タグ: バックラッシュ

私のフェミニズム研究の原点としての「行動する女たちの会」

執筆者:山口智美

(元々は『行動する女たちの会資料集成』(六花出版)の解説文の冒頭部分用として書いた文章ですが、字数削減の必要がありカットしたものです。)

私のフェミニスト研究者としての原点、それが「行動する会」だった。 1996年、当時アメリカのミシガン大学の大学院生だった私は、博論のためのフィールド調査を行う目的で東京にやってきた。日本での活発なフェミニズム運動の実態を調査するという計画で、とくにどのグループに焦点を当てるとはその時点では決めていなかった。そして、 「聞いた事ある有名な団体だな」という程度の認識しかない中で、行動する会に連絡をとってみた。だが、その時、会はすでに解散の話し合いを進めている最中だったのだ。結局、私が二回目に新宿区曙橋にあった、会の事務局「ジョキ」に行ったときの会議で、解散が決定。「行動する会」の最後の新入会員となった私ではあったが、会の活動への参加は、 解散決定の会議と、その後の事務局の片付けと掃除、そして打ち上げパーティーだけだった。

本来の博論研究計画からいったら、私が会に行ったときはすでに遅すぎ、会の解散とともにこの会の調査は終わるべきだった。でも、私はこの会こそに強く惹かれた。それはおそらく「解散」というタイミングだからこそ 、この会の運動をどう振り返り、どのように解散し、歴史に位置づけるのか、という分厚い議論が、まさにそこで行われていたからだったように思う。

そんな中で、会の歴史の前半10年間に中心的に活動していた人たちが、会の歴史をまとめるプロジェクトを進めていることを知った。そのプロジェクトの成果は 『行動する女たちが拓いた道——メキシコからニューヨークへ』(行動する会記録集編集委員会編 未来社 )としてまとめられ、1999年に出版された 。このプロジェクトに興味を覚えた私は、新宿御苑前にあった、中島通子さんの法律事務所で行われていた編集会議に出席した。1997年4月のことで、この時私が 参加したのは、4度目の編集会議だった。中島さんのほか、吉武輝子さん、駒野陽子さん、金谷千都子さんなど、今は亡くなられたそうそうたる会の元会員たちも出席していた 。そして、一度参加しただけでいつの間にか私は編集委員の一員ということになってしまった。

その後、2年近くに渡って中島通子法律事務所で、ひと月に一度程度のペースで開かれた編集会議に通い続けた。いきなり編集委員会に飛び込んでいった私は当時20代で、世代的には図抜けて若かったが、参加して意見を言うことは歓迎され、中島さん、吉武さんから私まで、皆でお茶の準備や片付けをしたりもした。そしてお互いの呼び名は、それぞれの職業や世間的な著名度がどのようなものであろうとも関係なく、「先生」ではなく「さん」だった。私は中嶋里美さんとともに、マスメディア抗議の章を執筆し、さらに、山田満枝さんと小林みち子さんとともに、年表作成を担当することにもなった。そのため、 中嶋さん、山田さん、小林さんとは何度も会って長時間作業をし、食事もともにし、その中で行動する会についての様々なお話を伺ったりもした。

要するに私自身も、行動する会の解散に至る過程と、その後の歴史をまとめるプロジェクトに参加して、 行動する会の「平場」の実践を体験したことになる。さらに会員たちの会や、執筆の際に掘り起こした様々な資料への思いの大きさも、作業に共に関わりながら、会員たちの語りを通じて理解することとなった。

そして、編集委員会の場で聞いた、会の歴史、および日本の女性運動 の話は、私にとっては興奮の連続だった。過去の自分たちが関わった運動へのノスタルジアとして歴史は語られるだけではなく、当時進められていた「男女共同参画社会基本法」づくりのプロセスへの疑問や、「男女共同参画」という行政主導でつくられた概念への批判、および女性運動の方向性への問い直し等を議論する中で、行動する会の歴史が位置づけられ、議論され、語られていたのだ。すなわち、 歴史は過去を懐かしむためだけに語られるのではなく、現在を問い直すためこそに、その解釈も含めた議論が熱く行われていた。「こんなにすごい話を私だけが聞いていていいのか」と会議に出るたびに思ったのをよく覚えている。

同時に、そこで多々言及されていた70年代中盤から80年代にかけての運動の歴史について、 「なぜ、私はこんなに知らなかったのか?」と 衝撃を受けた。 もちろん 私の不勉強もあるだろう。だが、それだけではないのではないか? これは、私が博論研究を通して問い続けた課題となり、その後のフェミニズムに関する調査研究においても、常に「なぜ行動する会の歴史は抜け落ちてきたのか?」「今でもまた落とされ、書き換えられていくのはなぜか?」という問いは、私が様々な局面で立ち戻る問題であり続けた。(注)

(注)例えば、双風舎編集部編『バックラッシュ!—なぜジェンダーフリーは叩かれたのか』(双風舎2006)に寄稿した「ジェンダーフリー論争とフェミニズム運動の失われた10年」という拙論は、 行動する会へのオマージュという意味もこめて書いたものだった。本資料集に収録されている「男女平等教育をすすめるシリーズ」パンフレットなどにおいて、行動する会が目指した「男女平等教育」は、明らかに男女の特性論を乗り越えたものであり、人々の意識、社会構造両方を問題として捉えたものだった。2000年代の「ジェンダーフリー」をめぐる論争においては、「男女平等教育」は制度に関することに限定されるとか、特性論は超えられないなどという主張がなされていた。少なくともこれは行動する会が主張してきた「男女平等教育」とは大きく異なり、これでは行動する会の教育分科会の運動の積み重ねはなかったことにされてしまう、という危機感のために執筆したものだった。

小田嶋隆氏「『女性差別広告』への抗議騒動史」の何が問題なのか?

執筆者: 山口智美

コラムニストの小田嶋隆氏が、「「女性差別広告」への抗議騒動史」という記事をブログにアップした。そもそもの経緯は、小田嶋氏のツイッターでの「従軍いやん婦」発言にさかのぼる。その発言をめぐる一連の経緯はTogetter「小田嶋隆さんの”従軍いやん婦”発言をめぐるやりとり」参照。Twitterでの経緯から、小田嶋氏がこのブログ記事で言及している「フェミニズム運動にかかわっておられると思しき女性」というのは、私のことを指しているかと思われる。

ブログ記事としてアップし、追記まで加えておきながら、「以後、この問題については、議論しません」というのは、どうなのかとは思う。まあ一方で、私の側とすれば、絶版状態の本の文章をブログで批判するのもどうかと思っていたのだが、アップされたことで誰でも検証できる状態になったこともあり、批判をまとめるよい機会を与えていただいたということになる。小田嶋さん、ありがとうございました。

しかし、小田嶋氏は、コラムの文章全文をアップすれば、「ミソジニーバックラッシュのアンチフェミのセクシストのマッチョ」という疑いがおそらく晴れるであろうと思われた様子なのだが、なぜそんな認識になってしまっているのか不思議だ。アップされた記事も、「ミソジニーのバックラッシュの…(以下略)」にしか見えないからだ。

小田嶋氏の「『女性差別広告』への抗議騒動史」 は「国際婦人年をきっかけとして行動を起こす女たちの会」(1986年から「行動する女たちの会」に改称。96年解散。以下、「行動する会」と記述)による、メディア抗議行動の批判である。 私は博論で、この「行動する会」を扱った。それ以来、今に至るまで私がずっと追い続け、資料を集め、元会員への聴き取りを積み重ねてきたテーマだ。 *1 さらに、『まれに見るバカ女との闘い (別冊宝島Real (050))』は、2000年代前半から中盤にかけて出版が相次いだ、フェミニズムの「バックラッシュ」本の一冊である。私は『社会運動の戸惑い』本のための調査でフェミニズムへのバックラッシュを扱ったが、この「バカ女」シリーズについて、宝島社や関係者に聴き取りを行っている。そんなわけで、小田嶋氏が今回再掲した記事は、私の取り組んできたテーマの、ど真ん中をついていることになる。それもあり、今回反論を書く事にした。

バックラッシュ本としての『まれに見るバカ女との闘い』

まれに見るバカ女との闘い (別冊宝島Real (050))』(2003)は、全3冊の別冊宝島「バカ女」シリーズの2冊目にあたる。一冊目の『まれに見るバカ女』が売れたために、続編ということでこの企画が出たという。この後に出たのが、2005年の『男女平等バカ』だった。売り上げは一冊目が最もよく、だんだん減っていったという。

フェミニズムへの「バックラッシュ」本の先鞭をつけたのは、1996年から約10年にわたり多数のフェミニズム批判本を出した林道義氏だった。だが「バックラッシュ」最盛期に突入したのは2002年、フェミニズム批判本が多数出版され始めたのが2003年である。その中でも最も売れたと思われる『まれに見るバカ女―社民系議員から人権侵害作家、芸なし芸能人まで! (別冊宝島Real (043))』(2003)が火をつけたといっていいだろう。そして、 『まれに見るバカ女との闘い』(2003)は、シリーズ前作よりもフェミニズム批判の色彩が濃くなっており、バックラッシュの運動で大きな役割を担った 長谷川三千子氏と岡本明子氏の対談も掲載されている。そして小田嶋氏は、この本の「Part 4 バカ女の事件簿」と題された章で、フェミニズム運動批判を展開している。

小田嶋氏はブログ記事で「私自身は自分のことを、かなりフェミニズム寄りの人間だと考えています。」と書いているが、少なくともこの本は2003年当時、フェミニズムへの「バックラッシュ」盛り上げに貢献したことは確かだし、それがトレンドで売れるとみた編集サイドが、もっと盛り上げようという意図をもって出版されたものでもある。こうしたフェミニズムへのバッシング狙いで作られた本に寄稿している小田嶋氏が「フェミニズム寄り」だという発言で念頭においている「フェミニズム」とは、いったい何なのだろうか。

女性史は「党派的なヒステリーの温床」なのか?

小田嶋氏は「女性史」を「党派的なヒステリーの温床」だと位置づけている。以下、該当部分を引用してみよう。

が、女性史のような一見社会的に見えるタームにこそ、個々人のパーソナルな視点と一個人の固有な記憶の裏づけが要求されるべきなのだ。なんとなれば、「公的な」「資料付きの」「定説化された」情報には、多くの場合、党派的なバイアス(「フェミ側の」あるいは「マッチョ寄りの」でなければ、プロ市民臭かったり、偽善っぽかったり、利口ぶっていたりするような様々な偏向した圧力)がかかっているものだからだ。逆に言えば、党派的な思惑や商売上の利害関係の持ち主でもなければ、誰もこんな厄介な問題(女性史のことだが)には、手を出さないはずなのであって、とすれば、誰かが女性問題について発言しているということは、すなわちその発言が偏向していることを意味している。……って、厄介だなあ。

 ともあれ、女性史が厄介な話題であり、党派的なヒステリーの温床であるという、このうんざりするような状況に水をかけるためにも、一個人のナマの記憶は第一次資料として、ぜひ、珍重されるべきではあるのだ。

女たちの歴史というのは、男の歴史 に比べて、圧倒的に記録に残ってこなかった。そうした記録に残っていない歴史を、地道な聴き取りを重ね、まとめていったのが、女性史における多くの仕事の成果だった。著名ではない、市井の女たちの歴史を記録し、残したという面で、とくに成果は大きい。まさに、「一個人のナマの記憶」および「経験」の積み重ねに関して、「公的な」「資料付きの」「定説化された」形では残ってこなかったものを、丁寧に掘り起こしたのが女性史の歴史だろう。そしてこうした成果は、大学に所属の研究者のみならず、多くが、在野の歴史家、研究者、市民らの仕事でもあった。

だが、長年の積み重ねのもとに収集されたたくさんの女性たちの声は、小田嶋氏にとっては単なる「党派的ヒステリー」であるらしい。さらには小田嶋氏一個人の「ナマの記憶」こそがそうした積み重ねに優先して、「第一次資料としてぜひ珍重されるべき」という位置づけになっている。

結局のところ、小田嶋氏は冒頭で「ボク個人がこんなことを思っていました」の歴史でしかないものを書きますよ、と言い訳をしているのだろう。しかしながら、その小田嶋氏「一個人のナマの記憶」は、「ヒステリー」として打ち捨てられる数多くの女たちの経験や記憶の記述よりも、なぜか優先されるべきものとして扱われる。さらに言えば、ボクの個人的な記憶こそが、一般の人たちの記憶や考えの反映であると考えるからこそ、これだけ自信をもって自分の記憶こそ聞くべき、と主張できるのだろう。これだけ無頓着に、自身の記憶=一般の反映、と思えることこそ、マジョリティ性の発露であり、女性史はすべからく「ヒステリー」であるという認識は、まさにミソジニーそのものだ。

批判対象の女性運動の歴史への関心の欠落

小田嶋氏は、今回アップした記事の追記として、「ただ、女性運動の歴史が、抗議活動の歴史とほぼイコールになっている展開が、女性運動にとって不幸なのではないかということを指摘したつもりでいる」のだと書いている。

ここで小田嶋氏が、女性運動の歴史が実際に抗議活動の歴史とイコールなのか、それともそういう印象を与えたのが不幸だったといいたいのか、わかりづらい。だが 小田嶋氏の「ナマの記憶」ではそういう印象であったとしても、この文章では女性運動の歴史が実際に抗議活動の歴史イコールだったということは論証されていない。たまたま小田嶋氏が触れていた情報や、当時のメディア報道が抗議運動ばかり扱っていた可能性などもありうるだろう。当時の週刊誌メディアを主な情報ソースとしたら、おそらくそういった印象になるだろうと思う。

この文章は2003年に書かれたものだ。その時には、『行動する女たちが拓いた道―メキシコからニューヨークへ』(1999)も出版されていた。巻末年表をざっと見れば、会の幅広い運動の流れだってわかったのに……だが、おそらくこういった本も読まずにこの文章を書いたのだろう。あくまでもこの文章は小田嶋氏「一個人のナマの記憶」を綴ったものという位置づけのようなので、特に批判対象の運動についての資料を調べる必要すら感じなかったのかもしれない。

行動する会は、分科会方式をとっていた団体である。分科会には、労働分科会、教育分科会、主婦問題分科会、裁判・調停・離婚問題分科会、独身女性分科会など、様々なものがあり、それぞれが活発な活動をしていた。80年代前半は、会は82年の優生保護法改悪阻止運動、さらには雇用平等法をつくる運動などに追われた。こうした様々な運動を展開する中で、例えば84年の雑誌『モーニング』広告抗議なども同時進行で行っていた。そして、会は「告発と提案は車の両輪」という考え方のもとで運動を展開した。メディア抗議は会の重要な運動の柱の一つだったが、決してそれだけを行ってきた運動体ではない。*2 行動する会の歴史だけをみても「女性運動の歴史が抗議運動の歴史とイコール」というのは、事実ではない。女性運動全体に広げるなら、なおさらだろう。

あるいは、小田嶋氏がそういう印象を与えたメディア表象の問題を扱っているのだというつもりであるなら、メディア側の責任も大きいのは明らかだが、それへの言及は一切ない 。

メディア抗議の積み重ねは瑣末なのか?

1)70年代「つくる人、食べる人」抗議とその後

行動する会のマスコミ分科会は1975年に ハウス食品「ワタシ、つくる人、ボク、食べる人」CMへの抗議と、NHKへの要望書の提出を行い、注目を集めた。そして、それらの抗議の中で「性別役割分業」概念を理論的支柱にすえた。会はマスコミの「性別役割分業」の問題を問うために適切なターゲットとして、NHKとこのCMを選んだのだ。

この行動する会のハウス食品およびNHK抗議は、当時は瑣末な問題として、マスコミ上で嘲笑の対象にもなった。だが、小田嶋氏はこの抗議は高く評価しているようだ。マスコミでおおいに議論がかわされたということ、さらに、「『性差』『男女役割論』『家庭における家事分担』といった、女性問題における最重要かつ本質的な論点が典型的な形で提示」されていたことから、抗議は大成功であり、小田嶋氏自身もこの抗議によってジェンダーについて考えるようになったという。

この抗議の重要性に関しては、私も小田嶋氏に同感する。この抗議は、この年の年鑑にも掲載されており、ウーマンリブ・フェミニズム団体によるメディア抗議は初めてではないものの、これだけ注目を集め、影響力をもったものは初めてだった。

だが、小田嶋氏は、主要な論点はここで出尽くしたとし、行動する会の運動は「最初のバカ当たり以後は、徐々に後退することになる」と書く。ハウスCM抗議は評価しているものの、まるで行動する会はハウス抗議の一発屋だった、的な評価だ。

ここで小田嶋氏が触れていない動きが、当然ながら多々ある。先ほど述べたように、このハウスCM抗議と同時期に、行動する会は、NHKに対して要望書を提出、面会を行っており、この行動もハウスCM抗議と同様、かなり大きくマスコミに扱われた。そして、 もちろん注目を集めなかった抗議行動もあるが、会はハウス食品CM抗議後にも、 マスコミへの抗議、話し合いや交渉などを多数積み重ねていった。

また、ハウスCM抗議とNHK抗議に関する報道の多くは酷かった。行動する会は、多々あるこうした週刊誌報道の中から、雑誌『ヤングレディ』に焦点をあて、編集部との話し合いをもった。『ヤングレディ』の記事が、行動する会の抗議は「女性差別の本質から外れている」という批判だったため、「では、女性差別の本質とは何か」という議論の場を持つ狙いもあったのだという。そして、法廷を議論の場にすべく、裁判にもちこんだ。 裁判は79年、和解という結果となり、行動する会は、会が作った記事を『ヤングレディ』に掲載するという成果を勝ち取った。これが、日本で初めての市民によるメディアへの「アクセス権」の獲得として、注目を浴びた事例である。

問題となった75年の『ヤングレディ』記事

f:id:yamtom:20140513203456j:image

行動する会が作った『ヤングレディ』1980年1月22日号掲載記事

f:id:yamtom:20140513203457j:image

ほかにも70年代後半から80年代にかけて、行動する会は様々なメディア抗議を積み重ね、一定の注目を浴び続けた。*3

2)80年代「より瑣末でチンケな話」

行動する会の活動がだんだん瑣末なものとなり、効果がなくなっていったという後退の歴史を語る小田嶋氏。そして、氏が「女性問題における最重要かつ本質的な論点性」だと考えるのは「性差」「男女役割論」「家庭における家事分担」といった課題であるとする。80年代の会によるメディア抗議と、「性の商品化」という問題意識は、まさに性差別告発の行動であり、女性のセクシュアリティに関する問題で、セクハラ告発の視点も含んでいる。だが、それは「広範な層の男女の問題意識に訴え」ることはなく、「所詮マニアックな議論に過ぎなかった」のだと小田嶋氏はいう。そして、ハウスCM抗議に比べて、「より瑣末でよりチンケな話」「重箱の隅」と形容されている。*4 だが、これらのポスタ―の問題は、そんなに「マニアック」といえるようなものだろうか?

「チンケ」な抗議の事例として小田嶋氏が挙げているのが、『モーニング』の車内釣り広告への抗議、また営団地下鉄英文ポスタ―抗議だった。ポスタ―は以下のものになる。

84年『モーニング』広告

f:id:yamtom:20140513203447j:image

『モーニング』ポスタ―に関しては、会は講談社、および電鉄会社に申し入れた。講談社側は今後はモニター制度をつくり、注意していくと回答し、翌号の女性のお尻を扱ったポスタ―はすでに印刷されていたが、キャンセルされたという。*5

1989年営団地下鉄ポスタ―

f:id:yamtom:20140513203448j:image

外国人に地下鉄の便利さを知ってもらおうと作られたポスタ―。「アピール度を強くしようと、考案された」(営団地下鉄広報課)とのことだったらしい。日本女性学会等、他団体も取り組んだが、行動する会の外国人の女性会員が送った手紙が大きな意味をもったという。 新聞で話題になり、ポスターは撤去された。*6

地下鉄ポスタ―については、『モーニング』にくらべたら、大きな問題とは感じない人もいるかもしれない。(それにしても、地下鉄の便利さを知ってもらうという目的と、女性の足が巨大にうつったイメージとの関連性は全くわからないが。)だが、これらの広告は、女性の身体の一部だけを切り取って「モノ」かのように扱っている点で共通している。そして、とくに『モーニング』広告についてはあまりに酷く、「瑣末」とか「重箱の隅」といえるような問題ではないと私は思う。

そして、「このような抗議自体はすぐ効く即効薬でもないし、大転換させる革命でもない。」と会員は言う。だが、「この小さなことの積み重ねが、社会通念という怪物を作ったりこわしたりしてゆくのではないか」*7という考えのもとに、一つ一つ、注目を集めない場合も多々あったメディアへの抗議行動を20年間にわたり積み重ねてきたことは、行動する会の歴史としても、そして日本の女性運動の歴史としても、非常に重要な意味をもったと私は考えている。

3)90年代「さらに些末かつヒステリックな色彩」

小田嶋氏によれば、90年代に入ると、行動する会の抗議は「さらに些末かつヒステリックな色彩を帯びてくる」という。小田嶋氏がここで事例に挙げる、会が抗議した広告は以下のものである。

91年エイズ予防財団

f:id:yamtom:20140513203451j:image

f:id:yamtom:20140513203450j:image

厚生省外郭団体「エイズ予防財団」によるこのポスタ―。海外での買春、女性差別、エイズ患者への偏見を助長するとして会は抗議した。初め厚生省は、「自信作です」と胸をはっていたというが、とうとう降参し、ポスター回収。同時に抗議した側は、「わたしたちのつくるエイズポスター」を公募、3ヶ月間で261点の応募が集まった。厚生省は、この翌年のポスターは公募で制作することにしたという。*8

92年オンワード「五大陸」

f:id:yamtom:20140513203452j:image

抗議の結果、オンワードからはお詫びの回答文が届き、また 朝日新聞の投書欄でも批判が盛り上がり、オンワードの反省の回答文が朝日新聞に掲載された。また会は電通にも抗議を行っている。

これらのポスタ―への抗議は、女性差別、性暴力、セクシュアリティ、さらにはレイシズム等の様々な問題を提起するものだった。だが、 これらの抗議について、小田嶋氏は「さらに些末かつヒステリックな色彩」と評価する。さらに以下のように書く。

「これは、性の商品化です」

 と、女性団体が居丈高に指摘しても、

「ご指摘の通りですがそれが何か?」

 という反応が返ってきたりさえした(つまり、指摘された側が、どこを反省して良いのやらわからないでいるわけです。面白いことに)わけで、要するに、あんまり一般向けの説得力がないのだ。

現場にいってもいないのに、「威丈高に指摘」などと、まるで実際のやりとりを見てきたかのような描き方になっているのが興味深いが、それはさておき。ここで小田嶋氏は「一般向けの説得力」の欠落に非常にこだわっている。だが、小田嶋氏が挙げている事例は、エイズ予防財団についても、オンワードについても、新聞記事や投書欄などでも扱われ注目を浴びた事例であり、最終的にポスタ―が回収されたり、反省の回答文を引き出すなどの展開になった。これらの抗議が、新聞などの媒体で取り上げられ、注目を集めたという点では、「つくる人、食べる人」CM抗議と似た展開だ。

また、89年時の会の行動について扱った、『週刊ポスト』の記事は以下のようなものだった。

f:id:yamtom:20140514143100j:image

いったいどちらが「ヒステリック」なんだ、というトーンである。75年当時の週刊誌報道とこの頃のものを比べると、70年代は茶化すトーンが多かったが、80年代はこうした、女性団体の抗議を脅威として煽るタイプの記事が多かった。小田嶋氏の「威丈高に指摘」などの描写とも重なってくる。

小田嶋氏は、これらの抗議はマスコミで注目を浴びても、それが逆効果だった、と言いたいのかもしれない。そして、「一般向けの説得力」としてここで氏が言いたいのは、まさに、「ボクが説得されたかどうか」ということなのだろう。そして、ボクは反発を感じたし、啓蒙的で、かつ瑣末だと思ったということなのだろう。*9

なぜ反発を感じたのか、反発を覚える自身の感覚に問題はないのか、抗議の顛末の詳細を自分が知らないだけではないか、マスコミが報道しなかった、あるいは偏って報道したのではないか、抗議された側の対応の問題もあったのではないかなど、様々な可能性はすっとばして、女性団体のやり方が悪いのだ、とする。

小田嶋氏の80年代以降の抗議運動に関しての文章からは、自己の感覚や視線を振り返り、 問い直すという感覚が絶対的に欠落しているように思う。「性役割」や「家事分担」までは理解できても、セクシュアリティが関わると途端に自省的なまなざしを失ったようにも見える。マジョリティの男性である自身には「瑣末」な事柄に見えても、女性にとっては違うのではないか、さらに自身も、男社会であるマスコミ業界のものの見方にはまっているだけではないか、といった問い直しは見えてこない。小田嶋氏によって問題視されるのは、あくまでも 女性団体の運動ということになる。

さらに小田嶋氏は以下のように述べる。

ともあれ、かくして、抗議はシステム化する。つまり、抗議それ自体を自己目的化するプロ抗議集団と、抗議を折り込み済みの天災として受忍するプロの腰抜け自主規制表現者が並立する不幸な体制が完成するということだ。

 そんな中で、女性団体のクレームは、結果として、エセ同和による職業的恫喝や、総会屋の出勤風景に似て来ざるを得ない。不幸なことだ。*10

 先述の『週刊ポスト』記事と同様の、「女性団体が恫喝」「プロ市民」的なイメージ*11、この小田嶋氏の「総会屋の出勤風景」等の記述にも色濃く見える。  行動する会の抗議が自己目的化していたというが、そんなことをしている余裕は当時の会員たちにはなかっただろう。*12さらに小田嶋氏の文章の最後では、「男性差別」とか「殴られ利権」などの言葉まで飛び出す。2003年前後の別冊宝島Realが、『同和利権の真相』『北朝鮮利権の真相』『中国利権の真相』などといった書籍を連続して出していた中、同様の論調を女性運動にあてはめたものであり、マジョリティ側こそが「差別」されていると言い立てる主張は、まさに「バックラッシュ」だろう。(その後、こうした論調が、2006年の別冊宝島『嫌韓流の真実!ザ・在日特権』に行き着いたことは言うまでもない。)

もちろん、男性中心マスコミの壁は厚く、全ての会のメディア抗議が成功したわけではない。小田嶋氏が言う「それが何か?」という反応がなかったわけではない。 その問題は、私が聴き取りを行った会員たちも、十分に認識していたし、どうしたらいいのかと模索もしていた。だが、こうした状況は、すべて女性団体のやり方の問題だと結論づけていいのだろうか。そもそも問題なのは、いつまでも男性中心のあり方にどっぷりはまりこみ、疑問をもつことすらなかったメディアや企業、政府、そして社会ではないのか。だが、小田嶋氏の文章はそこは問わないままだった。

性差別をめぐる問題の根深さ

フェミニズムの思想や運動の歴史や背景を知ろうともせず、自分の視点こそがなぜか正しく「一般」の意見の反映だと思い込み、上から目線で「やり方が悪い」とアドバイスをしてくる人。フェミニズムについてコメントする男性に多いパターンであり、迷惑なことである。マサキチトセさんが説明する、いわゆる「マンスプレイニング系男子」といえるの かもしれない。ただ、小田嶋氏の場合、フェミニズムを茶化す目的の、「バカ女」と題されたバックラッシュ本でこれをするわけだから、そもそもフェミニスト当事者にその批判をまともに聞いてもらおうという気もなかったのだろう。

さらに、小田嶋氏の普段の言論がリベラルであるとか、性差別以外の差別問題には敏感であるなどの状況があるとしても、だから小田嶋氏のミソジニーやセクシズムも酷くないはずだということにはならない。そもそも、リベラルや左派系でありながら性差別には鈍感な人々(とくに男性)は多い。さらに、他の課題に比べてジェンダーやセクシュアリティをめぐる課題が瑣末であるはずも、重要性が低いということもないはずだ。性差別に関してだけはおおらかに見てあげるべき、ということにもならない。

小田嶋氏がこの記事をアップすることで、「ミソジニーのバックラッシュのアンチフェミのセクシストのマッチョ」という疑いが晴れると考えたとすれば、その認識のほうが心配だ。 こういう認識になるのは、ミソジニーやセクシズムがいったい何なのかも、どれだけこの社会に蔓延し、自らも簡単に逃れられるような問題ではないことも、本気でわかっておられないのだろうと思うからだ。問題の根は深い。

*1:1996年、解散直前の時期に私は会に初めて行った。会員としての活動はほとんどできなかったが、会のニュースレター「行動する女」の最終号には会員からの解散に際してのメッセージの中に私の文章も載っている。そしてその頃、元会員の数名が始めていた、行動する会の記録集をつくるプロジェクトに参加した。その記録集は、1999年、『行動する女たちが拓いた道』として出版。私は、「第1章 マス・メディア性差別を告発」の執筆グループの一員となり、年表作成にも参加。そのプロセスの参与観察と会員のインタビュ―に基づき博士論文を執筆。その後もずっとフォローは続け、昨年から、行動する会の過去のニュース等の復刻版をつくるプロジェクトに関わり、再び行動する会の元会員らの聴き取りを始めたところである。

*2:75年時点からの会への批判のテンプレとして、会が何かの行動を起こせば「そんな瑣末なことではなく、もっと本質的な女性差別撤廃のための運動をすべき」というものがあった。だが、そうしたときに「本質的」とされる行動は、分科会活動のいづれかで、すでに会が行っている運動であることも多かったと元会員たちは言う。

*3:この時期のメディア抗議の詳細については、『行動する女たちが拓いた道―メキシコからニューヨークへ』をご参照ください。

*4:86年以降の「行動する会」は、教育分科会とメディアグループが活動の中心の会になっていた。メディアに抗議を行うのみならず、集会を行い、企業との交渉を行い、メンバーはテレビを含むマスメディアで意見を伝えるなども行っていた。さらに、こうしたメディア抗議行動と同時進行で、男女混合名簿推進運動に火をつける役割を果たしていた。決して中心になって動いていたメンバーの数が多かったわけではない。そうした中で、私が元会員たちに行ってきた聴き取りによれば、仕事ももっていた中心メンバーらはとてつもなく忙しい日々を送りながら、運動に関わっていたという。

*5:三井マリ子・中嶋里美・坂本ななえ『女たちは地球人』学陽書房1986

*6:行動する女たちの会ニュース『行動する女』1989年12月号で引用された、『日刊スポーツ』1989年12月7日号記事「退脚地下鉄ポスタ―」、行動する女たちの会・メディアグループ『ポルノ・ウォッチング―メディアの中の女の性

*7:三井マリ子・中嶋里美・坂本ななえ『女たちは地球人』学陽書房1986: 27-28

*8:三井マリ子『桃色の権力』三省堂1992:264-265

*9:フェミニズム運動の流れの中で、とくに95年以降の「男女共同参画」が出てきて以降は確かに「啓蒙」要素が前面にでたことはあったと思うので、フェミニズムすべてにおいて、小田嶋氏の啓蒙性に関する議論がまったく的外れとは思わない。だが、啓蒙的かどうかとう面では、「性別役割分業」の問題を問い、周知させるためにターゲットとして取り上げたハウスCM「つくる人、食べる人」抗議のほうがむしろそうなのではないかと思う。しかし小田嶋氏はむしろ啓蒙性を、問題があまりに大きいポスタ―への怒りが表れたという面も大きい、90年代前半のエイズ予防財団やオンワードの広告抗議のほうに見いだしているようなのも興味深い。

*10:『社会運動の戸惑い』第7章でも書いたように、「行動する会」の当時の主力メンバーらは、行政による表現規制は主張していなかった。1991年「異議あり!「有害」コミック規制」集会に参加した会員の坂本ななえは、「私たちは性差別に反対するからこそ批判の自由を守るためこの集会に参加した」と述べている。山口・斉藤・荻上『社会運動の戸惑い』288

*11:追記:小田嶋氏は「プロ市民」という単語はここでは使っていないが、「プロ抗議集団」「職業的恫喝」「総会屋の出勤風景」などの表現は使われており、「プロ市民」と同様の意味あいをもつのだろうと思われる。5.15.2014さらに追記:この部分では出てこないが、上記の「女性史」についての引用部分では、小田嶋氏は「プロ市民」という単語を使っていた。

*12:元会員たちは、私の聴き取りに対して、日々働き、それぞれの生活を抱えながら、時間を縫うようにして運動を続け、体力的にも時間的にも、交通費など経済的にも厳しかったと語っている。

初出 2014-05-14 『ふぇみにすとの論考』

イダヒロユキ(伊田広行)氏の『社会運動の戸惑い』批判に関して(2): 「フェミニスト」とは誰なのか?

執筆者:山口智美

イダヒロユキ(伊田広行)氏のブログ「ソウル・ヨガ」にて、「小手先のコミュニケーションーー思想の視点がない」という1月21日付エントリに関して、もう一点、気づいたことを記しておきたい。

イダ氏は、「保守運動側にあってその言い分を聞き、温厚な人間性(対話の可能性)だと記述し、一定の理解をするがフェミ側へは取材もしないのは」と『社会運動の戸惑い』を批判している。実はこの批判は、イダ氏のほかにも何度か耳にした批判でもある。

だが、『社会運動の戸惑い』においてフェミニスト側への取材は行われている。宇部市のフェミニズム運動に関わりつつ博士号ももっている研究者でもある小柴久子さん、千葉県の「条例ネット」の方々や、堂本暁子前知事、元男女共同参画課長、都城市の旧条例制定にむけて活発に活動を展開した「シエスタ」の皆さんや、女団連の方々、アドバイザーのたもつゆかりさん、元大阪府議の尾辻かな子さん。7章で、フェミニズムとインターネットをめぐる初期の動きについて語りを書かせていただいた井上はねこさんもいる。この方々はフェミニストだと私は思うわけだが、イダ氏にとっては違うのだろうか。

イダ氏にとっての「フェミ」とは誰なのか?東京近郊や関西の学者のみをさして「フェミ」といっているのだろうか。あるいは運動家も「フェミ」だと思っているが、自分の知り合いや仲間ではないと、「フェミ」の枠には入ってこないのだろうか。なぜこのように、イダ氏のようなジェンダー研究の学者自らが、地域で地道に運動に関わってきたフェミニストたちの声や存在を無視してしまうのか。

『社会運動の戸惑い』では、保守派についても、学者や知識人へのインタビューは実はしていない。本書での著者の興味が学者や知識人の声を聞くことではなかったからでもあるし、一冊の書籍で扱いきれなかったということもある。だが、保守側の学者や知識人のインタビューがないことは問われず、フェミニストだけ問われるのも不思議なことでもある。

『社会運動の戸惑い』で誰も女性学系の学者をインタビューしていない、ということは実はなく、インタビューさせていただいたが直接の引用という形では書籍に活用させていただくことができかなかった方々もいる。(巻末の「調査年表」を見ていただくと少々垣間見えるかもしれない)。また、インタビューだけに基づいて書いた本ではなく、参与観察も重要だった。公開のイベントでの学者の方々のご発言内容などについては参考にさせていただいている。

フェミニスト=学者、という理解は、私はまったく違うと思う。だが、もしかしたら女性学やジェンダー研究の中に、中央の学者ばかりを「フェミニスト」と考える思考が無意識にこびりついてはいないか。

もう一点だけ指摘しておきたい。
そもそもイダ氏に「山口智美さんなどはフェミニズムをかなり誤解」と理由も指摘せずに言われたことから、この一連の、何ら発展的な議論にはつながってこなかった不毛な状況は始まっているのだが、今回もイダ氏は斉藤、荻上という共著者と私に、「フェミではない」というレッテルを貼っている。例えば以下である。

フェミの側といっていても実は、フェミの立場ではなく、いい子ちゃんの立場に過ぎない
2009年6月の女性学会のワークショップの後、イダ氏は、「フェミを誤解している」というご発言は「オレのフェミ」についてのことだったとご発言されたという。だとしたら、ここでも「フェミの立場」は「オレのフェミ」の立場、という意味なのだろうか。そうなのであれば、私はイダ氏の立場とは違うだろうからかまわないが、「オレの」をカットされて「フェミの立場ではない」と、イダ氏に私が「フェミ」の枠外として一方的に認定されるのはおかしい。そして、これも以前から、小山エミ氏やマサキチトセ氏のエントリにおいて、イダ氏が指摘されてきた問題でもある。

最後に、イダ氏は当該エントリにおいて「世間知らずの「いいこちゃん」(お坊ちゃんお嬢ちゃん)」として『社会運動の戸惑い』の著者陣を批判しているわけだが、個人的な背景をよく知る訳でもない、学者や評論家として活動するフェミニストを「お坊ちゃんお嬢ちゃん」とからかい、見下すような調子で断罪している。さらに、昨年のエントリにおいて、共著者で女性の学者である斉藤正美を批判する文脈で「憎しみに囚われていて、ここまでよくもゆがめられるなという感じでした。この程度の無茶な読みをブログに書き残していて恥ずかしくないのかなと思いました。」と記載している。女性=憎しみというステレオタイプを持ち出しつつ、ここでも見下したトーンで批判している。こうした見方も、イダ氏にとっては「フェミ」的なことなのだろうか。

(初出 2013/02/03 11:18 pm)

イダヒロユキ(伊田広行)氏の『社会運動の戸惑い』批判における学者としてのルール違反

執筆者:山口智美

イダヒロユキ(伊田広行)氏のブログ「ソウル・ヨガ」にて、「小手先のコミュニケーションーー思想の視点がない」という1月21日付けエントリが掲載された。(魚拓はこちら

このエントリの特に後半部分で、書名も著者名も言及されていないのだが、斉藤正美・荻上チキと私の共著本『社会運動の戸惑いーーフェミニズムの「失われた時代」と草の根保守運動』への言及と思われる記述がある。

書籍についての批判や意見がきて、それが議論につながることは大歓迎なのだが、今回のイダ氏のエントリに関しては、それ以前の段階で問題がある。学者としての根本にかかわる問題である。

イダ氏は大学の教員であり、現在、日本女性学会の幹事をつとめている。学者として仕事をしてきた人だ。日本女性学会などの学会誌の査読を担当されることもあるだろう。にもかかかわらず、学者であるならば最低限のルールである、出典も示すことをしていない。しかも書籍からそのまま文言を引用しながら、である。

今までも、対象をぼやかして批判を行うということは、イダ氏も、またほかのジェンダー研究者も繰り返して行ってきていることであり、それについては何度も私もブログでも学会の場でも指摘し、「批判をするならソースをはっきりしてくれ」と主張してきた。例えば以下の拙ブログ「ふぇみにすとの論考」のエントリでも何度か扱ってきた。

批判対象をぼやかし続ける伊田広行氏の論(2006年10月16日)
伊藤公雄氏のいう相互批判の「作法」とは?(2006年12月14日)
「ようやく名指し批判が!」と思ったらぬか喜び(2007年10月13日)
日本女性学会ワークショップ『「ジェンダーフリー」と「バックラッシュ」を再考する』をふりかえって(2009年6月28日)
だが、今回、また繰り返されたということになる。さらに今回は今までにも増して、非常に悪質なやり方だったといえる。

なぜ悪質かといえば、鍵カッコを使い『社会運動の戸惑い』からほぼそのまま引用している文章と、同じく鍵カッコを使い引用かのように見せかけながら、引用ではなくイダ氏の作文であるという文と、両方が混在しているからだ。具体的には以下の箇所である。

「保守運動とフェミニスム運動の対立は合わせ鏡のような構図だった」と第3者的に双方を批判。
この文の鍵カッコ内の部分は、『社会運動の戸惑い』、328ページの荻上チキによる「結びにかえて」からの引用だ。オリジナルは「対立は、合わせ鏡」と、読点がはいっているが、それ以外は一字一句同じである。

その後、イダ氏のエントリ内では、同様に鍵カッコを使って、以下の文が書かれている。

第3者的に、「相手に勝手なイメージをつけて不信感ばかりを強化し対立(攻撃)するのでなく、相手をよく知り話し合えば、対話可能だし、理解もできるし、問題解決の道も見える」という凡庸なお説教レベルはみあきた。
ここでの鍵カッコ内の文は、『社会運動の戸惑い』には全く書かれていない、イダ氏の創作であり、イダ氏なりの拙著の解釈のようである。

だが、一方は書籍からのそのままの引用(しかも出典情報皆無)、もう一方はまったく書籍には書かれていない文章を全く同じように鍵カッコを使い書くというのは、読者に著しく誤解を与えるだろう。さらに後者の文に関しては、『社会運動の戸惑い』の著者がそのような記述をしているかのように誤解されかねず、ひじょうに迷惑だ。

そもそも、すでに書いたとおり、学者として文章を書く際に、しかも文献からの直接引用を含んでいる場合、ページ数はおろか、書名も著者名すらも何も言及しないというのは、ありえない。私はアメリカの大学で教えているが、学生が出典情報を示さずに書籍について議論をしたり、引用などしたら、それは確実に剽窃扱いとなり、退学処分になることもあるだろう。引用の際にソースを示すということは、アカデミアにおいてはそれだけ基本中の基本であり、必須とされていることなのだ。

著者について、「現実の経験が浅い」「世間知らずの「いいこちゃん」(お坊ちゃんお嬢ちゃんの作文)」などとすごい言われようなのだが、そういった批判をするなら、もっと具体的に何がどのようにそうなのかを指摘した上で、最低限、文献情報くらい示し、その上で批判してほしいと切に願う。

そもそも、こうした批判対象をぼやかしたり、ソースをしっかり確認しないという状況がいかに大きな問題につながりかねないかを、『社会運動の戸惑い』では記した。それにもかかわらず、その点をまったく受け止めずに、さらに悪化した形で同じ問題を繰り返しているというのは、問題はあまりに深刻だといえよう。

(初出 2013/02/02 1:55 pm)

mixi内でのバックラッシュをめぐる議論に関して 「社会運動とネット、メディア研究会」2009.12.26報告内容メモ (山下渉)

執筆者:山下渉

1.mixi内でのバックラッシュをめぐる議論を今から振り返ってどう考えるか。

内容レベルでは、他のネット空間で繰り広げられた言論戦に比べて際立った違いは無いと考えられる。但し、mixiならではの展開や問題はみられた(下の3にて詳述)。

2.フェミニズムのネットにおけるバックラッシュ対応に関する考察
同上。

3.mixiという媒体のコミュニケーション特性やその可能性および限界について
mixiのもつ
a.参加者の同一性は保たれている
b.匿名性は高い
c.「マイミクシィ」という制度
d.「コミュニティ」「日記」にみられる多層構造内でのコミュニケーション
という特性から下記の問題点が考えられる。

mixiは、招待制ではあるが、参加人数は多いのでもはや「クローズドな場」とはいえず、ひとつの公共空間になっている。しかもその内部で日記、コミュニティ、と重層的に閉鎖性と公共性が多層構造になっている。その場でのやりとりをどう扱うか? は難しい。

(a)(b)について:招待制と参加時の資格審査はあるものの、本名/通称ともに実生活での名前を明かしている参加者は多数とはいえない。ゆえに、(a)によって特定の参加者への攻撃が容易にできる一方で、(b)によって攻撃する側は匿名性によってオフラインにおよぶ責任追及からは免れやすい、ということも起こり得る。

(c)(d)について:各々の参加者同士の関係が「マイミクシィ(マイミク)=友人」か否かが外部からオープンになっている。「マイミク」は「友人」と称されるように2者が互いに承認しあってはじめて成立する。ゆえに、マイミクであることは単に相手を参照するだけではなく「相手を肯定的な存在として扱いあう」関係であるという前提がmixi全体で基本的には共有されている。
具体的には、個々のテーマ(ジェンダー、フェミニズムに関するもの)について「対話」「議論」が為される際に、テクストレベルでの内容に即しての応答よりも、「発言者たちのマイミク関係」「特定の思想/政治的傾向をもつコミュニティの参加者」といった属性を持った者たち同士の集団戦が起こりやすかった。
個々のテーマによって有志が集まる「コミュニティ」、参加者個々人が持つ「日記」といった空間ごとに、公開範囲が任意に設定できる。そのことが、参加者間での「mixi内が公共性をもつ場なのか? プライベートな場なのか?」という認識に差が生じやすい。また、複数の場を使い分けることで、「オープンな空間での発話」と「クローズドな空間での発話」をコントロールすることができる。それはそのまま、マイミク/非マイミクによる情報の流通経路を操作する権力ゲームの発生である。そうした”つながり”が「マイミク」という制度によって可視化と固定化がなされることが、かえって自由で広がりのあるコミュニケーションを阻害してしまう面があると考える。

<mixi内の「バックラッシュ」関連参照先コミュニティ>

『戦争反対!』コミュニティ http://mixi.jp/view_community.pl?id=14723
内にて、2006年頃「慰安婦」問題等で紛糾
該当トピック>【フェミニズム&ジェンダーと戦争】http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=2488180&comm_id=14723 他
『「ジェンダーフリー」ブッタギリ』コミュニティ http://mixi.jp/view_community.pl?id=165104
『「反ジェンダーフリー」斬りコミュニティ』 http://mixi.jp/view_community.pl?id=258004
『フェミニズム』コミュニティ http://mixi.jp/view_community.pl?id=53049
(2006年10月~約1年、wataru=山下渉が管理人として運営)
山下 渉(やました わたる)

山下渉さんによる、「mixi内でのバックラッシュをめぐる議論に関して:「社会運動とネット、メディア研究会」報告内容メモ」が公開されました

執筆者:山口智美

当サイトに、ゲスト投稿者として、山下渉さんが2009年12月26日に東京で開催した「社会運動とネット、メディア研究会」におけるご報告の内容のメモをご寄稿くださいました。

mixiの「フェミニズム」コミュニティの管理人のご経験をもたれる山下さんからみた、mixi内での「フェミニズム」をめぐる議論についてまとめたものです。

山下さんの上記研究会でのご発言は、山口智美・斉藤正美・荻上チキ『社会運動の戸惑い:フェミニズムの「失われた時代」と草の根保守運動』(勁草書房2012年)の第七章「フェミニズムとメディア、インターネット」の中で、一部引用させていただいています。このメモは、そのご報告の全体をカバーしているものです。
以下のリンクからご覧ください。

mixi内でのバックラッシュをめぐる議論に関して:「社会運動とネット、メディア研究会」報告内容メモ (山下渉)

この山下さんのエントリへのご感想等は、上記エントリのコメント欄、もしくはTwitterハッシュタグ#tomadoiを使ってお願いいたします。

(初出 2012/11/09 10:56 pm )

『癒しのナショナリズム』と『ネットと愛国』のあいだ

執筆者:山口智美

10月末に発売予定の『社会運動の戸惑いーフェミニズムの「失われた時代」と草の根保守運動』に関連して、個人ブログ「ふぇみにすとの論考」に、この本が『<癒し>のナショナリズム』と『ネットと愛国』の間をつなぐものかもしれないと一言書いた。それについてごくごく簡単に記してみたい。

『<癒し>のナショナリズム』、『ネットと愛国』と『社会運動の戸惑い』

小熊英二・上野陽子『<癒し>のナショナリズム』(2003)は、「新しい歴史教科書をつくる会」の一支部のフィールドワークに基づいた本。「新しい歴史教科書をつくる会」は1996年に結成され、『<癒し>のナショナリズム』掲載の上野陽子による調査は、2000年代初めに行われている。「つくる会」の最初の教科書採択運動は2001年の中学校教科書採択にかけてのものだったが、ちょうどその頃に行われた調査だ。

講談社ノンフィクション大賞などのいくつかの受賞や、多数の書評等により、今年4月の発売以降話題になっている、安田浩一『ネットと愛国』(2012)。この本は、在特会など「行動する保守」といわれる運動について扱っている。安田は、2010年頃から在特会などに関して膨大な取材を積み重ねてきた。「主権回復を目指す会」は2006年に設立、「在日特権を許さない市民の会(在特会)」は2007年初めに設立されている。他にもいくつかの団体ができ、中には既に解散した団体もあるが、「行動する保守」運動は現在も続いている。

『社会運動の戸惑い』は、ちょうどこの2つの書籍が扱う間の時期、00年代前半から中盤にかけてとくに盛んだった、地域、マスメディアおよびインターネット上でのフェミニズムへの「バックラッシュ(反動)」と呼ばれた動きを扱っている。そして、この2冊同様、フィールドワークや取材、聞き取りをもとにした本でもある。以下、1)運動の時代的な流れ、2)社会運動のネットやメディアの利用という、2つの意味において、どう『<癒し>のナショナリズム』と『ネットと愛国』の間をつなぐものになっているのか、簡単に触れる。

運動の流れとして

「新しい歴史教科書をつくる会」の一回目の教科書採択運動は、2001年に中学校の歴史教科書採択が終わり、一段落した。市販本が売れるなど世間的には注目を浴びたものの、採択数は少なく、採択運動としては失敗に終わっている。この結果をうけ、「つくる会」の内実も徐々に変化しつつあった。『<癒し>のナショナリズム』でも、「キリストの幕屋」などの、いわゆる宗教保守勢力の影響が「つくる会」内部で強まりつつあったことが指摘されている。そして、興味の矛先が夫婦別姓問題にシフトしつつあったことも示唆されている。

『社会運動の戸惑い』はこの後の流れを扱っているといえる。フェミニズムへの「バックラッシュ」といわれた動きは、2000年代にはいった頃に本格化しはじめ、2005年頃までがピークだった。1999年、男女共同参画社会基本法が国会で全会一致で可決された。それをうけ、全国の地方自治体に男女共同参画条例制定の動きが広まっていった。さらに、男女共同参画センターが各地で建設され、男女共同参画に関する事業も行われるようになっていった。こうした一連の動きへの反動が、2000年代のはじめ頃から広がった。そして、様々な地域でフェミニストと反フェミニズム保守派との係争が発生し、メディアやインターネット上でも反フェミニズム言説が目立つようになっていった。2005年4月には、安倍晋三幹事長代理(当時)が座長、山谷えり子参議院議員が事務局長となり、自民党が「過激な性教育・ジェンダーフリー実態調査プロジェクトチーム」(自民党PT)を立ち上げた。そして、「実態調査」やシンポジウムを行ったり、ウェブサイトで広報活動を行うなどした。その後安倍政権が誕生し、2007年に崩壊するまで、自民党PTの活動は続いた。

だが、2005年末に決定された「第二次男女共同参画基本計画」を反フェミニズム保守派が一定の「歯止め」になったとみたこともあり、サンケイ系メディアや、保守系ミニコミ、そしてネット上でも、2006年頃からフェミニズム批判の記事は大きく減少していく。2006年には福井県での男女共同参画センターの図書をめぐる事件や宮崎県都城市の男女共同参画条例の再制定、2008年のつくばみらい市DV講座をめぐる抗議などは発生し、まだ一部マスコミやミニコミでの盛り上がりは残っていた。さらに現在も、「従軍慰安婦」問題をめぐる論議は続き、反フェミニズム運動を続ける運動家も存在する。だが、男女共同参画社会基本法、および各地での条例の制定を契機として盛り上がった反フェミニズム運動の一つのピークは2002年から2006年頃までだったといえるだろう。

2006年以降、「行動する保守」運動の先鞭をつけた、主権回復を目指す会や在特会が設立された頃は、フェミニズムへの「バックラッシュ」とよばれた動きが勢いを落としはじめていた時期と重なっている。

社会運動のメディア活用の観点から

Windows95のでた95年頃から、インターネットが広がりはじめ、市民運動界隈でもブームになっていった。「つくる会」はその黎明期に初期の活動を行っていることになる。だが、初期の「つくる会」に関してはFAX通信や冊子やパンフ等のほうがまだまだ中心的な運動のメディアツールでもあった。そして、小林よしのりのマンガや教科書の市販本としての発売など、マスコミとタイアップした形でのメディア利用も行っていた。

2000年代、「ネット右翼」の言説から生まれてきた「行動する保守」運動の場合、団体サイトやブログ、mixiなどのSNS、そしてとくにYoutubeやニコニコ動画、ニコニコ生放送などでの生中継と、その活動の初期からネットを積極的に活用した。ミニコミ等を発行し、地域で足を使って運動を広げるよりも、まずネットで不特定多数に呼びかけるという方式をとった。そして、この運動の展開と、ネットへの常時接続、DSL、光ファイバーなどの高速回線の導入、モバイル環境でのネット接続等といった、ネット環境の変化は大きく関わっている。「行動する保守」は、街宣やデモなどを行い、それをネット中継するというスタイルを使い、運動を展開し、広げてきた。ネット、とくに動画の果たした役割は非常に大きい。

この2つの保守運動の流れにはさまれた、フェミニズムへの「バックラッシュ」とよばれた一連の保守系運動の最盛期の2000年代初期から中盤にかけては、運動のネット利用という意味でも、移行期だった。ウェブサイト、グーグル、掲示板、2ちゃんねる、ブログ、Wikipedia、そしてmixiなどが使われはじめ、そして広がっていった頃のことだ。フェミニズムへの「バックラッシュ」の動きの重要な場のひとつは、明らかにインターネット上だった。反フェミニズム系のサイトやブログ、「フェミナチを監視する掲示板」等の反フェミニズム系掲示板、Wikipediaでの編集合戦、2ちゃんねる男女板、まとめサイト、メルマガ等、様々な場で反フェミニズム言論が目立ち、広がっていった。

だが、当時、反フェミニズムの動きに関わった保守系運動がすべてネットを活用していたわけではない。むしろ草の根的にミニコミ等の手段を使っていたケースも多く、実際にこの時期の反フェミニズム保守運動の中で、ミニコミの影響力は大きかった。2000年代前半から中盤あたりにかけての保守運動では、ミニコミなどの小さな媒体、産經系メディアや『諸君!』、『世界日報』等の保守系マスコミや、その頃保守化傾向が目立ち始めた『別冊宝島』といったマスコミ媒体、そしてネット上での多彩な展開と、総体としては多様なメディアが活用され、反フェミニズムのメッセージが発信されていた。

このメディア活用上の移行期にあって、保守運動とフェミニズム運動のメディア活用はそれぞれどうなっていたのか。この問題も、『社会運動の戸惑い』では取り上げた。

このように、『社会運動の戸惑い』は、時代的にも、ネットやメディアの利用という意味でも、『<癒し>のナショナリズム』と『ネットと愛国』の間をつなぐ本なのかなと思う。そしてこの本では、今まであまり取り上げられず、目立ってこなかった人たちの活動をとりあげてもいる。人脈的にも、つくる会からも、行動保守の流れとも、異なる流れという面もある。だがそんな中で、それらの運動につらなる人たちの姿も垣間みえてもいる、そんな本でもある。

(初出 2012/09/27 11:33 am)

「ジェンダー・フリー」論争とフェミニズム運動の失われた10年

執筆者:山口智美

双風舎編集部編『バックラッシュ!なぜジェンダーフリーは叩かれたのか?』双風舎、2006年 掲載論文
(1)はじめに
1995年前後は、日本の女性運動にとって、重要な転換点だった。 1994年、男女共同参画審議会が作られたことで、耳慣れない「男女共同参画」という言葉が登場し、1996年には、同審議会による「男女共同参画2000年ビジョン」と「プラン」の中で「ジェンダー」という言葉が登場した。そして、「ジェンダー・フリー」という言葉も東京女性財団 によって紹介された。同年の北京の世界女性会議会議以降、「エンパワーメント」というカタカナ言葉が流行る一方、「ジェンダー」という言葉も新聞などでちらほら見かけるようになっていた。
その一方で、この時期、「フェミニズムはおわった」「ポストフェミニズム」といったような記事もよく見かけた。 当時の私は、アメリカ・ミシガン大学の大学院生であり、96年の6月から、約3年にわたっておこなった日本の女性運動のフィールド調査を、東京で始めたところだった。 ちなみに、私が博論テーマとして選んだのは、1996年の年末に解散した「行動する女たちの会」だった。解散すると聞いて、何となく事務所の「ジョキ」を訪れて、会員の方がたと話したり、引っ越しのための掃除作業をしたり、宴会に出たりしているうちに、研究テーマに自然になってしまった。そして、メディアは会の解散を、「フェミニズム断絶の時代」のシンボルとしてあつかった。(1)同じ時期には、家庭科の男女共修をすすめる会や日本婦人問題懇話会なども解散直前の状態にあり、両団体とも間もなく解散した。
行動する会の解散の理由は複雑であり、ここでは深く言及できない。だが、行政による女性問題への進出が背景の一つとしてあったのはたしかだ。 草の根女性運動と比べて、圧倒的に莫大な予算をもつ行政が、いままで女性団体が地道に作成し、売ることで活動資金の足しにしてきたパンフレットの類いを、より大規模で、美しいカラー印刷などのかたちで無料配布してしまう。そして、 啓蒙を主目的とした行政政策にもとづき、バブル期に建設された立派な女性センターなどで、さまざまな講座が開かれるようになっていた。古い雑居ビルにはいっていた会の事務所と、立派でピカピカ光る女性センターの建物とのあまりの違いに、日本の女性運動体の状況をよく知らなかった私は驚いたものだ。
また、大学では女性学の講座が、以前よりは確実に増えていた。しかし、そういった行政や大学講座のたぐいから既存の女性運動で活動するケースはそう多くはなく、あったとしても行政の周辺への参加だった。そして、行政や女性学に批判的なスタンスで活動することが多かった「行動する女たちの会」のような団体に、新しい会員がくることはほとんどなくなっていた。会が20年間、一貫して運動の一大目的とした「性差別撤廃」という言葉は使われなくなりつつあり、一方で「男女共同参画」というわかりづらい言葉が広がりつつあった。「女たちの会」という会の名前すらも、「男女共同参画」という行政のスタンスとの違いを如実にあらわしていた。

70年代から続いた、「行動する女たちの会」などの女性団体が解散していき、「性差別撤廃」や「性別役割分担」などにかわって、「男女共同参画」、「エンパワーメント」、「ジェンダー」、そして「ジェンダー・フリー」などのわかりづらい言葉やカタカナ言葉が登場してきた転換期が、この頃だったように思う。さらに、この流れの中で主導権を握ったのが、学者がリーダーシップをとる行政プロジェクトならびに運動体になっていったのだ。これは、女性学と行政が非常に密接な関係をもったうえで、女性運動をとりこんでいった流れだともいえる。また、「男女共同参画」という言葉によって、その流れに男性学者たちも参入しやすくなっていった。
このように、従来の女性運動にかかわってきた層よりも、むしろ行政と女性学者、そして男性のジェンダー学者が組み、引っ張ってきたのが「男女共同参画」という側面がある。くわえて、現在のバックラッシュの大きな特色として、本来「安全」だったはずの行政や女性学、そしてジェンダー研究などが、「過激」として叩かれているということがあげられるだろう。

この、「フェミニズムはおわった」言説から「男女共同参画」「ジェンダー・フリー」の登場、そして「過激なフェミニズム」としてフェミニズムが攻撃されるバックラッシュへと推移した、90年代中盤からのフェミニズム運動をめぐる状況を追ってみたい。とりわけ、 ここでは95年に行政と学者によって紹介され、広げられていき、ある意味でフェミニズム・バッシングのシンボルとさえなっている、「ジェンダー・フリー」という言葉のたどった歴史に焦点をあててみたい。

まだまだつづきます。ページ移動は下にある「ページ」からどうぞ。

細谷さんへ、あるいは性別特性論に焦点化する女性運動批判

執筆者:斉藤正美

「ジェンダーとメディアのブログ」2005年4月25日エントリーに若干修正したもの)


3月29日の私のブログ「ジェンダーとメディアのブログ」で、『世界.』4月号特集「ジェンダーフリーって何?」の細谷論文について書いたコメントについて、昨日、細谷実さんご本人がコメントを書いてくださいました。細谷さん、ブログを探して書いてくださり、ありがとうございました。

コメントを拝読して、29日の文では意図がよく伝わらなかったなあという反省もあり、ここで「細谷さんへ」という文章にしてみました。最近の行政結託型の女性学・女性運動(90年代半ば以降、これが女性運動の主流となっています)が「性別特性論の乗りこえ」を大きな目標としているのは、女性運動の歴史からみれば、どうみても昔語りです。女性運動はとうの昔から、「性差別をなくすこと」をターゲットにしてきました。基本法、条例は、行政もその方向にシフトしたことの踏み絵だったのではないのですか。今になって、右派が出してきた「能力、適性、役割」の議論にのるのは、どうみても後退戦に巻き込まれて討ち死にする作戦です。それは願い下げです。そういうことを書きました。29日のところと合わせてお読みいただければと思います。

  1. 私は、富山で女性運動と政策立案にかかわった立場から発信しています。倫理学者としての細谷氏が日本全体の政治状況(バックラッシュ)の分析をされているのとは自ずから視点も見えてくるものも異なるのだろうと思います。
  2. おそらく私が『世界』の細谷論文に興味が持てないのは、そうした日本全体をマクロに見渡している視点だと思います。「バックラッシュが登場した社会・経済的背景とその心理分析」では、具体的な場面で、女性問題に対して反論にあったりバッシングにあったりした時に個々に方針をたてたり、対策を考えたりするのに即役に立つものではないと思うからです。「あちこちで出てきているバックラッシュ、どーすんのよ?」の答えとしては、主流女性学・女性運動では総論ばかり語られ, 「あちこち」と個別に考えることがないことが問題だと思っています。そのいい例が桑名市の条例への対応です。このブログでも小川まみさんや寺町みどりさんが議論されていますが、橋本ヒロ子さんが『We』で桑名市条例について「廃止された」などと大迷惑な間違いを書いておられます。細谷さんの論考もやはりそうした「解決につながっていかない」、いやむしろ「解決に逆行する」対応例であると考えます。そう考える理由を以下で書きます。
  3. 細谷論文が「女性問題の解決に逆行する」理由を2つ述べます。
    1. まず、細谷さんが、「従来の『男女は異なれども平等』という考え方を抜け出した政府の男女共同参画社会推進政策」と主張されているのは、大問題と思っています。女性運動は、ずっと以前から制度を変えようと悪戦苦闘してきています。いまさら「『男女特性論』を抜け出したこと」や「能力、適性、役割」の議論で女性運動を数十年後ろにねじを巻き直されるのは、大迷惑です。
      男女共同参画社会基本法制定の時の議論を思い起こしてください。当時、効果の上がらない「意識啓発」政策ばかりやっていた行政がようやく重い腰を上げて「制度の改革へ」と根本転換をはかった、と語られました。基本法の第三条「男女が性別による差別的取扱を受けないこと」や、積極的格差是正策(ポジティブアクション)は、行政の施策として差別是正策へと歩を進めたことを示すものだと言われました。それなのに細谷さんの見方は、基本法や条例への動きによって、行政が「制度の改革」路線に舵を切ったことまでをなかったことにする、いわば「性差別撤廃施策なかった」論です。せっかく獲得した性差別撤廃のための施策を細谷さんの解釈によってないことにされるのは、「女性運動への逆行」です。
    2. 第二の理由は、「今回のバックラッシュが狙い撃ちしてきた」のが「能力、適性、役割」であるからそれについて書いたのだという点です。バックラッシュ側は、あえて「性差別の撤廃」を「男女の特性」という意識レベルにずらし弱体化をねらっているのではありませんか。相手の作戦に素直に乗って議論しているうちに、相手の土俵に私たちまで乗ってしまってはどうなるのですか。先に述べたように、女性問題解決ですが、一向に男女差別が改まらず、女性議員も増えず、賃金格差も縮まらないなど施策が行き詰まったために、「システムを変えなければ」という女性運動の声が、基本法や条例制定に向かったのではなかったでしょうか。どうしてこのような苦難に富む女性運動の歴史がかくもはやく忘れ去られてしまうのでしょうか、細谷さん。
  4. これらの主張は、私が80年代当初から女性運動に関わり、90年代には、居住地の自治体の男女平等推進施策の策定に関わった経験に基づくものです。男女平等条例の策定過程では、私たちは「性差意識」や「性別特性」からの打破などを焦点化することをできるだけ避け、「性差別をなくす」という点に焦点化しました。その結果、各地で起きている「ジェンダーフリー」や「男らしさ・女らしさ」などをめぐる型どおりのバッシングは起きませんでした。そうした自らの体験から細谷さんの作戦に異議を申し立てているのです。決して、机上の空論ではありません。

以下、細谷さんのコメントの4項目とそれへの斉藤のコメントを対照して並べました。

細谷 1、蜷川真夫さんのことは、うかつにも存じ上げませんでした。彼の果たした役割を政党に評価したいという話は分かります。しかし、「プロデュース」ということで、雑誌や新聞をあげてのフジサンケイの今回の動きに比肩していいものか。

斉藤:「雑誌や新聞をあげてのフジサンケイの動き」がいかに大きいか、深刻かということをわざわざ「ウーマンリブ」を対置してとりあげるのは逆効果ではないでしょうか。これだけ重大な動きになっている、大変だということは、「バックラッシュ」というわけのわからない言葉の使用とともに、この問題に詳しくない多くの人たちに「黒船が来た」という萎縮効果をも与えるのではないかと思い、懸念しています。

「リブの登場」だって、蜷川さんだけではなく、系列も媒体もさまざまな人たちが「プロデュース」しました。もちろんそれに対する批判や反論、誹謗中傷も多数ありました。

女性運動の歴史を振り返ると、いつだって反論はありました。女性運動を語る側に、今回のように「敵を大きく扱う」傾向が時々見られることを憂慮しています。今回の「バックラッシュ」論でも、そのような悪しき傾向を感じるので一言申しました。サンケイなど自らを攻撃する側を、「強くて大変だ」という戦略はどうなのかなと思うわけです。

2、「能力、適性、役割」論を中心に書いたのは、今回のバックラッシュが狙い撃ちしてきたのが、性教育と並んで、そうした分野であるからです。女性運動にとって、そういう「能力、適性、役割」論よりも、重要な分野があるという話はありうるでしょう。しかし、目下攻撃されている場所に手を拱いていていいとは思いません。それは、先の話と二者択一というものでもないでしょう。

斉藤:これについては、上に述べた通りです。

3、北田さんの論考を引いたのは、当時入手しやすいもので、バックラッシュ派についての分析を行った数少ないものだったからです。もちろん東大関係か否かはまったく顧慮の外でした。彼に会ったことも見たこともなかったです。

斉藤:北田さんのご講義を聴いているようなご論考よりも、細谷さんもご執筆されている『We』誌の「バックラッシュを打ち負かせ!」特集での三井マリ子さんの「男女平等を嫌う反動勢力の実像」(『We』2004年11月号)や、山口智美さんの「ジェンダーフリーをめぐる混乱の根源(1)(2)」(『We』2004年11月号、2005年1月号)のほうがはるかに具体的で役に立つものです。

細谷さんは、バッシング派が「『邪悪な人々』を設定して、憎悪の火を掻き立てて行くのは極めて危険な傾向である」と賢くまとめておられます。一方、三井さんは、「どんな手が打てるだろうか」とし「パンフレットなどを読むと相手のねらいがわかる」、「自分の信頼できる議員にバックアッシュの実態を知らせよう」、などと「バックラッシュに講義する運動」に参加するよう勧めています。

また、山口さんは、「保守派がカタカナ語や日常使われない用語(例「男女共同参画」)を叩く一方、表立って『男女平等』や『性差別撤廃』という言葉を批判しないのは、特筆すべきだろう。『ジェンダー・フリー』を『男女平等』とは異なるものだという妙な理屈をこねて、『ジェンダー・フリー』攻撃をしているのだ(新田均「日本の息吹」2002年10月号)。おそらく行政や学者は、『よくわからない言葉』を新しく使うことで男女平等への反発を軽減しようとして『ジェンダー・フリー』を使い出したと思われるが、それは失敗だったのではないか」(「ジェンダーフリーをめぐる混乱の根源(2)『We』2005年1月号」と書いています。これも、女性運動の戦略論として欠くことのできない視点です(山口さんの議論はこのブログから「ジェンダーフリー概念からみる女性運動・行政・女性学の関係サイトへ飛べば読めますし、三井さんの議論は三井さんのサイトに載っています」。

細谷さんや北田さんのように総論的で概論的な説明は、お勉強好きの方には好まれるかもしれませんが、役に立たなかったり、逆行していたりでホント困るなあと思っています。

3、拙論の狙いは、あれよあれよと言う間に広がってきたバックラッシュ派の輪郭を示すことにあります。品もなく固有名詞を列挙したのもそのためです。それ以上を要求されても、もともと木によって魚を求むの類でしょう。

斉藤:相手の土俵にのった輪郭を示してくださってもねえ、と困惑しています。

4、『世界』の特集が気の抜けたビールという感想をお持ちになるのも分からないでもありません。しかし、その特集をネタに自分の関心だけから自分の主張を書き連ねているだけのような気がします。「で、あちこちで出てきているバックラッシュ、どーすんのよ?」』

斉藤:「気の抜けた・・」は私の記述ではないので、その点についてはコメントしません。

「自分の関心だけから自分の主張を書き連ねているだけ」という部分については、ブログというWEB日記は、文字により「自分の主張を書き連ねているだけ」にすぎないものですが、「主張を書いただけ」ということでケチをつけられる筋合いもないと信じています。

細谷さんの論考が女性運動を後退させている、それがまかり通ってしまうのは困る、という必死の思いから書いたものです。意図を誤解されてもと思い、上記で私が女性運動に関わってきた体験を踏まえて、現状に対して心配のあまり書いたということも書き添えました。

「『ジェンダーフリー』ではなく『男女平等』だ」と言うことの危険性

執筆者:マサキチトセ

今日は、ブロガーの tummygirl さんによる「マッチポンプ、あるいは、対立の禁止が対立をつくりだす」というエントリ、及び小山エミさんの「上野千鶴子氏『バックラッシュ!』掲載インタビューのバックラッシュ性」を紹介する。

「ジェンダーフリー」という言葉を「性差の否定」だとして糾弾するバックラッシュ言説に対抗するために、少なからぬフェミニストが「フェミニズムは性差を否定しない」「男女平等を目指す」と言った対抗言説を構築してきた。しかしそこで想定されてしまったのは、フェミニズムが本来優先的に取り組むべき問題が、男女二元論の解体や撹乱ではなく、あくまで異性愛的でシスジェンダー的な「男女」の問題であるということだ。既存の男女二元論に対して疑義を挟もうとする者、そこに不快感や苦痛を感じる者などの存在を優先的に低い位置に置き、「フェミニズム」の外部へと押し出すようなかたちでバックラッシュへの対抗言説を構築しようとしているフェミニストは、そもそも LGBT の問題に関わる関わらない以前に、これまで男女二元論や異性愛のシステムを批判して来たフェミニズムの存在自体をも否定してしまっている。

日本女性学会シンポジウム「バックラッシュをクィアする」

そもそも tummygirl さん他が幹事会にシンポジウム企画を持ち込んだ段階では、「クィアする」対象は(バックラッシュ言説ではなく)バックラッシュ言説に対するフェミニズムの対抗言説であった。それは、上記のような問題関心から発せられた議題だ。にも関わらず、最終的にシンポジウムは「バックラッシュをクィアする」というテーマにすり替わり、むしろ「フェミニストとクィアとが共同してバックラッシュ言説を批判するという枠組みが採用され」てしまった。その点について詳しく tummygirl さんが述べているので、重要だと思う箇所を少し紹介したい。

今回のシンポジウムで明らかになったのは、フェミニズムとは根本的にストレートなものであり、その点において取り組むべき課題の優先順位は究極的には自明、との前提。この前提は、まさにその前提それ自身への批判を、あらかじめ「フェミニズムの正当な内部/本体」には属さないものとして封じ込める、同時に、「フェイニズムの外部に存在する敵」をあらたに作り出してしまう。

リンク

シンポジウム企画を提出した後、企画の意図が少しずつずらされ、批判が少しずつ封じ込められていく様子を、私は苦々しい思いで眺めていました。

私はまったく疑うことなく、「ジェンダーフリー」というのは、<生物学的>性差を含め、男女の性差といわれるものそのものに疑問や批判を投じる態度なのだろうと考えました。

[…]

ですから、たとえば「ジェンダーフリーというのは男女の性差までも否定する過激なフェミニスト思想だ」というような、いわゆるバックラッシュ言説を目にしても、それが大きく的を外したものだとは考えなかったのです。

[…]

ところが、よく良く聞いてみると、どうやらジェンダーフリーというのは「男女の性差は否定しない」ものであるらしい。

[…]

しばらくすると、それこそがジェンダーフリーの正しい理解であり、「性差を否定するというのはバックラッシュ側のいいがかり」である、ひどいものになると、「男らしさ、女らしさを否定するわけではないが、その押し付けに反対する」ことがジェンダーフリーなのだ(03年の女性学会幹事会有志による、『Q&A男女共同参画をめぐる現在の論点』においても、これと非常に類似した表現が確認できる)、さらには、「男女同室着替えとかユニセックストイレなんてトンデモ言説と一緒にするな」というような表現までもが、たとえばフェミニズム系のMLやサイトなどで、頻繁に見られるようになっていきました。

注意していただきたいのですが、ここで私が主張したいのは、フェミニズムは性差を否定すべきだ、ということではありません。そうではなくて、バックラッシュ言説への対抗において、「フェミニズムが既存の性差の形態を否定するかもしれない可能性」というものを、フェミニズム自身が(あるいは一部のフェミニストが)積極的に隠蔽してしまった、ということを指摘したいのです。

バックラッシュ言説がフェミニズムを攻撃するときに動員したのは、互いに支えあう二つの体制、すなわち、二項対立的なジェンダーシステムと異性愛体制ですが、そこから逸脱する存在に対する恐怖や嫌悪でした。

ところが、「フェミニズムは男女平等を目指すのだ」「性差を否定しないのだ」と主張したとき、そのようなフェミニズム側からの対抗言説は、バックラッシュを意識するあまり、それらの恐怖や嫌悪を批判するのではなく、恐怖や嫌悪の対象となることを回避する方向に、向かってしまいました。

つまり、その時のフェミニズム側の対抗言説は、いわゆるバックラッシュのロジックとは違う理由で「男女平等」という理念に居心地の悪さを覚えるフェミニストや、既存の「性差」という概念に疑問をいだくフェミニストの主張を、あたかもそれは正当なフェミニズムの主張ではないかのように、扱ったのです。

少なくとも私の理解する限りにおいては、二項対立的なジェンダーシステムと異性愛体制とは、まさしくフェミニズムが批判を向けてきた対象だったはずです。先ほども申し上げたように、その点においては、バックラッシュ言説は大きく間違えてはいなかったはずなのです。だからこそフェミニズムは、トランスのために、あるいはゲイやレズビアンやバイセクシュアルと共闘するために、ではなく、フェミニズム自身のために、その二つの体制から逸脱することへの恐怖や嫌悪そのものに、立ち向かうべきだったのです。

今回のバックラッシュ言説がもっとも露骨な形で攻撃の対象とし、そしてフェミニズム側の対抗言説がもっとも簡単に切り離そうとしたのは、二項対立的なジェンダーシステムと異性愛体制とを覆す、「クィア」なあり方でした。つまり、そのような存在を、望ましくないもの、切り離すべきものとして扱った点において、フェミニズムの対抗言説はバックラッシュ言説と、無自覚な共犯関係を結んでいたのです。

バックラッシュをかわすためにクィアを切り捨てることと、クィアとフェミニズムが共闘しているというメッセージを送ろうとすることとは、矛盾するように見える。フェミニズムの対抗言説に対するクィアな視点からの批判はクィアからのフェミニズムへの攻撃を意味すると考えることと、そのような批判はフェミニズムの内部分裂であると考えることとは、つながらないように見える。

けれども、これらはすべて、既存の一つの前提に基づく体制を承認するところから出たものであり、その前提と、そしてそれに基づく体制とを、再確認し、再強化する役割を果たすものである、と考えるべきです。その前提とは、フェミニズムとは根本的にはストレートなものであり、そしてその点において、フェミニズムが取り組むべき課題の優先順位は、究極的には自明である、というものです。

バックラッシュの攻撃からカッコつきのフェミニズムを守るためにクィアを隠蔽する、あるいは切り捨てる、という戦術を可能にするのは、何か。それは、もっとも攻撃にあいやすいクィアな要素はフェミニズムにとって不可欠な構成要素ではなく、あくまでも「つけたし」であって、だからそれを切り捨てても「フェミニズム」は存続しうるのだ、という発想です。バックラッシュというフェミニズムの「外部」からの攻撃に際して、フェミニズムの「本体」を守るためには、フェミニズムの外側にくっついているものを一時的に切り離すことになったとしても、まあ仕方ない、ということです。

「フェミニズム」と「クィア」との関係がそんなに単純なものではないことは、明白です。クィアな視点はフェミニズムの「中」にも存在するし、それは、少なくとも一部のフェミニストにとっては、フェミニズムの「本体」を構成する重要な要素なのです。

フェミニズムがクィア的な視座を常に完全に包摂するものだと主張するつもりもありません。けれども、バックラッシュへの対抗言説をめぐる今回の件については、すでにフェミニズムに存在している問題意識、フェミニズムが経験してきた歴史、フェミニズムの練り上げてきたロジックを通じて、十分に批判も検討も可能であるはずでした。

上野千鶴子『バックラッシュ!』掲載インタビュー

小山さんは、実践の現場においてLGBT関連の問題が「ジェンダーフリー」という看板の下で取り入れられたことを指摘し、その点で「ジェンダーフリー」ではなく「男女平等」という言葉を使うべきだという考え方には反対している人もいるということを紹介する。

「ジェンダーフリー」派は、「男女平等」という言葉は男女の違いを前提として「異なる、しかし対等な扱い」を許容するから時代遅れなのだという。しかし『バックラッシュ!』掲載の山口智美さんや長谷川美子さんの論文を読めば、そして男女共同参画基本法以前の日本の女性運動の歴史を学べば、「ジェンダーフリー」派によるこうした議論は間違いだと分かる。ましてや、80年代からはじまっている男女混合名簿(というか、単なるあいうえお順の名簿)推進運動まで90年代以降に起きた「ジェンダーフリー」運動の成果にしてしまう議論に至っては、もはや歴史修正主義に近い(斉藤正美さんによる「ジェンダーとメディア・ブログの 6/16 の記述の [3] を参照)。日本の女性運動が推進してきた「男女平等」という言葉は、決して「性別特性論」などに与するものではなかったはずだ。

ところが、フェミニズム内部で「ジェンダーフリー」に対する否定的な意見が聞かれるようになるにつれ、全く別の面から「男女平等よりジェンダーフリー」を主張する声が聞かれるようになってきた。その代表的な論者が、このブログや斉藤さんのブログでさかんにコメントを寄せてくださっている HAKASE さんであり、『バックラッシュ!』キャンペーンブログでチャットにお招きした筒井真樹子さんだ。ゲイという立場から発言している HAKASE さんと、全ての人に共通のジェンダーライツという観点を提示している筒井さんではやや立場が違うのだけれど、「ジェンダーフリー」にセクシュアルマイノリティの問題や性別二元論を疑う視点まで含めようとする点が共通している。

もちろん「ジェンダーフリー」を最初に考案した人たちは、セクシュアルマイノリティの権利や性別二元論の解体を主張するつもりで「ジェンダーフリー」という概念を提案したのではない。そのことは、「ジェンダーフリー」の初出とされる東京女性財団作製の冊子「Gender Free」がまったく強制異性愛主義を疑わないばかりかそれを前提としていることから明らかだ。しかし実際の実践の現場において、「ジェンダーフリー」の看板の元で例えば学校でレズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダー (LGBT) の当事者を招いて生徒の前で話をしてもらうといった具合に、一部で先進的な試みが行われたこともまた事実だ。また、「ジェンダーフリー」の意識啓発としてセクシュアルマイノリティに対する差別への取り組みも行われた。にもかかわらず「ジェンダーフリーではなく男女平等」に方針転換するのは、せっかく始まったばかりのセクシュアルマイノリティに関する教育プログラムを頓挫させることになるのではないかと HAKASE さんらが恐れるのももっともだ。

リンク

そう説明した上で、この問題について「ジェンダーフリーではなく男女平等」を掲げる上野千鶴子さんがどのような考えを持っているのかを、『バックラッシュ!』所収のインタビューをもとに検証している。インタビューの中で上野さんがしている様々な発言を取り上げて、小山さんは次のように言う。

どうやら上野さんが「ジェンダーフリーより男女平等」を主張することのかなり大きな要因として、本来なら「男女平等」、特に「ヘテロ女性」の問題を扱うべき(だと彼女が信じている)「男女平等」が「ジェンダーフリー」と置き換わることで、セクシュアルマイノリティに関する教育が可能に「なってしまう」ことへの反発があるのではないかと感じる。非常に残念だし、日本のフェミニズムや女性学の「業界」でこうしたホモフォビックな、あるいはトランスフォビックなバックラッシュ言説が容認されており、反「バックラッシュ」を標榜する書籍にまで登場してしまうというのは、いかに「多様な言説を集めた」本とはいえちょっとわたしの理解を越えている。

この批判に対して上野さんと小山さんのあいだで対話がなされ、その結果がまとめられている

コメント

一方で「二元論を超えるためには『ジェンダーフリー』だ」という考え方があり、もう一方で「『ジェンダーフリー』は性差を否定するものではない」のにも関わらず「そういう誤解があるから、『ジェンダーフリー』ではなく『男女平等』と言うべきだ」という考え方がある。

しかしこれらの考え方は両方とも、「男女平等」を(ある程度)「性別特性論」や「男女二元論」とみなす前提に基づいているのだ。しかし「ジェンダーフリー」という言葉が生まれる前からフェミニズムの中には性別特性論や男女二元論を批判する声があった。更に言えばフェミニズムの中には強制異性愛社会を批判する考え方が多数存在してきたし、「女性」がジェンダーの不正義だけに左右されるのではなく人種や民族、階級、セクシュアリティなどによって様々な影響を受けていることもフェミニズムの内部からずっと指摘されて来たことだ。

そういった歴史を継承することなく「これまでの『男女平等』論ではなしえなかった男女二元論からの脱却」としての「ジェンダーフリー」を主張したり、あるいは救済すべき対象としての「女」よりも優先順位の低いものとしてセクシュアル・マイノリティを位置づけることで自動的に「女」というカテゴリーからレズビアンやバイセクシュアル、トランスジェンダー女性などを追い出し、同時に「女」というカテゴリーに残された女たち(レズビアン・バイセクシュアル・トランスジェンダー女性でない女たち)の日々の生活の中での「揺れ」や「迷い」、「自分の『女』というカテゴリーへの違和感」などを無化することは、フェミニズムの豊富な歴史を捨て去ることであり、もっと言えば、先人たちの実践・理論をないがしろにすることだ。

このように、「ジェンダーフリー」という言葉が引き起こしたフェミニスト言説には問題が多い。バックラッシュ言説に対して「わたしたちはそんな過激なことを主張しているのではない」ではなく、「そうだけど、それが何か?」と少しでも言えたとき、「フェミニズムはその蓄積をきちんと継承して活かしているのだ」と胸を張って言えるだろう。