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官製「ジェンダー」が下りてきた!:「ジェンダー」「ジェンダーフリー」の定義をめぐる闘争と行政・女性学・女性運動

執筆者:山口智美

シカゴ大学東アジア研究センター研究員 山口智美

財団法人日本性教育協会 (JASE) 『現代性教育研究月報』2006年1月号掲載


「ジェンダー」の定義をめぐる議論が盛んである 。反男女平等を主張する右派が、「ジェンダー」や「ジェンダーフリー」という表現について、「性差の完全な解消を狙っている」などと曲解に基づき、攻撃を加えていることがその背景にある。それに対し、日本女性学会、内閣府男女共同参画局、自民党の一部新人議員や、公明党などの政党が「正しい」ジェンダー概念を使うことを提案した文書を出すという動きが出ている。1

「ジェンダー」という言葉を使うべきかどうかという議論が沸騰する一方で、日本の女性運動は90年代半ばまで「ジェンダー」という言葉を使わずに、女性差別撤廃、性の平等の運動に取り組み、成果を挙げてきた歴史を持っている。「ジェンダー」や「ジェンダーフリー」が本格的に登場したのは90年代半ば、北京会議以降の、ここ10年ほどの流れなのだ。そして、これらの言葉は行政主導女性学で、導入されてきたのだ。そこから見えてくる、女性学・行政・女性運動に関わる問題について考察してみたい。

「ジェンダーフリー」の導入

昨年末、私は「ジェンダーフリーをめぐる混乱の根源」と題する文章を書き、それが『くらしと教育をつなぐWe』というフェミニズム系ミニコミ雑誌に掲載された。(2004年11月号、2005年1月号)

論旨をまとめると、以下のようになる。「ジェンダーフリー」という言葉は和製英語であり、ここでの英語の「フリー」の意味は日本で連想されるような「自由」ではない。むしろ、英語を母国語とする人たちは、「〜がない」という意味に捉えてしまう。この言葉を日本で最初に使ったと言われるのは、東京女性財団が主導したパンフ『Gender Free』作成プロジェクトだ。そのプロジェクト報告書において、パンフ作成に関わった三名の学者の一人、深谷和子は、「ジェンダーフリー」という概念を最初に紹介したのはアメリカの教育学者、バーバラ・ヒューストンであると言い、ヒューストンの論文「公教育はジェンダーフリーであるべきか?」を引用した。その後、他の学者たちや運動団体も、「ジェンダーフリー」は元々はヒューストンが使っていた概念であるという主張を重ねていった。2

しかし、 実はヒューストンは、平等教育の達成には不適切なアプローチとして「ジェンダーフリー」を批判し、「ジェンダー・センシティブ」(ジェンダーに敏感)な教育こそが必要という立場をとっていた。すなわち、「ジェンダーフリー」という概念は、日本においてアメリカ人学者の論文の誤読に基づく引用によって紹介され、権威づけられた。そしてこの言葉は、行政の講座、行政の助成事業としての市民団体の活動などを通じて、広げられた。ヒューストンの誤読に基づく引用が続く一方で、「ジェンダーフリー」は「ジェンダーからの解放」を意味する(大沢真理『21世紀の女性政策と男女共同参画社会基本法』ぎょうせい 1998)といった異なる、新たな解釈も生まれてきた。だが、その意味のズレに関して女性学内での議論はなかった。そして、保守派は「ジェンダーフリー」の意味の曖昧さにつけこみ、攻撃を開始、行政はそれにひるみだした。例えば、「ジェンダーフリー」を紹介し、積極的に広め、そして男女混合名簿も推進してきたはずの東京都が「ジェンダーフリーに基づく男女混合名簿の廃止」などという通達を出すような状況なのである。

この、「ジェンダーフリーをめぐる混乱の根源」は、無名な私が書いたミニコミ雑誌掲載の小論だった。だが、上野千鶴子氏のインタビュー記事がたまたま同じ号にあったからか、その号が反響をよんだらしかった。そして、私の文章が岩波書店『世界』の「ジェンダーフリーって何?」特集に掲載された汐見稔幸氏の論文中で引用された。( 「生きやすい、働きやすい社会をつくる、ということ:市民的公共性と男女共同参画」『世界』2005年4月号p.87)

それから思わぬ方向に発展していくことになる。バックラッシュの急先鋒である統一協会系メディア『世界日報』が、汐見氏の文章中の私の引用を挙げながら、ヒューストンは「ジェンダーフリー」ではなく「ジェンダー・センシティブ」でなければいけないと主張し、「『女らしさ』が差別の原因になるからと否定するのではなく、『女らしさ』に繊細に対処しながら行う教育が必要ということである」などという無理な解釈をしているのだ。これは、当然ながら大きな間違いである。敏感になるべきは、 ジェンダーに基づいた差別であり、「女らしさ」に繊細なれなどとはヒューストンも私も全く書いていない。『世界日報』お得意の故意の曲解による悪用だ。『世界日報』は、私の肩書きを当初「ジャーナリスト」として紹介しているが、『We』に私は「シカゴ大学東アジア研究センター研究員」として紹介されている。 3 要するに、私の原文を読みもせず書いたと思われる記事なのだ。迷惑かつお粗末なことである。

『世界日報』をはじめとする右派は、インターネット上で積極的に反男女平等キャンペーンを行っている。私は自分のホームページ4にもこの文を掲載しているのだが、それがネットの様々なところで引用されたり、議論されるようになった。しかも右派が積極的にネットを活用しているため、『世界日報』の曲解に基づく私の文章の引用があちらこちらで見受けられる。 逆に、私自身の関わるサイトや、他のフェミニズム系サイトなどでも議論になっており、私の文章に関して様々な解釈が混在している現状なのだ。

「ジェンダーフリー」概念導入をめぐる本当の問題

私の文章が議論されている様をみると、「誤読」問題にばかり焦点が当たってしまっているようだ。確かに論文の「誤読」をし、それを放置し続けた学者や行政のお粗末さは、女性学者の端くれである自分自身への反省も含め、批判されるべきだと思う。だが、私は「誤読」を指摘したことで、アメリカの学者の言うことをそのまま正確に日本に導入すべきと主張しているわけでは決してない。欧米学者の言うことを権威づけに使うという行政や学者の体質、そして具体的な「誤読」の方向性を問題にしているのだ。実際、誤読はさておき、東京女性財団の「ジェンダー・フリー」定義自体にさして問題はないと捉える意見も目にする。だが、私はこれこそが大きな問題だと思う。

東京女性財団によれば、「ジェンダーフリー」という言葉は 、「性別に関して人々が持っているこうした『心や文化の問題』をテーマにするために」使ったという。(Gender Free 1995)  つまり、性差別撤廃のために制度を変えて行くことより、むしろ個人の心の持ちように還元させる、保守的な言葉だった。この「ジェンダーフリー」は、東京女性財団が引用元であると主張したヒューストンの主張とは、180度異なるものだ。ヒューストンは、性差別をなくすために具体的に教育現場での制度、実践などを変える ことが最重要であり、そのための情報を収集するために常にジェンダーに敏感であるべきだと主張しているからだ。

誤読の背景に見えてくる、東京女性財団の主張する意識啓発と、ヒューストンの主張する具体的な変革の間の「ズレ」こそが問題ではないのだろうか。個人の「意識」に焦点を当てることで、日本の行政が大好きな、市民の啓蒙に仕立てることができたのだ。 そして「お勉強しなければわからない概念」であり、意識啓発が目的の「ジェンダーフリー」が生まれた。この概念が、東京女性財団や国立女性教育会館などでの行政講座などを通じて、中央から地方へ、官から民へと広められていったのである。

おそらく、行政は制度や実践を変えるよりも、「意識啓発」や「啓蒙」が安全で簡単だと考えたのではないだろうか。行政として具体的に取り組むべき問題よりも、市民ひとりひとりの心のありかたに責任を転嫁しているとも言え、行政のするべき仕事としては本末顛倒である。そして、実は現在「バックラッシュ」の中心になっている、宗教右翼といわれる勢力が一番嫌うところが、信教の自由とも絡んでくる意識啓発だったという皮肉な状況が生じているのだ。

「安全」なはずの意識啓発ばかりに流れがちだった行政は、右翼勢力のバックラッシュに抵抗するだけの覚悟もなかった。その最たる例が、元大阪府豊中市男女共同参画センター館長の三井マリ子さんを、右派勢力の圧力に負けた豊中市が雇止めにしたことだろう。現在、三井さんは豊中市を相手取り、裁判を闘っている。

「ジェンダーフリー」でないと特性論を超えられないのか?

「混乱の根源」を執筆していた同時期に、斉藤正美さんとの共同企画、上野千鶴子さんの研究室との共催で、「ジェンダーフリーをめぐる女性学・行政・女性運動の関係」という集会を東京大学で開いた。この集会の質疑応答のときに、「男女平等」では性別特性論を超えられず限界があるので「ジェンダーフリー」を使ったという意見が会場から出た。その後気をつけて見ていると、女性学者の集会などでの発言、教育組合女性部のニュースや行動要請、各地の条例審議会での議論などで、この論が広く流通していることがわかった。

男女平等教育では特性論を超えられないという論は、女性運動の歴史を考慮にいれていないものであるといってよい。女性差別撤廃条約の批准、そして家庭科共修の実現を経て、制度的には男女特性論は消えたはずだ。これは、女性運動の成果だ。そして、現在「ジェンダー・フリー教育」運動の一部としてくくられがちな男女混合名簿運動は、80年代から続く息の長い運動だ。男が先、女が後の名簿という、毎日学校で使われ、学校生活のあらゆる場面で影響を与える、明らかに性差別的な慣習を撤廃しようという、男女平等教育にむけての運動であったはずだ。このように女性運動が推進してきた男女平等教育は、当然ながら特性論など超えたものであった。もし男女平等は性別特性論に基づくなどと文部省が言っていたとしても、行政の提示する言葉の定義にそのまま従う必要があるとは思えない。「その定義は違う」と言い、それに変わる定義を提示すればいいことだ。

「ジェンダーフリー」という、行政と、行政に密着した学者が発案した、上から下りてきたカタカナ言葉に逃げず、「男女平等教育」の意味を変革していくという方向もあったはずなのだ。

「ジェンダー」概念の登場と広がり

「ジェンダーフリー」は和製英語だが、反面「ジェンダー」は英語にも存在する言葉だ。世界中で広く学術用語としても、国連や政府文書などでも、日常生活においても使われている。だが、「ジェンダーフリー」バッシングに端を発し、「ジェンダー」も右派の攻撃の対象となっている。

この「ジェンダー」概念は日本でいつ頃、どのように広がってきたのだろうか? NWECの女性情報CASSデータベースを使って、新聞記事における「ジェンダー」という言葉の登場回数の推移を調べてみた。5 すると、「ジェンダー」が新聞上で急速に使われるようになったのが1995年から1998年にかけてだった。これが第一の波であり、1995年には、前述の東京女性財団報告書が出版された。同時に東京女性財団は「ジェンダーチェック」リーフレットや冊子をシリーズとして90年代後半まで数多くの学者たちと連携し、発行していった。そして、同様なプロジェクトを各地の自治体も始めていった。その後、96年には「男女共同参画ビジョン」において、「ジェンダー」という言葉が登場する。女性学においては、95年に岩波『ジェンダーの社会学』本が出版され、前年94年から発行を開始した『日本のフェミニズム』シリーズも相まって、「ジェンダー」概念を解説しながら、規範文献や巨匠づくりを行っていた時期だともいえる。つまり、この時期、行政と女性学は同じ方向を向いて「ジェンダー」概念を広報していたのだ。そして、第二の波はその後 、2000年から2002年頃に表れる。この時期は、「ジェンダーフリー」関係の記事が急増した。1999年の男女共同参画社会基本法の制定、その後2000年あたりからの男女共同参画条例運動の広がりなどが大きな影響をもったと思われる。そして、行政に深く関わる女性学者や、行政出身の学者による書籍類が多く出版された。例えば、館かおる・亀田温子『学校をジェンダーフリーに』の出版は、ちょうどこの時期の2000年であった。こういった教育啓発本の出版や女性センターなどでの講座などを通して、「ジェンダー」概念が広がっていったのだ。言い換えれば、行政と女性学の一体化が、条例運動や「ジェンダーフリー」教育運動を通じて、ますます顕著になった時期ともいえる。

この原稿を書くにあたって、編集の百瀬さんに、JASEが過去にどのように「ジェンダー」を扱ってきたかを知りたいとお願いしたところ、過去の「ジェンダー」関連の記事が掲載されている出版物を送ってくださった。それを見てみると、最初に「ジェンダー」という言葉が表れるのが1980年、青木やよひさんの「男らしさ・女らしさって何だろう?」という文だ(『現代性教育研究』1980年8月号)。それ以後、百瀬さんによればしばらく「ジェンダー」という言葉はJASE出版物からは消えていたとのこと。そして再登場するのが99年 、兵藤智佳 『「ジェンダー」って何?』(『現代性教育研究月報』1999年2月号)である。 前回の登場から約20年のギャップがあるが、99年当時にはすでに資料室には東京女性財団のものを始め、ジェンダー関連の書籍が置かれ、学者たちの講演会やセミナーなどで話を聞く機会もあったという。行政と行政に近い学者たちが敷いたレールの上を、他の多くの運動体同様に、JASEも歩んできた軌跡が見えてくる。

官製「ジェンダー」?

右派は、「ジェンダー」という考え方が「性差を解消」し、「過激な性教育」や「男女同室着替え」を生み出すなどとデマを流しながら、「ジェンダー」の意味を攪乱させている。この状況を受けて、10月31日付けで、内閣府の男女共同参画局基本計画に関する専門委員会が「社会的・文化的に形成された性別(ジェンダー)の表現等についての整理」という文書を出した。

この文書は、ジェンダーを「社会的・文化的に形成された性別」と定義している。そして、「社会通念や慣習の中には、社会や文化によって作り上げられた『男性像』、『女性像』があり、人々は成長するにつれ、『男性に期待される行動』、『女性に期待される行動』を行うようになる。このようにして形成された男性、女性の別を『社会的性別=ジェンダー』という。」(p.2)と述べている。

ここでの、「性別」という表現は、確かに男女という二つの性の間の差異を連想させる「性差」より若干マシかもしれないが、「性別」という言葉自体にも、「男」と「女」というカテゴリーに2分化して固定化する意味合いが強いように思える。この文書が掲載されている、国際機関の定義との微妙なズレを見ると、その特色が見えやすい。例えば、「特定の社会が男性及び女性にふさわしいと考 える社会的に構築された役割、態度、行動、属性」(WHO)、「男性または女性 であることに関連する経済的・社会的・文化的属性や機会」(人口基金)、「男性あるいは女性であることに根ざす社会的態度、機会、及びあらゆる男女間、少年少女間の関わり方を指す(OSAGI)」などの定義は、「分けること」そのものよりも、社会や文化が性に付与する性質や、性の間の関係性のほうに目がむいている。また「年月により変化し、それぞれの文化内 や異なる文化間で広い変異の幅を持つ」(EU)などの定義は、「性別」という定義よりも、変化や多様性を認める点を強調しているものだ。

また、この文書は、「ジェンダーに敏感な視点」を、ジェンダー=社会的性別の存在に気づく視点であると解説している。だが、存在に単に気づけばいいのだろうか?前述した、ヒューストンの「ジェンダー・センシティブ」は、あくまでも教育現場での性差別状況に対して、それをなくす目的で具体的な対策を施していくための情報を収集するという目的をもっていた。だが、この男女共同参画局の文書では、「何のために気づくのか、気づいてどうするのか」という点が明示されていないのだ。

また、この文書によれば、「ジェンダー」によってとらえられる対象の中には見直しが適当とされるものとされないものがあるという。 「固定的な役割分担」または「偏見」などが見直しが必要とされるものに当たるという。そして、男女の服装に関する違い、習慣などの見直しはいらないと言うのだが、本当にそうなのだろうか?これらに基づく差別があるとしたら、見直しが必要なのではないか。例えば、「女性だからスカートをはかねばならない」というような規範の押しつけがあったら、それは女性差別であろう。

ジェンダーは「中立的」な概念である、という主張が何度も繰り返されているのも目につく。ジェンダーは、「対象をとらえるための道具であり、例えば、これまで見えにくかった対象の姿が明らかになる立体メガネのようなものである」(p.3)のだそうだ。ジェンダー=立体メガネ説というのは初耳だが、その立体メガネを使って 見えにくい対象の姿が見えたとして、それからどうするのかこそが問題なのではないだろうか。見えればよい、というものではない。ジェンダーを正しく理解さえすれば、差別はなくなるというのだろうか?

「ジェンダーフリー」が東京女性財団によって「意識」レベルの問題にされ、行政が守りに入っていったのと同様なプロセスが、この男女共同参画局の文書でも見えてくる。頻出する「中立」という概念に、「客観性」への過剰なこだわりも見て取れる。だが、性差別を撤廃するという方向性を明示せず、男女間の「権力」関係を問題視するという視点が欠落している中で、「ジェンダー」概念を語ることに意味はあるのだろうか。

日本政府は女性差別撤廃条約を批准している。性差別を撤廃する義務を負っているのである。また、男女共同参画社会基本法は、本来性差別撤廃のために作られた法律ではなかったのか。その肝心な「性差別撤廃」という目的が、男女共同参画局による「ジェンダー」解説文書の中で明示されておらず、そのかわり「中立性」などという語句が踊っているのだ。 いったい「ジェンダー」概念にこだわる理由は何なのか?これでは本末顛倒である。

もともとは、ムズかしいお勉強の対象として、行政の啓蒙講座などを通じて広がってきた「ジェンダー」概念だったが、ここにきて誤解が広がり、簡単に説明する必要が生じた。が、個々のケースへの具体的な対策を議論するのではなく、「ジェンダー」概念だけを取り出して抽象的な説明をし、その定義にばかり注目が集まるということ自体がおかしくないだろうか。そもそも、「ジェンダー」が正しく理解されていないから男女共同参画社会が実現していないというような前提こそが変である。他に理由があるのではないのか。

いつも同じようなメンバーで構成される行政主導の専門家の集まりが、「ジェンダー」概念を定義し、それが官から市民へ、中央から地方へ下りてくるという状況は、「ジェンダーフリー」と同じだ。この構造自体を変えて行く必要もあるのではないだろうか。下から、運動の現場から、それぞれの地方から、どのような概念が何のために必要なのかを提示し、議論していくことが必要なのではないか。少なくとも、日本の女性運動は行政をリードしてきた歴史をもってきたはずだ。

脚注

  1. 12/8/2005 読売、12/14/2005 朝日
  2. 例えば性教協は、以下のように「ジェンダーフリー」について説明している。「本来「ジェンダーフリー」という用語は、アメリカのバーバラ・ヒューストンが「性別に関して存在する決めつけからの自由」、すなわち性別による偏見からの解放という意味で用いているのを、日本では東京女性財団が紹介し広まったものです。」(性教協  http://www.seikyokyo.org/news/news_30.html
  3. 「世界日報サポートセンター」http://ameblo.jp/senichi-ss/theme-10000119402.html)当初、『世界日報』に掲載されたオリジナル版の記事。私の肩書きが「ジャーナリスト」になっているバージョン。)『世界日報』サイト、「袋小路の欺瞞思想(ジェンダーフリー)」にも同記事の改訂版が掲載(内容が若干変わっており、私の肩書きも訂正されている)。http://www.worldtimes.co.jp/wtop/education/gender/html/050417.html(現在、閲覧にはパスワードが必要な模様)
  4. 斉藤正美さんと運営しているサイト「ジェンダーフリー概念から見えてくる女性学・行政・女性運動の関係」に掲載している。
  5. 斉藤正美、山口智美 「ジェンダー」を含む新聞記事件数及び関連年表
    経年グラフ

おかしいぞ!「男女平等教育=性別特性論」説

執筆者:山口智美

「男女平等」では、教育現場に根強い「性別特性」論を乗りこえることができない、やっぱりジェンダーフリーは必要だという説への疑問。日本の男女混合名簿運動の源流を遡っての反論。1977年、日本の女性運動が「ジェンダー」というカタカナ言葉を使わずに、「ジェンダー」概念をきっちり説明していることに敬意を表したいと思いました(斉藤記)。

「男女平等教育」というのは性別特性論を超えられないので限界がある、という論が流通しているようである。

昨年の12月、東大でのジェンダーコロキアム「ジェンダーフリー概念からみた女性学・行政・女性運動の関係」の際の会場との討論で、私はこの論を初めて聞き、驚いた。そこでは、性別特性論を「男女平等」概念では超えられないからこそ、それを超える概念としての「ジェンダーフリー」が必要なのだ、という論理が展開されていた。

それ以降、この「男女平等=性別特性論」説というのがやたら目につくようになった。女性学者の集会などでの発言、そして教員組合の女性部のニュースレターや、緊急行動要請の類い、そして各地の条例審議会での議論などを見ても、この論がかなり広く流通していることに気がついた。

だが、少なくとも日本の女性運動の歴史において、このような理解は1995年頃までは主流ではなかったのではないか。女性運動は男女平等教育をめざして運動を続けてきた訳で、当然ながら性別特性論は超える対象であった。「男女平等教育=性別特性論」なんてとんでもない、「男女平等教育vs性別特性論」という枠組みだったはずだ。例え男女平等を性別特性論の枠内で語る勢力があっても、女性運動は常にそれを超える概念としての「男女平等」を提唱してきたのではないか。

性別特性論を超えた男女平等教育をめざして1975年に会が発足してから一貫して活動を続けてきたのが、「行動する女たちの会」だ。(85年までは「国際婦人年をきっかけとして行動を起こす女たちの会」という名称で、活動は1996年まで続いた。)この会の教育分科会は男女共学へむけての運動、教室や教科書の中の性差別の指摘、男女混合名簿をすすめるなど、数々の先駆的な活動を行ってきた。

行動する会が提唱し、そして多くの現役教員を含んだ会員たちが現場で実践し続けてきたのは、明らかに性別特性論などを超えた「男女平等教育」なのである。

行動する会・教育分科会が1977年に発行したパンフ「男女共学をすすめるために」から、一部引用してみよう。

3 男女の特性を生かすには別学のほうがいいと思いませんか?共学にすると男子は弱々しく、女子は粗暴になると言われていますが・・・

男女はたしかに生物学的に見れば性差はありますが、今の社会で言われている「男女の特性」の多くは、社会的・文化的な条件の中で後天的に作られたものです。ですから、教育の場で、特に性差を意識して教育しなければならない場合はないはずです。学校で学ぶ知識の量や、内容に差をつけることは、教育機会や内容の差別ということで、憲法の精神にそむくことになります。また、体力や言語能力、道徳的判断能力などは、男女ともに人間として必要ですし、男女が協力しあい、競いあう中でバランスよく伸びてゆくものだと思います。

男は強くたくましく、女はやさしくしとやかに、という“特性”は、長い歴史や社会的条件の中で作り上げられてきたものです。その証拠に、男らしさ、女らしさの特徴は、地域や国、時代によって異なっているではありませんか。女だって、強さやたくましさは必要ですし、男にとってもやさしさやデリケートな心遣いなどがなくては欠陥人間ではないでしょうか。男女それぞれがいっしょに学ぶことによって、異性のもつ長所を学びあい、人間として完全に成長しあえるようになるのが共学のもっともよいところなのです。強さ、たくましさ、やさしさ、思いやりなどを、男女別々の特性と決めつけないで、人間としてどちらにも必要な美徳だとわかるように教育しなくてはなりませんね。

同性だけだという気易さからくる安易な馴れ合いムードをなくし、お互いに異性からみても恥かしくない人間になりたいと努力する緊張感は、人間の成長にとってとても大切なことではないでしょうか。

(国際婦人年をきっかけとして行動を起こす女たちの会・教育分科会
男女平等の教育を考えるシリーズI「男女共学をすすめるために」1977 pp.12-13)

1977年発行のこのパンフの中には、「ジェンダー」というカタカナ語は一切登場しない。だが、上記のとてもわかりやすく書かれた引用文、これは現在私たちが使っている、「ジェンダー」概念の説明に他ならない。「男女平等教育」を達成するためには欠かせないとして「男女共学」をすすめる趣旨のパンフであるが、実に見事に「性別特性論」を論破してみせているのだ。

ちなみに、1977年は、嵐山の国立女性(当時は「婦人」)教育会館(NWEC)が開館し、日本で初めての女性学の学会(国際女性学会、日本女性学研究会)ができた年である。女性学的な試みをしてきた学者はいたが、まだ分野としての女性学は確立されていなかった時代である。この時代に、すでに行動する会は「性別特性論」などを超えた「男女平等教育」を提唱し、「ジェンダー」概念に相当する論理を打ち出し、それに向けて行動し、現場で実践してきたのだ。そして会の96年の解散まで、この運動は20年間続いたのである。

「男女平等教育=性別特性論」の存在をことさらに唱え、「だからジェンダーフリーが必要」「だから男女共同参画でなければならない」などという主張は、今までの行動する会などの運動の歴史を無視し、消してしまうことを意味しないだろうか?そして、この会が真っ先に提起した男女混合名簿の歴史をも歪曲することになるのではないか。性別特性論を超えた男女平等教育を女性運動はずっと主張して、実践してきたのではなかったのだろうか。

『続・はじめて学ぶ ジェンダー論』の感想その2

執筆者:斉藤正美

2006年4月22日ブログ掲載

前回のエントリーで取り上げた『続・はじめて学ぶ ジェンダー論』伊田広行著(大月書店)批判の第二回である。今回は、同書で用いられている「ジェンダー」や「ジェンダーフリー」「シングル」など出てくる概念に矛盾が多いのでその点をとりあげることにする。


女性/男性問題などについては、行政などが「ジェンダーフリー」や「男女共同参画」のほうをキャッチフレーズとすることが多くなった。しかし、「男女共同参画」は基本法での定義があるが、法律で定義されておらず、裁判で争われたこともない「ジェンダーフリー」や「ジェンダー」はわかりづらい。しかも、これらは日本社会でどのような意味で運用していくか、ということが今だ議論彷彿で定まっているとはいえない。そのため、論者によっていろいろな意味が特にネットであふれ出しており、批判を含めた多様な議論が生まれている。ネット世界でも「ジェンダー」や「ジェンダーフリー」の意味への関心が高いわけである。

このような社会状況を考えると、上述の「初めて学ぶ」を謳った入門書は、大変注目されるところである。私がこのような批判を行うのは、「ジェンダー」ということばが類似の用語とあわせて、いかなる意味で活用されるのがいいか、ということを考えるからである。女性/男性問題の政策につながる議論として行っているのであり、決して言説にとどまる批判ではない。

2) 「ジェンダー」「ジェンダー・フリー」「シングル」概念の矛盾

本書には、ここで取り上げる「ジェンダー」「ジェンダーフリー」「シングル」のほかにも、「ジェンダーの視点」「ジェンダー・センシティブ」「「ジェンダー・バイアス」「ジェンダー平等」「男女平等」といった、似ているものの少しずつ意味の異なる概念がふんだんに登場する。しかも、それらは登場する場所によって意味が一様ではなかったり、重なっていたりと混乱している。

個々の矛盾点をいちいち列挙しても意味がないので、「ジェンダー」「ジェンダーフリー」「シングル」など本書の主要概念が「性差別の解消」という本書の目的と矛盾がないかという点に軸足をおいてみていきたい。

■1.「ジェンダーから離脱した個人」の押しつけ

まず、「シングル」の説明から入る。以下のようだ。

「私が使う『シングル』という言葉は、独身ということではありません。前近代、あるいは近代社会において皆が信じていた「男とはこういうもの、こうすべきもの、女とはこういうもの、こうすべきもの」というイメージ、役割、アイデンティティ(つまりジェンダー)から離脱した、自立した人のことをいいます。そしてこれからの社会は、そうした人が社会の基本単位とするようなシステムを作るのが合理的だという主張をしているわけです。だから「シングル」という言葉には、「独身」や「単なる個人」という意味合いが入ることもありますが、私の主張の中では基本的には「ジェンダー・センシティブ、ジェンダーフリーという新しい感覚を持った個人」という意味です」(P.9-10)

「シングル」は、「ジェンダーから離脱した、自立した人」でかつ、「ジェンダー・センシティブ、ジェンダーフリーという新しい感覚を持った個人」とされる。「ジェンダー」から離脱した上で「ジェンダー・センシティブ」であることが可能だろうか。そもそも意味がこんがらかってどういう意味か、紛らわしいカタカナの連続で「はじめて学ぶ」読者には考えるのも頭が痛くなりそうだ。ここで頭が混乱してきたので、「個人」についての箇所を探す(ジェンダー・センシティブ、ジェンダーフリーの定義については後述する)。

「自分のアイデンティティも「女性」「男性」におかないという指向が求められます。私は『男としての自分』というような自己認識を徐々に必要としなくなってきています」(P.12)

この一文には驚かされる。「ジェンダー水準に立つなら、つねにこうした男女二分法の限界と差別性を意識しておくしかない」(p.11)というように男である著者が舌鋒鋭く「男女二分法の限界や差別性」を説く一方で、著者が「男性」というアイデンティティを必要ないということに大きな矛盾を感じてしまう。

私は自分が女であることを原点に自分のフェミニズムを語る。社会的に「女」として見られることへの違和感から摂食障害などいろいろ社会的葛藤を経てきたが、ようやく自分の葛藤が女性が差別される「マイノリティ」の側にいることによるとわかった。女が女というアイデンティティを捨てて差別を語ることは考えにくい。

ところが、著者は「男」であるというアイデンティティを何の未練もなく捨て去るという。それは、著者が「マジョリティ」の側に身を置いているゆえんではなかろうか。差別をなくすといいつつ、差別する側とされる側の関係を追求しないで「差別の解消」を訴えるジェンダー論は、根本に大きな矛盾を抱え込んでいる。

読者に「アイデンティティを「女性」「男性」におかないという指向が求められます」(p.12)という主張は、私たち読者に自ら自由であるべき「アイデンティティ」を強要している。先に引用した箇所でも、「ジェンダーから離脱した、自立した人」でなければ、これからの社会で「社会の基本単位」(p.9)としてみなすべきでないかのように読める。人がいかようなアイデンティティを持とうとそれは一人一人の勝手である。自分のアイデンティティくらい自由に決めさせてもらいたい。こういう価値観の強要こそ「ジェンダー」の抑圧といえそうだ。

さらに、著者が男性としての権力性を無視しているという前回のエントリーで述べた本書の欠点は、自ら「男」というアイデンティティを放棄したと著者が思いこんでいることに原因がある。著者曰く「多数派は何も意識しなくても生きていけます。自分の常識はみなの常識であり、『自分と異なるような人がいる』と意識する機会がとても少ないのです。だから自分が多数派だ、権力を持っている側だと自覚さえしないのです」(p.19)。権力や「男」を捨てたと思いこむ著者が女性読者(前回参照)をターゲットに「アイデンティティを変えよ」と強要するのが本書である。差別の解消を求めて、意識の強要をするとはこれまた大いなる矛盾ではないか。

■2. 意識改革で「性差別」は解消するか

「ジェンダー論(フェミ)を「男女平等」理解するようではまったく不十分であるという点を確認しておきたいと思います。私のジェンダー論では、『男女』でなく『ジェンダー』ということの重要性に注意を喚起しています。」(p.10)と述べ、「男/女の二区分(男/女らしさ)を自然視するな、男女二分法で考えるな、異性愛を当然視するなという点がまずジェンダー視点です」(p.10)

「可変的で、大幅に男女で重なり合う部分が大きいにもかかわらず、身体的・肉体的・生物学的差異に過剰な意味づけをして、それが『自然で不変』とし、性別でキレイに二分化してしまう『思考の偏り』『思考の癖』を見直そうというのが、ジェンダーの視点なわけです。その観点に立って、現実の性差別/人権侵害を減らしていく具体策を考え、実行していくのがジェンダー(ジェンダー・フリー)の立場なのです。」(P.31)

「『ジェンダーの視点』で見たときの「偏り/偏見/非対称性」を総称して『ジェンダー・バイアス』と言います。たとえば、性別によって異なる規範意識や性のステレオタイプ、偏見を強固に持ち、それを当然/自然と考え、相手にもそれをあてはめたり、押しつけたりする傾向は、ジェンダー・バイアスのある態度と言えます」(P.33)

「『ジェンダー・センシティブ』とは、ジェンダーに敏感であること、つまり生物学的性差(セックス)だけではなく、社会的性別であるジェンダーというものがあり、それが重要であると見て、一見『自然』に見える事柄(性別による異なる扱いや個々人が持っている性に関わる規範)の中に「つくられたジェンダー」「差別抑圧としてのジェンダー」を見出し、ジェンダー・バイアスを持たずに接する態度のことを言います。」(P.34)

本書の「シングル」「ジェンダー」「ジェンダーフリー」「ジェンダーの視点」「ジェンダー・センシティブ」という概念を引用した。これを見て気づくのはいずれも、「視点」「意識」「態度」など「こころの持ちよう」に焦点をあてていることだ。どういう目線で人をみるか、どういう意識をもつべきか、どういった態度を示すか、という心理中心主義なのである。

先に「シングル」を「新しい感覚」と感性として述べていたが、ここでも焦点があたっているのは、「視点」や「考え方」「思考の偏り」「思考の癖」「偏見」「規範意識」「ステレオタイプ」などに頭の中や心の中の事象である。要するに、「視点」や「意識」などを変えろという教えなのだ。

次の文がさらにそれをはっきりと示している。「不断にできるだけその再生産に加担しないように意識し続けるスタイルです」(p.14)。

これらは、まるで「スピリチュアル」で「シングル」で「ジェンダーフリー」意識に変われば世の中変わるような幻想を振りまいている。しかし、「こころのありよう」を変えることと、複雑多層的な社会において性差別をなくすことの間には相当の距離がある。そこをどうやって埋めるかこそ、重要な課題である。意識を変えることでどうして性差別をなくすことができるのか、その間をつなぐ説明こそ重要なのだが、そこは見えてこない。意識変革が性差別をなくすことにどうしてつなげるかを欠いていては、これは空想的な物語りにすぎなくなる。

著者は「性に関わる差別・権力関係の解消を目指す」(p.25)などと「差別の解消」という目的をもっとも重要視しているようにみえる。しかし、「差別の解消」という目的と「意識し続けるスタイル」の「ジェンダフリー」が矛盾を来しているのだ。

「マイノリティとは、『少数派』『少数者』という意味です。(中略)社会における地位の低さ、力関係における『弱い立場』、支配される側、暴力を受ける側といった、人権において、不利にされている側の総称です。(中略)人類の約半数の女性も大きな構造の中では、基本的にマイノリティのグループです」(P.18)

「マイノリティ自身が、強者の価値観(世間の価値観)を内面化させて自己否定感、コンプレックス、自己嫌悪感を持つことが多いのです。強者の秩序、価値観の中でマイノリティ(負け組、被差別者、社会的弱者)は、差別され、自分の存在が否定されているように感じます。」(P.18)

上で書かれた「シングル」は、現社会ではまだ到達している人が例外的である。その意味では、てっきり「シングル」も「マイノリティ」だと思って読んだが、「シングル」は「強者の価値観を内面化させ、自己否定感、コンプレックス、自己嫌悪感をもつ」マイノリティには含まれないようだ。

本書の「シングル」は、あこがれる対象であるものの実現不可能な空想的な存在と規定されている。これでは、「ジェンダーから離脱した個人」であり、「意識し続けるスタイル」をとる著者本人しか到達できない空想とならざるを得ない。著者が「スピリチュアル」という意味不明の概念を取りいれているのは、「スピリチュアル」を体感できる解脱者である著者のみが「ジェンダーフリー」の世界に到達できると言っているかのようである。これは啓蒙書というより宗教書に近いのかもしれない。

これで「はじめて学ぶ」読者は「ジェンダー」がどういう意味かわかるのだろうか。「深いよ?」と言われても、深みにはまる前に、に混乱に足をとられて前に進む気が失せてしまいそうだ。

本書は、ユートピア的な意識啓発書である。とりわけ女性読者をターゲットにしたスピリチュアル系生き方教本である。このように女性を意識に閉じこめ、脱力させる思想が「フェミニズム」として流布されるのをだまって見過ごすことはできない。

「ジェンダー」概念と女性学

執筆者:山口智美

「ジェンダー=社会的・文化的性差」説?

「ジェンダーフリー」は明らかな誤読に基づいて和製英語として作られた言葉だった。反面、「ジェンダー」は英語にれっきとして存在する言葉である。そして、「ジェンダー」はよく「社会的・文化的性差」などと日本語で訳されている。

だが、私はこれにずっと違和感をもってきた。英語でいう「ジェンダー」は「性差」ではなく、「社会的・文化的な性のありよう」といった意味合いだと思うからだ。そして、 ジェンダー間の関係性、そこにおける権力こそが問題になってくる。「性差」という訳は的外れもいいところで、現在バックラッシュ派にたたかれる格好のネタを提供しているようにも思える。

なぜこの概念は「性差」と誤訳され、それが広がってしまったのだろうか?日本ではいったい「ジェンダー」はどのような意味として解釈されてきたのだろうか?

この疑問のもとに、新聞記事における「ジェンダー」という言葉の登場回数の推移を調べ、グラフと年表を作ってみた。その過程で、どのような女性学の文献が出版されてきたのかの大まかな流れも追うべく、書籍や雑誌記事でどのように「ジェンダー」が登場したのかについても、主だと思われるものについて年表に記載してみた。

その年表に関して斉藤正美さんとのメール議論をしたところ、1995年出版の岩波『ジェンダーの社会学』本、そして同書所載の上野千鶴子論文「差異の政治学」が当時の女性学において、とくに影響が大きかったのではないかということだった。ちなみに、新聞における「ジェンダー」登場頻度も、95年を境に飛躍的に増えている。

そこで、久しぶりに『ジェンダーの社会学』を書棚から取り出して、手にとってみた。いきなり目に飛び込んできたのが、帯の背表紙部分にある、「性差とは何か」という記述であった。そして、帯の表紙部分には「激変する社会をどう読み解くか:知の再生産におけるジェンダー・バイアスを批判的にとらえ、性差の認識および研究方法の転換を迫る」とあるではないか。

驚いた。この帯を見る限り、この本のタイトルである「ジェンダーの社会学」というのは「性差研究」のことに他ならないように読めてしまうのではないか。今更気づいた私もボケていたのであるが、「ジェンダー」に関して新聞など一般メディアで誤訳が作られ流通していたのかとばかり想像していた。だが、実は学者がこの訳を広めていたようなのである。

『ジェンダーの社会学』本文中では、数人の社会学者たちが「ジェンダー」という言葉が一般にどういった意味を持つ概念かを説明している。以下に引用してみよう。

「ジェンダー」はもともと性別を表す文法用語だが、70年代フェミニズムは、自然的とされ、したがって変えることのできないとされた性差を相対化するために、この用語をあえて持ち込んだ。今日、フェミニズムのなかでは「セックス」は「生物学的性別」、「ジェンダー」は「社会文化的性別」を指す用語として定着している ( 上野千鶴子「差異の政治学」1)

ジェンダーとは、現在一般に、「生物学的性別」と区別される「社会的・文化的・心理学的」性別を意味する概念として、使用されている。( 江原由美子  「ジェンダーと社会理論」29)

フェミニズムの問題提起をいくらかでも真剣に受け止めたことのある者なら、ジェンダーという概念がそこで果たす基礎的な役割について、すでになにがしかのことを知っているに違いない。すなわち、それが生得的な性別および性差とは別次元の、後天的に獲得された性差および性役割、さらにはその規範化された社会的体系をあらわす概念であること。・・( 加藤秀一  「ジェンダーの困難」190)

・・もともとあまり馴染みのない言葉であることも手伝って、ジェンダーという言葉が社会的性差の意味で広く用いられるようになるのは、さらにあとのことである。( 瀬地山角  「ジェンダー研究の現状と課題」233)

これらの4人の学者たちの解説をみると、「ジェンダー」は社会的・文化的、心理学的、あるいは後天的な「性別」であったり、「性差」を意味するとされたりしている。上記の解説、そしてこの本の帯の記載を考えると、「性別」と「性差」はほぼ同じような意味合いで使われているかのようだ。

だが、「性別」と「性差」は同じ意味なのだろうか。私の言語感覚では違うような気がするのだ。「性別」というと、例えば「男」とか「女」をカテゴリーで分けることを指す感じがするが、「性差」と言われると、「男」と「女」の間の「差」を指すのではないだろうか。私の個人的印象だけでは心もとないので、広辞苑をひいてみた。すると、「性別」は「男性と女性の別」、「性差」は、「男女の性格特性や性能の差」とあった。「別」はわけること、「差」はちがいを意味する。

また、同じ『ジェンダーと社会学』の中で、大沢真理は「ジェンダー化」という概念について以下のように解説している。

「ジェンダー gender」とは、もっとも簡単にいうと、文化的社会的性別を、”sex”つまり生物学的性別と区別してさす名詞である(くわしくは上野、1995a)。だがこの単語は、最近では動詞としても使われるようになってきた。たとえば、労働をめぐる観念や言説、労働の分析にジェンダーを組み込むという意味で、”to gender labor” と表現する。1 日本語訳すれば、労働のジェンダー化、もしくは労働をジェンダーする、となるだろう。(大沢真理 「労働のジェンダー化」85)

ここで大沢が言うように、上野のジェンダー定義に基づき「ジェンダー化」という表現を解釈するならば、「文化的社会的性別化」になるが、「労働の文化的社会的性別化」といわれても、意味不明である。「ジェンダー」を「性差」「性別」と解釈したことの無理が明らかに出ているといえよう。

では、英語におけるジェンダーはどうか。アメリカの大学生用入門レベルの教科書を見てみた。 私も以前アメリカの学部で女性学の入門クラスを履修したとき使った事がある、Virginia Sapiro, Women in American Society: An Introduction to Women’s Studies によれば、”Gender is best understood as our sociocultural interpretation of the significance of sex.” (Sapiro 64)ジェンダーは「性の重要性についての社会文化的な解釈として最もよく理解される」と説明されている。また、アメリカの人類学の入門講座でよく使われるConrad Kottak Anthropology: An Exploration of Human Diversityという教科書では、ミシェル・ロザルドの定義を使い、”cultural construction of male and female characteristics (rosaldo 80)”(Kottak )すなわち「文化的に構築された男や女の性質」であると説明されている。

日本、アメリカともに、あくまでもジェンダーは生物学的な特性とは異なるものだと区別しているのは共通である。だが、微妙な違いのように思えるかもしれないが、日本での意味は、「分けること」「差異」によりスポットが当たっている反面、英語では、区分自体よりも、区分されることになる「一方の性に付与される性質」の方に目が向いているのではないかと思われる。

日本語での「社会的・文化的性差」は、英語では”gender”ではなく、”gender differences”がより近い訳なのではないかと思う。そして、日本語で「ジェンダー」が「性差」と化し、性別の間の「差異」に焦点が当たってしまったことで、「女」と「男」という2分化したジェンダー構造しか想定しえないというような固定化された価値観がより強く反映されることになってはいないか。

だが、「ジェンダー」は必ずしも「女」と「男」に2分化されるものではない。多様な「ジェンダー」が歴史的にも、そして世界の多くの文化にも存在してきたのだというのが、フェミニスト歴史学や文化人類学によって得られてきた知見のはずである。

「差異」とマイノリティ・フェミニズム

私はアメリカで主に90年代に女性学の大学院教育を受けたが、その際の流行言葉は「女性間の差異」 ”differences among women”であった。80年代のマイノリティフェミニストやレズビアンフェミニストたちの白人ヘテロセクシュアル中心主義フェミニズム批判 を受け、「女性の間の差異」にいかに敏感でありつつ、フェミニズムを作って行かれるのかが重要な議論となっていた。80年代の終わりにカリフォルニア大学サンタバーバラ校で女性学の入門講座を履修したときには、授業全体の1週間だけが「マイノリティの週」だった。それまでどこか人ごとのように感じていた女性学入門講座だが、この週で初めて自分が本当に参加できる内容だと思い、マイノリティ学生たちの経験に基づいた発言に感動したのを覚えている。だが、90年代のミシガン大学では、このような一週間だけマイノリティの週というような授業構成は考えられない状況で、授業全体を「女性間の差異」への敏感な視点に基づいて組み直す試みが続けられていた。アメリカでの「女性学」は、私にとってもより近く、関連深いものになりつつあると感じられつつあった。この状況の渦中にいた私は、上野論文のタイトルを見たとき「差異」というのは「女性間の差異」を含む、多様な差異のことを意味しているのかと勘違いした。90年代に書かれた論文で、 主に「性差」について論じているとは想像もしなかったのだ。

この私の勘違いは、 今になって考えると、実は重要な意味をもっているような気がする。上野の「差異の政治学」論文は、 アメリカ、フランスなどの欧米の理論を紹介することによって、「ジェンダー」概念を説明している。そこで紹介されるアメリカの学者は、精神医学/心理学系のマネーとタッカー、心理学のギリガン、歴史学のスコット、そして哲学のニコルソンとバトラーで、その他にフランスの社会学者のシュルロ、デルフィが紹介されている。この面々は、すべて白人学者なのではないか。 少なくとも、「人種」2/民族的マイノリティの視点を前面に打ち出している学者はいないと思う。

欧米理論を紹介することで「ジェンダー」概念を論じている上野論文において、白人学者しか出てこないというのは、80年代以降のアメリカや他の国々におけるマイノリティフェミニストたちの、女性学や女性運動全体を革命的に変えた動きを完全に落としているということにつながる。 かなり偏った「欧米」の女性学/ジェンダー研究観といえないだろうか。

この重大な欠落は、上野論文での「差異」概念が、(バトラー紹介によって若干セクシュアルマイノリティの視点が入っていると主張できる点はあるかもしれないが)実はいたってシンプルな「性差」でとどまっているということにつながってくるのではないだろうか。

また、『ジェンダーの社会学』という本の中で序論的役割を果たしている上野論文において紹介されている社会学者が、フランスに限定されているということも、不思議である。「欧米」の他の国々、そして欧米以外の国々の社会学者の仕事はどこへ行ってしまったのだろうか?例えば、私が居住しているアメリカの場合、紹介されているのは心理学者と哲学者の仕事に限定されており、社会学者や人類学者3たちの仕事は全く出てこない。アメリカでの「ジェンダー」概念は心理主義、アイデンティティ中心主義と勘違いされそうな人選である。そもそも、70年代のアメリカにおけるウーマンリブ運動に強い影響をうけ、その中から出てきた「ジェンダー」概念だという理解にもかかわらず、マネー、そして80年代のギリガンという流れだけでアメリカの70年代から80年代にかけての「ジェンダー」概念が紹介されてしまうのはかなりおかしい。アメリカの女性学は、性差別社会の変革のために運動から生まれたもののはずなのだが、その流れはどこへ行ってしまったのだろうか。

そして、また不思議なのが、「ジェンダー」概念を解説するのに、なぜ欧米理論ばかりが登場するのかということである。欧米のみならず、日本においても、70年代のウーマンリブ運動から続く女性運動は、「ジェンダー」概念に相当する理論を生み出してきたのではないだろうか?例えば、初期ウーマンリブ運動が提起した、妻や母親などの女役割からの解放という視点、「結婚」制度への疑問、そして「国際婦人年をきっかけとして行動を起こす女たちの会」がハウス食品ラーメンCM「私つくる人、僕食べる人」抗議で提起したのは、「ジェンダー」の問題ではなかったのか。「私たちの雇用平等法をつくる会」の、労働に関する主張も、「男なみ平等」ではなく、女も男も働きやすい社会へ、というものだった。これこそ「労働のジェンダー化」の視点ではないのか。「ジェンダー」というカタカナ語ではなく、「性別役割分業」や「性差別撤廃」という言葉を使っていたが、提起していた問題はまぎれもなく「ジェンダー」であったはずだ。その女性運動の歴史は学者による「ジェンダー」概念の説明に生かされるべきなのではないだろうか?

脚注

  1. “gendering”という表現はあるが、”to gender labor”というような英語表現は私は聞いた事がない。
  2. 「人種」に鍵括弧をつけたのは、生物学的概念と誤解されがちな「人種」も、実際は「ジェンダー」同様、社会・文化的に構築された概念だからである。
  3. アメリカにおけるフェミニスト人類学に関しては、また別に論考をまとめるつもりである。

「ジェンダー」という用語の使われ方

執筆者:斉藤正美

「ジェンダフリー」ということばがどのように導入されたかについては、山口さんの論考 「ジェンダーフリーをめぐる混乱の根源」,「ジェンダーフリーをめぐる混乱の根源」(2)に詳しいが、「ジェンダー」1はどのようにして日本社会に導入され、普及していったのだろうか。

こうした疑問から、国立女性教育会館の女性情報CASSデータベースから「ジェンダー」を含む記事を検索し、その数値の変遷をグラフにし、あわせて背景の社会事象を入れて「年表」を作成してみた。なお、ジェンダーで検索できる記事は、1986年の初出以来、2,052件に上っている2。以下では、新聞記事検索に基づいて考えてみたい。

1. だれが新聞に「ジェンダー」を導入したか

最初に導入されたは、1986年青木やよいによる執筆記事(『下野新聞』)であり、その次が同じく同氏らによる1988年の『信濃毎日新聞』記事であった。いずれも地方紙であったこともあり、ひっそりと使われ、あまり注目されなかったようだ。

1989年には、『朝日新聞』で上野千鶴子3による執筆記事が3件、ならびに海外紹介記事1件で「ジェンダー」が使用されている。1件は「ミッドナイトコール」4という題であり、その他は「ジェンダー」「専業主婦願望」であった。

後に、『ジェンダーの社会学』(1995年)本の論文などでジェンダー概念を牽引していく上野が新聞記事での「ジェンダー」使用にも先駆的な貢献をしている。青木、上野の他にジェンダーが使われている記事は、政治の「ジェンダーギャップ」の紹介など、海外事情の翻訳紹介記事が主であった。

一般的な次元で最初に「ジェンダー」を導入しようとしたのが青木やよいで、上野千鶴子が後に続いていることが見て取れた。新聞記事での使用状況だけを見ているので限界はあるのだが、大まかな流れだけは把握できる。上野氏は、その後学問分野でも「ジェンダー」導入に大きく道をつけた一人だけにこの先駆的な「ジェンダー」導入には興味を引かれるところである。

2.「ジェンダー」はどのように使われているか

次に、同じデータベースを使って、「ジェンダー」がどういうことばと共に用いられているかを調べてみた。ジェンダーは、「エンパワーメント」(100件)、「学ぶ」(42件)というキーワードと合わせて使われているケースが多かった。一方、「性差別」で同じことを調べたところ、全件数1,126件のうち、「学ぶ」と関連する記事は10件、「エンパワーメント」は、9件と少なかった。

概して「ジェンダー」は、「学ぶべき」事象として使われることが多い模様である。「ジェンダー=学び」については、ジェンダー概念の2つの波を読んでいただければ、その意味するところがはっきりするのではなかろうか。そこでは、「ジェンダー」概念をめぐる2つの波に、女性運動から女性学・行政への主役交代劇が関わっていると論じているのである。

「ジェンダー」導入によって、性差別問題や、賃金格差、社会保障制度などの「問題解決」より、ジェンダーそれ自体を「学ぶ」こと、あるいはそれによって女性たちが「エンパワーメント5(力をつける、という意味で)」することに関心が向けられたのだとしたら、「ジェンダー」導入は、フェミニズムを後退させることにつながるようにも思えるが、真相はどうだろうか。

3. 私と「ジェンダー」との関わり

1996年お茶大の女性文化研究所が「ジェンダー研究センター」になった。私は、そのことを新聞記事で読み、その翌年同大大学院に入学した。今から思うと、私自身が日本の女性学に「ジェンダー」概念が導入されている真っ最中にそのただ中に入っていっていたようだ。

私は、1997年頃から「ジェンダーとメディア」のサイトを運営している。このサイトは、現在、検索語としては「ジェンダー」を使って来られる方が圧倒的に多い。当時、「ジェンダー」を名前に用いたのは、社会の流れとして「ジェンダー」が時代の言葉であったことに加え、「性役割」「性別役割分業」以上に社会の権力関係を浮き彫りにできる概念として期待をかけたからであった。社会の権力関係を浮き彫りにする強力な概念ということを知ったのは上野「差異の政治学」論文やスコットのジェンダー論文からであった。

今後「ジェンダー」概念と女性学、女性運動との関わりについて、自らの関わりも含め、掘り下げて考えていきたい。ジェンダーをめぐる錯綜した状況を解きほぐすには、女性運動、女性学の歴史を再検討することなしに実現することはないと思うからだ。

脚注

  1. なお、ここでは一般的な用語としての浸透に着目したが、政策として導入されたのは、国の政策文書に「ジェンダー」が登場した1996年7月の男女共同参画審議会答申「男女共同参画ビジョン」が最初である。「この答申は、女性と男性が、社会的、文化的に形成された性別(ジェンダー)に縛られず、各人の個性に基づいて共同参画する社会の実現を目指すものである」という形で「ジェンダー」が導入されているという(大沢2002:13)。
  2. 年表では、1989年以降の件数を記している。これ以前は、青木やよい氏らによる2件である.
  3. 年表にもあるように、上野は、岩波の『ジェンダーの社会学』における「差異の政治学」論文でジェンダーについて論じている。この論文はその後長らく引用率の高い論文であり続けた。つまり、ジェンダー論文として高い評価がなされた論文だったといえよう。上野論文はじめジェンダー論文については、今後、さらに論評を続けていきたい。
  4. このタイトルでの『朝日』での同氏の連載が89年からだったかは定かでないので今後調べたい。
  5. 行政では「権力移譲」という意味の「エンパワメント」を「女性が力をつけること」(=学ぶこと)という意味で使っている例もあった。

「ジェンダー」概念をめぐる2つの波と行政・女性学・女性運動

執筆者:山口智美

NWEC(国立女性教育会館)の女性情報CASSデータベースを使って、新聞記事における「ジェンダー」という用語を検索してみた。そして、90年代以降、各年に新聞における「ジェンダー」概念がいくつ掲載されているのか、その推移を表すグラフと、関連すると思われる事項を行政・女性学・女性運動と保守派・右翼勢力に分類した年表を作ってみた。すると、国連会議、「男女共同参画」施策、東京女性財団のパンフや事業、学者による本の出版などが契機となって「ジェンダー」の登場頻度がぐんと増えているのが見えてきた。

グラフから、「ジェンダー」の新聞への登場に関し、2つの「波」があるのがわかる。第1の波は1995年から98年にかけて。そして2000年から2002年にかけて、第2の波がある。新聞記事の数の推移だけを見ているという限界はあるのだが、何かの議論のきっかけになればと思い、それぞれの波が発生した状況について、考察してみたいと思う。

1 第一の波(1995〜98年):行政と女性学による広報

この時期、行政と女性学がそれぞれ「ジェンダー」や「ジェンダー・フリー」を広報した。そして、北京会議という国際的な力(外圧?)もあって、「エンパワーメント」1などの概念とともに強力に広報され、浸透していく。

行政の動きとして、95年に、東京女性財団のパンフレットGender Freeとそのプロジェクト報告書が発行された。東京女性財団主導で「ジェンダーフリー」という和製英語が、 アメリカの教育学者バーバラ・ヒューストン論文の誤読に基づいた引用によって権威づけられ、講座などを通して広められた。2 同時に東京女性財団は「ジェンダーチェック」リーフレットをシリーズとして90年代後半まで数多くの学者たちと連携し、続々とジェンダーチェック本の刊行をすすめたのだ。そして、同様なプロジェクトを各地の自治体も始めていった。

そして、96年には、「男女共同参画ビジョン」において、行政文書の中で初めて「ジェンダー」という言葉が登場する。同年には、嵐山の国立女性教育会館開催の「女性学講座」が「女性学・ジェンダー研究フォーラム」と名称を変えている。

女性学においては、95年、岩波『ジェンダーの社会学』が出版された。また94年から刊行の、岩波「日本のフェミニズム」シリーズなどで、この時期の女性学は、分野において必須とされる規範文献や巨匠(キャノン)づくりを行っていたともいえる。この『ジェンダーの社会学』論文集、そしてこの中で序論的役割を担う、上野千鶴子による論文「差異の政治学」3がこの時期の女性学における「ジェンダー」概念の構築に大きな役割を果たしたと思われる。

「ジェンダーフリー」という言葉に関しては、97年頃から、教員組合が「ジェンダーフリー」を冠した集会を開いたり、報告書を発行している。98年、伊田広行『シングル単位の社会論――ジェンダーフリーな社会へ』など、「ジェンダーフリー」をタイトルに含む書籍や報告書などが出されるようになった。

まとめれば、この時期、行政と女性学がそれぞれ同じ方向をむいて、「ジェンダー」概念の広報をしていたといえるのではないか。

逆に、この時期、70年代以降の男女平等教育運動に大きな役割を果たして来た「家庭科の男女共修をすすめる会」、「行動する女たちの会」が解散した。 これらの団体は「ジェンダー」や「ジェンダーフリー」ではなく、「男女平等」「性差別撤廃」という言葉を使い、家庭科男女共修運動や男女混合名簿運動などを70年代から一貫して継続してきた。

これらの団体の解散には様々な理由が考えられるが、一つには行政の「ジェンダー」パンフレットや啓蒙講座事業のために活動が圧迫されたことがある。行政の出す、無料配布、あるいは廉価で販売されるカラー版の立派なパンフなどの出版により、これらの団体が低予算で作成し、活動資金としてきたミニコミやパンフ類が売りづらくなっていったのだ。そして、女性団体の集会より、大々的に宣伝され、有名女性学者などを講師とした女性センターでの啓蒙講座などに人々が集まるようになっていった。

男女混合名簿運動の先駆者として、そしてミスコン反対運動などでも中心的役割を果たし、行政への告発と提案を車の両輪として活動してきた「行動する女たちの会」などのこの時期の終焉は、日本の女性運動史の中で大きな意味を持っていたのではないだろうか。「男女平等」や「性差別撤廃」から「ジェンダーフリー」を標榜する運動に移り変わっていったという面で、そして行政に異議を申し立て、リードしていく運動から 、行政主導の運動への移り変わりを表しているように思えるからだ。また、女性学に対しても、行動する会のような批判的な視点を持ち続けた運動から、女性学が運動をリードするような関係への転換が起きたようにも思われる。そしてこの時期、行政と近い関係をもち、「ジェンダー」をめぐる第2の波に貢献した女性学者が多く関わる市民団体「北京JAC」は、95年に結成され、条例運動などを通して大きな影響力をもっていった。

2 第2の波(2000-2002年):女性学と行政のラインますます曖昧に?

この時期、行政に深く関わる女性学者や、行政出身の女性学者たちが続々と本を出版し、講演活動なども行うことで「ジェンダーフリー」という言葉が意味の拡大を伴って普及していった。とくに2001年以降、「ジェンダーフリー」で検索できる新聞記事の数が急増することになる。

1999年の男女共同参画社会基本法の成立の後、国連ニューヨーク会議の開かれた2000年、東京都、埼玉県を皮切りに各地で男女共同参画条例をつくる運動が広がりだす。1999年、船橋邦子による『ここが知りたい!そこが聞きたい!男女共同参画社会基本法』が出版され、2001年には、各地の条例運動の指南本として使われた、山下泰子・橋本ヒロ子・斎藤誠『男女共同参画推進条例のつくり方』や藤枝澪子・グループみこし『自治体の男女共同参画施策』などが出版された。また、大沢真理と上野千鶴子の対談を含む上野千鶴子『ラディカルに語れば』もこの年出版。2002年には、大沢真理による2冊の男女共同参画についての本が出版されている。この出版は、行政審議会には関わらないポリシーを持つ上野千鶴子系女性学と、大沢真理などの行政近接型女性学が「男女共同参画」「ジェンダーフリー」に関して類似の方向性を打ち出すシンボル的な意味を持ったのではないか。

また、教育分野では、2000年に館かおる・亀田温子『学校をジェンダーフリーに』が出版され、教育分野における「ジェンダーフリー」という概念がますます広がることになった。この出版は、新聞記事での「ジェンダー」登場数増加にかなり貢献しているのではないだろうか。

これらの出版物のほとんどが、行政に深く関わる女性学者(大沢、藤枝など)や、行政出身の女性学者(橋本、亀田など)によるものである。こういった教育啓発本の出版、女性センターなどでの講座、そして本や講座の取材新聞記事などを通して、「ジェンダー」、「ジェンダーフリー」概念がますます普及していった。

言い換えれば、この時期の「ジェンダー」や「ジェンダーフリー」概念の広がりから、行政と女性学の一体化が、条例運動を通じて、ますます推進された構造が見えてくるのではないだろうか。

脚注

  1. 95年直後の段階では流行していた「エンパワーメント」だったが、2005年の現在、この言葉を聞くことは少なくなっている印象である。
  2. 東京女性財団によるヒューストン論文の誤読引用に関しては、拙著「ジェンダーフリーをめぐる混乱の根源(1)、(2)」を参照。
  3. 上野「差異の政治学」論文の影響については、斉藤さんの論考を参照。また、この論文については、私も後日論考をまとめるつもりである。