ユニオンWAN集会を振り返って

執筆者:斉藤正美

ユニオンWAN集会での議論ので要点争議の経過から浮かんだ課題については、すでに山口智美さんがまとめてくださっているので参照していただくとして、わたしはwan集会に参加して思ったことをつらつらと書かせていただきたい。

フェミニズムは非正規労働や低賃金など労働または雇用上において女性に不利益が偏在していることに対しさまざまな運動や考察をしてきた。しかし、フェミニズム運動や非営利団体などにおける雇用上の不利益については、自らの足下の問題であるにもかかわらず、それは仕方ないこととして、考えることや改善を図ることを放置してきたところがある。

今回のWAN争議とユニオンWANの活動について思い返すと、重要だけど手つかずになってきた足下の問題に取り組めたんだなあという感慨が一番大きかった。

遠藤さんとカサイさんは、この問題にユニオンをつくって当事者として積極的に取り組んでこられた。これまで放置されてきたことに取り組めたのは、やはりすごいことだし、大きな一歩であると思う。

わたしはこれまで30年ほどフェミニズム運動に関わってきたが、ボランティア的に無償で働くことを長い間、当然あるいは仕方がないことと思ってやってきた。しかしこれまでそうして無償でやってきた仲間たちも最近は、有償で働く人をつくっていかねば運動自体が続かないという危機感から、NPO法人を設立するなどして有償で人を雇うところが出始めている。NPO法人WANも、そうしたフェミニストたちによる非営利団体の一つである。

しかし、多くの人がボランティアとして無償で働くのが当たり前であった文化の中に一部有償を入れるという形が多い非営利団体では、給料をいただいている側には、どんな不利益があろうともそれを言挙げするのははばかられるという状況が生まれかねない。わずかな給与で不当に長くきつく働くことが多いという現状はよく知られているのだが、その現状を問い直す行動を取る人あまりにも少ないのも事実だ。

さらに、女性学の大学教員が主体となっている団体に言挙げするのが困難な要素がある。わたしは、フェミニズム運動をやる中で、(フェミニズムをさらに探求したいと思って)大学院に進んだから、大学教員を教育する過程ではいまも徒弟制度的な面が残っており(悪い面だけではないことは無論だが)、上下関係の中で、就職先など将来の成果を見込んで無償労働に勤しむ構造になっていることも知っている。だからその延長線上でNPOにおいて教育機会や雇用機会を与えてあげているのに、どうしてユニオンなんかつくるのか、という発想が起きるのも理解できる。特に、十分な外部資金の準備がなく、理事らの自己資金持ち出しによる運営であればあるほど、目をかけてあげているのに、どうして恩を仇で返すのか、といった発想になるであろうことも理解できないわけではない。

使用者側の言い分や感情は十分に理解しつつも、それでも遠藤さんとカサイさんのユニオン活動を支援したのは、フェミニズムが外部の敵に立ち向かうために一致結束しようといって、自らの課題を放置する傾向が強いことに疑問を持ってきたことも関係している。フェミニズムが今取り組むべきは、男社会に闘うことばかりではない。むしろ、見えづらい、いや見たくない、女性間にある深刻な問題も放置するわけにはいかないと思っているからだ。

NPOが増えている昨今、フェミニズム系の団体だからといって労働問題がないわけではないことを表に出し、そうした問題の改善のために行動するユニオンWANの活動は、非営利活動の労働条件の向上にとっても、さらに、労働とフェミニズムという点でもきわめて重要な課題を孕んでいるとも思う。また、フェミニズム運動の足下の問題に取り組むことこそ、「個人的なことは政治的である」というフェミニズムの背骨となる活動だと思う。その意味で、遠藤さんとカサイさんの活動をささやかながらでも支援できたことをうれしく思う。

フェミニズムは、賃金が発生する労働としない労働の境界線がどこにあるのか、ということについて、かつて家事労働において追求した。その時は、賃金が発生するかしないかは、仕事の内容ではなく、主婦がするから無償になるのだと、単にだれが従事するかの違いにすぎないという結論を見出した。そして、「家事」は無償だけれども重要な「労働」であることを指摘し、「労働」概念自体に再考を迫るという成果を挙げた。

今回は、再生産労働のようにこれまで無償で担われてきた非営利活動やフェミニズム運動が社会貢献活動を公共的な労働とする流れの中でNPO法人化されるようになり、一部有償になることが増えてきたために、運動体や活動団体の中で不可視であった「労働」問題が見えやすくなったように思われる。そしてユニオン活動、ならびにWAN集会は、その「労働」問題のありかをさらに考えさせる機会となったのではないだろうか。

遠藤さん、カサイさんのWAN争議は、突然仕事を外す、退職勧奨を出すといった労働条件の変更から発したが、ユニオンWAN集会を終えて今思うのは、これはNPOやフェミニズム運動において前提になっているボランティア的働き方と有償労働との共存という問題についてメスを入れるいいチャンスなのではということだ。このままでは、NPOや運動体ではボランティアが半ば義務化された労働となってしまったり、その一方で、有償労働はあくまでも「おまけ」や、「お情け」によるものいう発想が残ったりしかねないからだ。

だが、ボランティア的無償労働と有償労働にどう折り合いをつけていくのか、どこからどこまでを「ボランティア」というのか。自発的に働くことを決めたと言っても、学校の先生に頼まれたから仕方なく働いたという場合は「ボランティア」と言えるのか、など考えなければならないことが多い。そもそも「ボランティア」労働とは何なのか、を考えていく機会にしたいと思う。

さらに、有償/無償「労働」のあり方について、必ずしなければならないけど、やりがいのない事務仕事を「有償労働」とし、事業計画や企画を考えるなどの中心業務を「無償労働」とするところもあるし、その反対のところもある。前者は従来の企業などが標準とする「労働」の価値基準とは相容れない面を持つ。非営利団体などでの労働問題を考えることは、従来の(有償/無償)「労働」のあり方を見直す契機にもなるのではないか。フェミニズム運動や非営利団体などにおける「労働」問題を突き詰めて考えることは、従来の「労働」や「働き方」そのものを再考する要素を孕んでいるのではないかとすら思えてくる。

さらに、この争議過程で見えてきたことに、事務労働は家事労働のように直接お金を生み出すものではないとういことで重視されないことがあった。「これまでも、ご勤務の時間に見合う仕事量はなかったのですが、(中略)カサイさんの能力と労働時間に見合った仕事を作っていくべきと考え、雇用を維持してきました。というカサイさんについての理事の説明からは事務労働および事務労働従事者の軽視がよく表れていた。この問題も考えなければならないことの一つだ。

最後に、遠藤さんや署名サイトに関わっている人たちがブロガーであったのは偶然ではないと思う。WANサイトがネットの公共性を無視し、ウェブ社会における情報公開への無理解もはなはだしく、自分たちの立場も公にせずクローゼットの中に閉じこもったかのような行動は、ウェブ社会の常識から外れているという思いを共有していたのだと思う。

そして、遠藤さん、カサイさんの強みは、NPO法人が取り組んでいるウェブ活動について、理事側よりもはるかに知識と技術が上回っていたことにあったと思う。

WANというウェブ空間を運営する場所で起きた労働問題であるWAN争議を、ブログやtwitterを通じて署名を求めたり連絡をとったりして支援した今回の活動は、ウェブ社会におけるフェミニズム運動のアプローチとしても新たな一歩であったのではないかと思った。いろいろと見えてきた課題について、さらに考えたり行動したりしていきたいと思っている。

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