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『行動する女たちの会資料集成』全8巻と、映像記録『行動する女たちが未来を拓く』

執筆者:山口智美

2015年7月から、2016年6月にかけて、編集復刻版『行動する女たちの会資料集成』全8巻が発行された。

運動体の記録を残すとき、過去の運動体による発行物を集めた資料集を作るべきなのか、または 過去を振り返って、運動の当事者および第三者が歴史を記述するべきなのかの2つの方向性がある。1999年に未来社から刊行された『行動する女たちが拓いた道』は、後者の方法をとった。「行動する会」の歴史を、運動に関わった当事者が記述することで、現在や未来の女性運動につなぎたいという問題意識が大きい本だったからでもある。そのため、あくまでも、運動当事者が、この記録の執筆当時であった1999年の視点から、自らの記憶を中心として歴史を振り返った ストーリーを提示したものとなった。

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巻末に収録された年表により、運動の流れはわかるが、年表もやはり、すべての出来事を記述することはできない。1999年当時の編集委員の視点から重要だと考えた出来事等を選び、小さな表形式のスペースに入るような形で執筆、編集したものである。 ページ数の限定もあり、運動の記録としては不十分な面があったことも否めない。

編集復刻版『行動する女たちの会資料集成』全8巻(詳細情報はこの記事最後に掲載)が発行されたことで、会の運動を実際に行っていたときの視点からの資料をまとめて見ることができるようになった。『行動する女たちが拓いた道』と合わせて読むことで、当時と現在と両方の視点からの行動する会の歴史がまとまった形で提示された。(私が書かせていただいた「解説 行動する会を女性運動史に位置付ける」は当サイトにも掲載している。)

資料集成のパンフレットの表紙。年表や推薦文などが入ったパンフレットは六花出版サイトからダウンロードできる
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さらに、今年の6月には、映像記録『行動する女が未来を拓く』が完成し、9月にはDVDの形になり販売が開始された。
この映像に記録は、昨年7月の『行動する女たちの会資料集成』出版記念の集会での元会員の方々のご発言に加え、個別に何人かの元会員の方々にさせていただいたインタビューも収録されている。さらに、元会員が所有していた、当時の運動の貴重な写真からも収録されており、どんな人たちが、どんな雰囲気で運動していたのか、彼女たちの生の声が聞ける、貴重な記録だ。

私自身もこのプロジェクトのインタビューをいくつもさせていただいたが、お話の内容も貴重だったし、それを語ってくださる皆さんのパワーや感情などに動かされるところがかなりあり、私にとっても本当に貴重な経験になった。行動する会関係の編集の際はいつもそうなのだが、DVDのための編集作業でもやはり様々な議論が喧々囂々となされたりもして、参加すること自体が楽しく、かつ考えさせられたり、自分の思いをお互いに語ったり、、という場でもあった。

DVDは、送料込みで680円で販売。複数枚ご注文の場合、680円×○枚。運動として広げたいという意味もあってのこの値段。是非ご覧ください!
お申し込みご希望の方は、「行動する女たちの会」映像を記録する委員会 kodosuruonna@gmail.comあてにメールでお申し込みください。追って、お支払い方法などをメールでご連絡させていただきます。

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以下、編集復刻版『行動する女たちの会資料集成』全8巻の詳細情報を紹介しておきます。

国際婦人年をきっかけとして行動を起こす女たちの会(1975~96年)の全記録!
インスタントラーメンCM「私作る人、僕食べる人」、NHK女性アナウンサーが天気予報とアシスタントばかり担当していることなど、性別役割分業に抗議し、家庭科の男女共修、出席名簿の男女混合の運動を推進して70年代から90年代のウーマンリブ/フェミニズム運動の一翼をになった「行動する会」。
その活動を記録するチラシ・宣言文・裁判資料・リーフレット・機関誌等、資料約630点を編集復刻!
1975年、性差別への怒りを行動に変え、果敢に異議申し立てを実行した、「国際婦人年をきっかけとして行動を起こす女たちの会」(1975〜96年)の活動記録のすべてを網羅!

「女らしく」「女だから」の常識=性別役割分業に挑み、分断されている女たちに連帯を呼びかけ、教育・労働・マスコミ・離婚・主婦・などのグループを立ちあげて、女をめぐるさまざまな問題に取り組んだ「行動する会」。
自分たちのいたみや怒りから出発し、男社会のバッシングに徹底的に反駁しながら、あらゆる場にひそむ女性差別を告発し、社会を動かしたその行動は、1910年代の『青鞜』から始まった、日本の女の運動史に明確に刻印されるべき運動である。
現在もなお頑強に残り、さらに深刻になっている性差別問題を解決したいと望むすべての人に、女たちの二二年間の記録を提供する。

◉体裁
A4判(第1巻・第2巻)
B5判(第3巻〜第8巻)
上製/総約3、300ページ
◉揃定価
180、000円+税〈全3回配本〉
第1巻 チラシ・抗議文・声明書等Ⅰ(巻頭に解説)
第2巻 チラシ・抗議文・声明書等Ⅱ
第3巻 パンフレット等出版物Ⅰ
第4巻 パンフレット等出版物Ⅱ
第5巻 機関誌「活動報告」1975年4月~80年
第6巻 機関誌「活動報告」1981~86年3月
第7巻 機関誌「行動する女」1986年4月~90年
第8巻 機関誌「行動する女」1991~96年10月

◉編
高木澄子/中嶋里美/三井マリ子/山口智美/山田滿枝
◉推薦
笹沼朋子/樋口恵子/ノーマ・フィールド/安田常雄
栗田隆子/千田有紀/谷合規子/角田由紀子/福島みずほ/三木草子/山口里子/横田カーター啓子/米津知子
◉解説
井上輝子/山口智美

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私のフェミニズム研究の原点としての「行動する女たちの会」

執筆者:山口智美

(元々は『行動する女たちの会資料集成』(六花出版)の解説文の冒頭部分用として書いた文章ですが、字数削減の必要がありカットしたものです。)

私のフェミニスト研究者としての原点、それが「行動する会」だった。 1996年、当時アメリカのミシガン大学の大学院生だった私は、博論のためのフィールド調査を行う目的で東京にやってきた。日本での活発なフェミニズム運動の実態を調査するという計画で、とくにどのグループに焦点を当てるとはその時点では決めていなかった。そして、 「聞いた事ある有名な団体だな」という程度の認識しかない中で、行動する会に連絡をとってみた。だが、その時、会はすでに解散の話し合いを進めている最中だったのだ。結局、私が二回目に新宿区曙橋にあった、会の事務局「ジョキ」に行ったときの会議で、解散が決定。「行動する会」の最後の新入会員となった私ではあったが、会の活動への参加は、 解散決定の会議と、その後の事務局の片付けと掃除、そして打ち上げパーティーだけだった。

本来の博論研究計画からいったら、私が会に行ったときはすでに遅すぎ、会の解散とともにこの会の調査は終わるべきだった。でも、私はこの会こそに強く惹かれた。それはおそらく「解散」というタイミングだからこそ 、この会の運動をどう振り返り、どのように解散し、歴史に位置づけるのか、という分厚い議論が、まさにそこで行われていたからだったように思う。

そんな中で、会の歴史の前半10年間に中心的に活動していた人たちが、会の歴史をまとめるプロジェクトを進めていることを知った。そのプロジェクトの成果は 『行動する女たちが拓いた道——メキシコからニューヨークへ』(行動する会記録集編集委員会編 未来社 )としてまとめられ、1999年に出版された 。このプロジェクトに興味を覚えた私は、新宿御苑前にあった、中島通子さんの法律事務所で行われていた編集会議に出席した。1997年4月のことで、この時私が 参加したのは、4度目の編集会議だった。中島さんのほか、吉武輝子さん、駒野陽子さん、金谷千都子さんなど、今は亡くなられたそうそうたる会の元会員たちも出席していた 。そして、一度参加しただけでいつの間にか私は編集委員の一員ということになってしまった。

その後、2年近くに渡って中島通子法律事務所で、ひと月に一度程度のペースで開かれた編集会議に通い続けた。いきなり編集委員会に飛び込んでいった私は当時20代で、世代的には図抜けて若かったが、参加して意見を言うことは歓迎され、中島さん、吉武さんから私まで、皆でお茶の準備や片付けをしたりもした。そしてお互いの呼び名は、それぞれの職業や世間的な著名度がどのようなものであろうとも関係なく、「先生」ではなく「さん」だった。私は中嶋里美さんとともに、マスメディア抗議の章を執筆し、さらに、山田満枝さんと小林みち子さんとともに、年表作成を担当することにもなった。そのため、 中嶋さん、山田さん、小林さんとは何度も会って長時間作業をし、食事もともにし、その中で行動する会についての様々なお話を伺ったりもした。

要するに私自身も、行動する会の解散に至る過程と、その後の歴史をまとめるプロジェクトに参加して、 行動する会の「平場」の実践を体験したことになる。さらに会員たちの会や、執筆の際に掘り起こした様々な資料への思いの大きさも、作業に共に関わりながら、会員たちの語りを通じて理解することとなった。

そして、編集委員会の場で聞いた、会の歴史、および日本の女性運動 の話は、私にとっては興奮の連続だった。過去の自分たちが関わった運動へのノスタルジアとして歴史は語られるだけではなく、当時進められていた「男女共同参画社会基本法」づくりのプロセスへの疑問や、「男女共同参画」という行政主導でつくられた概念への批判、および女性運動の方向性への問い直し等を議論する中で、行動する会の歴史が位置づけられ、議論され、語られていたのだ。すなわち、 歴史は過去を懐かしむためだけに語られるのではなく、現在を問い直すためこそに、その解釈も含めた議論が熱く行われていた。「こんなにすごい話を私だけが聞いていていいのか」と会議に出るたびに思ったのをよく覚えている。

同時に、そこで多々言及されていた70年代中盤から80年代にかけての運動の歴史について、 「なぜ、私はこんなに知らなかったのか?」と 衝撃を受けた。 もちろん 私の不勉強もあるだろう。だが、それだけではないのではないか? これは、私が博論研究を通して問い続けた課題となり、その後のフェミニズムに関する調査研究においても、常に「なぜ行動する会の歴史は抜け落ちてきたのか?」「今でもまた落とされ、書き換えられていくのはなぜか?」という問いは、私が様々な局面で立ち戻る問題であり続けた。(注)

(注)例えば、双風舎編集部編『バックラッシュ!—なぜジェンダーフリーは叩かれたのか』(双風舎2006)に寄稿した「ジェンダーフリー論争とフェミニズム運動の失われた10年」という拙論は、 行動する会へのオマージュという意味もこめて書いたものだった。本資料集に収録されている「男女平等教育をすすめるシリーズ」パンフレットなどにおいて、行動する会が目指した「男女平等教育」は、明らかに男女の特性論を乗り越えたものであり、人々の意識、社会構造両方を問題として捉えたものだった。2000年代の「ジェンダーフリー」をめぐる論争においては、「男女平等教育」は制度に関することに限定されるとか、特性論は超えられないなどという主張がなされていた。少なくともこれは行動する会が主張してきた「男女平等教育」とは大きく異なり、これでは行動する会の教育分科会の運動の積み重ねはなかったことにされてしまう、という危機感のために執筆したものだった。

解説 行動する会を女性運動史に位置づける

執筆者: 山口智美
編集復刻版『行動する女たちの会資料集成』第1巻(2015年7月 六花出版刊)所収

<行動する会の歴史とリブ、女性学>
  「国際婦人年をきっかけとして行動を起こす女たちの会」(以下「行動する会」と略す)は1975年1月13日に発足した。 市川房枝、田中寿美子両参議院議員が、国際婦人年に民間の女性たちの機運を盛り上げたいということで女性たちに呼びかけ、1974 年の秋に新宿の婦選会館で準備会が開かれた。準備会での議論をへて、行動する会は、団体の連絡会ではなく、「原則として個人参加」の会と定められた。
 初期の世話人には両参院議員に加え、評論家や弁護士、教員、主婦などのさまざまな女性たちがいた。そして、1975年9月末、NHKへ27項目からなる「要望書および質問状」を持って小野会長に面会したことや、ハウス食品インスタントラーメンCM「私作る人、僕食べる人」への抗議などが大きく報道されたこともあり、 新聞記事や集会案内等を見た事などがきっかけとなって、新たな会員も加入していった。その後、会はマスコミ、教育、労働、政治など多様な分野にわたる活動を行った。「国連婦人の10年」は1985年に終わりを迎え、会は1986年に名称を「行動する女たちの会」に変え、より若い世代が中心となった。その後も会は活動を続けたが、1996年12月に解散した。
 行動する会は、女性学の文献でも、また女性運動やウーマンリブの歴史という文脈でも、その知名度や役割の大きさに反して、驚くほどに語られてこなかった会だった。1970年代のウーマンリブ運動の歴史についての出版物も、70年代始めから半ばまでを扱うことが多く、行動する会の歴史は抜けがちだった。女性学において後に主流となった歴史記述では、1975年以降は国連の動きや外圧が強まり、行政主導の運動が盛んになり、1977年以降は女性学が生まれ発展した時代と捉えられた。こうした歴史解釈の中で、行動する会の運動の歴史は十分に顧みられず、埋もれていった。
 井上輝子さんは本資料集の解説で、行動する会を「生活者版リブの集まり」だったと表現している。本資料集第3巻収録の『女の分断を連帯に 1年目の記録』に掲載された、「明日をつむぐ女たち」は、行動する会が結成された年に、会の歴史的な位置づけを詳細に論じた大変興味深い論考であるが、そこでも 労働運動、既存の婦人運動に加え、リブ運動の流れの中で会の発足が論じられている。元会員たちに私が行った 聞き取りでは、自分をリブと自認する人とそうではないと思う人と、その人の世代や出身地など、背景状況によって様々なケースがある。 しかしながら、リブに大きな影響をうけたことを語る元会員は多く、紛れもなくリブの歴史を受け継いだ運動だったと言えるだろう。よって、リブの歴史を現在につなげるという意味においても、行動する会の歴史は外す事はできないものだといえよう。
 本資料集成は、2012年に亡くなられた吉武輝子さんをはじめ、編集委員である高木澄子さん、中嶋里美さん、三井マリ子さん、山田満枝さんら、元会員の 方々の、 歴史の欠落を埋めたいという強い思いのもとに実現したものだ。さらにたくさんの元会員の方々が、手もちの資料を共有してくれた。70年代のウーマンリブ運動のミニコミ等の資料をどう保存するのかは、紙の劣化や資料の散逸などがある中で大きな課題となっているが、行動する会の関連資料も例外ではなかった。 そうした中で、今回の復刻版資料集の出版は大きな意義がある。
 会の事務局専従を7年間にわたってつとめ、活動報告の編集も行っていた山田満枝さんは「この復刻版は私の命」と言い切った。その言葉の持つ意味は大きく、重い。このプロジェクトは「過去語り」のためだけのものではない。現在の日本社会を考えるにつけ、今だからこそ「行動する会」の活動の歴史を振り返り、そして今後の運動に生かしていくべきなのではないか。 今の運動にとっても「性別役割分業」批判や「性差別」の撤廃にこだわった、行動する会の運動は現在にも続く重要な視点を提示しているのではないか。
 では、 行動する会の 歴史の中で、とくに何が重要だったのか。 本復刻版収録の資料に加え、私自身の元会員らへの聞き取りなどの調査 も参照しつつ、以下で考察してみたい。

(まだまだつづきます。ページ移動は下にある「ページ」からどうぞ。)

小田嶋隆氏「『女性差別広告』への抗議騒動史」の何が問題なのか?

執筆者: 山口智美

コラムニストの小田嶋隆氏が、「「女性差別広告」への抗議騒動史」という記事をブログにアップした。そもそもの経緯は、小田嶋氏のツイッターでの「従軍いやん婦」発言にさかのぼる。その発言をめぐる一連の経緯はTogetter「小田嶋隆さんの”従軍いやん婦”発言をめぐるやりとり」参照。Twitterでの経緯から、小田嶋氏がこのブログ記事で言及している「フェミニズム運動にかかわっておられると思しき女性」というのは、私のことを指しているかと思われる。

ブログ記事としてアップし、追記まで加えておきながら、「以後、この問題については、議論しません」というのは、どうなのかとは思う。まあ一方で、私の側とすれば、絶版状態の本の文章をブログで批判するのもどうかと思っていたのだが、アップされたことで誰でも検証できる状態になったこともあり、批判をまとめるよい機会を与えていただいたということになる。小田嶋さん、ありがとうございました。

しかし、小田嶋氏は、コラムの文章全文をアップすれば、「ミソジニーバックラッシュのアンチフェミのセクシストのマッチョ」という疑いがおそらく晴れるであろうと思われた様子なのだが、なぜそんな認識になってしまっているのか不思議だ。アップされた記事も、「ミソジニーのバックラッシュの…(以下略)」にしか見えないからだ。

小田嶋氏の「『女性差別広告』への抗議騒動史」 は「国際婦人年をきっかけとして行動を起こす女たちの会」(1986年から「行動する女たちの会」に改称。96年解散。以下、「行動する会」と記述)による、メディア抗議行動の批判である。 私は博論で、この「行動する会」を扱った。それ以来、今に至るまで私がずっと追い続け、資料を集め、元会員への聴き取りを積み重ねてきたテーマだ。 *1 さらに、『まれに見るバカ女との闘い (別冊宝島Real (050))』は、2000年代前半から中盤にかけて出版が相次いだ、フェミニズムの「バックラッシュ」本の一冊である。私は『社会運動の戸惑い』本のための調査でフェミニズムへのバックラッシュを扱ったが、この「バカ女」シリーズについて、宝島社や関係者に聴き取りを行っている。そんなわけで、小田嶋氏が今回再掲した記事は、私の取り組んできたテーマの、ど真ん中をついていることになる。それもあり、今回反論を書く事にした。

バックラッシュ本としての『まれに見るバカ女との闘い』

まれに見るバカ女との闘い (別冊宝島Real (050))』(2003)は、全3冊の別冊宝島「バカ女」シリーズの2冊目にあたる。一冊目の『まれに見るバカ女』が売れたために、続編ということでこの企画が出たという。この後に出たのが、2005年の『男女平等バカ』だった。売り上げは一冊目が最もよく、だんだん減っていったという。

フェミニズムへの「バックラッシュ」本の先鞭をつけたのは、1996年から約10年にわたり多数のフェミニズム批判本を出した林道義氏だった。だが「バックラッシュ」最盛期に突入したのは2002年、フェミニズム批判本が多数出版され始めたのが2003年である。その中でも最も売れたと思われる『まれに見るバカ女―社民系議員から人権侵害作家、芸なし芸能人まで! (別冊宝島Real (043))』(2003)が火をつけたといっていいだろう。そして、 『まれに見るバカ女との闘い』(2003)は、シリーズ前作よりもフェミニズム批判の色彩が濃くなっており、バックラッシュの運動で大きな役割を担った 長谷川三千子氏と岡本明子氏の対談も掲載されている。そして小田嶋氏は、この本の「Part 4 バカ女の事件簿」と題された章で、フェミニズム運動批判を展開している。

小田嶋氏はブログ記事で「私自身は自分のことを、かなりフェミニズム寄りの人間だと考えています。」と書いているが、少なくともこの本は2003年当時、フェミニズムへの「バックラッシュ」盛り上げに貢献したことは確かだし、それがトレンドで売れるとみた編集サイドが、もっと盛り上げようという意図をもって出版されたものでもある。こうしたフェミニズムへのバッシング狙いで作られた本に寄稿している小田嶋氏が「フェミニズム寄り」だという発言で念頭においている「フェミニズム」とは、いったい何なのだろうか。

女性史は「党派的なヒステリーの温床」なのか?

小田嶋氏は「女性史」を「党派的なヒステリーの温床」だと位置づけている。以下、該当部分を引用してみよう。

が、女性史のような一見社会的に見えるタームにこそ、個々人のパーソナルな視点と一個人の固有な記憶の裏づけが要求されるべきなのだ。なんとなれば、「公的な」「資料付きの」「定説化された」情報には、多くの場合、党派的なバイアス(「フェミ側の」あるいは「マッチョ寄りの」でなければ、プロ市民臭かったり、偽善っぽかったり、利口ぶっていたりするような様々な偏向した圧力)がかかっているものだからだ。逆に言えば、党派的な思惑や商売上の利害関係の持ち主でもなければ、誰もこんな厄介な問題(女性史のことだが)には、手を出さないはずなのであって、とすれば、誰かが女性問題について発言しているということは、すなわちその発言が偏向していることを意味している。……って、厄介だなあ。

 ともあれ、女性史が厄介な話題であり、党派的なヒステリーの温床であるという、このうんざりするような状況に水をかけるためにも、一個人のナマの記憶は第一次資料として、ぜひ、珍重されるべきではあるのだ。

女たちの歴史というのは、男の歴史 に比べて、圧倒的に記録に残ってこなかった。そうした記録に残っていない歴史を、地道な聴き取りを重ね、まとめていったのが、女性史における多くの仕事の成果だった。著名ではない、市井の女たちの歴史を記録し、残したという面で、とくに成果は大きい。まさに、「一個人のナマの記憶」および「経験」の積み重ねに関して、「公的な」「資料付きの」「定説化された」形では残ってこなかったものを、丁寧に掘り起こしたのが女性史の歴史だろう。そしてこうした成果は、大学に所属の研究者のみならず、多くが、在野の歴史家、研究者、市民らの仕事でもあった。

だが、長年の積み重ねのもとに収集されたたくさんの女性たちの声は、小田嶋氏にとっては単なる「党派的ヒステリー」であるらしい。さらには小田嶋氏一個人の「ナマの記憶」こそがそうした積み重ねに優先して、「第一次資料としてぜひ珍重されるべき」という位置づけになっている。

結局のところ、小田嶋氏は冒頭で「ボク個人がこんなことを思っていました」の歴史でしかないものを書きますよ、と言い訳をしているのだろう。しかしながら、その小田嶋氏「一個人のナマの記憶」は、「ヒステリー」として打ち捨てられる数多くの女たちの経験や記憶の記述よりも、なぜか優先されるべきものとして扱われる。さらに言えば、ボクの個人的な記憶こそが、一般の人たちの記憶や考えの反映であると考えるからこそ、これだけ自信をもって自分の記憶こそ聞くべき、と主張できるのだろう。これだけ無頓着に、自身の記憶=一般の反映、と思えることこそ、マジョリティ性の発露であり、女性史はすべからく「ヒステリー」であるという認識は、まさにミソジニーそのものだ。

批判対象の女性運動の歴史への関心の欠落

小田嶋氏は、今回アップした記事の追記として、「ただ、女性運動の歴史が、抗議活動の歴史とほぼイコールになっている展開が、女性運動にとって不幸なのではないかということを指摘したつもりでいる」のだと書いている。

ここで小田嶋氏が、女性運動の歴史が実際に抗議活動の歴史とイコールなのか、それともそういう印象を与えたのが不幸だったといいたいのか、わかりづらい。だが 小田嶋氏の「ナマの記憶」ではそういう印象であったとしても、この文章では女性運動の歴史が実際に抗議活動の歴史イコールだったということは論証されていない。たまたま小田嶋氏が触れていた情報や、当時のメディア報道が抗議運動ばかり扱っていた可能性などもありうるだろう。当時の週刊誌メディアを主な情報ソースとしたら、おそらくそういった印象になるだろうと思う。

この文章は2003年に書かれたものだ。その時には、『行動する女たちが拓いた道―メキシコからニューヨークへ』(1999)も出版されていた。巻末年表をざっと見れば、会の幅広い運動の流れだってわかったのに……だが、おそらくこういった本も読まずにこの文章を書いたのだろう。あくまでもこの文章は小田嶋氏「一個人のナマの記憶」を綴ったものという位置づけのようなので、特に批判対象の運動についての資料を調べる必要すら感じなかったのかもしれない。

行動する会は、分科会方式をとっていた団体である。分科会には、労働分科会、教育分科会、主婦問題分科会、裁判・調停・離婚問題分科会、独身女性分科会など、様々なものがあり、それぞれが活発な活動をしていた。80年代前半は、会は82年の優生保護法改悪阻止運動、さらには雇用平等法をつくる運動などに追われた。こうした様々な運動を展開する中で、例えば84年の雑誌『モーニング』広告抗議なども同時進行で行っていた。そして、会は「告発と提案は車の両輪」という考え方のもとで運動を展開した。メディア抗議は会の重要な運動の柱の一つだったが、決してそれだけを行ってきた運動体ではない。*2 行動する会の歴史だけをみても「女性運動の歴史が抗議運動の歴史とイコール」というのは、事実ではない。女性運動全体に広げるなら、なおさらだろう。

あるいは、小田嶋氏がそういう印象を与えたメディア表象の問題を扱っているのだというつもりであるなら、メディア側の責任も大きいのは明らかだが、それへの言及は一切ない 。

メディア抗議の積み重ねは瑣末なのか?

1)70年代「つくる人、食べる人」抗議とその後

行動する会のマスコミ分科会は1975年に ハウス食品「ワタシ、つくる人、ボク、食べる人」CMへの抗議と、NHKへの要望書の提出を行い、注目を集めた。そして、それらの抗議の中で「性別役割分業」概念を理論的支柱にすえた。会はマスコミの「性別役割分業」の問題を問うために適切なターゲットとして、NHKとこのCMを選んだのだ。

この行動する会のハウス食品およびNHK抗議は、当時は瑣末な問題として、マスコミ上で嘲笑の対象にもなった。だが、小田嶋氏はこの抗議は高く評価しているようだ。マスコミでおおいに議論がかわされたということ、さらに、「『性差』『男女役割論』『家庭における家事分担』といった、女性問題における最重要かつ本質的な論点が典型的な形で提示」されていたことから、抗議は大成功であり、小田嶋氏自身もこの抗議によってジェンダーについて考えるようになったという。

この抗議の重要性に関しては、私も小田嶋氏に同感する。この抗議は、この年の年鑑にも掲載されており、ウーマンリブ・フェミニズム団体によるメディア抗議は初めてではないものの、これだけ注目を集め、影響力をもったものは初めてだった。

だが、小田嶋氏は、主要な論点はここで出尽くしたとし、行動する会の運動は「最初のバカ当たり以後は、徐々に後退することになる」と書く。ハウスCM抗議は評価しているものの、まるで行動する会はハウス抗議の一発屋だった、的な評価だ。

ここで小田嶋氏が触れていない動きが、当然ながら多々ある。先ほど述べたように、このハウスCM抗議と同時期に、行動する会は、NHKに対して要望書を提出、面会を行っており、この行動もハウスCM抗議と同様、かなり大きくマスコミに扱われた。そして、 もちろん注目を集めなかった抗議行動もあるが、会はハウス食品CM抗議後にも、 マスコミへの抗議、話し合いや交渉などを多数積み重ねていった。

また、ハウスCM抗議とNHK抗議に関する報道の多くは酷かった。行動する会は、多々あるこうした週刊誌報道の中から、雑誌『ヤングレディ』に焦点をあて、編集部との話し合いをもった。『ヤングレディ』の記事が、行動する会の抗議は「女性差別の本質から外れている」という批判だったため、「では、女性差別の本質とは何か」という議論の場を持つ狙いもあったのだという。そして、法廷を議論の場にすべく、裁判にもちこんだ。 裁判は79年、和解という結果となり、行動する会は、会が作った記事を『ヤングレディ』に掲載するという成果を勝ち取った。これが、日本で初めての市民によるメディアへの「アクセス権」の獲得として、注目を浴びた事例である。

問題となった75年の『ヤングレディ』記事

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行動する会が作った『ヤングレディ』1980年1月22日号掲載記事

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ほかにも70年代後半から80年代にかけて、行動する会は様々なメディア抗議を積み重ね、一定の注目を浴び続けた。*3

2)80年代「より瑣末でチンケな話」

行動する会の活動がだんだん瑣末なものとなり、効果がなくなっていったという後退の歴史を語る小田嶋氏。そして、氏が「女性問題における最重要かつ本質的な論点性」だと考えるのは「性差」「男女役割論」「家庭における家事分担」といった課題であるとする。80年代の会によるメディア抗議と、「性の商品化」という問題意識は、まさに性差別告発の行動であり、女性のセクシュアリティに関する問題で、セクハラ告発の視点も含んでいる。だが、それは「広範な層の男女の問題意識に訴え」ることはなく、「所詮マニアックな議論に過ぎなかった」のだと小田嶋氏はいう。そして、ハウスCM抗議に比べて、「より瑣末でよりチンケな話」「重箱の隅」と形容されている。*4 だが、これらのポスタ―の問題は、そんなに「マニアック」といえるようなものだろうか?

「チンケ」な抗議の事例として小田嶋氏が挙げているのが、『モーニング』の車内釣り広告への抗議、また営団地下鉄英文ポスタ―抗議だった。ポスタ―は以下のものになる。

84年『モーニング』広告

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『モーニング』ポスタ―に関しては、会は講談社、および電鉄会社に申し入れた。講談社側は今後はモニター制度をつくり、注意していくと回答し、翌号の女性のお尻を扱ったポスタ―はすでに印刷されていたが、キャンセルされたという。*5

1989年営団地下鉄ポスタ―

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外国人に地下鉄の便利さを知ってもらおうと作られたポスタ―。「アピール度を強くしようと、考案された」(営団地下鉄広報課)とのことだったらしい。日本女性学会等、他団体も取り組んだが、行動する会の外国人の女性会員が送った手紙が大きな意味をもったという。 新聞で話題になり、ポスターは撤去された。*6

地下鉄ポスタ―については、『モーニング』にくらべたら、大きな問題とは感じない人もいるかもしれない。(それにしても、地下鉄の便利さを知ってもらうという目的と、女性の足が巨大にうつったイメージとの関連性は全くわからないが。)だが、これらの広告は、女性の身体の一部だけを切り取って「モノ」かのように扱っている点で共通している。そして、とくに『モーニング』広告についてはあまりに酷く、「瑣末」とか「重箱の隅」といえるような問題ではないと私は思う。

そして、「このような抗議自体はすぐ効く即効薬でもないし、大転換させる革命でもない。」と会員は言う。だが、「この小さなことの積み重ねが、社会通念という怪物を作ったりこわしたりしてゆくのではないか」*7という考えのもとに、一つ一つ、注目を集めない場合も多々あったメディアへの抗議行動を20年間にわたり積み重ねてきたことは、行動する会の歴史としても、そして日本の女性運動の歴史としても、非常に重要な意味をもったと私は考えている。

3)90年代「さらに些末かつヒステリックな色彩」

小田嶋氏によれば、90年代に入ると、行動する会の抗議は「さらに些末かつヒステリックな色彩を帯びてくる」という。小田嶋氏がここで事例に挙げる、会が抗議した広告は以下のものである。

91年エイズ予防財団

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厚生省外郭団体「エイズ予防財団」によるこのポスタ―。海外での買春、女性差別、エイズ患者への偏見を助長するとして会は抗議した。初め厚生省は、「自信作です」と胸をはっていたというが、とうとう降参し、ポスター回収。同時に抗議した側は、「わたしたちのつくるエイズポスター」を公募、3ヶ月間で261点の応募が集まった。厚生省は、この翌年のポスターは公募で制作することにしたという。*8

92年オンワード「五大陸」

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抗議の結果、オンワードからはお詫びの回答文が届き、また 朝日新聞の投書欄でも批判が盛り上がり、オンワードの反省の回答文が朝日新聞に掲載された。また会は電通にも抗議を行っている。

これらのポスタ―への抗議は、女性差別、性暴力、セクシュアリティ、さらにはレイシズム等の様々な問題を提起するものだった。だが、 これらの抗議について、小田嶋氏は「さらに些末かつヒステリックな色彩」と評価する。さらに以下のように書く。

「これは、性の商品化です」

 と、女性団体が居丈高に指摘しても、

「ご指摘の通りですがそれが何か?」

 という反応が返ってきたりさえした(つまり、指摘された側が、どこを反省して良いのやらわからないでいるわけです。面白いことに)わけで、要するに、あんまり一般向けの説得力がないのだ。

現場にいってもいないのに、「威丈高に指摘」などと、まるで実際のやりとりを見てきたかのような描き方になっているのが興味深いが、それはさておき。ここで小田嶋氏は「一般向けの説得力」の欠落に非常にこだわっている。だが、小田嶋氏が挙げている事例は、エイズ予防財団についても、オンワードについても、新聞記事や投書欄などでも扱われ注目を浴びた事例であり、最終的にポスタ―が回収されたり、反省の回答文を引き出すなどの展開になった。これらの抗議が、新聞などの媒体で取り上げられ、注目を集めたという点では、「つくる人、食べる人」CM抗議と似た展開だ。

また、89年時の会の行動について扱った、『週刊ポスト』の記事は以下のようなものだった。

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いったいどちらが「ヒステリック」なんだ、というトーンである。75年当時の週刊誌報道とこの頃のものを比べると、70年代は茶化すトーンが多かったが、80年代はこうした、女性団体の抗議を脅威として煽るタイプの記事が多かった。小田嶋氏の「威丈高に指摘」などの描写とも重なってくる。

小田嶋氏は、これらの抗議はマスコミで注目を浴びても、それが逆効果だった、と言いたいのかもしれない。そして、「一般向けの説得力」としてここで氏が言いたいのは、まさに、「ボクが説得されたかどうか」ということなのだろう。そして、ボクは反発を感じたし、啓蒙的で、かつ瑣末だと思ったということなのだろう。*9

なぜ反発を感じたのか、反発を覚える自身の感覚に問題はないのか、抗議の顛末の詳細を自分が知らないだけではないか、マスコミが報道しなかった、あるいは偏って報道したのではないか、抗議された側の対応の問題もあったのではないかなど、様々な可能性はすっとばして、女性団体のやり方が悪いのだ、とする。

小田嶋氏の80年代以降の抗議運動に関しての文章からは、自己の感覚や視線を振り返り、 問い直すという感覚が絶対的に欠落しているように思う。「性役割」や「家事分担」までは理解できても、セクシュアリティが関わると途端に自省的なまなざしを失ったようにも見える。マジョリティの男性である自身には「瑣末」な事柄に見えても、女性にとっては違うのではないか、さらに自身も、男社会であるマスコミ業界のものの見方にはまっているだけではないか、といった問い直しは見えてこない。小田嶋氏によって問題視されるのは、あくまでも 女性団体の運動ということになる。

さらに小田嶋氏は以下のように述べる。

ともあれ、かくして、抗議はシステム化する。つまり、抗議それ自体を自己目的化するプロ抗議集団と、抗議を折り込み済みの天災として受忍するプロの腰抜け自主規制表現者が並立する不幸な体制が完成するということだ。

 そんな中で、女性団体のクレームは、結果として、エセ同和による職業的恫喝や、総会屋の出勤風景に似て来ざるを得ない。不幸なことだ。*10

 先述の『週刊ポスト』記事と同様の、「女性団体が恫喝」「プロ市民」的なイメージ*11、この小田嶋氏の「総会屋の出勤風景」等の記述にも色濃く見える。  行動する会の抗議が自己目的化していたというが、そんなことをしている余裕は当時の会員たちにはなかっただろう。*12さらに小田嶋氏の文章の最後では、「男性差別」とか「殴られ利権」などの言葉まで飛び出す。2003年前後の別冊宝島Realが、『同和利権の真相』『北朝鮮利権の真相』『中国利権の真相』などといった書籍を連続して出していた中、同様の論調を女性運動にあてはめたものであり、マジョリティ側こそが「差別」されていると言い立てる主張は、まさに「バックラッシュ」だろう。(その後、こうした論調が、2006年の別冊宝島『嫌韓流の真実!ザ・在日特権』に行き着いたことは言うまでもない。)

もちろん、男性中心マスコミの壁は厚く、全ての会のメディア抗議が成功したわけではない。小田嶋氏が言う「それが何か?」という反応がなかったわけではない。 その問題は、私が聴き取りを行った会員たちも、十分に認識していたし、どうしたらいいのかと模索もしていた。だが、こうした状況は、すべて女性団体のやり方の問題だと結論づけていいのだろうか。そもそも問題なのは、いつまでも男性中心のあり方にどっぷりはまりこみ、疑問をもつことすらなかったメディアや企業、政府、そして社会ではないのか。だが、小田嶋氏の文章はそこは問わないままだった。

性差別をめぐる問題の根深さ

フェミニズムの思想や運動の歴史や背景を知ろうともせず、自分の視点こそがなぜか正しく「一般」の意見の反映だと思い込み、上から目線で「やり方が悪い」とアドバイスをしてくる人。フェミニズムについてコメントする男性に多いパターンであり、迷惑なことである。マサキチトセさんが説明する、いわゆる「マンスプレイニング系男子」といえるの かもしれない。ただ、小田嶋氏の場合、フェミニズムを茶化す目的の、「バカ女」と題されたバックラッシュ本でこれをするわけだから、そもそもフェミニスト当事者にその批判をまともに聞いてもらおうという気もなかったのだろう。

さらに、小田嶋氏の普段の言論がリベラルであるとか、性差別以外の差別問題には敏感であるなどの状況があるとしても、だから小田嶋氏のミソジニーやセクシズムも酷くないはずだということにはならない。そもそも、リベラルや左派系でありながら性差別には鈍感な人々(とくに男性)は多い。さらに、他の課題に比べてジェンダーやセクシュアリティをめぐる課題が瑣末であるはずも、重要性が低いということもないはずだ。性差別に関してだけはおおらかに見てあげるべき、ということにもならない。

小田嶋氏がこの記事をアップすることで、「ミソジニーのバックラッシュのアンチフェミのセクシストのマッチョ」という疑いが晴れると考えたとすれば、その認識のほうが心配だ。 こういう認識になるのは、ミソジニーやセクシズムがいったい何なのかも、どれだけこの社会に蔓延し、自らも簡単に逃れられるような問題ではないことも、本気でわかっておられないのだろうと思うからだ。問題の根は深い。

*1:1996年、解散直前の時期に私は会に初めて行った。会員としての活動はほとんどできなかったが、会のニュースレター「行動する女」の最終号には会員からの解散に際してのメッセージの中に私の文章も載っている。そしてその頃、元会員の数名が始めていた、行動する会の記録集をつくるプロジェクトに参加した。その記録集は、1999年、『行動する女たちが拓いた道』として出版。私は、「第1章 マス・メディア性差別を告発」の執筆グループの一員となり、年表作成にも参加。そのプロセスの参与観察と会員のインタビュ―に基づき博士論文を執筆。その後もずっとフォローは続け、昨年から、行動する会の過去のニュース等の復刻版をつくるプロジェクトに関わり、再び行動する会の元会員らの聴き取りを始めたところである。

*2:75年時点からの会への批判のテンプレとして、会が何かの行動を起こせば「そんな瑣末なことではなく、もっと本質的な女性差別撤廃のための運動をすべき」というものがあった。だが、そうしたときに「本質的」とされる行動は、分科会活動のいづれかで、すでに会が行っている運動であることも多かったと元会員たちは言う。

*3:この時期のメディア抗議の詳細については、『行動する女たちが拓いた道―メキシコからニューヨークへ』をご参照ください。

*4:86年以降の「行動する会」は、教育分科会とメディアグループが活動の中心の会になっていた。メディアに抗議を行うのみならず、集会を行い、企業との交渉を行い、メンバーはテレビを含むマスメディアで意見を伝えるなども行っていた。さらに、こうしたメディア抗議行動と同時進行で、男女混合名簿推進運動に火をつける役割を果たしていた。決して中心になって動いていたメンバーの数が多かったわけではない。そうした中で、私が元会員たちに行ってきた聴き取りによれば、仕事ももっていた中心メンバーらはとてつもなく忙しい日々を送りながら、運動に関わっていたという。

*5:三井マリ子・中嶋里美・坂本ななえ『女たちは地球人』学陽書房1986

*6:行動する女たちの会ニュース『行動する女』1989年12月号で引用された、『日刊スポーツ』1989年12月7日号記事「退脚地下鉄ポスタ―」、行動する女たちの会・メディアグループ『ポルノ・ウォッチング―メディアの中の女の性

*7:三井マリ子・中嶋里美・坂本ななえ『女たちは地球人』学陽書房1986: 27-28

*8:三井マリ子『桃色の権力』三省堂1992:264-265

*9:フェミニズム運動の流れの中で、とくに95年以降の「男女共同参画」が出てきて以降は確かに「啓蒙」要素が前面にでたことはあったと思うので、フェミニズムすべてにおいて、小田嶋氏の啓蒙性に関する議論がまったく的外れとは思わない。だが、啓蒙的かどうかとう面では、「性別役割分業」の問題を問い、周知させるためにターゲットとして取り上げたハウスCM「つくる人、食べる人」抗議のほうがむしろそうなのではないかと思う。しかし小田嶋氏はむしろ啓蒙性を、問題があまりに大きいポスタ―への怒りが表れたという面も大きい、90年代前半のエイズ予防財団やオンワードの広告抗議のほうに見いだしているようなのも興味深い。

*10:『社会運動の戸惑い』第7章でも書いたように、「行動する会」の当時の主力メンバーらは、行政による表現規制は主張していなかった。1991年「異議あり!「有害」コミック規制」集会に参加した会員の坂本ななえは、「私たちは性差別に反対するからこそ批判の自由を守るためこの集会に参加した」と述べている。山口・斉藤・荻上『社会運動の戸惑い』288

*11:追記:小田嶋氏は「プロ市民」という単語はここでは使っていないが、「プロ抗議集団」「職業的恫喝」「総会屋の出勤風景」などの表現は使われており、「プロ市民」と同様の意味あいをもつのだろうと思われる。5.15.2014さらに追記:この部分では出てこないが、上記の「女性史」についての引用部分では、小田嶋氏は「プロ市民」という単語を使っていた。

*12:元会員たちは、私の聴き取りに対して、日々働き、それぞれの生活を抱えながら、時間を縫うようにして運動を続け、体力的にも時間的にも、交通費など経済的にも厳しかったと語っている。

初出 2014-05-14 『ふぇみにすとの論考』

田村哲樹氏の書評に応える 「再帰性」を糸口に

田村哲樹氏によるシノドス・ジャーナル掲載の「社会運動は『戸惑って』いるのか? あるいは、『失われたもの』をどのように取り戻すのか?」は、『社会運動の戸惑い フェミニズムの「失われた時代」と草の根保守運動』(以後、『戸惑い』本、と略す)に関する書評である。『戸惑い』本については、刊行後、幅広い方から書評やコメントをいただいているものの、男女共同参画と関わりの深い女性学・ジェンダー学者からは表立った応答はまだいただいていない。そんな中、ジェンダー学や男女共同参画政策に関わりが深い田村氏が書評を書いてくださったのは、大変うれしいことである。

田村氏は、『ジェンダー法・政策研究叢書』や『ジェンダー社会科学の可能性』シリーズなど大沢真理、辻村みよ子といった女性学・ジェンダー学者が編纂する叢書でも論考を執筆している上、ご自身もフェミニズムに関する単著『政治理論とフェミニズムの間 国家・社会・家族』を著している。

さらに田村氏は、名古屋大学男女共同参画室に所属した経歴をもち、愛知・岐阜・三重の三県下自治体などで男女共同参画審議会委員や講座講師を務めるなど、男女共同参画政策にも深い関わりをもつことを自著でも明らかにしている(田村2009:200)。

一方同氏は、政治の規範理論では、異なる人々の間で「『熟慮し議論する』こと、その結果として選好が変容することの重要性」を唱えるなど、民主主義社会における政治過程として「熟議」や「熟議民主主義」を重視している論客としても知られる(田村2008;2010)。
実は、田村氏への応答については、書こうと思ったにもかかわらず、なかなか考えがまとまらなかった。うんうんうなって1ヶ月余り、なぜ田村氏へのレスが書きづらいのか、ようやく私なりにわかったことがある。

それは、田村氏の書評が、現実の男女共同参画政策やフェミニズム運動の実態とは別個に、いや、別個にというとちょっと語弊があるかもしれないが、直接関係することを避けた点も多い議論であったことが大きいと思う。そのために、あくまで現実に即した議論をしたい私は、どうやって議論していいか、考えあぐねたことがあったように思う。

1)現実から離れていく議論

近年、フェミニズム研究が運動から生まれたにもかかわらず、次第に現実に即した問題群より 構築主義、「ジェンダー概念」といった理論系の仕事を評価する流れが強くなっているように思う。そして 2000年代半ばにおきた対抗運動については、「バックラッシュ」と批判しつつも、それがどういった人々の動きであるかの実態調査も行われなかった。そうした事態に対し、 男女共同参画政策の現場での実態を踏まえて問題提起することが重要だと考え、政策立案過程とフェミニズム運動の双方に関わる中での経験を践まえ、新たにいくつかの事例について調査を加えたのが、私にとっての『戸惑い』本であったとも言える。

フェミニズム運動については、私自身1980年代初めから富山での運動に関わってきたし、またフェミニズム研究については、論文や書籍など文献のみならず、1990年代初めからフェミニズム研究者との交流経験も少なからずあった。一方、男女共同参画政策については、1990年代初めから2000年代初めまで、断続的ではあったが、15年間にわたり、富山県高岡市で市の女性政策立案過程にかなり時間を割いて関わってきた。関わっていない時期も女性運動には関わってきたので、関心を注いできた。

さらに『戸惑い』本における著者のスタンスについては、「斉藤・山口はフェミニズム研究や運動に当事者として深く関わってきている。ここで指摘したことは、決してどこかにいるフェミニストや女性学・ジェンダー学者らのことを指しているのではない。これは筆者自身へとはねかえってくる自省の物語であり、どうしてこうなったのかという省察でもある」(ローマ数字の4頁)としている。

こうした問題認識に立って書かれた『戸惑い』本について論ずる田村氏の書評だが、現実から離れた議論が多いように私には映った。

その理由の第一に、田村氏が 直接的に関連するテーマについてご自身が 研究を行ってきたことに触れていないことがある。田村氏には、山口県宇部市の男女共同参画条例について論じた先行研究があるが、書評では触れられていない(田村2006a)。 さらに、田村氏は書評において、「この時代を、これまでのフェミニズム・女性運動の成果の帰結としての男女共同参画社会基本法の制定とそれに基づく様々な政策の形成によって肯定的に評価する立場もあるだろう」と述べている。

しかしながら、田村氏自身こそが「1990年代後半以降の日本においてはナショナル・マシーナリーとしての内閣府男女共同参画局を中心に、ジェンダー平等政策の推進が図られてきた」(田村2006a:92)と男女共同参画社会基本法の制定とそれに基づく様々な政策を肯定的に評価し、実際にも取り組んでいる立場であることには触れていないのだ。

このように、『社会運動の戸惑い』に書かれた内容について田村氏の具体的な経験があるにもかかわらず、そうした自身の先行研究やそこで下してきた男女共同参画条例や政策への評価についてはまったく触れないままに、第三者の視点に立ち『戸惑い』本について批判的な議論をしていくのである。こうした田村氏の議論の進め方から、議論が現実より離れて、抽象的な次元に向かっている印象が避けられなかった。

また、論文における考察のみならず、田村氏は、自身がいわゆる「バックラッシャー」の批判を受ける立場になるという経験も持ち併せているようだ。本書5章で取りあげた福井の近藤實氏は、2008年4月6日以降「名古屋大学男女共同参画室への苦言」メールを何度も出したことをブログで報告している。そこでは名古屋大学サイト上に掲載されている、田村氏執筆の名古屋大学のジェンダー関連授業に関する文書(田村2004)が近藤氏から批判の対象とされている。

近藤氏から批判の対象となったのは、田村氏も執筆に加わった『ジェンダーを科学する――男女共同参画社会実現のために――』(ナカニシヤ出版)であった。自身も執筆者である書籍が批判対象となっている以上、当事者意識がないとは考えづらい。だが、こうした自身の具体的な経験についても書評ではまったく触れられていない。

田村氏は、本書を批判する際、本書が「『具体像』『現実』を明らかにするというより『批判』の方が強く出ている」と難じるが、同じ事象について自身が先行研究を執筆していることや、自身が草の根保守運動家から批判されたことがあることには触れないままに、当該事象について論評している。田村氏は、「価値の出すぎない」公平な論評を目指すというがために、自身の先行研究の有無や、当該事件との関わりも示さなかったのだろうか。だが、それを示さず、あくまでも第三者的視点からのみ論評することは、果たして「公平な論評」だと言えるのであろうか。

さらに、田村氏は、政治理念を語る際には、熟議や熟議民主主義を重視していると主張している(田村2008;2010)。本書で描かれている保守運動家の姿や思いをどのように受け止めたのか、男女共同参画政策を進める側として、また攻撃を受ける側の当時者として自身がどのような思いや考察をしたのか。こうした論点について、田村氏が重視されている熟議という観点からの分析を伺えると、現実の政治過程において熟議という概念を実践的に考察することになってより一層興味深かったように思う。

2)ジェンダーフリー誤読問題への突出した関心

ここまでは、田村氏が書かなかったことについて記した。だがこの書評について、田村氏は「『書評』といっても、およそ1万6千字くらいありますので、かなり異例ですね。」と自身のブログで述べている(田村2013)。では、このような原稿用紙40枚を越す、いわば一つの論文に匹敵する長文の書評で、田村氏は何について記述しているのか。

田村氏書評では、最初に『戸惑い』本についての概要が示され、次いで、詳細なフィールドワークを通じて、保守運動の実態と男女共同参画条例制定をめぐる地方政治の政治過程を丹念に描き出している、という本書の意義が記されている。ただ、意義の部分は500字とごく短い。『戸惑い』本を紹介する概要部分を含めたとしても、全体の1割程度である。そしてそれ以外の、全体の9割近くが「本書への疑問また論点」から成っている。

では、田村氏は本書のどこに興味を示しているのか。田村氏がもっとも大きな紙幅を割いて論じているのが、一章「ジェンダーフリー」とその「誤読」問題についてである。「ジェンダーフリーの誤読」問題については、学者が行った誤読を明らかにした山口が論じるだろうから私は立ち入らない。しかしながら言えることは、このテーマについての田村氏の記述箇所は、5000字近くであり、書評全文の27%を占めている。 草の根保守運動に関する記述が500字程度で約3%であったのに比べ10倍の分量を占める。田村氏がジェンダーフリー誤読問題に寄せる関心の高さが示されている。

そもそも、田村氏が縷々論じている「ジェンダーフリー誤読」問題の論点は、『戸惑い』本では、「バーバラ・ヒューストン誤読事件とその後の混乱」というわずか2ページ弱の小節である。単に、誤読事件とその後の顛末を簡略に示しただけで 本書全体では決して大きな扱いではなかった。当初、この箇所は、別の媒体で既出なので外そうかという意見もあったくらいだ。

それが評者にかかると書評の三分の一近くを占めるとは、英語原典に当たることなく学者が次々に拡散していったという誤読問題をめぐる経緯が、田村氏にとっていかに大きな問題であるのかを改めて浮き彫りにしている。

しかも、「ジェンダーフリー誤読」問題についての田村氏の主張が、「『完全なる誤読』とまで言えるかどうかは、疑問である」というもので、弱い主張に分類される議論である。そうした幾分差し挟む疑問といった程度の主張が、全体の3分の1ほどまでの大きな紙幅を占めているわけだ。これは、田村氏の関心が現実的な男女共同参画政策よりも 学者による誤読をめぐる議論というジェンダー学者絡みの課題に向いているということを映し出しているようにも思える。

3)「再帰性」:政治学での注目と批評での消失

田村氏が真っ先にあげた批判は、「フィールドワークに基づく記述だけではなく、著者たちの2000年代フェミニズムに対する価値判断がはっきり表れている」という点にあった。「本書がフィールドワークに基づく記述を謳うのであれば、その記述をもう少しフィールドワークで得られた知見に止めるべきではなかっただろうか」というのである。

そして、「具体像」「現実」を記述するはずの箇所に、「しばしば、『上から』『外部から』への、あるいは『啓発事業』中心の男女共同参画への著者たち自身の批判的な評価を差し挟むものとなっている」と田村氏は述べる。さらに、「後半は『具体像』『現実』を明らかにするより、『批判』の方が強く出ているのである」や、「学術書として見る限りでは」「批判の対象となり得るのである」とする。すなわち、価値判断が出過ぎるものは「学術書」としてふさわしくないと田村氏は主張する。

ところで、田村氏は、宇野重規・田村哲樹・山崎望『デモクラシーの擁護 再帰化する現代社会で』(ナカニシヤ出版)において、「再帰性」という言葉を「現代の社会理論においてもっとも注目の集まる概念の一つである」(宇野・田村・山崎2011:ローマ数字の3)とし、「キーワード」として積極的に使っている。その際、「再帰性(リフレクシヴィティ)」という概念は、「自らや自らの行為を振り返ること、またその反省の結果として、自らが変わっていくこととして理解しておきたい」(宇野・田村・山崎2011:ローマ数字の3)と説明する。

「熟議」と同様に、この「再帰性」も自らの行為や経験を通して「変わっていくこと」を重視する考え方と言えよう。田村氏が「行為を振り返ること」「反省の結果として自らが変わっていくこと」を重視されていることが見てとれる。

一方、1970年代以降のウーマンリブやフェミニズム研究は、社会を再定義し再解釈することに取り組んで来た。個人的なこと、日常的なことが政治的な力関係につながっていること(「個人的なことは政治的である」)から、日常生活に根を持った権力とどう闘うかを考えたからだ。そうした潮流の一つに、学問や知を再定義する流れもあり、分厚い蓄積が存在する(例えば Harding 1986; Haraway 1988; Ramazanoglu& Holland2002 など多数)。

フェミニストによる社会科学を再解釈する初期の取り組みであるスタンレーとワイズによる『フェミニズム社会科学に向かって』(勁草書房)を例にあげる。ちなみにこの書は、初期の研究であるため、運動との関わりについての問題認識を強く残しており、また研究と経験との関わりについて深く追求している。そこでは、研究と研究者の関係は次のように再定義されている。

 『研究』とは、ある人間を媒介して生起する過程である。研究者は、常に不可避的に研究の中にいるのである。そう公言されているかいないかは別として、研究者の存在は否定できない。(スタンレ−&ワイズ1987:257)

それは、研究者と研究が密接に絡み合うからでもある。以下、引用する。

 私たちがどのような人間なのか、そしてどのように研究を経験するかは、私たちが何を見、何をするか、またどのような出来事を解釈し、構成するかといった問題にとって決定的な影響を与える。フェミニストにとってこれらの経験は研究結果についての議論からはずされるべきではない。はずすようなことをする限り、私たちは従来男性がしてきた「研究」や「科学」の神秘化を単に繰り返すだけにとどまる。またそうすることで個人的なものや日常的なものを過小評価することにもなるだろう。(スタンレ−&ワイズ1987:75)

研究者はどこでもない場所に立ち、「中立」に判断を下す存在などではなく、研究過程に自身が立ち入っていることを広く認めることを主張する。さらに、真実や客観性という概念すら、研究者自身の行為や価値観を含んだ社会的経験に他ならないと、次のように述べる。

 「真実」は社会的構成物であって、その意味で「客観性」と同じように、経験から構成されるのである。しかも実際これらの経験は「嘘」や「主観性」と同一なのである。したがって、すべての研究はそれが一人の人間の眼をとおして「現実」を見、構成するという意味において「フィクション」である。(スタンレ−&ワイズ1987:251)

フェミニズム研究における再帰性は、「総じて、権力関係ならびに研究過程で生じる力関係を明らかにしようとする行為を指す」(Ramazanoglu2002:118)と理解されている。フェミニズムが学問の権力性を再考するために、糸口の一つとしたのが、「再帰性」の概念であった。

ウーマンリブ運動から発展したフェミニズム研究では、それまで学術研究から女性の経験が捨象されてきたことから、学術研究が「どこでもない場所」に立つことによって権力を持つことに敏感であったからだ。スタンレーらが述べている「研究者は、常に不可避的に研究の中にいる」という発送が研究や調査の過程で生じる権力関係に敏感な「再帰性」につながったといえよう。

別の表現をするなら、かつて、「学術」や「知」として正当であるか、ないかを決めるのは、「どこでもない場所」に立ちうる男性知識層だけであった。そのため、フェミニストたちは、自身の依って立つ立場を明らかにし、自身の経験を研究から除外せず、さらに自身がいかに研究対象に関与しているかという再帰性に敏感な研究を選択してきたのである。『戸惑い』本は、基本的にこうしたフェミニズム研究の流れを踏まえた研究実践であった。

一方、自らの「反省」や「変わっていくこと」を指す「再帰性」や「熟議」という概念を自らの政治学のキーワードと掲げる田村氏だが、フェミニズム本の書評である本論考においては 政治学者としての自身の理論的立ち位置とは異なる視座に立って分析しているように思われる。

書評では、自身が行った先行研究の存在や、保守派から受けた批判の経験、ならびに自身と女性学・ジェンダー学との関わりなどについての情報がすべて省かれ、「どこでもない場所」からの「中立」な論評者という位置をとっている。男女共同参画政策を論ずる書評で、書き手が自治体の審議会委員や講座講師を務めてきたことは読者にとって重要な情報である。しかしながら田村氏は、このような自身と男女共同参画との関わりについて一切触れないで考察する。

政治学の理論を論じる際には、「再帰性」や「熟議」を高らかに掲げる。翻って、『戸惑い』本の書評で、現実の男女共同参画政策の政治過程を論じる段になると、中立で学術的という伝統的な原理に立ち戻る。自分自身を問題とする「再帰性」に立ち返ることなく、「どこでもない場所」から当該書を批判する位置取りを確保する。

田村氏は、わたしたちの生きる後期近代という社会では、各人はさまざまなリスクに対して集団ではなく、自分自身で解釈し対処していかねばならない再帰的な社会であり、そうした個人の再帰的な行為が新たな構造を生み出す可能性へと開かれていると述べているが(宇野・田村・山崎2011:15-39)、氏が書評においてとった位置取りは、こうした後期近代の再帰性という秩序とは相容れないものと私には映った。

こうした田村氏の書評を読みつつ考えさせられたのは、現実社会との関わりは、フェミニズム研究の生命線であることの再確認であった。それと併せて、フェミニズムや男女共同参画というテーマにおいて、研究と男女共同参画政策や推進活動との連携はどうしたらいいのかということも考えるようになった。

私自身を含め、審議会委員や講座講師として招かれて男女共同参画に関わる研究者が多いが、そうした特定の自治体との関わりを持つ研究者はどこまで男女共同参画政策の実態一般について把握しているといえるのだろうか。私自身もそうであったが、調査研究をしていなくても、審議会委員や講座講師に指名されるだけで自身を男女共同参画の実態に詳しい専門家のように錯覚することも往々にして起きる。だが、居住自治体以外の地域に調査に出向いてさまざまな立場の方に聴き取りをする中から、指名されて参加する研究者の立ち位置から来る特権性や付随する視野の狭さも感じるようになった。

研究者の審議会参加をめぐる状況に関連しては、『戸惑い』本の4章都城の条例の特異性に関して述べている箇所で若干触れている(198頁)が、研究者の地域における男女共同参画政策への関わりの功罪についても議論していく必要はあると思う。

田村氏の書評を通じて、フェミニスト研究者として拠って立つ地点はどこにあり、何をめざして研究・執筆をしていくのかについて考えを深めるよい機会をいただいた。また男女共同参画について検証をすすめていく必要性についても考察することができたことにも感謝したい。
■参考文献
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(初出 2013年4月19日)

女性学者・杉本貴代栄氏の出版物の数の多さと代わり映えしない内容

杉本貴代栄氏は、「福祉とジェンダー」や、福祉に関する女性学的研究では、しばしば、第一人者とみなされている研究者である。著者の一人である山口佐和子氏によるWANサイトにおける紹介によれば、2012年9月に出版された『フェミニズムと社会政策:男女共同参画社会の形成過程とその課題』の執筆陣は「それぞれの領域において日本を代表する深い見識をもつ研究者」とされる。杉本氏は編者であるから、さしずめ、「フェミニズムと福祉政策」領域では、この分野で深い見識をもつ、日本を代表する研究者とされているということのようだ。

 看護学校や保育士養成学校などで授業をすることが多い私は、保育や医療・介護領域には女性労働者が多く、それらは労働に見合った待遇が受けられていない場合が多いことが大変、気になっている。そして、保育士の待遇の悪さと離職率の高さについて書いた拙ブログ記事は、2008年に書いたものにもかかわらず、最近、拙ブログでもっともアクセスが多いエントリーとなっており、依然としてコメントがつくなど、この分野の関心の高さと同時に、その後もあまり芳しい取り組みがなされていないことが伺える。

 医療・福祉系向けのテキストとして、早坂裕子・広井良典・天田城介編著『社会学のつばさー医療・看護・福祉を学ぶ人のために』(ミネルヴァ書房、2010年)や、早坂裕子・広井良典編著『みらいを拓く社会学ー看護・福祉を学ぶ人のために』(ミネルヴァ書房、2004年)などを買ってみたが、テーマが女性の多い職域についてであるにもかかわらず、執筆者のほぼ全員が男性であることにひっかかりを覚え、またテキスト内容も社会理論の紹介などが多い点であまり魅力を感じなかった。

そうした事情もあり、「ジェンダーの視点から福祉をとらえなおす」とか「福祉社会の行方とジェンダー」という杉本貴代栄氏の書籍は、これまでも購入してきた。私から見ると、今喫緊で考えるべきテーマであると思ったからだ。

だが、杉本氏の本を改めて授業で使おうと思うと、今一つ活用できるものがないことに気づいた。そして、今度こそはどうか、と杉本氏の書籍に期待することを繰り返してきた。だが次第に、杉本氏の本に疑問が募るようになり、一度杉本氏のご研究は、どこが物足りないのか考えてみたいと思うに至った。

 

1)杉本氏の刊行物の数と重複掲載

第一に、杉本氏は、書籍の刊行数が非常に多い。例えば、2012年に勁草書房から刊行された『福祉社会の行方とジェンダー』の著者略歴をみると、単著だけでも、『女性化する福祉社会』『アメリカ社会福祉の女性史』『福祉社会のジェンダー構造』『女性が福祉社会で生きるということ』(いずれも勁草書房、1997年、2003年、2004年、2008年)、『ジェンダーで読む福祉社会』『ジェンダーで読む21世紀の福祉政策』(いずれも有斐閣、1999年、2004年)と7冊にのぼる。

このほかに、編著については、『日米のシングルマザーたち』『日米のシングルファーザーたち』『フェミニスト福祉政策原論』『シングルマザーの暮らしと福祉政策:日本・アメリカ・デンマーク・韓国の比較調査』『女性学入門:ジェンダーで社会と人生を考える』(いずれもミネルヴァ書房、1997年、2001年、2004年、2009年、2010年)と5冊を数える。15年あまりで12冊を数える多作ぶりである。

しかも、勁草書房、ミネルヴァ書房、有斐閣と学術書の刊行出版社として定評のある出版社が多い。しかしながら、掲載されている原稿は、かなりの割合で他の書籍でも重複掲載されているという実態である。これには、心底驚いた。

学術雑誌への論文投稿の場合とは異なり、書籍への重複掲載については特段の罰則はない。とはいえ、別の出版社から最近出版された書籍に掲載されているのと同じ原稿がより新しい本にダブって掲載されていることが、杉本氏の場合かなり多いのだ。

例えば、もっとも最新刊である『福祉社会の行方とジェンダー』(勁草書房、2012年10月20日刊)では、10章のうち、書き下ろしは1章と2章のみである。残りは、既出原稿から成る。しかも、重複の8章のうち、杉本氏ご自身あるいは別の編者によりすでに別の書籍という形で発表されたものが、5章と全体の半分をも占めているのである。

具体的に例をあげてみよう。6章「女性学の発祥と発展」は、同氏が2010年6月にミネルヴァ書房から刊行した『女性学入門』の「女性学とは」の章と同じものである。同様に、7章「今日の売買春と性の商品化」も、同じく『女性学入門』に入っている章を再掲載したものであると、いずれも、<初出一覧>に書かれている。

さらに、8章「日本の福祉国家の特徴と課題:4カ国調査の比較から」は、杉本貴代栄共著『シングルマザーの暮らしと福祉政策:日本・アメリカ・デンマーク・韓国の比較調査』というミネルヴァ書房で2009年4月に刊行された書籍に編纂されている章を改めてこの勁草書房本にも入れたものだという。(これらの章の内容にも大いに疑問があるが、ここではその点は取りあげない)

2009年、2010年に別の出版社から出した本の原稿を、2012年に別の出版社から刊行する。これは、私が知らないだけで学術書出版では商慣行として通用しているのだろうか。3150円もするハードカバーの高価な本で、その半分以上が他の単行本で書かれた内容というのは大変疑問である。

これを最初に見たとき、私は何かの間違いではないかと思った。しかしながら、同氏の『福祉社会のジェンダー構造』(勁草書房、2004年5月20日刊)を見てみれば、同じことが展開されているのがわかる。

ここでは、三部構成で各部4章からなるので全12章で構成されている中で、書き下ろしが12章中のわずか、2章にとどまる。他で発表済みの文章が10章と大半を占める。内訳は、自身の単行本で発表した重複が3章、共著本に既出の文章が1章。その他の5章は、雑誌の発表論文である。1章は既出かどうかがその書き方からははっきりしなかった。雑誌の発表論文を書籍にまとめることは慣行としてあることはわかるが、発売されて2、3年しかたっていない他の出版社から出版された書籍掲載の文章を、繰り返し別の書籍で掲載することはどうなのだろうか。

重複原稿の問題は、すでに他の出版社から書籍として販売したものを今度は別の出版社から再度販売すると、読者に対してダブってお金を請求しかねないことにある。15 年あまりのうちに、単著、編著あわせて12冊を数えるという杉本氏の書籍の量産態勢は、私の手持ちの杉本氏の本数冊を見る限りでは、先にあげたような同じ原稿を別の本に入れ込む重複原稿による可能性は高い。

これは、杉本貴代栄氏だけに見られることなのか。それともフェミニズム関連やその他の書籍にも広く浸透していることなのか。調査が必要なことであろう。

出版社であるミネルヴァ書房と勁草書房は、この状況をどう考えているのだろうか。購入する時に見落とした責任は私にあるとはいえ、大枚をはたいた読者としては、騙された気分を味わってしまうことは否めない。フェミニズム関係本が売れない、といわれて久しいが、こうした杉本氏のような重複の内容を多く刊行する状況が、仮に頻繁にあるとすれば、売れなくて当然だろう。

 

2)どの書籍も代わり映えしない内容

2004年刊行の『福祉社会のジェンダー構造』と、2012年の『福祉社会の行方とジェンダー』を見比べてみた。どちらも社会福祉政策をフェミニズム視点から見るという取りあげ方であり、高齢社会論、ソーシャルワーカーの仕事、介護労働が女性に多いこと、など同一のテーマが中心だ。それを国際比較から考えるというアプローチも共通している。

また、とりあげている内容自体、1999年に出ている『ジェンダーで読む福祉社会』の時から大して代わりがない。時々、売買春と「慰安婦」問題、母子世帯、父子世帯などについて書いているが、それらの内容にも特段の進化が見られないように思われる。独自の実態調査なども行われていないようで、引用されているデータは新聞記事などであり、単に軽く紹介として書かれているものが多い。さらに、どの本も筆者自身による書評、映画評などが入れ込まれている点まで共通しており、全体の構成のなかでの必然性を感じないものが多い。単に杉本氏が見たり読んだりしたから入れ込んでみましたという印象を受けてしまう。

例えば、福祉領域では女性が不利な状況で働かされているという点については、2004年本では、つぎのように書かれている。

介護保険をはじめとして、社会福祉の構造自体が、このような女性の不払い労働や安上がり労働を、いわば「含み資産」として構成している。その背景には、社会福祉と女性のかかわりを規定する、ジェンダーから派生する倫理?ジェンダー・エシックスの存在が問われなければならない(杉本編2000)。(杉本2004:55)

次に、2012年の杉本本で、ケア労働が抱える課題、「かつきわめて今日的な課題」と提起されている「労働条件の処遇改善と人材確保の課題」という箇所を引いてみよう。

不況が長引くなかで、介護職は労働条件の向上がないまま、平均して年間20%以上あった離職率が近年20%以下に低下し、多少上向き傾向にある。しかし、これも不況によって他の仕事がないためであり、景気が好況に転じれば、この離職率は直ちに上昇するだろう。慢性的な高失業率のもとでの介護市場の継続的な労働力不足は、介護職の労働条件の低さを表象している。(杉本2012:32)

どちらも現状追認にすぎず、これでタイトルにある「ジェンダー構造」を分析したと言えるのだろうか。単に、介護職の待遇が悪いという現状を繰り返し指摘することにとどまっているのではないか。介護職がどうしてこのような低い賃金に甘んじるようになったのか、その歴史的過程を杉本自身が調べることもなければ、ヘルパーや保育士などのケア労働者から杉本自身が聴き取りをしているということもこの2冊に限っては、見られない。これでは、杉本自身が「乗り越えることが目指されなければならない」と説く、ケア労働に見られる岩盤のように強固なジェンダー構造は、微動だにしないだろう。

このように現状を繰り返すだけで、労働者に大した益を与えないどころか、単に、ケア労働者を書籍のネタとしているだけのような研究アプローチである。これを十年以上も繰り返している。

さらに、杉本氏の本では、参考文献リストが非常に少ないことも物足りない。2012年に出された『福祉社会の行方とジェンダー』では、3ページから成る文献リストには、系統だって論じられていないことが読み取れるような、ジャンルや内容がばらばらの書籍が並んでいる。フェミニズム系の書籍が多いが、介護労働、医療職、看護職、ヘルパー、ソーシャルワーカーなどについて著者がたまたま目にしたものをリストしているような印象であり、とても基本文献を網羅しているとは思えなかった。系統だって読もうと思うと、決して十分なものでもないように思われる。

また、英語文献リストも若干あがっているが、1960年代、70年代の文献や辞書類(Encyclopedia of Social Work,1977など)がかなり多く、驚かされた。杉本氏は経歴でイリノイ大学シカゴ校に研究員として滞在したことが書かれているにもかかわらず、相当古い出版物と邦訳のある文献を除くと、英文文献も10点余りにすぎず、杉本氏自身が英文においても最新情報に接しているとはとても言えないことがわかる。

このように、福祉と女性、福祉とジェンダー、福祉とフェミニズム領域において第一人者と呼ばれるらしい杉本貴代栄氏の著作点数の多さは、重複原稿の多用により成し遂げられているものである。しかも、書籍の内容も似たり寄ったりのものが繰り返し刊行されている。これはフェミニズム研究の衰退にもつながりかねない重大な問題であると思う。ネットを見ても疑問すらあがっていない状況であったため、敢えて問題提起としたい。

(初出 2013年2月5日)

杉本貴代栄氏によるアメリカ女性学の歴史認識の謎

執筆者:山口智美

当ブログに「女性学者・杉本貴代栄氏の出版物の数の多さと代わり映えしない内容」というエントリを斉藤正美が執筆した。そこで、 私も少々、杉本氏の著作を読んでみることにした。

現在は金城学院大学教授の杉本氏の経歴をみると、東洋大学の大学院在学中に渡米、カリフォルニア州立大学に留学したという。 そして、1983年から1987年にかけて、イリノイ大学シカゴ校の「マルチカルチュラル女性学研究所」の研究員として、女性学の研究に従事したと書かれている。杉本氏の経歴の中で、アメリカ滞在経験は目立つ位置にある。 さらには、杉本氏はアメリカをはじめとして、「国際的視点」「国際化」や「国際比較」などを掲げ、海外について扱った著作も多い(杉本1997;2001;2003; 2004; 2009;2012など)。

そこで、最新刊の『福祉社会の行方とジェンダー』(勁草書房2012)収録の女性学についての章に注目してみることにした。この書籍は「2008年以降に発表した論文」(杉本2012:1)を掲載した論文集ということで、その中の「女性学の発祥と発展」という章である。この章は、「アメリカに発祥し、日米それぞれが辿った女性学の発展と課題」(88)について論じたものであり、同氏が2010年6月にミネルヴァ書房から刊行した『女性学入門』の中の「女性学とは」という章の再掲である。
だが、読みながらここで論じられている「アメリカ女性学」に関して、いったいいつの話についてであり、何に基づいて執筆しているのかという疑問が募った。一例として、以下の記述をあげる。

女性学が修正を迫られたもう一つの課題は、ヘテロ・セックスへの偏向の修正である。非白人女性や貧困女性と同様に、現代のアメリカで抑圧されているもう一つの女性の集団とは、レズビアン女性たちである。しかし女性学は、人種問題同様にこの問題を避け続け、女性学のなかで取り上げることにはきわめて消極的であった。女性学はレズビアン問題を無視しているという批判が出ると、女性学はその問題を中央の主題として積極的に登場させるようになる。1980年代に入ると、NWSA全米会議においても人種問題と並んで、レズビアンのための特別な提案・分科会・集会が盛んに行われるようになった。しかしこのような性急な取り組みにもかかわらず、実際の女性学の講義のなかでレズビアン問題が取り上げられること、また調査や研究が行われることはいまだに多くはない。(93)
2008年以降に書かれた論文で「いまだに」と記述されている場合、普通は2008年以降をさしているのかと思うだろう。だが、当然ながら、アメリカの「女性学の講義のなかでレズビアン問題が取り上げられること、また調査や研究が行われることはいまだに多くはない」というのは、2008年以降のアメリカの女性学やジェンダー研究の現実からあまりにかけ離れている。さらに杉本氏はレズビアンだけに言及するが、ほかの多様なセクシュアルマイノリティをめぐっても、 アメリカの女性学・ジェンダー研究において議論が積み重ねられているということはまったく言及しないままだ。

そして、歴史認識もおかしい。レズビアンに関する研究はすでに70年代から行われているし、80年代になるとかなりの論文や著作が出版されるようになっていた。1990年代以降のクィアスタディーズの充実ぶりは言うまでもない。さらに、レズビアンに関係する授業も、アメリカの大学では70年代から開講されはじめているし(McNaron 1997)、現在は多数の大学がクィアスタディーズの講座を開講している。(例えばこのリストを参照。)

また、杉本氏が指摘している、アメリカの大学で女性学が、独立した学部をつくるのではなく、学際的な「プログラム」として成立してきたという歴史はあり、そのスタイルで続けている大学もある。しかしながら、現在は、独立した学部 (Department)をもつ大学もあり、状況は変わっている。さらに全米女性学会NWSAのサイトによれば、現在アメリカでは13大学が女性学・ジェンダー研究での博士号を出している。杉本の言う「プログラム」だった時代から、かなり状況が変わっている大学も多い。

このように、2008年以降に書いたという論文で指し示す「いま」というのが、どう考えても現在についてのこととは思えないのだ。さらに、仮にこれが杉本氏が在米だった1980年代についてだとしても、認識がずれているのではないかとも思う面がある。巻末の参考文献リストをみても、アメリカ女性学の歴史についての文献は、77年のものが一冊あるだけだ。同じ著者やその他の著者による、女性学の歴史に関する本はその後も出ているにもかかわらずである。さらに、クィアスタディーズに関しては参考文献は皆無だった。

細かい間違いも目立つ。Ethnic Studiesを杉本氏は「民族学」と訳しているが、Ethnologyのほうが「民族学」だろう。そして、「オレゴン州立大学ポートランド校」が女性学プログラムを先んじて開始した大学としてあげられているが、これはPortland State University「ポートランド州立大学」の間違いだろう。さらには、「コンシャスネス・ライジング(意識覚醒)」と書かれているのは、明らかに「コンシャスネス・レイジング」の間違いと思われる。こうしたミスについて、ミネルヴァ書房、勁草書房両出版社の編集者も気づかなかったのだろうか。

さらには、著者が作成したという「図6−1」もよくわからない。「女性学の構造」と題された図なのだが、この図によれば、「哲学」と「史学」は例えば交わるところがないように見える。文化人類学と社会学は、教育学を介してつながっているようでもあり、「女性文化学」という何を意味するのかよくわからない分野が、文化人類学と女性学のつながりとして示されている。さらに「女性学」は真ん中のみならず「女性解放の政治学」を介して再び枠の外側にある「女性学」とつながる。(これはもしかすると「政治学」の間違いなのだろうか。)これが「女性学の構造」だといわれても何がなんだか…である。(これは図を示さないと意味不明かと思うので、とりあえずイメージをアップしておく。関係者の方、これについては問題あったらカットするのでその場合はお知らせください。)

ほかにも杉本氏のアメリカ女性学状況の記述には疑問を感じる点が多々あるのだが、きりがないので、最後にもう一点指摘しておきたい。このエントリでとりあげた章ではないが、杉本氏の著作には「セカンドステージ」という言葉が頻発する。だが、この「セカンドステージ」でいったい何を意味するのか、私が読んだ範囲内でははっきりしないままだ。杉本氏が留学していた頃におそらく話題になっていたのだろう、1981年出版のベティー・フリーダンのThe Second Stageからとっているのだろうか。だとしたら、1981年のアメリカの状況で使われていたコンセプトが、2008年以降の日本に当てはまるというのはどういうことなのだろう。あるいは「セカンドステージ」とは全く違う意味合いで使われているのか。よくわからないまま、「セカンドステージ」がバズワード化しているように思えた。アメリカの特定の歴史・社会状況のもとで使われていたコンセプトを、歴史的・社会的背景も異なる日本にもってきて当てはめることにそもそも無理があるのではないか。もしどうしてもそのコンセプトを使う必要があるというのなら、せめてどういう意味で使っているのか、丁寧な解説が少なくとも必要なはずだ。

(初出 2013/02/10 11:49 am)

イダヒロユキ(伊田広行)氏の『社会運動の戸惑い』批判に関して(2): 「フェミニスト」とは誰なのか?

執筆者:山口智美

イダヒロユキ(伊田広行)氏のブログ「ソウル・ヨガ」にて、「小手先のコミュニケーションーー思想の視点がない」という1月21日付エントリに関して、もう一点、気づいたことを記しておきたい。

イダ氏は、「保守運動側にあってその言い分を聞き、温厚な人間性(対話の可能性)だと記述し、一定の理解をするがフェミ側へは取材もしないのは」と『社会運動の戸惑い』を批判している。実はこの批判は、イダ氏のほかにも何度か耳にした批判でもある。

だが、『社会運動の戸惑い』においてフェミニスト側への取材は行われている。宇部市のフェミニズム運動に関わりつつ博士号ももっている研究者でもある小柴久子さん、千葉県の「条例ネット」の方々や、堂本暁子前知事、元男女共同参画課長、都城市の旧条例制定にむけて活発に活動を展開した「シエスタ」の皆さんや、女団連の方々、アドバイザーのたもつゆかりさん、元大阪府議の尾辻かな子さん。7章で、フェミニズムとインターネットをめぐる初期の動きについて語りを書かせていただいた井上はねこさんもいる。この方々はフェミニストだと私は思うわけだが、イダ氏にとっては違うのだろうか。

イダ氏にとっての「フェミ」とは誰なのか?東京近郊や関西の学者のみをさして「フェミ」といっているのだろうか。あるいは運動家も「フェミ」だと思っているが、自分の知り合いや仲間ではないと、「フェミ」の枠には入ってこないのだろうか。なぜこのように、イダ氏のようなジェンダー研究の学者自らが、地域で地道に運動に関わってきたフェミニストたちの声や存在を無視してしまうのか。

『社会運動の戸惑い』では、保守派についても、学者や知識人へのインタビューは実はしていない。本書での著者の興味が学者や知識人の声を聞くことではなかったからでもあるし、一冊の書籍で扱いきれなかったということもある。だが、保守側の学者や知識人のインタビューがないことは問われず、フェミニストだけ問われるのも不思議なことでもある。

『社会運動の戸惑い』で誰も女性学系の学者をインタビューしていない、ということは実はなく、インタビューさせていただいたが直接の引用という形では書籍に活用させていただくことができかなかった方々もいる。(巻末の「調査年表」を見ていただくと少々垣間見えるかもしれない)。また、インタビューだけに基づいて書いた本ではなく、参与観察も重要だった。公開のイベントでの学者の方々のご発言内容などについては参考にさせていただいている。

フェミニスト=学者、という理解は、私はまったく違うと思う。だが、もしかしたら女性学やジェンダー研究の中に、中央の学者ばかりを「フェミニスト」と考える思考が無意識にこびりついてはいないか。

もう一点だけ指摘しておきたい。
そもそもイダ氏に「山口智美さんなどはフェミニズムをかなり誤解」と理由も指摘せずに言われたことから、この一連の、何ら発展的な議論にはつながってこなかった不毛な状況は始まっているのだが、今回もイダ氏は斉藤、荻上という共著者と私に、「フェミではない」というレッテルを貼っている。例えば以下である。

フェミの側といっていても実は、フェミの立場ではなく、いい子ちゃんの立場に過ぎない
2009年6月の女性学会のワークショップの後、イダ氏は、「フェミを誤解している」というご発言は「オレのフェミ」についてのことだったとご発言されたという。だとしたら、ここでも「フェミの立場」は「オレのフェミ」の立場、という意味なのだろうか。そうなのであれば、私はイダ氏の立場とは違うだろうからかまわないが、「オレの」をカットされて「フェミの立場ではない」と、イダ氏に私が「フェミ」の枠外として一方的に認定されるのはおかしい。そして、これも以前から、小山エミ氏やマサキチトセ氏のエントリにおいて、イダ氏が指摘されてきた問題でもある。

最後に、イダ氏は当該エントリにおいて「世間知らずの「いいこちゃん」(お坊ちゃんお嬢ちゃん)」として『社会運動の戸惑い』の著者陣を批判しているわけだが、個人的な背景をよく知る訳でもない、学者や評論家として活動するフェミニストを「お坊ちゃんお嬢ちゃん」とからかい、見下すような調子で断罪している。さらに、昨年のエントリにおいて、共著者で女性の学者である斉藤正美を批判する文脈で「憎しみに囚われていて、ここまでよくもゆがめられるなという感じでした。この程度の無茶な読みをブログに書き残していて恥ずかしくないのかなと思いました。」と記載している。女性=憎しみというステレオタイプを持ち出しつつ、ここでも見下したトーンで批判している。こうした見方も、イダ氏にとっては「フェミ」的なことなのだろうか。

(初出 2013/02/03 11:18 pm)

イダヒロユキ(伊田広行)氏の『社会運動の戸惑い』批判における学者としてのルール違反

執筆者:山口智美

イダヒロユキ(伊田広行)氏のブログ「ソウル・ヨガ」にて、「小手先のコミュニケーションーー思想の視点がない」という1月21日付けエントリが掲載された。(魚拓はこちら

このエントリの特に後半部分で、書名も著者名も言及されていないのだが、斉藤正美・荻上チキと私の共著本『社会運動の戸惑いーーフェミニズムの「失われた時代」と草の根保守運動』への言及と思われる記述がある。

書籍についての批判や意見がきて、それが議論につながることは大歓迎なのだが、今回のイダ氏のエントリに関しては、それ以前の段階で問題がある。学者としての根本にかかわる問題である。

イダ氏は大学の教員であり、現在、日本女性学会の幹事をつとめている。学者として仕事をしてきた人だ。日本女性学会などの学会誌の査読を担当されることもあるだろう。にもかかかわらず、学者であるならば最低限のルールである、出典も示すことをしていない。しかも書籍からそのまま文言を引用しながら、である。

今までも、対象をぼやかして批判を行うということは、イダ氏も、またほかのジェンダー研究者も繰り返して行ってきていることであり、それについては何度も私もブログでも学会の場でも指摘し、「批判をするならソースをはっきりしてくれ」と主張してきた。例えば以下の拙ブログ「ふぇみにすとの論考」のエントリでも何度か扱ってきた。

批判対象をぼやかし続ける伊田広行氏の論(2006年10月16日)
伊藤公雄氏のいう相互批判の「作法」とは?(2006年12月14日)
「ようやく名指し批判が!」と思ったらぬか喜び(2007年10月13日)
日本女性学会ワークショップ『「ジェンダーフリー」と「バックラッシュ」を再考する』をふりかえって(2009年6月28日)
だが、今回、また繰り返されたということになる。さらに今回は今までにも増して、非常に悪質なやり方だったといえる。

なぜ悪質かといえば、鍵カッコを使い『社会運動の戸惑い』からほぼそのまま引用している文章と、同じく鍵カッコを使い引用かのように見せかけながら、引用ではなくイダ氏の作文であるという文と、両方が混在しているからだ。具体的には以下の箇所である。

「保守運動とフェミニスム運動の対立は合わせ鏡のような構図だった」と第3者的に双方を批判。
この文の鍵カッコ内の部分は、『社会運動の戸惑い』、328ページの荻上チキによる「結びにかえて」からの引用だ。オリジナルは「対立は、合わせ鏡」と、読点がはいっているが、それ以外は一字一句同じである。

その後、イダ氏のエントリ内では、同様に鍵カッコを使って、以下の文が書かれている。

第3者的に、「相手に勝手なイメージをつけて不信感ばかりを強化し対立(攻撃)するのでなく、相手をよく知り話し合えば、対話可能だし、理解もできるし、問題解決の道も見える」という凡庸なお説教レベルはみあきた。
ここでの鍵カッコ内の文は、『社会運動の戸惑い』には全く書かれていない、イダ氏の創作であり、イダ氏なりの拙著の解釈のようである。

だが、一方は書籍からのそのままの引用(しかも出典情報皆無)、もう一方はまったく書籍には書かれていない文章を全く同じように鍵カッコを使い書くというのは、読者に著しく誤解を与えるだろう。さらに後者の文に関しては、『社会運動の戸惑い』の著者がそのような記述をしているかのように誤解されかねず、ひじょうに迷惑だ。

そもそも、すでに書いたとおり、学者として文章を書く際に、しかも文献からの直接引用を含んでいる場合、ページ数はおろか、書名も著者名すらも何も言及しないというのは、ありえない。私はアメリカの大学で教えているが、学生が出典情報を示さずに書籍について議論をしたり、引用などしたら、それは確実に剽窃扱いとなり、退学処分になることもあるだろう。引用の際にソースを示すということは、アカデミアにおいてはそれだけ基本中の基本であり、必須とされていることなのだ。

著者について、「現実の経験が浅い」「世間知らずの「いいこちゃん」(お坊ちゃんお嬢ちゃんの作文)」などとすごい言われようなのだが、そういった批判をするなら、もっと具体的に何がどのようにそうなのかを指摘した上で、最低限、文献情報くらい示し、その上で批判してほしいと切に願う。

そもそも、こうした批判対象をぼやかしたり、ソースをしっかり確認しないという状況がいかに大きな問題につながりかねないかを、『社会運動の戸惑い』では記した。それにもかかわらず、その点をまったく受け止めずに、さらに悪化した形で同じ問題を繰り返しているというのは、問題はあまりに深刻だといえよう。

(初出 2013/02/02 1:55 pm)

mixi内でのバックラッシュをめぐる議論に関して 「社会運動とネット、メディア研究会」2009.12.26報告内容メモ (山下渉)

執筆者:山下渉

1.mixi内でのバックラッシュをめぐる議論を今から振り返ってどう考えるか。

内容レベルでは、他のネット空間で繰り広げられた言論戦に比べて際立った違いは無いと考えられる。但し、mixiならではの展開や問題はみられた(下の3にて詳述)。

2.フェミニズムのネットにおけるバックラッシュ対応に関する考察
同上。

3.mixiという媒体のコミュニケーション特性やその可能性および限界について
mixiのもつ
a.参加者の同一性は保たれている
b.匿名性は高い
c.「マイミクシィ」という制度
d.「コミュニティ」「日記」にみられる多層構造内でのコミュニケーション
という特性から下記の問題点が考えられる。

mixiは、招待制ではあるが、参加人数は多いのでもはや「クローズドな場」とはいえず、ひとつの公共空間になっている。しかもその内部で日記、コミュニティ、と重層的に閉鎖性と公共性が多層構造になっている。その場でのやりとりをどう扱うか? は難しい。

(a)(b)について:招待制と参加時の資格審査はあるものの、本名/通称ともに実生活での名前を明かしている参加者は多数とはいえない。ゆえに、(a)によって特定の参加者への攻撃が容易にできる一方で、(b)によって攻撃する側は匿名性によってオフラインにおよぶ責任追及からは免れやすい、ということも起こり得る。

(c)(d)について:各々の参加者同士の関係が「マイミクシィ(マイミク)=友人」か否かが外部からオープンになっている。「マイミク」は「友人」と称されるように2者が互いに承認しあってはじめて成立する。ゆえに、マイミクであることは単に相手を参照するだけではなく「相手を肯定的な存在として扱いあう」関係であるという前提がmixi全体で基本的には共有されている。
具体的には、個々のテーマ(ジェンダー、フェミニズムに関するもの)について「対話」「議論」が為される際に、テクストレベルでの内容に即しての応答よりも、「発言者たちのマイミク関係」「特定の思想/政治的傾向をもつコミュニティの参加者」といった属性を持った者たち同士の集団戦が起こりやすかった。
個々のテーマによって有志が集まる「コミュニティ」、参加者個々人が持つ「日記」といった空間ごとに、公開範囲が任意に設定できる。そのことが、参加者間での「mixi内が公共性をもつ場なのか? プライベートな場なのか?」という認識に差が生じやすい。また、複数の場を使い分けることで、「オープンな空間での発話」と「クローズドな空間での発話」をコントロールすることができる。それはそのまま、マイミク/非マイミクによる情報の流通経路を操作する権力ゲームの発生である。そうした”つながり”が「マイミク」という制度によって可視化と固定化がなされることが、かえって自由で広がりのあるコミュニケーションを阻害してしまう面があると考える。

<mixi内の「バックラッシュ」関連参照先コミュニティ>

『戦争反対!』コミュニティ http://mixi.jp/view_community.pl?id=14723
内にて、2006年頃「慰安婦」問題等で紛糾
該当トピック>【フェミニズム&ジェンダーと戦争】http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=2488180&comm_id=14723 他
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(2006年10月~約1年、wataru=山下渉が管理人として運営)
山下 渉(やました わたる)