980年代に入ると、NWSA全米会議においても人種問題と並んで、レズビアンのための特別な提案・分科会・集会が盛んに行われるようになった。しかしこのような性急な取り組みにもかかわらず、実際の女性学の講義のなかでレズビアン問題が取り上げられること、また調査や研究が行われることはいまだに多くはない。(93)
2008年以降に書かれた論文で「いまだに」と記述されている場合、普通は2008年以降をさしているのかと思うだろう。だが、当然ながら、アメリカの「女性学の講義のなかでレズビアン問題が取り上げられること、また調査や研究が行われることはいまだに多くはない」というのは、2008年以降のアメリカの女性学やジェンダー研究の現実からあまりにかけ離れている。さらに杉本氏はレズビアンだけに言及するが、ほかの多様なセクシュアルマイノリティをめぐっても、 アメリカの女性学・ジェンダー研究において議論が積み重ねられているということはまったく言及しないままだ。

そして、歴史認識もおかしい。レズビアンに関する研究はすでに70年代から行われているし、80年代になるとかなりの論文や著作が出版されるようになっていた。1990年代以降のクィアスタディーズの充実ぶりは言うまでもない。さらに、レズビアンに関係する授業も、アメリカの大学では70年代から開講されはじめているし(McNaron 1997)、現在は多数の大学がクィアスタディーズの講座を開講している。(例えばこのリストを参照。)

また、杉本氏が指摘している、アメリカの大学で女性学が、独立した学部をつくるのではなく、学際的な「プログラム」として成立してきたという歴史はあり、そのスタイルで続けている大学もある。しかしながら、現在は、独立した学部 (Department)をもつ大学もあり、状況は変わっている。さらに全米女性学会NWSAのサイトによれば、現在アメリカでは13大学が女性学・ジェンダー研究での博士号を出している。杉本の言う「プログラム」だった時代から、かなり状況が変わっている大学も多い。

このように、2008年以降に書いたという論文で指し示す「いま」というのが、どう考えても現在についてのこととは思えないのだ。さらに、仮にこれが杉本氏が在米だった1980年代についてだとしても、認識がずれているのではないかとも思う面がある。巻末の参考文献リストをみても、アメリカ女性学の歴史についての文献は、77年のものが一冊あるだけだ。同じ著者やその他の著者による、女性学の歴史に関する本はその後も出ているにもかかわらずである。さらに、クィアスタディーズに関しては参考文献は皆無だった。

細かい間違いも目立つ。Ethnic Studiesを杉本氏は「民族学」と訳しているが、Ethnologyのほうが「民族学」だろう。そして、「オレゴン州立大学ポートランド校」が女性学プログラムを先んじて開始した大学としてあげられているが、これはPortland State University「ポートランド州立大学」の間違いだろう。さらには、「コンシャスネス・ライジング(意識覚醒)」と書かれているのは、明らかに「コンシャスネス・レイジング」の間違いと思われる。こうしたミスについて、ミネルヴァ書房、勁草書房両出版社の編集者も気づかなかったのだろうか。

さらには、著者が作成したという「図6−1」もよくわからない。「女性学の構造」と題された図なのだが、この図によれば、「哲学」と「史学」は例えば交わるところがないように見える。文化人類学と社会学は、教育学を介してつながっているようでもあり、「女性文化学」という何を意味するのかよくわからない分野が、文化人類学と女性学のつながりとして示されている。さらに「女性学」は真ん中のみならず「女性解放の政治学」を介して再び枠の外側にある「女性学」とつながる。(これはもしかすると「政治学」の間違いなのだろうか。)これが「女性学の構造」だといわれても何がなんだか…である。(これは図を示さないと意味不明かと思うので、とりあえずイメージをアップしておく。関係者の方、これについては問題あったらカットするのでその場合はお知らせください。)

ほかにも杉本氏のアメリカ女性学状況の記述には疑問を感じる点が多々あるのだが、きりがないので、最後にもう一点指摘しておきたい。このエントリでとりあげた章ではないが、杉本氏の著作には「セカンドステージ」という言葉が頻発する。だが、この「セカンドステージ」でいったい何を意味するのか、私が読んだ範囲内でははっきりしないままだ。杉本氏が留学していた頃におそらく話題になっていたのだろう、1981年出版のベティー・フリーダンのThe Second Stageからとっているのだろうか。だとしたら、1981年のアメリカの状況で使われていたコンセプトが、2008年以降の日本に当てはまるというのはどういうことなのだろう。あるいは「セカンドステージ」とは全く違う意味合いで使われているのか。よくわからないまま、「セカンドステージ」がバズワード化しているように思えた。アメリカの特定の歴史・社会状況のもとで使われていたコンセプトを、歴史的・社会的背景も異なる日本にもってきて当てはめることにそもそも無理があるのではないか。もしどうしてもそのコンセプトを使う必要があるというのなら、せめてどういう意味で使っているのか、丁寧な解説が少なくとも必要なはずだ。

(初出 2013/02/10 11:49 am)

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