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『行動する女たちの会資料集成』全8巻と、映像記録『行動する女たちが未来を拓く』

執筆者:山口智美

2015年7月から、2016年6月にかけて、編集復刻版『行動する女たちの会資料集成』全8巻が発行された。

運動体の記録を残すとき、過去の運動体による発行物を集めた資料集を作るべきなのか、または 過去を振り返って、運動の当事者および第三者が歴史を記述するべきなのかの2つの方向性がある。1999年に未来社から刊行された『行動する女たちが拓いた道』は、後者の方法をとった。「行動する会」の歴史を、運動に関わった当事者が記述することで、現在や未来の女性運動につなぎたいという問題意識が大きい本だったからでもある。そのため、あくまでも、運動当事者が、この記録の執筆当時であった1999年の視点から、自らの記憶を中心として歴史を振り返った ストーリーを提示したものとなった。

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巻末に収録された年表により、運動の流れはわかるが、年表もやはり、すべての出来事を記述することはできない。1999年当時の編集委員の視点から重要だと考えた出来事等を選び、小さな表形式のスペースに入るような形で執筆、編集したものである。 ページ数の限定もあり、運動の記録としては不十分な面があったことも否めない。

編集復刻版『行動する女たちの会資料集成』全8巻(詳細情報はこの記事最後に掲載)が発行されたことで、会の運動を実際に行っていたときの視点からの資料をまとめて見ることができるようになった。『行動する女たちが拓いた道』と合わせて読むことで、当時と現在と両方の視点からの行動する会の歴史がまとまった形で提示された。(私が書かせていただいた「解説 行動する会を女性運動史に位置付ける」は当サイトにも掲載している。)

資料集成のパンフレットの表紙。年表や推薦文などが入ったパンフレットは六花出版サイトからダウンロードできる
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さらに、今年の6月には、映像記録『行動する女が未来を拓く』が完成し、9月にはDVDの形になり販売が開始された。
この映像に記録は、昨年7月の『行動する女たちの会資料集成』出版記念の集会での元会員の方々のご発言に加え、個別に何人かの元会員の方々にさせていただいたインタビューも収録されている。さらに、元会員が所有していた、当時の運動の貴重な写真からも収録されており、どんな人たちが、どんな雰囲気で運動していたのか、彼女たちの生の声が聞ける、貴重な記録だ。

私自身もこのプロジェクトのインタビューをいくつもさせていただいたが、お話の内容も貴重だったし、それを語ってくださる皆さんのパワーや感情などに動かされるところがかなりあり、私にとっても本当に貴重な経験になった。行動する会関係の編集の際はいつもそうなのだが、DVDのための編集作業でもやはり様々な議論が喧々囂々となされたりもして、参加すること自体が楽しく、かつ考えさせられたり、自分の思いをお互いに語ったり、、という場でもあった。

DVDは、送料込みで680円で販売。複数枚ご注文の場合、680円×○枚。運動として広げたいという意味もあってのこの値段。是非ご覧ください!
お申し込みご希望の方は、「行動する女たちの会」映像を記録する委員会 kodosuruonna@gmail.comあてにメールでお申し込みください。追って、お支払い方法などをメールでご連絡させていただきます。

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以下、編集復刻版『行動する女たちの会資料集成』全8巻の詳細情報を紹介しておきます。

国際婦人年をきっかけとして行動を起こす女たちの会(1975~96年)の全記録!
インスタントラーメンCM「私作る人、僕食べる人」、NHK女性アナウンサーが天気予報とアシスタントばかり担当していることなど、性別役割分業に抗議し、家庭科の男女共修、出席名簿の男女混合の運動を推進して70年代から90年代のウーマンリブ/フェミニズム運動の一翼をになった「行動する会」。
その活動を記録するチラシ・宣言文・裁判資料・リーフレット・機関誌等、資料約630点を編集復刻!
1975年、性差別への怒りを行動に変え、果敢に異議申し立てを実行した、「国際婦人年をきっかけとして行動を起こす女たちの会」(1975〜96年)の活動記録のすべてを網羅!

「女らしく」「女だから」の常識=性別役割分業に挑み、分断されている女たちに連帯を呼びかけ、教育・労働・マスコミ・離婚・主婦・などのグループを立ちあげて、女をめぐるさまざまな問題に取り組んだ「行動する会」。
自分たちのいたみや怒りから出発し、男社会のバッシングに徹底的に反駁しながら、あらゆる場にひそむ女性差別を告発し、社会を動かしたその行動は、1910年代の『青鞜』から始まった、日本の女の運動史に明確に刻印されるべき運動である。
現在もなお頑強に残り、さらに深刻になっている性差別問題を解決したいと望むすべての人に、女たちの二二年間の記録を提供する。

◉体裁
A4判(第1巻・第2巻)
B5判(第3巻〜第8巻)
上製/総約3、300ページ
◉揃定価
180、000円+税〈全3回配本〉
第1巻 チラシ・抗議文・声明書等Ⅰ(巻頭に解説)
第2巻 チラシ・抗議文・声明書等Ⅱ
第3巻 パンフレット等出版物Ⅰ
第4巻 パンフレット等出版物Ⅱ
第5巻 機関誌「活動報告」1975年4月~80年
第6巻 機関誌「活動報告」1981~86年3月
第7巻 機関誌「行動する女」1986年4月~90年
第8巻 機関誌「行動する女」1991~96年10月

◉編
高木澄子/中嶋里美/三井マリ子/山口智美/山田滿枝
◉推薦
笹沼朋子/樋口恵子/ノーマ・フィールド/安田常雄
栗田隆子/千田有紀/谷合規子/角田由紀子/福島みずほ/三木草子/山口里子/横田カーター啓子/米津知子
◉解説
井上輝子/山口智美

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私のフェミニズム研究の原点としての「行動する女たちの会」

執筆者:山口智美

(元々は『行動する女たちの会資料集成』(六花出版)の解説文の冒頭部分用として書いた文章ですが、字数削減の必要がありカットしたものです。)

私のフェミニスト研究者としての原点、それが「行動する会」だった。 1996年、当時アメリカのミシガン大学の大学院生だった私は、博論のためのフィールド調査を行う目的で東京にやってきた。日本での活発なフェミニズム運動の実態を調査するという計画で、とくにどのグループに焦点を当てるとはその時点では決めていなかった。そして、 「聞いた事ある有名な団体だな」という程度の認識しかない中で、行動する会に連絡をとってみた。だが、その時、会はすでに解散の話し合いを進めている最中だったのだ。結局、私が二回目に新宿区曙橋にあった、会の事務局「ジョキ」に行ったときの会議で、解散が決定。「行動する会」の最後の新入会員となった私ではあったが、会の活動への参加は、 解散決定の会議と、その後の事務局の片付けと掃除、そして打ち上げパーティーだけだった。

本来の博論研究計画からいったら、私が会に行ったときはすでに遅すぎ、会の解散とともにこの会の調査は終わるべきだった。でも、私はこの会こそに強く惹かれた。それはおそらく「解散」というタイミングだからこそ 、この会の運動をどう振り返り、どのように解散し、歴史に位置づけるのか、という分厚い議論が、まさにそこで行われていたからだったように思う。

そんな中で、会の歴史の前半10年間に中心的に活動していた人たちが、会の歴史をまとめるプロジェクトを進めていることを知った。そのプロジェクトの成果は 『行動する女たちが拓いた道——メキシコからニューヨークへ』(行動する会記録集編集委員会編 未来社 )としてまとめられ、1999年に出版された 。このプロジェクトに興味を覚えた私は、新宿御苑前にあった、中島通子さんの法律事務所で行われていた編集会議に出席した。1997年4月のことで、この時私が 参加したのは、4度目の編集会議だった。中島さんのほか、吉武輝子さん、駒野陽子さん、金谷千都子さんなど、今は亡くなられたそうそうたる会の元会員たちも出席していた 。そして、一度参加しただけでいつの間にか私は編集委員の一員ということになってしまった。

その後、2年近くに渡って中島通子法律事務所で、ひと月に一度程度のペースで開かれた編集会議に通い続けた。いきなり編集委員会に飛び込んでいった私は当時20代で、世代的には図抜けて若かったが、参加して意見を言うことは歓迎され、中島さん、吉武さんから私まで、皆でお茶の準備や片付けをしたりもした。そしてお互いの呼び名は、それぞれの職業や世間的な著名度がどのようなものであろうとも関係なく、「先生」ではなく「さん」だった。私は中嶋里美さんとともに、マスメディア抗議の章を執筆し、さらに、山田満枝さんと小林みち子さんとともに、年表作成を担当することにもなった。そのため、 中嶋さん、山田さん、小林さんとは何度も会って長時間作業をし、食事もともにし、その中で行動する会についての様々なお話を伺ったりもした。

要するに私自身も、行動する会の解散に至る過程と、その後の歴史をまとめるプロジェクトに参加して、 行動する会の「平場」の実践を体験したことになる。さらに会員たちの会や、執筆の際に掘り起こした様々な資料への思いの大きさも、作業に共に関わりながら、会員たちの語りを通じて理解することとなった。

そして、編集委員会の場で聞いた、会の歴史、および日本の女性運動 の話は、私にとっては興奮の連続だった。過去の自分たちが関わった運動へのノスタルジアとして歴史は語られるだけではなく、当時進められていた「男女共同参画社会基本法」づくりのプロセスへの疑問や、「男女共同参画」という行政主導でつくられた概念への批判、および女性運動の方向性への問い直し等を議論する中で、行動する会の歴史が位置づけられ、議論され、語られていたのだ。すなわち、 歴史は過去を懐かしむためだけに語られるのではなく、現在を問い直すためこそに、その解釈も含めた議論が熱く行われていた。「こんなにすごい話を私だけが聞いていていいのか」と会議に出るたびに思ったのをよく覚えている。

同時に、そこで多々言及されていた70年代中盤から80年代にかけての運動の歴史について、 「なぜ、私はこんなに知らなかったのか?」と 衝撃を受けた。 もちろん 私の不勉強もあるだろう。だが、それだけではないのではないか? これは、私が博論研究を通して問い続けた課題となり、その後のフェミニズムに関する調査研究においても、常に「なぜ行動する会の歴史は抜け落ちてきたのか?」「今でもまた落とされ、書き換えられていくのはなぜか?」という問いは、私が様々な局面で立ち戻る問題であり続けた。(注)

(注)例えば、双風舎編集部編『バックラッシュ!—なぜジェンダーフリーは叩かれたのか』(双風舎2006)に寄稿した「ジェンダーフリー論争とフェミニズム運動の失われた10年」という拙論は、 行動する会へのオマージュという意味もこめて書いたものだった。本資料集に収録されている「男女平等教育をすすめるシリーズ」パンフレットなどにおいて、行動する会が目指した「男女平等教育」は、明らかに男女の特性論を乗り越えたものであり、人々の意識、社会構造両方を問題として捉えたものだった。2000年代の「ジェンダーフリー」をめぐる論争においては、「男女平等教育」は制度に関することに限定されるとか、特性論は超えられないなどという主張がなされていた。少なくともこれは行動する会が主張してきた「男女平等教育」とは大きく異なり、これでは行動する会の教育分科会の運動の積み重ねはなかったことにされてしまう、という危機感のために執筆したものだった。

解説 行動する会を女性運動史に位置づける

執筆者: 山口智美
編集復刻版『行動する女たちの会資料集成』第1巻(2015年7月 六花出版刊)所収

<行動する会の歴史とリブ、女性学>
  「国際婦人年をきっかけとして行動を起こす女たちの会」(以下「行動する会」と略す)は1975年1月13日に発足した。 市川房枝、田中寿美子両参議院議員が、国際婦人年に民間の女性たちの機運を盛り上げたいということで女性たちに呼びかけ、1974 年の秋に新宿の婦選会館で準備会が開かれた。準備会での議論をへて、行動する会は、団体の連絡会ではなく、「原則として個人参加」の会と定められた。
 初期の世話人には両参院議員に加え、評論家や弁護士、教員、主婦などのさまざまな女性たちがいた。そして、1975年9月末、NHKへ27項目からなる「要望書および質問状」を持って小野会長に面会したことや、ハウス食品インスタントラーメンCM「私作る人、僕食べる人」への抗議などが大きく報道されたこともあり、 新聞記事や集会案内等を見た事などがきっかけとなって、新たな会員も加入していった。その後、会はマスコミ、教育、労働、政治など多様な分野にわたる活動を行った。「国連婦人の10年」は1985年に終わりを迎え、会は1986年に名称を「行動する女たちの会」に変え、より若い世代が中心となった。その後も会は活動を続けたが、1996年12月に解散した。
 行動する会は、女性学の文献でも、また女性運動やウーマンリブの歴史という文脈でも、その知名度や役割の大きさに反して、驚くほどに語られてこなかった会だった。1970年代のウーマンリブ運動の歴史についての出版物も、70年代始めから半ばまでを扱うことが多く、行動する会の歴史は抜けがちだった。女性学において後に主流となった歴史記述では、1975年以降は国連の動きや外圧が強まり、行政主導の運動が盛んになり、1977年以降は女性学が生まれ発展した時代と捉えられた。こうした歴史解釈の中で、行動する会の運動の歴史は十分に顧みられず、埋もれていった。
 井上輝子さんは本資料集の解説で、行動する会を「生活者版リブの集まり」だったと表現している。本資料集第3巻収録の『女の分断を連帯に 1年目の記録』に掲載された、「明日をつむぐ女たち」は、行動する会が結成された年に、会の歴史的な位置づけを詳細に論じた大変興味深い論考であるが、そこでも 労働運動、既存の婦人運動に加え、リブ運動の流れの中で会の発足が論じられている。元会員たちに私が行った 聞き取りでは、自分をリブと自認する人とそうではないと思う人と、その人の世代や出身地など、背景状況によって様々なケースがある。 しかしながら、リブに大きな影響をうけたことを語る元会員は多く、紛れもなくリブの歴史を受け継いだ運動だったと言えるだろう。よって、リブの歴史を現在につなげるという意味においても、行動する会の歴史は外す事はできないものだといえよう。
 本資料集成は、2012年に亡くなられた吉武輝子さんをはじめ、編集委員である高木澄子さん、中嶋里美さん、三井マリ子さん、山田満枝さんら、元会員の 方々の、 歴史の欠落を埋めたいという強い思いのもとに実現したものだ。さらにたくさんの元会員の方々が、手もちの資料を共有してくれた。70年代のウーマンリブ運動のミニコミ等の資料をどう保存するのかは、紙の劣化や資料の散逸などがある中で大きな課題となっているが、行動する会の関連資料も例外ではなかった。 そうした中で、今回の復刻版資料集の出版は大きな意義がある。
 会の事務局専従を7年間にわたってつとめ、活動報告の編集も行っていた山田満枝さんは「この復刻版は私の命」と言い切った。その言葉の持つ意味は大きく、重い。このプロジェクトは「過去語り」のためだけのものではない。現在の日本社会を考えるにつけ、今だからこそ「行動する会」の活動の歴史を振り返り、そして今後の運動に生かしていくべきなのではないか。 今の運動にとっても「性別役割分業」批判や「性差別」の撤廃にこだわった、行動する会の運動は現在にも続く重要な視点を提示しているのではないか。
 では、 行動する会の 歴史の中で、とくに何が重要だったのか。 本復刻版収録の資料に加え、私自身の元会員らへの聞き取りなどの調査 も参照しつつ、以下で考察してみたい。

(まだまだつづきます。ページ移動は下にある「ページ」からどうぞ。)

田村哲樹氏の書評に応える 「再帰性」を糸口に

田村哲樹氏によるシノドス・ジャーナル掲載の「社会運動は『戸惑って』いるのか? あるいは、『失われたもの』をどのように取り戻すのか?」は、『社会運動の戸惑い フェミニズムの「失われた時代」と草の根保守運動』(以後、『戸惑い』本、と略す)に関する書評である。『戸惑い』本については、刊行後、幅広い方から書評やコメントをいただいているものの、男女共同参画と関わりの深い女性学・ジェンダー学者からは表立った応答はまだいただいていない。そんな中、ジェンダー学や男女共同参画政策に関わりが深い田村氏が書評を書いてくださったのは、大変うれしいことである。

田村氏は、『ジェンダー法・政策研究叢書』や『ジェンダー社会科学の可能性』シリーズなど大沢真理、辻村みよ子といった女性学・ジェンダー学者が編纂する叢書でも論考を執筆している上、ご自身もフェミニズムに関する単著『政治理論とフェミニズムの間 国家・社会・家族』を著している。

さらに田村氏は、名古屋大学男女共同参画室に所属した経歴をもち、愛知・岐阜・三重の三県下自治体などで男女共同参画審議会委員や講座講師を務めるなど、男女共同参画政策にも深い関わりをもつことを自著でも明らかにしている(田村2009:200)。

一方同氏は、政治の規範理論では、異なる人々の間で「『熟慮し議論する』こと、その結果として選好が変容することの重要性」を唱えるなど、民主主義社会における政治過程として「熟議」や「熟議民主主義」を重視している論客としても知られる(田村2008;2010)。
実は、田村氏への応答については、書こうと思ったにもかかわらず、なかなか考えがまとまらなかった。うんうんうなって1ヶ月余り、なぜ田村氏へのレスが書きづらいのか、ようやく私なりにわかったことがある。

それは、田村氏の書評が、現実の男女共同参画政策やフェミニズム運動の実態とは別個に、いや、別個にというとちょっと語弊があるかもしれないが、直接関係することを避けた点も多い議論であったことが大きいと思う。そのために、あくまで現実に即した議論をしたい私は、どうやって議論していいか、考えあぐねたことがあったように思う。

1)現実から離れていく議論

近年、フェミニズム研究が運動から生まれたにもかかわらず、次第に現実に即した問題群より 構築主義、「ジェンダー概念」といった理論系の仕事を評価する流れが強くなっているように思う。そして 2000年代半ばにおきた対抗運動については、「バックラッシュ」と批判しつつも、それがどういった人々の動きであるかの実態調査も行われなかった。そうした事態に対し、 男女共同参画政策の現場での実態を踏まえて問題提起することが重要だと考え、政策立案過程とフェミニズム運動の双方に関わる中での経験を践まえ、新たにいくつかの事例について調査を加えたのが、私にとっての『戸惑い』本であったとも言える。

フェミニズム運動については、私自身1980年代初めから富山での運動に関わってきたし、またフェミニズム研究については、論文や書籍など文献のみならず、1990年代初めからフェミニズム研究者との交流経験も少なからずあった。一方、男女共同参画政策については、1990年代初めから2000年代初めまで、断続的ではあったが、15年間にわたり、富山県高岡市で市の女性政策立案過程にかなり時間を割いて関わってきた。関わっていない時期も女性運動には関わってきたので、関心を注いできた。

さらに『戸惑い』本における著者のスタンスについては、「斉藤・山口はフェミニズム研究や運動に当事者として深く関わってきている。ここで指摘したことは、決してどこかにいるフェミニストや女性学・ジェンダー学者らのことを指しているのではない。これは筆者自身へとはねかえってくる自省の物語であり、どうしてこうなったのかという省察でもある」(ローマ数字の4頁)としている。

こうした問題認識に立って書かれた『戸惑い』本について論ずる田村氏の書評だが、現実から離れた議論が多いように私には映った。

その理由の第一に、田村氏が 直接的に関連するテーマについてご自身が 研究を行ってきたことに触れていないことがある。田村氏には、山口県宇部市の男女共同参画条例について論じた先行研究があるが、書評では触れられていない(田村2006a)。 さらに、田村氏は書評において、「この時代を、これまでのフェミニズム・女性運動の成果の帰結としての男女共同参画社会基本法の制定とそれに基づく様々な政策の形成によって肯定的に評価する立場もあるだろう」と述べている。

しかしながら、田村氏自身こそが「1990年代後半以降の日本においてはナショナル・マシーナリーとしての内閣府男女共同参画局を中心に、ジェンダー平等政策の推進が図られてきた」(田村2006a:92)と男女共同参画社会基本法の制定とそれに基づく様々な政策を肯定的に評価し、実際にも取り組んでいる立場であることには触れていないのだ。

このように、『社会運動の戸惑い』に書かれた内容について田村氏の具体的な経験があるにもかかわらず、そうした自身の先行研究やそこで下してきた男女共同参画条例や政策への評価についてはまったく触れないままに、第三者の視点に立ち『戸惑い』本について批判的な議論をしていくのである。こうした田村氏の議論の進め方から、議論が現実より離れて、抽象的な次元に向かっている印象が避けられなかった。

また、論文における考察のみならず、田村氏は、自身がいわゆる「バックラッシャー」の批判を受ける立場になるという経験も持ち併せているようだ。本書5章で取りあげた福井の近藤實氏は、2008年4月6日以降「名古屋大学男女共同参画室への苦言」メールを何度も出したことをブログで報告している。そこでは名古屋大学サイト上に掲載されている、田村氏執筆の名古屋大学のジェンダー関連授業に関する文書(田村2004)が近藤氏から批判の対象とされている。

近藤氏から批判の対象となったのは、田村氏も執筆に加わった『ジェンダーを科学する――男女共同参画社会実現のために――』(ナカニシヤ出版)であった。自身も執筆者である書籍が批判対象となっている以上、当事者意識がないとは考えづらい。だが、こうした自身の具体的な経験についても書評ではまったく触れられていない。

田村氏は、本書を批判する際、本書が「『具体像』『現実』を明らかにするというより『批判』の方が強く出ている」と難じるが、同じ事象について自身が先行研究を執筆していることや、自身が草の根保守運動家から批判されたことがあることには触れないままに、当該事象について論評している。田村氏は、「価値の出すぎない」公平な論評を目指すというがために、自身の先行研究の有無や、当該事件との関わりも示さなかったのだろうか。だが、それを示さず、あくまでも第三者的視点からのみ論評することは、果たして「公平な論評」だと言えるのであろうか。

さらに、田村氏は、政治理念を語る際には、熟議や熟議民主主義を重視していると主張している(田村2008;2010)。本書で描かれている保守運動家の姿や思いをどのように受け止めたのか、男女共同参画政策を進める側として、また攻撃を受ける側の当時者として自身がどのような思いや考察をしたのか。こうした論点について、田村氏が重視されている熟議という観点からの分析を伺えると、現実の政治過程において熟議という概念を実践的に考察することになってより一層興味深かったように思う。

2)ジェンダーフリー誤読問題への突出した関心

ここまでは、田村氏が書かなかったことについて記した。だがこの書評について、田村氏は「『書評』といっても、およそ1万6千字くらいありますので、かなり異例ですね。」と自身のブログで述べている(田村2013)。では、このような原稿用紙40枚を越す、いわば一つの論文に匹敵する長文の書評で、田村氏は何について記述しているのか。

田村氏書評では、最初に『戸惑い』本についての概要が示され、次いで、詳細なフィールドワークを通じて、保守運動の実態と男女共同参画条例制定をめぐる地方政治の政治過程を丹念に描き出している、という本書の意義が記されている。ただ、意義の部分は500字とごく短い。『戸惑い』本を紹介する概要部分を含めたとしても、全体の1割程度である。そしてそれ以外の、全体の9割近くが「本書への疑問また論点」から成っている。

では、田村氏は本書のどこに興味を示しているのか。田村氏がもっとも大きな紙幅を割いて論じているのが、一章「ジェンダーフリー」とその「誤読」問題についてである。「ジェンダーフリーの誤読」問題については、学者が行った誤読を明らかにした山口が論じるだろうから私は立ち入らない。しかしながら言えることは、このテーマについての田村氏の記述箇所は、5000字近くであり、書評全文の27%を占めている。 草の根保守運動に関する記述が500字程度で約3%であったのに比べ10倍の分量を占める。田村氏がジェンダーフリー誤読問題に寄せる関心の高さが示されている。

そもそも、田村氏が縷々論じている「ジェンダーフリー誤読」問題の論点は、『戸惑い』本では、「バーバラ・ヒューストン誤読事件とその後の混乱」というわずか2ページ弱の小節である。単に、誤読事件とその後の顛末を簡略に示しただけで 本書全体では決して大きな扱いではなかった。当初、この箇所は、別の媒体で既出なので外そうかという意見もあったくらいだ。

それが評者にかかると書評の三分の一近くを占めるとは、英語原典に当たることなく学者が次々に拡散していったという誤読問題をめぐる経緯が、田村氏にとっていかに大きな問題であるのかを改めて浮き彫りにしている。

しかも、「ジェンダーフリー誤読」問題についての田村氏の主張が、「『完全なる誤読』とまで言えるかどうかは、疑問である」というもので、弱い主張に分類される議論である。そうした幾分差し挟む疑問といった程度の主張が、全体の3分の1ほどまでの大きな紙幅を占めているわけだ。これは、田村氏の関心が現実的な男女共同参画政策よりも 学者による誤読をめぐる議論というジェンダー学者絡みの課題に向いているということを映し出しているようにも思える。

3)「再帰性」:政治学での注目と批評での消失

田村氏が真っ先にあげた批判は、「フィールドワークに基づく記述だけではなく、著者たちの2000年代フェミニズムに対する価値判断がはっきり表れている」という点にあった。「本書がフィールドワークに基づく記述を謳うのであれば、その記述をもう少しフィールドワークで得られた知見に止めるべきではなかっただろうか」というのである。

そして、「具体像」「現実」を記述するはずの箇所に、「しばしば、『上から』『外部から』への、あるいは『啓発事業』中心の男女共同参画への著者たち自身の批判的な評価を差し挟むものとなっている」と田村氏は述べる。さらに、「後半は『具体像』『現実』を明らかにするより、『批判』の方が強く出ているのである」や、「学術書として見る限りでは」「批判の対象となり得るのである」とする。すなわち、価値判断が出過ぎるものは「学術書」としてふさわしくないと田村氏は主張する。

ところで、田村氏は、宇野重規・田村哲樹・山崎望『デモクラシーの擁護 再帰化する現代社会で』(ナカニシヤ出版)において、「再帰性」という言葉を「現代の社会理論においてもっとも注目の集まる概念の一つである」(宇野・田村・山崎2011:ローマ数字の3)とし、「キーワード」として積極的に使っている。その際、「再帰性(リフレクシヴィティ)」という概念は、「自らや自らの行為を振り返ること、またその反省の結果として、自らが変わっていくこととして理解しておきたい」(宇野・田村・山崎2011:ローマ数字の3)と説明する。

「熟議」と同様に、この「再帰性」も自らの行為や経験を通して「変わっていくこと」を重視する考え方と言えよう。田村氏が「行為を振り返ること」「反省の結果として自らが変わっていくこと」を重視されていることが見てとれる。

一方、1970年代以降のウーマンリブやフェミニズム研究は、社会を再定義し再解釈することに取り組んで来た。個人的なこと、日常的なことが政治的な力関係につながっていること(「個人的なことは政治的である」)から、日常生活に根を持った権力とどう闘うかを考えたからだ。そうした潮流の一つに、学問や知を再定義する流れもあり、分厚い蓄積が存在する(例えば Harding 1986; Haraway 1988; Ramazanoglu& Holland2002 など多数)。

フェミニストによる社会科学を再解釈する初期の取り組みであるスタンレーとワイズによる『フェミニズム社会科学に向かって』(勁草書房)を例にあげる。ちなみにこの書は、初期の研究であるため、運動との関わりについての問題認識を強く残しており、また研究と経験との関わりについて深く追求している。そこでは、研究と研究者の関係は次のように再定義されている。

 『研究』とは、ある人間を媒介して生起する過程である。研究者は、常に不可避的に研究の中にいるのである。そう公言されているかいないかは別として、研究者の存在は否定できない。(スタンレ−&ワイズ1987:257)

それは、研究者と研究が密接に絡み合うからでもある。以下、引用する。

 私たちがどのような人間なのか、そしてどのように研究を経験するかは、私たちが何を見、何をするか、またどのような出来事を解釈し、構成するかといった問題にとって決定的な影響を与える。フェミニストにとってこれらの経験は研究結果についての議論からはずされるべきではない。はずすようなことをする限り、私たちは従来男性がしてきた「研究」や「科学」の神秘化を単に繰り返すだけにとどまる。またそうすることで個人的なものや日常的なものを過小評価することにもなるだろう。(スタンレ−&ワイズ1987:75)

研究者はどこでもない場所に立ち、「中立」に判断を下す存在などではなく、研究過程に自身が立ち入っていることを広く認めることを主張する。さらに、真実や客観性という概念すら、研究者自身の行為や価値観を含んだ社会的経験に他ならないと、次のように述べる。

 「真実」は社会的構成物であって、その意味で「客観性」と同じように、経験から構成されるのである。しかも実際これらの経験は「嘘」や「主観性」と同一なのである。したがって、すべての研究はそれが一人の人間の眼をとおして「現実」を見、構成するという意味において「フィクション」である。(スタンレ−&ワイズ1987:251)

フェミニズム研究における再帰性は、「総じて、権力関係ならびに研究過程で生じる力関係を明らかにしようとする行為を指す」(Ramazanoglu2002:118)と理解されている。フェミニズムが学問の権力性を再考するために、糸口の一つとしたのが、「再帰性」の概念であった。

ウーマンリブ運動から発展したフェミニズム研究では、それまで学術研究から女性の経験が捨象されてきたことから、学術研究が「どこでもない場所」に立つことによって権力を持つことに敏感であったからだ。スタンレーらが述べている「研究者は、常に不可避的に研究の中にいる」という発送が研究や調査の過程で生じる権力関係に敏感な「再帰性」につながったといえよう。

別の表現をするなら、かつて、「学術」や「知」として正当であるか、ないかを決めるのは、「どこでもない場所」に立ちうる男性知識層だけであった。そのため、フェミニストたちは、自身の依って立つ立場を明らかにし、自身の経験を研究から除外せず、さらに自身がいかに研究対象に関与しているかという再帰性に敏感な研究を選択してきたのである。『戸惑い』本は、基本的にこうしたフェミニズム研究の流れを踏まえた研究実践であった。

一方、自らの「反省」や「変わっていくこと」を指す「再帰性」や「熟議」という概念を自らの政治学のキーワードと掲げる田村氏だが、フェミニズム本の書評である本論考においては 政治学者としての自身の理論的立ち位置とは異なる視座に立って分析しているように思われる。

書評では、自身が行った先行研究の存在や、保守派から受けた批判の経験、ならびに自身と女性学・ジェンダー学との関わりなどについての情報がすべて省かれ、「どこでもない場所」からの「中立」な論評者という位置をとっている。男女共同参画政策を論ずる書評で、書き手が自治体の審議会委員や講座講師を務めてきたことは読者にとって重要な情報である。しかしながら田村氏は、このような自身と男女共同参画との関わりについて一切触れないで考察する。

政治学の理論を論じる際には、「再帰性」や「熟議」を高らかに掲げる。翻って、『戸惑い』本の書評で、現実の男女共同参画政策の政治過程を論じる段になると、中立で学術的という伝統的な原理に立ち戻る。自分自身を問題とする「再帰性」に立ち返ることなく、「どこでもない場所」から当該書を批判する位置取りを確保する。

田村氏は、わたしたちの生きる後期近代という社会では、各人はさまざまなリスクに対して集団ではなく、自分自身で解釈し対処していかねばならない再帰的な社会であり、そうした個人の再帰的な行為が新たな構造を生み出す可能性へと開かれていると述べているが(宇野・田村・山崎2011:15-39)、氏が書評においてとった位置取りは、こうした後期近代の再帰性という秩序とは相容れないものと私には映った。

こうした田村氏の書評を読みつつ考えさせられたのは、現実社会との関わりは、フェミニズム研究の生命線であることの再確認であった。それと併せて、フェミニズムや男女共同参画というテーマにおいて、研究と男女共同参画政策や推進活動との連携はどうしたらいいのかということも考えるようになった。

私自身を含め、審議会委員や講座講師として招かれて男女共同参画に関わる研究者が多いが、そうした特定の自治体との関わりを持つ研究者はどこまで男女共同参画政策の実態一般について把握しているといえるのだろうか。私自身もそうであったが、調査研究をしていなくても、審議会委員や講座講師に指名されるだけで自身を男女共同参画の実態に詳しい専門家のように錯覚することも往々にして起きる。だが、居住自治体以外の地域に調査に出向いてさまざまな立場の方に聴き取りをする中から、指名されて参加する研究者の立ち位置から来る特権性や付随する視野の狭さも感じるようになった。

研究者の審議会参加をめぐる状況に関連しては、『戸惑い』本の4章都城の条例の特異性に関して述べている箇所で若干触れている(198頁)が、研究者の地域における男女共同参画政策への関わりの功罪についても議論していく必要はあると思う。

田村氏の書評を通じて、フェミニスト研究者として拠って立つ地点はどこにあり、何をめざして研究・執筆をしていくのかについて考えを深めるよい機会をいただいた。また男女共同参画について検証をすすめていく必要性についても考察することができたことにも感謝したい。
■参考文献
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スタンレー,L.&S. ワイズ、矢野和江訳1987『フェミニズム社会科学へ向かって』勁草書房
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田村哲樹2007a「デモクラシーとポジティブ・アクション ヤングとフィリップスを中心に」田村哲樹・金井篤子編『ポジティブ・アクションの可能
性 男女共同参画社会の制度デザインのために』ナカニシヤ出版:17-40
田村哲樹2007b「公/私区分の再定義」辻村みよ子編『ジェンダー法・政策研究叢書 第10巻 ジェンダーの基礎理論と法』東北大学出版会:225-
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田村哲樹2008『熟議の理由 民主主義の政治理論』勁草書房
田村哲樹2009「あとがき」『政治理論とフェミニズムの間??国家・社会・家族』昭和堂:195-201
田村哲樹2010『<政治の発見>第5巻 語る 熟議/対話の政治学』風行社
田村哲樹2011「シティズンシップの再構想 政治理論はどのようにパラダイム・シフトするのか」 辻村みよ子編『ジェンダー社会科学の可能性 第
3巻 政治と行政のジェンダー主流化』岩波書店:43-63
田村哲樹2012「『熟議』が現代社会を生きる基本スキルとなり、学校を変え、社会を変える」『ポスト3・1変わる学問 気鋭大学人からの警鐘』朝
日新聞出版:62-65
田村哲樹2013「書評」『tamuraの日々の雑感』2013年2月22日 http://d.hatena.ne.jp/TamuraTetsuki/20130222/p3
Alcoff, Linda & Elizabeth Potter eds.1993, Feminist Epistemologies, New York and London: Routledge.
Harding, Sandra 1986, The Science Question in Feminism. Ithaca, NewYork: Cornell University Press.
Ramazanoglu,Caroline & Janet Holland 2002. Feminist Methodology; Challenges and Choices, Sage;London.

(初出 2013年4月19日)

中ピ連のメディア活用とその功罪

「中ピ連(中絶禁止法に反対し、ピルの全面解禁を要求する女性解放連合)」は、1972年6月に結成。代表は、榎美沙子。代表をおかないことが多いリブグループの中では、代表を明確に定めている数少ないグループであった。

中ピ連の活動を追うと、73年10月、日本家族計画連盟主催「産児制限を考える」討論会に出向き、「ピルを解禁せよ」と主張した。75年4月、中ピ連は、日本産婦人科学会総会(京都)に出向き、ピル解禁勧告を政府に提出するよう要求した。その他、72年10月には、ミスインターナショナルコンテストへの抗議行動も行っている。こうした動きは週刊誌などで大きく取りあげられ、多くの人の目に触れることになる。

74年8月には、「女を泣き寝入りさせない会」発足、暴力を振るう夫、一方的に離婚したがる夫の会社に、ピンクヘルメットの女たちが抗議デモをしかけ、それがテレビや雑誌で大きくとりあげられるなどした。「激突中パ連」(玄海つとむ作『週刊明星』)というマンガでもとりあげられた。さらに、75年11月には、NHK「紅白歌合戦」に襲撃予告を出した。ターゲットになった芸能人は、三船敏郎、前川清、にしきのあきらなどの名が取りざたされ、週刊誌などで盛んに報道され、「中ピ連」の名前は知れ渡った。

その後、76年6月、中ピ連は宗教団体『女性復光』を創設、77年7月には、参議院総選挙で「日本女性党」を立ち上げ、7人の候補を立てるが、1700万円の供託金を没収され、中ピ連自体が解散に至る。中ピ連の解散は、女性学会がスタートするのとちょうど時を同じくしていた。

榎美沙子と中ピ連は、雑誌やテレビなどでの表出が大量かつ群を抜いて目立っていた。例えば、『大宅壮一文庫雑誌記事索引総目録』(1985年)には、「婦人問題、婦人運動」の項目を見ると、そこにはさまざまな運動体の名前と、その運動体について書かれた記事が集録されている。

そこに登場する運動グループの記事中、「中ピ連」に関する記事が119と、ダントツトップだ。中ピ連は、誕生から解散まで、たかだか5年程度の活動期間にすぎないにもかかわらず、「主婦連」という長期間に活動がおよぶグループが56であるのに比べ、断然多い。名前の上では誰でも知っている「青鞜社」に関する記事は、時代が異なるとはいえ、19であるから、中ピ連がいかに、当時のマスメディアに注目されていたかがわかるだろう。

また、同じ『索引総目録』で「女性著名人」をみると、現在、「ウーマンリブ」では最も有名な人物といえる、田中美津に関する記事が6件、当時からリブの活動にも参加し、その後評論家や男女共同参画行政でも活躍した、樋口恵子についての記事が45件掲載されているところ、榎美沙子は173件である。中ピ連および榎美沙子のメディア表出は、他の運動体と比較しても、他の女性著名人と比較しても、飛び抜けて多い。

中ピ連は、問題にしていることが「避妊」や「ピル解禁」「男の不倫に泣き寝入りしない」など身近であり、抗議に記者を同行させたり、テレビの歌合戦などにも出演したり、ビジュアル的にもピンクのヘルメットをかぶるなどと目立つ行動をとることが多かった。

多くの女性団体がメディアに載るのは、お堅い言論誌やニュース系雑誌であったのに対し、中ピ連が取りあげられるのは、もっぱら『女性自身』『ヤングレディ』『アサヒ芸能』といった週刊誌が中心であったし、榎美沙子は当時、テレビの娯楽・バラエティ系番組にもよく出演した。

中ピ連はよくも悪くも広くメディアにのったことで、リブ運動を幅広い層に知らせることができた。例えば、オノ・ヨーコが中ピ連のために、「女性上位万歳」という歌をつくっておくってくれたりした。また、アメリカで中ピ連の活動が報道されると、在米日本人女性たちは、「日本の女性たちもなかなかやるじゃない」と力づけられたという(溝口他編1994:246)。

しかしながら、当時は誰でもが知っている中ピ連と榎美沙子について、その後の女性学や女性史などにおいての評価や考察は決して十分とはいえない。いや、80年代以降、リブ運動に関する研究が盛んになったにもかかわらず、中ピ連と榎美沙子に関する論考は非常に少ない。その上、数少ない論考での、中ピ連の評価が著しく低いのである。

例えば、リブ運動に参加していた秋山洋子が、「中ピ連は本当にリブだったのか」と、次のように、中ピ連の活動に懐疑的な見方を示している(秋山1993:121-138)。

ピンクのヘルメットをかぶって華やかに行動する中ピ連は、マスコミにとっては格好の話題だったし、中ピ連のほうも意識的にマスコミを利用した。それによって、リブ=中ピ連といったイメージがかなり広範にばらまかれ、他のもっと地味な活動をしていたグループは、いろいろな形で迷惑をこうむった。(中略)中ピ連の側にもマスコミに乗じられる問題があった。それは軽率さというようなことではなく、もうすこし中ピ連という組織の本質に係わる問題である。端的にいえば、中ピ連は本当にリブだったのか。真剣な運動だったのかという疑問を、当時リブ運動に参加した女たちの多くがいまだに持ち続けているのである(秋山1993:125-26)。
そして、秋山は、「リブ運動の中で中ピ連とは何だったのかと問い直すとき、すくなくとも仲間だったと評価することはできない」という。

確かに、宗教団体設立や女性党で候補を立てるなどの活動に関しては、「アイデア倒れ」(溝口他編1994:244)であり、リブ運動に悪しきイメージをつけた面もあったと思う。しかし、設立当初掲げた優生保護法をどうとらえるか、という提起や、避妊薬ピルの解禁を求めるという活動まで無視していいとは思えない。

どうして中ピ連に対して、これほど冷たいのだろう。『社会運動の戸惑い』本でも取りあげているが、日本の女性学系メディア研究(「メディアとジェンダー研究」)では、強大なマスメディアの被害者としての女性像を主に研究対象としてきた。私自身もこうした流れの影響を受けてきた一人であるが、女性たちの主体的なメディア活用についての研究がその蔭ですっぽりと抜け落ちてきたのは損失であると思う。

別エントリーで、リブ運動のメディア抗議について紹介したが、そうしたメディアに対する主体的な活動はやはり重要である。中ピ連の活動でも、メディアの強大な影響力を認識し、その被害者にならないようにと行動を萎縮させるのではなく、むしろ、自ら主体的にその強大なメディアを活用し、自らメディアに登場するというメディア戦略をとる。その主張をメディアを通して、幅広い層に届けるという点において、中ピ連は見事に成功している。

秋山が「意識的にマスコミを利用した」「中ピ連の側にもマスコミに乗じられる問題があった」と述べているように、「迷惑をこうむった」面も確かにあっただろう。しかし、当時は、厚生省が番組/CMを問わず、『ピル』『経口避妊薬』という言葉を一言たりとも口にしてはならない、などと民放にピルの報道規制を要請している時代であった。さらに、厚生省はピルを要指示薬に指定、処方箋のない薬の店頭販売を禁止。同時に、薬事法違反の取締りを強化し、ピルを店頭で販売していた店に恫喝をかけるなどと、70年前半は、避妊薬ピルの規制が強化された。中ピ連は、女性にとって厳しいこの状況の中で、声を上げたのであった。

避妊に対して厳しい社会で、「妊娠の決定権は女にある」「中絶よりもピルの方がいい」(「男性用のピル開発を急げ!」『サンデー毎日』1972年9月17日)などという主張を広く届かせることができたことは、ある意味すごいことだと私は思う。

私なりに考えると、中ピ連のメディア露出が多かった理由には、第一に、ピル解禁、ミスコン反対、(不倫する男を懲らしめ)女を泣き寝入りさせない、などだれにでも、わかりやすい主張を次々に繰り出したことがある。第二には、ミスコンへの抗議や、産婦人科学会総会におしかける、NHK紅白歌合戦に襲撃を予告、女を泣き寝入りさせない会の行動など、中ピ連が派手なパフォーマンスで行動が人目を惹いたことがある。主張にしても、行動にしても、誰の目にもわかりやすかったことが、中ピ連の報道が非常に多くなった要因であると思う。第三には、榎美沙子がピンクのヘルメットをかぶったり、着物を着たり、テレビの歌番組に出演したりなどを厭わず、自ら広告塔となったことがある。

思えば、これは、90年代以降、バラエティなどに多く出演してフェミニズムの主張を社会に届かせた田嶋陽子に対する女性学の冷たい対応ともよく似ていると思う。不思議なことだが、あれだけ多くのメディアに出演してきた田嶋陽子についてもメディア研究でとりあげられることはこれまでなかったように思う。そして、中ピ連同様、田嶋についても、バッシング言説のみが蔓延しているのは、不幸なことだと考えている。

メディアを主体的に使っていく方向に冷たいのは、フェミニズム系のメディア研究の背後にある「メディアの強力効果説」(被害者としての女性像研究)や、それとネガポジの「主体的なメディア活用」への薄い関心(視聴者はメディアの影響をいかに被ったか、というオーディエンス研究は盛んだが)などが影響しているように思われる。

秋山の中ピ連評には、マスコミを「意識的に利用」するなど、マスコミを利用すること自体を悪しきこととする感覚がかすかに覗いているように思われる。当時は「ブル新=ブルジョワ新聞」などという呼び方があったくらい、全共闘運動や反安保の運動が盛んな中、大学や政府、マスメディアなどの「体制批判」が強い時代でもあった。そんな中だからこそ、積極的にマスコミを利用したことが今から見ると過剰な反発を招いた面もあったのではないだろうか。

だが、真面目に主張するだけでは届かなかった、多くの人に、避妊薬ピルやその必要性について知らせることに成功したことも事実である。こうしたメディア活用の戦略は、現在でも運動のメディア活用として十分有用なものである。いろいろ意見は分かれるかもしれないが、いずれにしろ、中ピ連の主体的なメディア戦略の功罪についての検証が必要なことだけは確かである。

秋山洋子1993『リブ私史ノート―女たちの時代から』インパクト出版会

溝口明代・佐伯洋子・三木草子編1994『資料日本ウーマン・リブ史 (2)』松香堂書店

(初出 2012/09/21 12:21 pm )

「女性とマイノリティと労働者を支援するブラック企業?」をめぐる議論 マサキバージョン

執筆者:マサキチトセ

某ジェンダー・スタディーズ系メーリング・リストにおいて、あるフェミニズム系の企業が頻繁に求人広告を投稿していたのを不審に思っていた人は少なくないと思う。

私自身も以前友人が仕事を探していたときにこの企業からのメールの内容を教えたことがあるのだけれど、その後も何度も求人広告が投稿されるのを見て、「あら、欠員が出るの早くない?もしかして労働条件キツめ?だとしたらあの人(友人)、この仕事に応募しなくてよかったわ〜」と思っていた。

フェミニズム系の団体・企業においての労働条件の問題は、つい1年前あたりからの WAN (ウィメンズ・アクション・ネットワーク)の労働争議に関連して、一部のフェミニストや関連活動に携わっている/関わってきた人々のあいだではここ最近意識せざるを得ないような状況であった。それは、女性の雇用というフェミニズムにおける重要な問題と直接に関わるからであり、それは同時に、資本主義やそれと密接に関わると上野千鶴子氏が論じたところの家父長制とも切り離せない問題であるからだ(『家父長制と資本制―マルクス主義フェミニズムの地平』)。不安定な雇用、賃金格差、セクハラなど、女性と雇用の問題には様々な論点があり、フェミニズムにおいてはこれまでも様々な議論が重ねられ、多くの方々が改善に向けて活動してきた。そのひとつとしてユニオンWANの活動は数えられるだろう。

このような例からも分かるとおり、フェミニズムと雇用の問題は常に問題化されてきたし、労働条件の改善に関しては多くのフェミニストが力を注いできた。だから、小山エミさんがメーリング・リストに当該企業の労働条件について質問を載せたのは、そのようなフェミニズムの歴史的流れを鑑みれば当然のことである。その経緯は具体的にはメーリング・リストを参照してもらうしかないが、ログが公開にはなっていないので、以下のブログ記事を参考にしてもらいたい。小山さんが質問を出してからの経緯については、小山さんの3つめの記事に詳しく載っているのでぜひ読んでもらいたい。

その上で、私も遅ればせながらメーリング・リストに投稿をした。団体や個人が特定されないように伏字を入れた状態の内容が、これ。

みなさま

シカゴ大学大学院修士課程に所属しております、****と申します。

いま問題となっているのはこのML上において********・********事務所の労働条件についての書き込みを許容するか否か、というものかと思いますが、それよりも大きな問題としてそもそも、フェミニズムと深い関係にある********・********事務所において実際に被雇用者が劣悪な労働条件のもとで働いていたという事例が小山さんより紹介されているわけで、私はフェミニストとして、まずそこに注意を向けることが重要かと感じております。

といいますのも、このML上においてこのやりとりがなくなったところで、実際の問題は継続するだけです。ですからわたしの「良識」を総動員した結果、ジェンダー・スタディーズをテーマとしたこのMLにおいて今の段階でこの****に関する対話を中止にするのは、実際の被雇用者の現実を無視し、ジェンダー・「スタディーズ」という学問に携わる者として運動体内の権力関係について無関心を実践することになるのではないかと考えます。

また一方で、このMLにおいて、私のような****との直接の関係に無い者がそもそも口を出していること自体がもしかしたら被雇用者の方々の声を封じ込めている可能性はあります。しかし、だからこそ、実際に元雇用者の方と連絡を取ってその方の声をMLに届けた小山さんや、元雇用者として発言をされた投稿者の方以外の人間は、いま、ここで、「良識ある判断」により本ML上での議論を打ち切りにしたりするのではなく、****における問題にきちんと向き合うことが大切かと思います。少なくとも、口を出してしまった私や、ここ数日のあいだにこの問題について意見を投稿した方には、その責任があると思います。

まずは、実際の被雇用者や元被雇用者の方々の声に真摯に耳を傾けませんか?(注) 勇気を持って発言した方々(代弁を依頼した方も含め)の声を「個人情報」だとしてMLから排除しようとすることは、現実の問題から目を逸らすことになってしまいます。もちろん、あるいは、「MLでは語るべきではない」と考える方々が、ML以外の場所で****の労働条件の改善に向けて何か行動を起こすつもりなのであれば、それは素晴らしいことだとは思います。もしそうでなく、単にこの場での対話を中止することだけを主張されるのであれば、それは同じフェミニストとして非常に残念に思いますし、考え方の違いを認識するしかないのかなとは思います。もちろんフェミニスト同士で違いはあって当然で、それはむしろいいことだとは思うのですが、それは、ある意見によって他の意見が排除されないという条件においてのみ「いいこと」であることが出来るものだと思います。

わたしは、フェミニストとしての「良識」を総動員した結果、この対話が継続することを1人のML会員として希望しますし、この対話を通して、私に出来ることを模索したいと思っております。

****
シカゴ大学大学院社会科学学科修士課程
chicomasak@gmail.com
******@uchicago.edu
+1-312-****-****
http://start.io/castrated

注:「雇用者や元雇用者」と間違えて表記していたものを、「被雇用者や元被雇用者」と書き直しました。

『季刊・ピープルズ・プラン』51号(2010)「ジェンダー平等」特集を読む 

執筆者:斉藤正美

「ジェンダー平等は日本でなぜ進まないのか」を読んだ。twitterなどでちらほら言及されたり、発売元のPP研サイトでもよく売れて在庫がなくなりそうと書いてあったりと大人気の特集号らしい。だが、私が住む富山では大型書店にも大学生協にも電話で問い合わせたが、どこにも入ってないことがわかった。仕方なく、わざわざ発行元から取り寄せた。いったいどういう人達が手に入れているのだろうと思いつつ手にとった。そして、一通り読んでみて、いくつかの現実的な議論を展開する論者を除き、この書き手たちが進めておられるのであれば、「ジェンダー平等」はうまく進むはずがないわ、と思ってしまった。

「ジェンダー平等は日本でなぜ進まないのか」という問いを投げかけられたら、まず自らがどのように関与してきたか、それをどう評価するか、を真っ先に考えるのではないか。しかし、本特集を読んで一番疑問に感じたのは、政策にも関わってきた船橋邦子らフェミニスト学者が自らの責任や課題に言及しないで、遅れている責任を「市民の意識の遅れ」や、法律や制度といった外部のみに押しつけていることであった。これまで深く関与してきた自分を棚に上げて「責任逃れ」をしているのだ。法律や制度を問題視すること自体はいいと思うのだが、この号に欠けているのは、運動への評価という視点だ。自らどう関わってきたのか、それを現在どう評価するのか、にはまったく触れないのだ。

結果、特集で書かれているテーマや内容がどっかで読んだことがある「ワンパターン」であり、「リブ」の過去がたりという「ノスタルジック」なものになっている。つまり、今起きている現実と向き合わずに、過去のリブを懐かしむ、自分とは無関係に理念や政策を批判するなど、現実感に乏しい特集企画であった。さらに、「ジェンダー平等」が何を指すか、わたしには最後までクリアにならなかった。これらの点は、「ジェンダー平等」特集を組んだ青山薫・千田有紀両編集委員のスタンスが大きく影響していると思われ、疑問に思うところである。

特集の目次が参照できます。

青山薫「特集のねらいと概要」は全文が読めます。

この特集のトップページに1660年頃のオランダの絵画があがっているのも、浮世離れした特集を象徴している気がした。17世紀の絵画が、それ以前の宗教画から脱皮し、「人びとの日常を描く」ものになり、「女の家事と、男性の仕事の違い」を描いているというのだが、本特集は、「ジェンダー平等」をはじめ、「オールタナティブ社会」「アクティビィスト」などバタ臭さのする言葉の蔭に、市井で条件の悪い中で必死に生きる女性たちが顔を出す機会を失っているような感じをもった。

生活実態がみえないことがこの領域が遅れをとる一番の理由だと言うことをこの特集は逆説的に教えてくれた。それに関してだが、「ジェンダー平等」の現状がどうなっているかについて、「ワンパターン」が炸裂している。この特集で編集の青山が特集の概要を示す中で、ならびに男女共同参画政策を論じる際に船橋が、揃って上げているのは、毎度おなじみの国連のジェンダーエンパワメント尺度(GEM)だ。貧困・格差社会になった日本の格差・性差別を計ろうとする際に、いつも「上級公務員、衆議院議員、会社経営者」(青山の記述。p.24)というエリートたちを指標にすることに疑問を感じないというのはあまりに現実離れした目線ではないかと思う。

そもそもジェンダーエンパワメント指数(GEM)は、統計上問題があるという批判が複数の統計学者からなされている曰く付きのデータである。ジェンダーエンパワメント指数とは、a.国会の女性議員割合、b.<行政職・管理職>と<専門職・技術的職業>における女性割合の単純平均価、c.推定勤労所得の3分野の4指標をとりあげ、0-1の数値に換算して、3つの価をそれぞ?のウエイトで単純平均したものである(伊藤2009)。統計学の伊藤が上述したように、異なる3つの分野を取りあげ、単純に3つに割って平均値を出すといった乱暴な評価づけについて、「このような見当外れの議論を引き起こすようなUNDPの指数・尺度は罪つくりだ」「時間をロスしあるいはミスリードすることは許されない」と早くから厳しい批判をしているのがまったく斟酌されていないのはどうしたことか。さらに、ジェンダー研究で多くの論考もある杉橋やよいも、かねてより異質な指標を総合し単純に平均するという測定指数構成要因がこの3つという選択が適正か、また単純に平均を出すという計算方式でいいのか、などウエイトづけならびに計算根拠の妥当性に対する批判を行っているところである(杉橋2008、2009,)。こんな指標が性差別の実態を言い表しているとはとても言えない。

「ジェンダー平等は日本でなぜ進まないのか」特集号は、上述した「どれほど進まないのか」という現状認識でも問題があったが、どういう解決方法を示したらいいか、という解決策でも、「ワンパターン」である。現在のように、貧困と格差の問題が深刻になっても相変わらず毎度おなじみの「世帯単位からシングル単位」論が繰り返される。これにたいし、「大量のフリーター女性が出現している」こと、「女性の収入が低下している」ことをあげ、「政策単位の個人化だけではうまくいかない」と山田昌弘から批判も出ている(山田2005:252-253)。

シングル単位論は、WLB、女性のエンパワーメントなどを掲げ、女性の社会進出、共働きを推進することによって男女共同参画が進むといった政策と共に語られている。しかしながら、鈴木ふみが論考で書くように、日本では正社員、特に子どもをもった女性がフルタイムで働くのが一般化する前にニューエコノミーによる労働の二極化が始まり、パート、アルバイトー、契約社員、派遣社員などの非正規雇用の拡大が始まった。90年代半ば以降、企業が非正規雇用を「柔軟型」労働と呼んで人件費を削減していった結果、社会保険などのセイフティネットに守られることがない非正規就労者の割合が若年、女性など50%前後の割合を占めるまでになっている。シングルマザーは平均所得243万であり非正規就労が過半数とされる(2007年国勢調査)。このような「労働の主婦化」が進行した現状のまま、ほかの問題をみずにシングル単位のみを優先していても、非正規就労者は「働けど働けど貧乏のまま」となる可能性が高い。非正規雇用が浸透する中で、片働き夫婦のみを優遇する制度、性分業システムを是正しようというシングル単位論のみを強調するのは現実を見損なっているのではないか。その点で、鈴木ふみの論考は、経済や雇用の現状認識では共感するところが多いが、運動については、海外の運動の歴史に目が向きがちで日本の運動史が見過ごされている点、運動の担い手を「育てていく」という発想には疑問も感じた。女性に多い非正規就労者のことを考えるならば、解決策として出されている「失業給付や就労支援」「ベーシック・インカムの保障」などについてもっと活発な議論をしていきたい。

また、「ジェンダー平等」をめざすレトリックとして、しばしば用いられたものに「男らしく、女らしくではなく、自分らしく生きる」というものがある。「ジェンダーフリー」や男女共同参画政策における条例や行動計画などでよく取りあげられる文言である。しかしながら、いやが応でも「自分らしさ」イデオロギーが広まっている中で、「自分らしさ」をこれ以上強調するのはどうか、「自分らしさ」を免罪符にすることになりかねないという指摘もある(山田2005:232-233)。若者の状況と「自分らしさ」の関係はどうかわからないが、「自分らしさ」イデオロギーが自己責任論を助長させるリスクがあることについては「ジェンダー平等」を主張したフェミニスト学者も十分認識する必要があると思う。これまでの「ジェンダー平等」を主張してきた中にどんな課題があったのかを検証することも重要だと思う。現在の貧困格差問題とのからみでも、こうした批判と向き合う議論が期待されていると思うので、特集に自らの行動や主張への振り返りが見られない点を残念に思う。

さらに、運動についての「ワンパターン」がある。特集では、運動といえばいつもの「ウーマンリブ」ネタが持ち出されている。「ジェンダー平等がなぜ進まないのか」という特集に、なぜいつも1970年代前半に勢いを持った「初期リブ」にスポットがあたるのか、わたしには初期リブでなければならない必然性やその関連性が理解できない。青山は、「フェミニスト/リブを自称してはばからない」編者二人が「先達の運動を、建設的に批判・検証することにした」という。だが、建設的に批判・検証するにふさわしいのは、40年前のリブ運動であろうか。

しかも、田中美津インタビューに延々20頁も割いている。リブ運動を運動として検証するという時に現在は運動を下りている「田中美津」を取りあげても説得力に欠ける。それまで「リブとは一線」を引いてリブを置き去りにして女性学を立ち上げてきた女性学者が多い中、女性学者である上野千鶴子が1987年に『美津と千鶴子のこんとんとんからり』を出版し、田中美津をほめちぎって以来、女性学は田中美津をリブの教組といった「ワンパターン」な存在として扱うようになった。今回の特集もその「ワンパターン」を繰り返している。インタビューアーは千田有紀。しかも千田によるインタビューは、田中に「美津さんからするとわたしなんかは頭でっかちに見えるのかな」などとリブ運動を批判的に検証するといいつつ、一向に批判に向かないのである。最後には「心強い先達がいると、生きていくのが楽になりますねえ」という感想で締めくくっている。ノスタルジックな語りとしてしか読めない。「ジェンダー平等」の現在を語るのにふさわしい運動家は他にいなかったのだろうか。

さらに、秋山洋子は、この特集号で、リブの闘士だった北村三津子の死と樺美智子について書いている。保母から介護福祉士へとケアの現場で働き続けた北村三津子。六〇年安保のデモで亡くなった樺美智子のことをノスタルジックに語られることを批判する文脈で秋山は書いているのだが、この特集全体のモチーフがフェミニズムの歴史の中で「過去の栄光」である「ウーマンリブ」を取りあげるのだから、ノスタルジーに陥っているのである。亡くなって語られる北村三津子、運動者でないからお呼びがかかる田中美津、いずれも運動現場において実際に活動していないという意味でノスタルジックなのである。書き手やインタビュアーがどれほど大きくすばらしい存在として描こうと、過去語りでしかないために、書き手やインタビュアーらの現在の地位やスタンスが脅かされることはない。

リブ運動、左翼運動検証、政策に関しての議論をした後に、シングルマザーについて漢人朋子、レズビアン運動について尾辻かな子、「若い世代」について栗田隆子に、それぞれ4頁、5頁、6頁のスペースを割り当てられるという構成も「ワンパターン」だ。周縁として補完されるのは、相も変わらずシングルマザー、レズビアン、若い女である。わたしはむしろこの方たちの議論をもっと詳しく聞きたいと思った。例えば、栗田が言うように、「フェミニストであろうとなかろうと(中略)きちんと敵対するべきところは敵対する」というスタンスは重要と思う。グローバル経済により、日本に就職口自体がなくなっている現在、大沢真理らがこの貧困状況に対してミスマッチな「キャリア教育の充実」を語っていること自体が「ジェンダー平等」を推進した大沢ら女性学者の行ってきた政策を批判的に検証する必要性を強く示していると思う。また、尾辻が提唱する「同性パートナー制度」を導入するにはこれまでの「男女共同参画政策」をどのように改正する必要があるのだろうか、あるいはそもそも「同性パートナー制度」は結婚制度とどこが違うのか、といった論議こそ今やるべきことなのではないだろうか。漢人が述べるように、保育所を単に増やすだけでは十分ではなく、保育士が働き続けられるように労働条件を上げていくこと、児童虐待が増加しているが子どもたちをどうしたら救い出せるかといったことも「ジェンダー平等」と不可分なことである。もっとこうした議論を深めてほしかったと思う。

海妻径子の論考では、小倉ら男性アクティビストや男性研究者が日頃、「文字の上」においてしか女性運動に「敬意」を払わず、実際に目の前にいる女性運動が眼中にないという批判をしているが、わたしは本特集では文字の上でも現在の「女性運動」に敬意を払っていないと感じられた。海妻があげる、やれ「リブはすごかった」という過去の運動に対する評価しか存在しないという批判は、そっくり本特集にあてはまるのではないか。「すでに失われてしまった闘いの名残りほどラディカルなものはない」(p.90-91)という海妻のことばは、いつまでも「リブ」にこだわる本特集にそっくりはねかえってくる。

さらに、海妻のみならず、本特集全編を通じてのメッセージとしてフェミニズムが「コンシューマリズム」あるいは、「化粧とハイヒール」に「負けた」という見方をしていることに違和感をもつ。また、海妻は「コンシューマリズム的主張を批判しきれ」なくなるという批判をしているが、消費主義は、完全にわたしたちの外部にあるもので、フェミニズムはそれに「勝ったり」「負け」たりするような存在なのだろうか。コンシューマリズムとは、より多く商品を購入させるように消費をあおり立てる社会のしくみを指すと思うが、わたしたちは、フェミニズムも含めてそうした社会体制の中に絡め取られているのではないか。「負ける」とか「勝つ」とか「批判しきれる」とかそんなにすっきりと自分の外にある存在として切り取れるやわな装置ではないと思う。「化粧とハイヒール」「コンシューマリズム」ということばで言い表されている消費社会や消費主義のとらえ方にも疑問を抱いた。

最後に、本特集を読んで一番疑問に感じたのは、そしてこれが一番深刻な問題であるが、自分を棚に上げて「責任逃れ」をしている書き手のスタンスであった。この「責任逃れ」がもっともひどいのは船橋邦子だ。これまでの男女共同参画政策は「心がけ論」でしかなかったからダメだというが、船橋は、佐賀県立男女共同参画センター館長職に自ら応募して、「男女共同参画社会とは、伝統的な性別役割や、女らしさ、男らしさに縛られず、自分らしく生きることのできる社会」と定義し、「男らしさ」「女らしさ」から「自分らしさ」へというかけ声を繰り返しかけまくった。船橋が、『ジェンダーがやってきた』(木犀社、1997)という本の中で繰り返し書いているのは、その意識改革であった。自ら行政に飛び込み、その組織のトップとして「女らしさ」ではなく「自分らしさ」へと意識改革を迫る男女共同参画政策を推進してきたのが、船橋その人であった。しかしながら、船橋は自分がまったく関わってこなかったかのように、自分の責任を棚にあげて、女性センターにおいて予算の大半が単にイベントに費やされていた、女性のためにならないやり方だったと批判している。自分がどう関わって、どううまくいかなかったなどという実例を一切出さないので、問題の所在が見えてこない。そして、問題を深めないままに、さて今度は、男女共同参画社会基本法が性差別禁止法ではなかったのがまずかったと、とんでもない主張を繰り出し、責任を自分とは関わりのない外部に押しつけようとしている。

船橋の記事の最後は、「既存の政策に対する批判力をつけ、主体的に政策づくりにコミットしていく活動が求められている。国や自治体が呼びかける協働やパートナーシップという美名のもとで、気がつけば政策に動員されていたという過去の過ちを繰り返さないために」というものだが、市民よ批判力を養え、といったいわゆる女性のエンパワーメント、言ってみれば「心がけ論」に回帰している。船橋自身が真っ先に自治体の呼びかけに応えてトップセールスを担ってきたこと、そのことにはまったく触れずに、「過去の過ちを繰り返さないために」といっても説得力なさすぎだ。いつも自分のよって立つ位置や関わりを明らかにすることなく安全な位置から、一般市民や政策・制度など他者を批判する。自分が関わったこと、してきたことの責任を問うことのないその批判のあり方こそ、90年代以降国や自治体の男女共同参画政策に深く関与してきた女性学者がもっとも問われなければならない課題だと思う。フェミニスト学者、運動者らがこの問いを投げかけられたら、まず自らがどのように関与してきたか、それをどう評価するか、を真っ先に考えるのではないか。

この特集において、フェミニストが過去の運動語りにどっぷりと浸かったまま、現実の運動の評価と向き合うことを避けている。そしてそのこと疑問を感じていない。これは、フェミニズム研究の中で「運動」や「アクティビズム」を売りにする人が出てきてそれがそれら一部の人達の一種の専売特許となっていること、そしてそれ以外の大勢の女性学者が運動から遠ざかっており、運動についての議論が成立しなくなっていることが影響しているのではないかと思った。運動や政策をめぐって、目の前のもっとも厳しい局面を避けたり、自らの責任逃れの主張がなされている特集を読んで、「フェミニズムって一体何のために書いたり、議論したりしていたんだっけ」と改めて突きつけられたような気がした。

参考文献:

伊藤陽一2009「ジェンダー統計研究(10)ー性別格差の総合指数について1ーGEMとGender Gap Indexを材料に」『経済統計学会ジェンダー統計研究部会ニュースレター』(10-15号筆者はインターネットからダウンロードしたが、2010年9月15日現在同じ文書を確認できなかった。しかし、伊藤のGEM批判論考は他にもネット上に多くあげられており読むことが可能。

杉橋やよい2008「ジェンダーに関する統合指数の検討?ジェンダー・ギャップ指数を中心に」戒能民江編著『ジェンダー研究のフロンティア1巻 国家/ファミリーの再構築?人権・わたし的領域・政策』作品社:230-249

杉橋やよい2009「第7章 ジェンダー統計の現状と課題-日本を中心に」杉森滉一・木村和範・金子治平・上藤一郎編著『現代社会と統計1社会の変化と統計情報』北海道大学出版会:151-170

船橋邦子1997『ジェンダーがやってきた』木犀社

山田昌弘2005『迷走する家族-戦後家族モデルの形成と解体』有斐閣238

無邪気で戦略的なジェンダーコロキアムという場ー上野・澁谷の爆笑トーク

執筆者:斉藤正美

東大ジェンダーコロキアムがWANと共催で2010年1月13日に開催した「新春爆笑トーク 上野千鶴子vs澁谷知美「男(の子)に生きる道はあるか?」」を動画で視聴し、無邪気で戦略的なジェンダーコロキアムという場ー上野・澁谷の爆笑トークというエントリーを書きました。

本サイトにアップしている「『ジェンダー・フリー』概念から見えてくる女性学・行政・女性運動の関係」という集会は、2006年12月16日にこのジェンダーコロキアムで行われたものです。山口智美さんとともに、上野さんに企画提案したものです。実施後、テープ起こしした内容や配布資料などをこの「フェミニズムの歴史と理論」サイトにアップしたものです。

今回のエントリーは、現時点でわたしがジェンダーコロキアムという場のイベントをみての感想を付け加えたものです。

なお、「『ジェンダー・フリー』概念から見えてくる女性学・行政・女性運動の関係」という集会をジェンダーコロキアムで行うことになった詳しいいきさつについては、山口智美さんの主流フェミの連帯誇示と権威発動の場としての「ジェンコロ」に書かれているので、そちらを参照していただきたいと思います。

「草の根フェミ」による「ジェンダー・チェック」批判とは?

執筆者:斉藤正美

『バックラッシュ!』の上野千鶴子氏インタビュー記事における「ジェンダーチェック」に関する記述を読んで、上野氏の「草の根フェミ」とは何を指すのか、具体的に述べられておらず、上野さんは女性運動について知らないで書いておられるのではないかと思った。同インタビューについては、先にmacska氏がセクシュアルマイノリティの扱いについて厳しく論じておられ、議論になっているところでもある。当ブログでは、上野氏の原稿を読み、フェミニズムが起こした「ジェンダーチェック」批判が表に出ていないことに改めて気づかされたので、ここでは、運動経験者として行政に関わった体験について記しておきたい。フェミニズム内部から行政主導の「ジェンダーチェック」が「検閲」にあたることを怖れて阻止されたケースが確かに起きていたことを明確に記しておく必要があるからだ。

東京女性財団の「ジェンダーチェック」路線には、90年代後半にフェミニズム運動として実際に待ったがかけられていた事実があったのだ。わたし自身が関わったこの「ジェンダーチェック」集刊行阻止のケースは今まで表にはでていなかった。紙媒体でも、ネットでもこれが明らかになるのは当ブログが初めのはずだ。さらに、この事例以外にジェンダーチェックにストップがかかったケースは、わたし自身はまったく耳にしたことがない。行政の検閲、啓蒙批判の動きが間違いなくあり、実際それを阻止し、女性運動のサイドにたった内容の冊子に転換したことはフェミニズム運動の歴史として重要なことだと思うのでここで明確に記録しておきたい。

ところで、上野氏の記述はこうだ。上野氏は、日本でのジェンダーフリーの歴史を語る中で「ジェンダーフリー」という言葉が「行政フェミニズムと草の根フェミニズムの亀裂を衝く、という意味で」「フェミニズムのアキレス腱だった」と述べる。その説明のあと、「日本のフェミニズムはしょせん行政フェだった」という発言への反論として以下のように書く。

「行政フェミの背後には、それを支えたり伴走してきた草の根フェミが存在しました。行政フェミの典型的な事業の事例に、東京都女性財団がつくった「ジェンダーチェック」がありますが、行政側のきわめて啓蒙主義的なやり方に対して、草の根フェミは批判をもっていました」(p.378-9)

行政主導の「ジェンダーチェック」刊行に対し、草の根フェミニズム、すなわち女性運動は断固として反対してきたという文脈を示す箇所である。しかし、これについては異論がある。第1に、1990年代半ば以降のフェミニズムは、ほとんど「行政フェミニズム」一色に塗りかえられ、70-80年代に健在だった行政から距離をおいた「草の根フェミニズム」はほとんど目立たなくなっていったように思う。それを象徴するのが1996年の「行動する女たちの会」解散だった。わたし自身がかかわった「メディアの中の性差別を考える会」も、1996年に上野氏と共編著『きっと変えられる性差別語』を刊行した後、(インターネットでの発信は続けている一方)グループとしての活動は行っていないことも挙げられるかもしれない(この点の考察は別途行う必要があるだろう)。女性運動はどこでどのように「ジェンダーチェック」に抵抗してきたか、上野さんはご存じだったのだろうか。例を挙げて指摘するべきではなかったか。これでは実際にあったことかどうかわからない。想像の産物と言われかねないことを懸念する。

第2に、行政が市民の心の持ちようを『ジェンダー・チェック』することへの批判は、2000年以降、フェミニズムの外部から、つまり「バックラッシュ派」によって引き起こされたのではなかったか。ここで言われる「草の根フェミ」がだれのどの運動を指すのかわからない。実際には、上野氏がいう「ジェンダーフリー」批判や「ジェンダーチェック」批判はだれのどのような行為を指しているのだろうか。実は、フェミニズム内部からの「ジェンダーチェック」批判は、ほとんど起きなかったのではないだろうか。前にエントリーを立てた日本女性学会『Q&A』本でも、山口智美さんとわたしの「ジェンダーフリー」批判や批判をあげている「ジェンダーフリーとフェミニズム」サイトhttp://homepage.mac.com/saitohmasami/gender_colloquium/Personal22.htmlは、まったく言及されていない。匿名でバックラッシュ派の動きと類似のものとされているか、存在しないことにされているのだ。上野さんがあるといわれるのなら、それがだれのどの主張やどの運動を指すのかはっきりさせる必要がある。ここのところはフェミニズムの歴史にとって重要なので確認したい。また、上野氏ご自身のスタンスも明確に示していただきたいと思う。東大ジェンダーコロキアムでのご発言とその後の国分寺事件以降の上野さんの動きを見ていると、上野さんがどのようなスタンスなのか、が極めてわかりづらいものに映っている。

上野氏は何も具体的に言及しておられないが、ここでわたしが今から述べようとする東京女性財団の『ジェンダー・チェック メディア編』作成プロジェクト阻止を事前にご存じだったのだろうか、それとも、それ以外に「ジェンダーチェック」批判の動きをご存じだったのだろうか。上野氏の原稿からは実際の運動の動きがまったく見えてこない。上野氏の原稿を読み、フェミニズム内部から、行政主導の「ジェンダーチェック」が「検閲」にあたることを怖れて阻止した事実が表に出す必要性を感じ、ここに記しておくことにした。『バックラッシュ!』本刊行や上野氏の議論を機に改めて日本のフェミニズム運動の歴史を確かめるいい機会でもあるはずだ。

東京女性財団は、東京ウイメンズプラザがオープンした1995年より毎年『ジェンダーチェック』シリーズ「家族・家庭生活編」(1995年)、「地域・社会生活編」(1996年)、「学校生活編」(1997年)、「職業生活編」(1998年)を1冊ずつ刊行してきた。(それに関わった女性学者から「ジェンダーチェック」批判が起きたという話は聞いたことがないが、実態はどうだったのだろうか。)そして、1998年8月、東京女性財団は、このシリーズの最終弾として、『ジェンダー読本(メディア編:仮称)』普及・検討委員会を設立した。これは、これまで続いた『ジェンダー・チェック』シリーズを締めくくるものとして計画されていた。(「ジェンダー・チェックメディア編」という言葉は、98年12月財団職員の方からわたしがもらった資料にも使われていることから、相当後になるまで内部での規定事項であり続けたようだ。)しかし、新たに設立された検討委員会では、いくら財団法人とはいえ、公的機関がメディア機関に対して、表現をチェックさせる趣旨の冊子を出すというのは「表現の自由」に抵触する行為であり、止めるべきだという議論が起きた。そして、最終的には、これまでのシリーズとは名称も趣旨も異なる『女性とメディアの新世紀へ』という冊子として刊行された(1999年)。それは、当初計画されたメディア組織やメディア人向けの「ジェンダーチェック」ではなく、「女性たちがどのようにメディアを使い、またメディアについてどう考え、行動したらよいのか」という市民のためのメディア読本へと方向転換したのであった。どんな内容かというと、1.みんなが発信者になる 市民とメディアの新時代、2.マスメディアを読みとる 女性はメディアをどう変えてきたか、3.座談会「マスメディアの現場から」、4.マスメディアのしくみを知る、 5.女性とメディアのいい関係をめざして、6.マスメディアが本当に公器なら、巻末資料というものだ。

この時の討議内容記録を引っ張り出して調べたところ、最初の会合で「今まではジェンダー・チェックとして出してきているが、全国・都内からの引き合いが多い。効果は図りにくいが、ジェンダーフリーという言葉が広まってきたように、反響は結構ある」と財団側が述べ、「ジェンダーチェック」シリーズを続行したい由が語られていた。それに対しては、メディアについて公的機関の介入と思われるものを出すのは疑問だということが委員から述べられていた。「メディア人向けジェンダー・チェック」という当初の方針を阻止しようとする委員からは、メール、電話、面会などで働きかけが行われた。「ジェンダー・チェック」を阻止しようとした理由としては、「1.メディアの表現の自由の侵害の危険性、2.行政のチェック(検閲)という反発がメディアから予想される(東京女性財団は、ジェンダー・チェックで名が通っていますので、今度はメディアに向かってきたと反発を受ける)、3.以上の2点から(「ジェンダーチェック」本を出しても)メディアの紹介が期待できない。」と主張されていた(以上は当時の資料より)。

なお、このプロジェクトの「執筆者は、マスメディアに関する市民活動に取り組んできた女性とメディアに関する研究実践をしてきた人、そしてマスメディアで働いていた人たち」(同書・はじめに)5名であった。FCT市民のテレビの会(当時)の竹内希衣子氏と「メディアの中の性差別を考える会」のわたしは、いわばメディアのジェンダーチェックを押し進めてきた市民活動家という役割で検討委員会に加わっていたようであった。先に述べたように、わたしは1996年『きっと変えられる性差別語??わたしたちのガイドライン』(上野千鶴子・メディアの中の性差別を考える会編)刊行に関わっていた。この委員会は、竹内氏とわたしという市民運動家が主張するメディアのジェンダー・ガイドラインを、マスコミ研究者である村松泰子氏と諸橋泰樹氏が正副の会長としてまとめあげるという性格のものとして企画されていたように思われる(富山在住のわたしが東京女性財団の事業に関わったのは、当時お茶の水女子大の院生であったことが関係していよう)。村松、諸橋両氏は、96年に刊行された東京女性財団『ジェンダー・チェック 地域・社会生活編』の編者としても名を連ねておいでであった。最終弾として当初予定されていた当「ジェンダーチェック」メディア編プロジェクトの委員会には、メディア界の重鎮である元共同通信社社長も加わっておられた。

こうした「ジェンダーチェック」プロジェクトのねらいに、それを推し進める立場を授かった市民運動代表と目されたわれわれ二人は、委員辞任をかけて上記のように「ジェンダー・チェック」企画を阻止する動きをした。最終的には、メディアに向けた「ジェンダー表現チェック」という計画はひっくり返り、上述のような一般読者向けに変わったのであった。そのことは、「この冊子は、私たち執筆者相互のコミュニケーションの成果です。会合だけでなく、電子メール(メーリング・リスト)という新しい情報メディアを使って、ひろく今のマスメディアの状況や、インターネットを通じて行われている活発な議論についての意見などを交わしながら執筆・編集しました。東京女性財団という公的な機関が、こういう冊子をつくることの意味についても、議論を重ねました。」(はしがき)という記述からも読みとれる。一方で他の『ジェンダー・チェック』シリーズには、まとめにあたった学者諸氏の名前は列記されているものの、議論があったとか、内容についてどのような議論を経て決めたなどという作成過程に関する記述は書かれていない。

最終的に、これまでの「ジェンダーチェック」シリーズとは名称も趣旨もまったく異なる『女性とメディアの新世紀へ』という冊子として刊行されたことは、東京女性財団が推し進めた「ジェンダーフリー」政策の中で、フェミニズム内部から行政主導の「ジェンダー・チェック」批判が起きた数少ない事例として表に出す必要あるように思い、ここに記すことにした。これは、東京女性財団にとって、作成過程でストップがかかった初めての「ジェンダーチェック」本だったと思われる。「ジェンダーチェック」が「男女共同参画、ジェンダーフリーの観点からの行政による検閲」としていわゆるバックラッシュ派から批判されている昨今から振り返れば、メディアの「ジェンダーチェック」本が幻に終わり刊行されなかったことは、東京女性財団にとっても福音だったのではなかろうか。なお、東京ウイメンズプラザでこの冊子を検索したところ、現在この冊子は「禁貸出」とあった。おそらくこれは、他の「ジェンダーチェック」が批判されたあおりをくったものと思われる。なお、これ以降、わたしが東京女性財団の事業に関わったことはない。

ところで、最初に戻るが、上野氏の言われる「行政側のきわめて啓蒙主義的なやり方に対して、草の根フェミは批判をもっていました」という「草の根フェミ」とはだれのどのような行動を指すのであろうか。(2006-06-30ジェンダーとメディア・ブログエントリー)