「非営利団体や市民運動における雇用や無償・ボランティア労働を考えるーユニオンWANの事例から」 集会から浮かんだ課題と感想

執筆者:山口智美

この集会には私は斉藤正美さんとともに主催者の一員として関わり司会をつとめたが、そこでの遠藤さん、カサイさん、および会場の皆様との議論から私が重要だと思ったこと、および自分自身の感想などをまとめてみたい。別エントリにて集会で議論されたテーマやポイントなどはリストアップする形で紹介したので、それもご参照のほど。p>

争議の経緯から浮かんだ課題

遠藤さん、カサイさんから争議の経過を伺って、まず印象に残るのが、雇用者であったWAN理事会から被雇用者であった遠藤さん、カサイさんへの事前相談のなさだった。いわばこれは徹底しており、重要な雇用をめぐる決定事項ーたとえば12月の遠藤さんに対する突然の仕事内容変更と、それにともない給与や時間数を減らすという通告にしろ、1月31日の退職勧奨にしろ、何の事前相談もなかった。12月の場合はユニオンを通さず急に行われたミーティングで突然と通告され、退職勧奨に至っては深夜に突然と送られたメールによる通知である。また、仕事内容についても、被雇用者への相談が欠落したまま事業内容が決定されていったようだった。業者の変更の決定に関しても、理事がネットを理解していないにもかかわらず、本来ネット関連の担当業務についていたはずの遠藤さんには事前相談もされない。また、お二人の雇用前の決定ではあるが、サイト立ち上げに至るまでの計画もずさんであり、その結果、被雇用者が過剰な労働をせざるをない状態に陥ったという。

そして、理事会が仕事内容を理解していないために、指揮命令系統も機能しておらず、被雇用者だった遠藤さんやカサイさんが自ら仕事を考え、つくりだし、整理してすすめていた状態だったという。上司が何もわかっておらず、そのために現場の人たちが苦労しているが、話しあおうにも話しが食い違ってすすままいということがWANのみならず、多くのNPOで起きているということだった。とくにWANの場合、上にたっている人たちが仕事内容をわかっていないにもかかわらず、わかっている雇用者への事前相談が欠落したまま、その上の人たちが事業の決定権をもつ問題が顕著にでた事例だったのかとも思う。また、非営利団体やNPOによくある問題だが、責任のありかが曖昧になりがちであり、それが指揮命令系統の不全にもつながっていたようにも思われた。

また、カサイさんが主に担っていた一般事務というルーチンな仕事は非営利団体において必須なのだが、その内容が理解されず、軽視され評価されなかった。2月14日付けの理事会発行文書における「実は、これまでもご勤務の時間に見合う仕事量はなかったのですが、サイトを活性化し会員や寄付を増やす努力をして、Bさんの能力と労働時間に見合った仕事を作って行くべきと考え、雇用を維持してきました」という記載は、いかに理事会がカサイさんの仕事内容を理解せず、軽視していたかが如実に表れている。本来、こういった「シャドウワーク」的な従来評価をされなかった労働(頻繁に女性が担ってきた労働でもある)を問い直してきたはずのフェミニズムなのだが、WAN理事会の場合、足下の自らの団体に関しては見えなくなってしまったのだろうか。非営利団体やNPOでは主婦的パートの存在が前提とされがちで、事務のひとたちの使い捨てが行われている状態が広くみられることも会場から指摘された。

非営利団体によくみられるもう一つの状況として、有償労働と無償労働のひとが同じ団体内に同居していることが挙げられた。カサイさんによれば、WAN争議の中では、事務所閉鎖後、在宅勤務をさせられない理由として、「無償ボランティアとの整合性」という理由を使われた。無償でこつこつやってくれる人がいるから、その人たちに申し開きができないのように言われたという。「整合性」を理由に有償の労働者として一度雇った人を切るというのは論外であるが、このことについてカサイさんが、「賃金の発生の有無が仕事が上等だとか評価されるとかえらいとか、そういうことを意識してしまうような仕事配分がされていたのかとも思うと同時に、必要なんだが重要視されない事務という仕事はなんて軽んじられているのか」と言われたことが印象に残った。もちろん無償労働の問題はあるが、それについての責任は、有償の被雇用者であった遠藤さんやカサイさんがつくったユニオンWANではなく、雇用者であるWAN理事会のほうに当然ながらあるべき問題だし、今後、WAN理事会には、とくに権力関係がある中の無償労働の問題について、よくよく考えて運営していっていただきたいと強く思う。また、これは多くのNPOで発生している問題であろうし、今後の議論を続け、模索していくことが必要だと思う。

こういった労働をめぐる問題が多々あるなか、「善意」に基づき運営しているということになっているNPOにおいて、実際には存在する権力関係が隠蔽されがちになる。善意でやっている、みんながんばっているのだから、ユニオンをつくったり、労使交渉をしたりするのはもってのほか、「和気あいあい」の雰囲気を壊してしまうとか、本来のNPOの目的とあわない、というように捉えられてしまいがちだ。NPOだからすばらしいなどということはなく、集会の会場発言でされたように、NPOだからかえって最悪になる、ということもある。NPOにおけるやりがいの搾取やパワハラなどの問題が見えなくされがちということだ。「和気あいあいであるべき」といった考え方の裏で隠されてしまいがちな権力関係を常に意識する必要があるという複数の指摘がなされた。

もうひとつ、WAN争議の事例からみえてきたことは、理事が使用者としての責任および労働をめぐる交渉や争議についても理解が浅いということがある。団交とは何か、何のために文書を発表するのかなどといった根本の理解がずれているとしかいいようがなく、そのために団交を何度か開いても話がすすまなかったり、解決にむけて発行しているとは思えない文書が送付されたりということが重なっていったように思われる。WAN理事の多数をしめる大学教員の場合、大学内では雇用関係は大学当局が対応してくれるのだろうが、その人たちがNPOにはいり「雇用者」側にたった際、雇用者としての責任について真剣に捉え、学び、実践すべきだと思う。

遠藤さんもカサイさんの話しは、ユニオンWANの事例は特殊のようでありながら、実はほかの多くのNPOで起きている労働問題と共通性があるということを強く示唆していた。また、その背景には、個々の資質などではなく、官、大学非正規などの制度的問題や、および大学における労働問題があるという指摘もあった。大学における徒弟制度の存在、そして、大学教員やNPOに関わる人たちが活動を「善意」でやってるという前提がやりづらさを招く。経済的にもぎりぎりでやっている団体が多い中、目的達成が優先され、労使問題はあとまわしにされがちだ。内側から声をあげようとするとネガティブキャンペーンととられたりしてしまう。そして、NPOにおける被雇用者は1人や2人など、人数が少ない場合が多く、孤立しているケースも多い。これらの問題が会場からも挙げられ、問題の可視化、ネットワークづくりの重要性が共通の課題として浮かび上がったように思う。

ネットに関連して

今回のWANの場合、主要事業がウェブサイトの運営だったということがあり、ウェブ社会における市民運動の現状というのも、もうひとつのテーマだった。今回の集会は労働に焦点をあて、ネットをめぐる問題についてはそうつっこむことはできなかったものの、いくつかの問題や課題、可能性も指摘されたと思う。一つにはネットに詳しくない人たちがトップにたって、サービスの提供の側にまわることで、現場の人たちがひじょうに苦労し、過剰な労働を強いられがちな問題が指摘された。また、WANの場合はウェブ上での活動をする団体にもかかわらず、争議についての情報は一切自サイトには出さず、水面下に隠したままになっている。これはネットの公共性を無視した状態ではないかという指摘もあった。そして、公共性に関連する課題として、WANの運営方針(例えば編集権限のありか、基準など)がひじょうに曖昧だということもある。
そして、今回のユニオンWANの争議におけるtwitterなどの新しいツールの影響も指摘された。ユニオンWAN運動が、当該がまったく顔を知らない人たちから広範な支援を集め、署名運動なども知り合いだとか組合ネットワークなどの外からはじまったこと。これはWANおよびユニオンWANがウェブ上で活動していたこと、およびtwitterなどの新たなツールの存在も大きかったのではないか。また、ユニオンWANの支援がウェブ上で広がったことには、ウェブ上は水面下にはいっていた理事会側に比べ、ユニオン側が情報公開のスタンスをとっていたことが大きいのではという意見もでた。反面、団交において、ユニオン側の支援者がツイッター中継を行ったことが問題になったこともあった。集会、会議などの場でtwitter中継が行われることもふえてきた昨今、このような新たなツールの使い方、および参加者たちの発信をコントロールすべきなのか、そしてそれはできるのか、などについても議論が必要になってくるのだろう。

私はなぜ争議を支援したのか

私自身は、フェミニズムとネットをめぐる問題に興味をもっていた頃にWANオープニング集会が開かれ、それに出席して違和感を感じ、それをブログエントリとして書いたところから、WANの動向は注目してきた。とはいえ、サイト自体を頻繁に見ていたというわけではなく、見るからに問題が起きそうな状況の中で今後どうなってしまうのだろうという面からの注目だった。そして1月になり、争議がはじまり、予想どおりの展開になってしまったと思った。ユニオンWANの投稿記事がWANサイトに投稿され、それが削除された経過については、後からtwitterのログを見て知った。(ちょうどその時旅行中だった。)そして、ユニオンWANのブログを見て、すぐに遠藤さんに支援の意思を示すメールを送った。それが支援活動にかかわるきっかけとなった。遠方在住だったため団交にはまったく参加できなかったが、その後、署名活動をほかの呼びかけ人たちとはじめ、そして今回の集会を開くに至った。集会の中でもいわれていたが、遠藤さんのこともカサイさんのことも全く知らず、お会いしたこともなかった。遠藤さんには5月に初めて会い、カサイさんに至ってはこの集会で初めてお会いしたのだった。振り返ってみれば、ネットがなければありえなかった支援ともいえる。
私自身との関連でいえば、日本のNPOでの事務局労働者としての経験もあり、私自身も経験した事務局労働に共通する課題をWANにも見た気がした。例えばネットが事務局業務にはいってくるが、上の人たちやスタッフが皆ネットを使えるわけではないことから、限定された「ネットが使える」という位置付けになる人たちに作業が集中しがちな件、そして、事務仕事が評価されづらい件などである。また、ほかの運動体においても無償労働をしてきたこともあり、無償労働で使われ、ぼろぼろになって、運動からひいていってしまう仲間たちもたくさん見てきた。反対に、WANに関わる多くの人たちと同様に、自分自身がフェミニズム研究者であるという面から、フェミニズム組織の足下の重要な問題を可視化せねばという思いからも、この争議を支援する必要を強く感じた。そして、ネットユーザーとして、ウェブ上で活動をしてるWANがあまりにネットの公共性を無視した活動をしていたことにも強い違和感を感じた。そして、今でも、WANにはしっかり争議の経緯について公表できるところはしてほしいと思っている。

集会を終えて

この6.6集会を企画したときには、まだ争議真っ最中の段階で、いったいどういう位置付けの集会になるのかまったく読めていなかった。集会前に解決に至り、争議報告集会となったこと、そしてこの集会が争議のとりあえずのまとめ、といった位置付けになったことは本当によかったと思っている。そんな中、はるばる京都から集会にいらしていただいた遠藤さんとカサイさんに心から感謝したい。同時に、「恫喝訴訟」ともとれる内容証明が理事会代理人より届いてから集会まではそう日がたっておらず、争議そのものの疲れに加え、解決した後にこのような内容証明を送られてきた遠藤さんやカサイさんのご心労とストレスに関して、集会を準備する中で間近に聞いてきた。こういった内容証明を送ってきた理事会について、何を考えているのか、正直いってあきれはてたし、怒りを感じた。その後の展開は幸い何も起きておらず、ぜひこのまま何もないことを願うし、理事会には強くそれをお願いしたいと思う。それと同時に、労働者に職を与えておきながら、ほんの数ヶ月でそれを奪うに至ったという事実の重さは忘れないでいただきたいと願っている。

最後に、集会にご参加いただいた皆様に感謝したい。皆様からの質疑応答、グループワーク、そして全体議論などでのご意見やご経験談は貴重だったと思う。そして、会場設営などのお手伝いをいただいた、ミヤマアキラさん、マサキチトセさん、ほか集会後の交流会でいろいろお手伝いいただいた皆様、本当にありがとうございました。

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