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ヌエックが「戦略的推進機関として創設」される?!

執筆者:斉藤正美

去る八月二八日、国立女性教育会館(略称:NWEC,ヌエック)の在り方に関する検討会(以後、ヌエック検討会と略す)が、報告書を発表した。

この報告書は、約三年前ヌエックが事業仕分けの対象となり、蓮舫議員とヌエック理事長の神田道子がバトルを繰り広げたのはいったい何だったのかと思うほど、ヌエックを現状維持で存続させると述べているものだ。

私は、かつて、シノドスでヌエックと箱モノ問題について書いたが、10月末に出る新刊『社会運動の戸惑い  フェミニズムの「失われた時代」と草の根保守運動』(勁草書房)でも、ヌエックについては一章をあてて書いている。ヌエックが設置された背景やだれが運営に関わってきたかなど詳しくはそちらをご覧いただきたい。

まず今回は、1)ヌエックが一体どこにいこうとしているのか、2)税金で運営される施設の費用対効果としてどうなのか、3)そもそも一体ヌエックはなぜ存続されることになったのか、など、検討会がまとめた報告書をみながら、ヌエックの現状と方向性についてかいつまんで書いてみたい。

1)ヌエックが一体どこにいこうとしているのか

まず、ヌエックの方向性だが、報告書は「男女共同参画社会の実現を図る新たな推進機関を創設すべきであるとの結論に達した」と結論づける。「新たな推進機関を創設?」 どんな機関? ヌエックとは別に創設するの?と思うのは早計だ。ヌエックの建物を壊して新たな建物を建てるわけでは決して、ない。

ちょっと安心したあなた。じゃ、何をどう創設するの?と思うだろう。報告書を見ると、ヌエックが平成二四年度のヌエックの業務計画で示したものと、在り方検討会で示されている新たな創設機関が行うこととの間には大きな変更箇所は見られない。いずれも、教育・学習支援機関であること、女性教育のみならず男女共同参画社会の実現に貢献することをその方向として示している。

さらに、目を凝らして見ると、変わるのは、まあ名称らしい。新たに「戦略的推進機関を創設」するという。「戦略的推進機関」という名称、あるいは位置付け(?)が新たに「創設」されることのようだ。そして、「推進機関」の「名称」は「市民公募」を含めて検討するとある。名づけだけに巻き込まれて、市民も参加したと言われるのは、うれしくないぞ、という気分だ。

だが、それが一体何を指すのか、何をもって「戦略的」というのか、は、よく理解できなかった。教育機関というなら、意味の通じる説明がほしい。仕様がないので、過去の検討会の議論を振り返った。

しかし、ネット上には、議事録は第一回分しかあがっていないのだ。文科省担当課に電話してみたところ、おいおい上げていく予定だが、追いつかないので配付資料でみてほしいと言われた。それで配付資料を見てみると、第六回の検討会で事務局案として示された「報告書(素案)」では、具体的な名称「○○○○○○」(仮称)が想定されていたようなのだ。

教育・学習支援を通じて男女共同参画社会の実現を図る国の「戦略的推進機関」としての「○○○○○○」(仮称。以下同じ。)を創設する方向
「戦略的推進機関」が何を指すかをさらにこの素案からみてみる。

「○○○○○○」が、男女共同参画に関する「意識の変革」を戦略的に促進していくためには、1.対象者に応じた戦略的な教育・学習支援の展開、2.戦略的な教育・学習支援を支える調査・研究・プログラム開発、3.調査・研究・プログラム開発のための情報・資料の収集とその活用、といった機能が特に重要となる。
「戦略的推進機関」とは、われわれ市民の「意識の変革」をねらった機関とされている。どんな意識をどう変えるか、という点については以下のように述べる。

男女共同参画会議は、男女共同参画が進まない主な理由に、1.固定的性別役割分担意識が根強い、2.男女共同参画が働く女性の問題と認識され、男性を含む多くの国民の共通認識となっていない、3.社会の各主体のリーダーの認識が不足している、などを挙げ、「意識の変革」こそ最大の課題であることを示唆している。
要するに、私たち市民が固定的性別役割分担意識を持っていることが諸悪の根源であるから、それを変貌させるのに、決死の覚悟で臨むんだーという検討会委員の「意識」が感じられた。わたしたちの意識って、そんなに悪いものだったのかと感じてしまった。

というわけだが、ヌエックはこれまでも啓発事業を行ってきたわけであり、実はなんら方向転換を意味していない。なにやら管理職男性を対象とか、学校教員を対象とか、対象の範囲が拡がる程度のことである。ヌエックの意識啓発事業は、今後も継続されることが決まったということだ。意識啓発以外の事業への取り組みが進まない中、これだけの経費をかけて意識啓発事業を最も重要と位置付け、続けるのは、疑問に思う。

2)税金で運営される施設の費用対効果としてどうなのか

事業仕分けでは、理事長や理事など人件費の高さや、官僚の出向や天下り先など高コスト体質と投入する税金の大きさに対する費用対効果の悪さが指摘された。だが、報告書には、「宿泊施設等のハードの管理運営」を民間に委託することにさらりと触れるだけで、運営や財政の見直しにはほとんど触れていない。外部研究資金の活用や寄付金の拡大に触れている程度である。さらに、七回の検討会の配付資料を振り返っても、費用対効果が大きなテーマとなることはなかった。

3)そもそも一体ヌエックはなぜ存続されることになったのか

それは、今年の一月段階で、ヌエックの存続が閣議決定されていたからだ。廃止されるのは、102ある独立行政法人のうち、日本万国博覧会記念機構など3法人のみで、あとは、全部存続が決定している(独立行政法人の制度・組織の見直しについて)。しかも、ヌエックについては、その際、「民間との連携により効率化が進展していること等から成果目標達成法人として位置付けることか適当」と、効率化がすでに進展していると積極的に評価されていたのだ。

独立行政法人の見直しでは、新たな法人制度及ひ組織への移行に当たっての措置として、「独立行政法人の職員の雇用の安定に配慮」という役所内の雇用にまで気を使うようにご丁寧に注文が付けられているほどだ。徹底した官僚優先主義を前提とした見直しが決定されているのである。これでは上記ヌエック検討会の報告書が何も変わっていないのもむべなるかなと言えよう。

まあ、その代わりといっては何だが、この時も変更されたのは、名称だった。独立行政法人に代わり、「成果目標達成法人」(仮称)と「行政執行法人」(同)という新たな名称を創設していたのだ。

「戦略的推進機関」は、この時の「成果目標達成法人」(仮称)という「新たな名称の創設」(?)とうり二つの筋書きである。独立行政法人改革は、事実上棚上げ。棚上げの代わりに、新たな名称がつくり出されるという。新たな名称で、なんかアタラシーイ印象を醸し出せるということだろうか。

で、ヌエックは、「成果目標達成法人」になった。「成果目標達成」ってわざわざ言わなくても、すべての機関は成果目標をもっており、それを達成することをめざしている。いわずもがなである。「略したら、成人?」という声や、「看板かけかえるのもタダじゃないんだから改革したフリはやめてもらいたい」などネット上ではさんざんに書かれていたものだが、同感だ。

最後に。

単に名前だけ変えるのにも、看板の付け替えから道路のサインボードの掛け替えまで莫大な費用がかかる。名称を公募するにも人件費など経費がかかる。大きな変更もないのに、名前だけ変えるのは、経費だけかかって意味のないことだ。批判を浴びた高コスト体質の人件費の削減はないままに、「意識啓発」事業こそが男女共同参画推進のために最重要と再び位置づけられる中で、現状維持で存続が決定したヌエック。それをごまかし、見えなくするための名称変更ではないことを願いたい。

(初出  2012/09/04 2:44 pm)

男女共同参画条例:「ジェンダーフリー」より「積極的格差是正措置」を

執筆者:斉藤正美

2002年11月8日、『朝日新聞』「私の視点」に投稿しましたが、掲載されなかったボツ原稿です。 以上は、いずれも2002年秋に、斉藤が山口さんらとディスカッションした内容を『ふぇみん』などに投稿した原稿です。2004年秋に「今になって批判するな」と言われました。しかし、2002年時かられっきとした批判をしていたことを示すためにここにおいておきます。

各地の男女共同参画条例の制定過程において、「男らしさ/女らしさにとらわれない」という「ジェンダーフリー」の理念を入れるか入れないかが攻防の的となっている(10月22日付け「ポリティカにっぽん 男女共同参画バックラッシュ」)。

「ジェンダーフリー」は、元来、東京女性財団がバリアフリーにヒントを得て用い始めた和製英語的な用法である。インターネットでgender-freeを検索すれば、日本の男女共同参画行政のサイトが多出するので驚く人も多いだろう。東京女性財団の説明では、「男女のジェンダーコードの『段差』を発見し、これを『平ら』にする試み」とある。

男女共同参画条例は、1999年に施行された男女共同参画社会基本法を実質的に根付かせるための地域における取り組みである。同法は、国連が1979年女性差別撤廃条約を採択した後、各国が批准し「性差別禁止法」や「男女平等法」を制定したという流れに連なる。この法律は、「政治的決着」によって、名称から「男女平等」がはずされ、「男女共同参画」社会基本法となった経緯がある。しかしながら、英語名称は「ジェンダーイクオリティ(男女平等)」社会と定義されているように、基本理念は「性差別の是正」や「男女平等」である。これは、女性が働きやすい社会のほうが男性も自由な生き方を選択できる、女性の労働力率が高いほど出生率も高い、という理解が広まったために、少子社会に歯止めをかけるためには「男女平等社会」しかないということで成立に至ったものだ。

ところが、地方自治体における条例制定においては、「性役割を変える」という「ジェンダーフリー」の理念が先行されがちである。男女平等社会づくりにまず必要なのは、「男女平等」を達成させるための「積極的格差是正措置(ポジティブアクション)」などの具体策である。入札時に事業者に男女平等推進状況を報告してもらう、行政の付属機関の男女比の達成目標を設定するなどの「差別解消策」や、そうした対応が進展しない場合に訴える先としての苦情処理機関設置こそ条例に真っ先に取り入れられる必要がある。

「性役割」や「性別役割分担意識」を変えることに効果があるのは、社会の制度やしくみを変えることである。性役割や特性という「心のありよう」を条例で規定しても効果はあまり期待できないのではないか。「ジェンダーフリー」に反対する側から「男らしさ/女らしさ」を条例に規定する動きもあるが、当代の若者が素直に従うとも思えないことからもその効果のほどは容易に想像できよう。

条例で強調すべきことは、「性役割の変更」を規定することではなく、個人が「性別による差別的取り扱いを受けない」ための積極的改善措置である。条例案が「ジェンダーフリー」というあいまいな言葉の取り扱いで紛糾している間に肝腎の「性差別解消」のための施策への目配りがなくなり、条例が骨抜きになってしまうのでは本末転倒である。

「男女共同参画」社会基本法という名称が、「平等」を避けた政治的決着であるからといって、「性差別解消」という条例の達成目標まで揺らぐことがあってはならない。(1288字)

男女共同参画条例:「ジェンダーフリー」より「積極的格差是正策」を

執筆者:斉藤正美

『ふぇみん』2002年11月15日「意見・創見」欄に掲載。前回「ふぇみん」9月25日 掲載原稿のタイトルが変えられた結果、誤読されるということで改めて投稿をお願いしたのでした


わたしの住む富山県高岡市でも男女平等推進条例の制定に向けて、公募の市民や地域で活動する団体のメンバーらが条例検討専門部会の委員に選ばれた。9月6日には、部会の市民委員ら総勢12名がバスを仕立て福井県武生市に三木勅男市長を訪ねた。三木市長は「男女平等オンブッド」(苦情処理機関)の設置を盛り込んだ先駆的な条例を制定している。その日は、折しも三井マリ子さんがその「男女平等オンブッド」に就任された日であり、お話を伺えた。その後、訪問団に参加した議員は、高岡市9月議会で条例に苦情処理窓口をと注文をつける一方、女性団体は市長に「男女平等オンブッド」を要請する意見書を提出するなど武生行きの影響が広がった。

「条例の基本的考え方」(URL (.pdf))を踏まえ、現在、市民委員が重要だと考えて押しているのは、次の3点である。1)行政の付属機関に女性を4割にする、2)市内で活動する事業者に男女平等推進状況の調査を実施、女性を活用していない現状に気づいてもらう、3)対応が進展しない場合に訴える先として「男女平等オンブッド」を設置する。加賀藩を支える商工業の町として栄えた高岡市だが、現在はご多分に漏れず商工業に勢いがない。そこで活用されていない女性層のパワーで経済再生を図るという「積極的格差是正措置(ポジティブアクション)」を条例制定の基本に据えようというのである。市民委員は、市長の決断に期待を込めている。

ところで、全国各地で進行している男女共同参画条例の制定において、「女らしさ/男らしさにとらわれない」という「ジェンダーフリー」という考え方を入れるかどうかが攻防の的となっているという(『ふぇみん』9月25日号特集「女性政策バッシング」)。しかし、「性別役割意識の変更」は、先に社会のしくみを変えない限りどだい無理だ。他方、「ジェンダーフリー」に反対する側から「男らしさ/女らしさ」を条例に規定する動きもあるが、今の若者が素直に従うとはとても思えない。性役割や特性という「心のありよう」より、若い女性や男性が働きやすい政策こそ条例に盛り込む必要がある。

そもそも「ジェンダーフリー」は、「男女のジェンダーコードの『段差』を発見し、これを『平ら』にする試み」として東京女性財団が90年代半ばに用い始めた和製英語である。しかし、最近では「男女同質な社会にする」と主張しているといった拡大解釈も目立つ(例えば、「危ない『ジェンダーフリー』」森雅志富山市長ホームページ:URL (HTML))。「ジェンダーフリー」という言葉は、このようにあいまいな概念として一人歩きしている。

条例で実現すべきは、「ジェンダーフリー」という理念を書き込むことではなく、「性差別を解消する」ための積極的是正策の導入である。条例案が「ジェンダーフリー」というあいまいな言葉の取り扱いで紛糾している間に肝腎の「性差別解消」のための施策への目配りがなくなり、条例が骨抜きになってしまうことは避けなければならない。(1329字)

細谷さんへ、あるいは性別特性論に焦点化する女性運動批判

執筆者:斉藤正美

「ジェンダーとメディアのブログ」2005年4月25日エントリーに若干修正したもの)


3月29日の私のブログ「ジェンダーとメディアのブログ」で、『世界.』4月号特集「ジェンダーフリーって何?」の細谷論文について書いたコメントについて、昨日、細谷実さんご本人がコメントを書いてくださいました。細谷さん、ブログを探して書いてくださり、ありがとうございました。

コメントを拝読して、29日の文では意図がよく伝わらなかったなあという反省もあり、ここで「細谷さんへ」という文章にしてみました。最近の行政結託型の女性学・女性運動(90年代半ば以降、これが女性運動の主流となっています)が「性別特性論の乗りこえ」を大きな目標としているのは、女性運動の歴史からみれば、どうみても昔語りです。女性運動はとうの昔から、「性差別をなくすこと」をターゲットにしてきました。基本法、条例は、行政もその方向にシフトしたことの踏み絵だったのではないのですか。今になって、右派が出してきた「能力、適性、役割」の議論にのるのは、どうみても後退戦に巻き込まれて討ち死にする作戦です。それは願い下げです。そういうことを書きました。29日のところと合わせてお読みいただければと思います。

  1. 私は、富山で女性運動と政策立案にかかわった立場から発信しています。倫理学者としての細谷氏が日本全体の政治状況(バックラッシュ)の分析をされているのとは自ずから視点も見えてくるものも異なるのだろうと思います。
  2. おそらく私が『世界』の細谷論文に興味が持てないのは、そうした日本全体をマクロに見渡している視点だと思います。「バックラッシュが登場した社会・経済的背景とその心理分析」では、具体的な場面で、女性問題に対して反論にあったりバッシングにあったりした時に個々に方針をたてたり、対策を考えたりするのに即役に立つものではないと思うからです。「あちこちで出てきているバックラッシュ、どーすんのよ?」の答えとしては、主流女性学・女性運動では総論ばかり語られ, 「あちこち」と個別に考えることがないことが問題だと思っています。そのいい例が桑名市の条例への対応です。このブログでも小川まみさんや寺町みどりさんが議論されていますが、橋本ヒロ子さんが『We』で桑名市条例について「廃止された」などと大迷惑な間違いを書いておられます。細谷さんの論考もやはりそうした「解決につながっていかない」、いやむしろ「解決に逆行する」対応例であると考えます。そう考える理由を以下で書きます。
  3. 細谷論文が「女性問題の解決に逆行する」理由を2つ述べます。
    1. まず、細谷さんが、「従来の『男女は異なれども平等』という考え方を抜け出した政府の男女共同参画社会推進政策」と主張されているのは、大問題と思っています。女性運動は、ずっと以前から制度を変えようと悪戦苦闘してきています。いまさら「『男女特性論』を抜け出したこと」や「能力、適性、役割」の議論で女性運動を数十年後ろにねじを巻き直されるのは、大迷惑です。
      男女共同参画社会基本法制定の時の議論を思い起こしてください。当時、効果の上がらない「意識啓発」政策ばかりやっていた行政がようやく重い腰を上げて「制度の改革へ」と根本転換をはかった、と語られました。基本法の第三条「男女が性別による差別的取扱を受けないこと」や、積極的格差是正策(ポジティブアクション)は、行政の施策として差別是正策へと歩を進めたことを示すものだと言われました。それなのに細谷さんの見方は、基本法や条例への動きによって、行政が「制度の改革」路線に舵を切ったことまでをなかったことにする、いわば「性差別撤廃施策なかった」論です。せっかく獲得した性差別撤廃のための施策を細谷さんの解釈によってないことにされるのは、「女性運動への逆行」です。
    2. 第二の理由は、「今回のバックラッシュが狙い撃ちしてきた」のが「能力、適性、役割」であるからそれについて書いたのだという点です。バックラッシュ側は、あえて「性差別の撤廃」を「男女の特性」という意識レベルにずらし弱体化をねらっているのではありませんか。相手の作戦に素直に乗って議論しているうちに、相手の土俵に私たちまで乗ってしまってはどうなるのですか。先に述べたように、女性問題解決ですが、一向に男女差別が改まらず、女性議員も増えず、賃金格差も縮まらないなど施策が行き詰まったために、「システムを変えなければ」という女性運動の声が、基本法や条例制定に向かったのではなかったでしょうか。どうしてこのような苦難に富む女性運動の歴史がかくもはやく忘れ去られてしまうのでしょうか、細谷さん。
  4. これらの主張は、私が80年代当初から女性運動に関わり、90年代には、居住地の自治体の男女平等推進施策の策定に関わった経験に基づくものです。男女平等条例の策定過程では、私たちは「性差意識」や「性別特性」からの打破などを焦点化することをできるだけ避け、「性差別をなくす」という点に焦点化しました。その結果、各地で起きている「ジェンダーフリー」や「男らしさ・女らしさ」などをめぐる型どおりのバッシングは起きませんでした。そうした自らの体験から細谷さんの作戦に異議を申し立てているのです。決して、机上の空論ではありません。

以下、細谷さんのコメントの4項目とそれへの斉藤のコメントを対照して並べました。

細谷 1、蜷川真夫さんのことは、うかつにも存じ上げませんでした。彼の果たした役割を政党に評価したいという話は分かります。しかし、「プロデュース」ということで、雑誌や新聞をあげてのフジサンケイの今回の動きに比肩していいものか。

斉藤:「雑誌や新聞をあげてのフジサンケイの動き」がいかに大きいか、深刻かということをわざわざ「ウーマンリブ」を対置してとりあげるのは逆効果ではないでしょうか。これだけ重大な動きになっている、大変だということは、「バックラッシュ」というわけのわからない言葉の使用とともに、この問題に詳しくない多くの人たちに「黒船が来た」という萎縮効果をも与えるのではないかと思い、懸念しています。

「リブの登場」だって、蜷川さんだけではなく、系列も媒体もさまざまな人たちが「プロデュース」しました。もちろんそれに対する批判や反論、誹謗中傷も多数ありました。

女性運動の歴史を振り返ると、いつだって反論はありました。女性運動を語る側に、今回のように「敵を大きく扱う」傾向が時々見られることを憂慮しています。今回の「バックラッシュ」論でも、そのような悪しき傾向を感じるので一言申しました。サンケイなど自らを攻撃する側を、「強くて大変だ」という戦略はどうなのかなと思うわけです。

2、「能力、適性、役割」論を中心に書いたのは、今回のバックラッシュが狙い撃ちしてきたのが、性教育と並んで、そうした分野であるからです。女性運動にとって、そういう「能力、適性、役割」論よりも、重要な分野があるという話はありうるでしょう。しかし、目下攻撃されている場所に手を拱いていていいとは思いません。それは、先の話と二者択一というものでもないでしょう。

斉藤:これについては、上に述べた通りです。

3、北田さんの論考を引いたのは、当時入手しやすいもので、バックラッシュ派についての分析を行った数少ないものだったからです。もちろん東大関係か否かはまったく顧慮の外でした。彼に会ったことも見たこともなかったです。

斉藤:北田さんのご講義を聴いているようなご論考よりも、細谷さんもご執筆されている『We』誌の「バックラッシュを打ち負かせ!」特集での三井マリ子さんの「男女平等を嫌う反動勢力の実像」(『We』2004年11月号)や、山口智美さんの「ジェンダーフリーをめぐる混乱の根源(1)(2)」(『We』2004年11月号、2005年1月号)のほうがはるかに具体的で役に立つものです。

細谷さんは、バッシング派が「『邪悪な人々』を設定して、憎悪の火を掻き立てて行くのは極めて危険な傾向である」と賢くまとめておられます。一方、三井さんは、「どんな手が打てるだろうか」とし「パンフレットなどを読むと相手のねらいがわかる」、「自分の信頼できる議員にバックアッシュの実態を知らせよう」、などと「バックラッシュに講義する運動」に参加するよう勧めています。

また、山口さんは、「保守派がカタカナ語や日常使われない用語(例「男女共同参画」)を叩く一方、表立って『男女平等』や『性差別撤廃』という言葉を批判しないのは、特筆すべきだろう。『ジェンダー・フリー』を『男女平等』とは異なるものだという妙な理屈をこねて、『ジェンダー・フリー』攻撃をしているのだ(新田均「日本の息吹」2002年10月号)。おそらく行政や学者は、『よくわからない言葉』を新しく使うことで男女平等への反発を軽減しようとして『ジェンダー・フリー』を使い出したと思われるが、それは失敗だったのではないか」(「ジェンダーフリーをめぐる混乱の根源(2)『We』2005年1月号」と書いています。これも、女性運動の戦略論として欠くことのできない視点です(山口さんの議論はこのブログから「ジェンダーフリー概念からみる女性運動・行政・女性学の関係サイトへ飛べば読めますし、三井さんの議論は三井さんのサイトに載っています」。

細谷さんや北田さんのように総論的で概論的な説明は、お勉強好きの方には好まれるかもしれませんが、役に立たなかったり、逆行していたりでホント困るなあと思っています。

3、拙論の狙いは、あれよあれよと言う間に広がってきたバックラッシュ派の輪郭を示すことにあります。品もなく固有名詞を列挙したのもそのためです。それ以上を要求されても、もともと木によって魚を求むの類でしょう。

斉藤:相手の土俵にのった輪郭を示してくださってもねえ、と困惑しています。

4、『世界』の特集が気の抜けたビールという感想をお持ちになるのも分からないでもありません。しかし、その特集をネタに自分の関心だけから自分の主張を書き連ねているだけのような気がします。「で、あちこちで出てきているバックラッシュ、どーすんのよ?」』

斉藤:「気の抜けた・・」は私の記述ではないので、その点についてはコメントしません。

「自分の関心だけから自分の主張を書き連ねているだけ」という部分については、ブログというWEB日記は、文字により「自分の主張を書き連ねているだけ」にすぎないものですが、「主張を書いただけ」ということでケチをつけられる筋合いもないと信じています。

細谷さんの論考が女性運動を後退させている、それがまかり通ってしまうのは困る、という必死の思いから書いたものです。意図を誤解されてもと思い、上記で私が女性運動に関わってきた体験を踏まえて、現状に対して心配のあまり書いたということも書き添えました。

官製「ジェンダー」が下りてきた!:「ジェンダー」「ジェンダーフリー」の定義をめぐる闘争と行政・女性学・女性運動

執筆者:山口智美

シカゴ大学東アジア研究センター研究員 山口智美

財団法人日本性教育協会 (JASE) 『現代性教育研究月報』2006年1月号掲載


「ジェンダー」の定義をめぐる議論が盛んである 。反男女平等を主張する右派が、「ジェンダー」や「ジェンダーフリー」という表現について、「性差の完全な解消を狙っている」などと曲解に基づき、攻撃を加えていることがその背景にある。それに対し、日本女性学会、内閣府男女共同参画局、自民党の一部新人議員や、公明党などの政党が「正しい」ジェンダー概念を使うことを提案した文書を出すという動きが出ている。1

「ジェンダー」という言葉を使うべきかどうかという議論が沸騰する一方で、日本の女性運動は90年代半ばまで「ジェンダー」という言葉を使わずに、女性差別撤廃、性の平等の運動に取り組み、成果を挙げてきた歴史を持っている。「ジェンダー」や「ジェンダーフリー」が本格的に登場したのは90年代半ば、北京会議以降の、ここ10年ほどの流れなのだ。そして、これらの言葉は行政主導女性学で、導入されてきたのだ。そこから見えてくる、女性学・行政・女性運動に関わる問題について考察してみたい。

「ジェンダーフリー」の導入

昨年末、私は「ジェンダーフリーをめぐる混乱の根源」と題する文章を書き、それが『くらしと教育をつなぐWe』というフェミニズム系ミニコミ雑誌に掲載された。(2004年11月号、2005年1月号)

論旨をまとめると、以下のようになる。「ジェンダーフリー」という言葉は和製英語であり、ここでの英語の「フリー」の意味は日本で連想されるような「自由」ではない。むしろ、英語を母国語とする人たちは、「〜がない」という意味に捉えてしまう。この言葉を日本で最初に使ったと言われるのは、東京女性財団が主導したパンフ『Gender Free』作成プロジェクトだ。そのプロジェクト報告書において、パンフ作成に関わった三名の学者の一人、深谷和子は、「ジェンダーフリー」という概念を最初に紹介したのはアメリカの教育学者、バーバラ・ヒューストンであると言い、ヒューストンの論文「公教育はジェンダーフリーであるべきか?」を引用した。その後、他の学者たちや運動団体も、「ジェンダーフリー」は元々はヒューストンが使っていた概念であるという主張を重ねていった。2

しかし、 実はヒューストンは、平等教育の達成には不適切なアプローチとして「ジェンダーフリー」を批判し、「ジェンダー・センシティブ」(ジェンダーに敏感)な教育こそが必要という立場をとっていた。すなわち、「ジェンダーフリー」という概念は、日本においてアメリカ人学者の論文の誤読に基づく引用によって紹介され、権威づけられた。そしてこの言葉は、行政の講座、行政の助成事業としての市民団体の活動などを通じて、広げられた。ヒューストンの誤読に基づく引用が続く一方で、「ジェンダーフリー」は「ジェンダーからの解放」を意味する(大沢真理『21世紀の女性政策と男女共同参画社会基本法』ぎょうせい 1998)といった異なる、新たな解釈も生まれてきた。だが、その意味のズレに関して女性学内での議論はなかった。そして、保守派は「ジェンダーフリー」の意味の曖昧さにつけこみ、攻撃を開始、行政はそれにひるみだした。例えば、「ジェンダーフリー」を紹介し、積極的に広め、そして男女混合名簿も推進してきたはずの東京都が「ジェンダーフリーに基づく男女混合名簿の廃止」などという通達を出すような状況なのである。

この、「ジェンダーフリーをめぐる混乱の根源」は、無名な私が書いたミニコミ雑誌掲載の小論だった。だが、上野千鶴子氏のインタビュー記事がたまたま同じ号にあったからか、その号が反響をよんだらしかった。そして、私の文章が岩波書店『世界』の「ジェンダーフリーって何?」特集に掲載された汐見稔幸氏の論文中で引用された。( 「生きやすい、働きやすい社会をつくる、ということ:市民的公共性と男女共同参画」『世界』2005年4月号p.87)

それから思わぬ方向に発展していくことになる。バックラッシュの急先鋒である統一協会系メディア『世界日報』が、汐見氏の文章中の私の引用を挙げながら、ヒューストンは「ジェンダーフリー」ではなく「ジェンダー・センシティブ」でなければいけないと主張し、「『女らしさ』が差別の原因になるからと否定するのではなく、『女らしさ』に繊細に対処しながら行う教育が必要ということである」などという無理な解釈をしているのだ。これは、当然ながら大きな間違いである。敏感になるべきは、 ジェンダーに基づいた差別であり、「女らしさ」に繊細なれなどとはヒューストンも私も全く書いていない。『世界日報』お得意の故意の曲解による悪用だ。『世界日報』は、私の肩書きを当初「ジャーナリスト」として紹介しているが、『We』に私は「シカゴ大学東アジア研究センター研究員」として紹介されている。 3 要するに、私の原文を読みもせず書いたと思われる記事なのだ。迷惑かつお粗末なことである。

『世界日報』をはじめとする右派は、インターネット上で積極的に反男女平等キャンペーンを行っている。私は自分のホームページ4にもこの文を掲載しているのだが、それがネットの様々なところで引用されたり、議論されるようになった。しかも右派が積極的にネットを活用しているため、『世界日報』の曲解に基づく私の文章の引用があちらこちらで見受けられる。 逆に、私自身の関わるサイトや、他のフェミニズム系サイトなどでも議論になっており、私の文章に関して様々な解釈が混在している現状なのだ。

「ジェンダーフリー」概念導入をめぐる本当の問題

私の文章が議論されている様をみると、「誤読」問題にばかり焦点が当たってしまっているようだ。確かに論文の「誤読」をし、それを放置し続けた学者や行政のお粗末さは、女性学者の端くれである自分自身への反省も含め、批判されるべきだと思う。だが、私は「誤読」を指摘したことで、アメリカの学者の言うことをそのまま正確に日本に導入すべきと主張しているわけでは決してない。欧米学者の言うことを権威づけに使うという行政や学者の体質、そして具体的な「誤読」の方向性を問題にしているのだ。実際、誤読はさておき、東京女性財団の「ジェンダー・フリー」定義自体にさして問題はないと捉える意見も目にする。だが、私はこれこそが大きな問題だと思う。

東京女性財団によれば、「ジェンダーフリー」という言葉は 、「性別に関して人々が持っているこうした『心や文化の問題』をテーマにするために」使ったという。(Gender Free 1995)  つまり、性差別撤廃のために制度を変えて行くことより、むしろ個人の心の持ちように還元させる、保守的な言葉だった。この「ジェンダーフリー」は、東京女性財団が引用元であると主張したヒューストンの主張とは、180度異なるものだ。ヒューストンは、性差別をなくすために具体的に教育現場での制度、実践などを変える ことが最重要であり、そのための情報を収集するために常にジェンダーに敏感であるべきだと主張しているからだ。

誤読の背景に見えてくる、東京女性財団の主張する意識啓発と、ヒューストンの主張する具体的な変革の間の「ズレ」こそが問題ではないのだろうか。個人の「意識」に焦点を当てることで、日本の行政が大好きな、市民の啓蒙に仕立てることができたのだ。 そして「お勉強しなければわからない概念」であり、意識啓発が目的の「ジェンダーフリー」が生まれた。この概念が、東京女性財団や国立女性教育会館などでの行政講座などを通じて、中央から地方へ、官から民へと広められていったのである。

おそらく、行政は制度や実践を変えるよりも、「意識啓発」や「啓蒙」が安全で簡単だと考えたのではないだろうか。行政として具体的に取り組むべき問題よりも、市民ひとりひとりの心のありかたに責任を転嫁しているとも言え、行政のするべき仕事としては本末顛倒である。そして、実は現在「バックラッシュ」の中心になっている、宗教右翼といわれる勢力が一番嫌うところが、信教の自由とも絡んでくる意識啓発だったという皮肉な状況が生じているのだ。

「安全」なはずの意識啓発ばかりに流れがちだった行政は、右翼勢力のバックラッシュに抵抗するだけの覚悟もなかった。その最たる例が、元大阪府豊中市男女共同参画センター館長の三井マリ子さんを、右派勢力の圧力に負けた豊中市が雇止めにしたことだろう。現在、三井さんは豊中市を相手取り、裁判を闘っている。

「ジェンダーフリー」でないと特性論を超えられないのか?

「混乱の根源」を執筆していた同時期に、斉藤正美さんとの共同企画、上野千鶴子さんの研究室との共催で、「ジェンダーフリーをめぐる女性学・行政・女性運動の関係」という集会を東京大学で開いた。この集会の質疑応答のときに、「男女平等」では性別特性論を超えられず限界があるので「ジェンダーフリー」を使ったという意見が会場から出た。その後気をつけて見ていると、女性学者の集会などでの発言、教育組合女性部のニュースや行動要請、各地の条例審議会での議論などで、この論が広く流通していることがわかった。

男女平等教育では特性論を超えられないという論は、女性運動の歴史を考慮にいれていないものであるといってよい。女性差別撤廃条約の批准、そして家庭科共修の実現を経て、制度的には男女特性論は消えたはずだ。これは、女性運動の成果だ。そして、現在「ジェンダー・フリー教育」運動の一部としてくくられがちな男女混合名簿運動は、80年代から続く息の長い運動だ。男が先、女が後の名簿という、毎日学校で使われ、学校生活のあらゆる場面で影響を与える、明らかに性差別的な慣習を撤廃しようという、男女平等教育にむけての運動であったはずだ。このように女性運動が推進してきた男女平等教育は、当然ながら特性論など超えたものであった。もし男女平等は性別特性論に基づくなどと文部省が言っていたとしても、行政の提示する言葉の定義にそのまま従う必要があるとは思えない。「その定義は違う」と言い、それに変わる定義を提示すればいいことだ。

「ジェンダーフリー」という、行政と、行政に密着した学者が発案した、上から下りてきたカタカナ言葉に逃げず、「男女平等教育」の意味を変革していくという方向もあったはずなのだ。

「ジェンダー」概念の登場と広がり

「ジェンダーフリー」は和製英語だが、反面「ジェンダー」は英語にも存在する言葉だ。世界中で広く学術用語としても、国連や政府文書などでも、日常生活においても使われている。だが、「ジェンダーフリー」バッシングに端を発し、「ジェンダー」も右派の攻撃の対象となっている。

この「ジェンダー」概念は日本でいつ頃、どのように広がってきたのだろうか? NWECの女性情報CASSデータベースを使って、新聞記事における「ジェンダー」という言葉の登場回数の推移を調べてみた。5 すると、「ジェンダー」が新聞上で急速に使われるようになったのが1995年から1998年にかけてだった。これが第一の波であり、1995年には、前述の東京女性財団報告書が出版された。同時に東京女性財団は「ジェンダーチェック」リーフレットや冊子をシリーズとして90年代後半まで数多くの学者たちと連携し、発行していった。そして、同様なプロジェクトを各地の自治体も始めていった。その後、96年には「男女共同参画ビジョン」において、「ジェンダー」という言葉が登場する。女性学においては、95年に岩波『ジェンダーの社会学』本が出版され、前年94年から発行を開始した『日本のフェミニズム』シリーズも相まって、「ジェンダー」概念を解説しながら、規範文献や巨匠づくりを行っていた時期だともいえる。つまり、この時期、行政と女性学は同じ方向を向いて「ジェンダー」概念を広報していたのだ。そして、第二の波はその後 、2000年から2002年頃に表れる。この時期は、「ジェンダーフリー」関係の記事が急増した。1999年の男女共同参画社会基本法の制定、その後2000年あたりからの男女共同参画条例運動の広がりなどが大きな影響をもったと思われる。そして、行政に深く関わる女性学者や、行政出身の学者による書籍類が多く出版された。例えば、館かおる・亀田温子『学校をジェンダーフリーに』の出版は、ちょうどこの時期の2000年であった。こういった教育啓発本の出版や女性センターなどでの講座などを通して、「ジェンダー」概念が広がっていったのだ。言い換えれば、行政と女性学の一体化が、条例運動や「ジェンダーフリー」教育運動を通じて、ますます顕著になった時期ともいえる。

この原稿を書くにあたって、編集の百瀬さんに、JASEが過去にどのように「ジェンダー」を扱ってきたかを知りたいとお願いしたところ、過去の「ジェンダー」関連の記事が掲載されている出版物を送ってくださった。それを見てみると、最初に「ジェンダー」という言葉が表れるのが1980年、青木やよひさんの「男らしさ・女らしさって何だろう?」という文だ(『現代性教育研究』1980年8月号)。それ以後、百瀬さんによればしばらく「ジェンダー」という言葉はJASE出版物からは消えていたとのこと。そして再登場するのが99年 、兵藤智佳 『「ジェンダー」って何?』(『現代性教育研究月報』1999年2月号)である。 前回の登場から約20年のギャップがあるが、99年当時にはすでに資料室には東京女性財団のものを始め、ジェンダー関連の書籍が置かれ、学者たちの講演会やセミナーなどで話を聞く機会もあったという。行政と行政に近い学者たちが敷いたレールの上を、他の多くの運動体同様に、JASEも歩んできた軌跡が見えてくる。

官製「ジェンダー」?

右派は、「ジェンダー」という考え方が「性差を解消」し、「過激な性教育」や「男女同室着替え」を生み出すなどとデマを流しながら、「ジェンダー」の意味を攪乱させている。この状況を受けて、10月31日付けで、内閣府の男女共同参画局基本計画に関する専門委員会が「社会的・文化的に形成された性別(ジェンダー)の表現等についての整理」という文書を出した。

この文書は、ジェンダーを「社会的・文化的に形成された性別」と定義している。そして、「社会通念や慣習の中には、社会や文化によって作り上げられた『男性像』、『女性像』があり、人々は成長するにつれ、『男性に期待される行動』、『女性に期待される行動』を行うようになる。このようにして形成された男性、女性の別を『社会的性別=ジェンダー』という。」(p.2)と述べている。

ここでの、「性別」という表現は、確かに男女という二つの性の間の差異を連想させる「性差」より若干マシかもしれないが、「性別」という言葉自体にも、「男」と「女」というカテゴリーに2分化して固定化する意味合いが強いように思える。この文書が掲載されている、国際機関の定義との微妙なズレを見ると、その特色が見えやすい。例えば、「特定の社会が男性及び女性にふさわしいと考 える社会的に構築された役割、態度、行動、属性」(WHO)、「男性または女性 であることに関連する経済的・社会的・文化的属性や機会」(人口基金)、「男性あるいは女性であることに根ざす社会的態度、機会、及びあらゆる男女間、少年少女間の関わり方を指す(OSAGI)」などの定義は、「分けること」そのものよりも、社会や文化が性に付与する性質や、性の間の関係性のほうに目がむいている。また「年月により変化し、それぞれの文化内 や異なる文化間で広い変異の幅を持つ」(EU)などの定義は、「性別」という定義よりも、変化や多様性を認める点を強調しているものだ。

また、この文書は、「ジェンダーに敏感な視点」を、ジェンダー=社会的性別の存在に気づく視点であると解説している。だが、存在に単に気づけばいいのだろうか?前述した、ヒューストンの「ジェンダー・センシティブ」は、あくまでも教育現場での性差別状況に対して、それをなくす目的で具体的な対策を施していくための情報を収集するという目的をもっていた。だが、この男女共同参画局の文書では、「何のために気づくのか、気づいてどうするのか」という点が明示されていないのだ。

また、この文書によれば、「ジェンダー」によってとらえられる対象の中には見直しが適当とされるものとされないものがあるという。 「固定的な役割分担」または「偏見」などが見直しが必要とされるものに当たるという。そして、男女の服装に関する違い、習慣などの見直しはいらないと言うのだが、本当にそうなのだろうか?これらに基づく差別があるとしたら、見直しが必要なのではないか。例えば、「女性だからスカートをはかねばならない」というような規範の押しつけがあったら、それは女性差別であろう。

ジェンダーは「中立的」な概念である、という主張が何度も繰り返されているのも目につく。ジェンダーは、「対象をとらえるための道具であり、例えば、これまで見えにくかった対象の姿が明らかになる立体メガネのようなものである」(p.3)のだそうだ。ジェンダー=立体メガネ説というのは初耳だが、その立体メガネを使って 見えにくい対象の姿が見えたとして、それからどうするのかこそが問題なのではないだろうか。見えればよい、というものではない。ジェンダーを正しく理解さえすれば、差別はなくなるというのだろうか?

「ジェンダーフリー」が東京女性財団によって「意識」レベルの問題にされ、行政が守りに入っていったのと同様なプロセスが、この男女共同参画局の文書でも見えてくる。頻出する「中立」という概念に、「客観性」への過剰なこだわりも見て取れる。だが、性差別を撤廃するという方向性を明示せず、男女間の「権力」関係を問題視するという視点が欠落している中で、「ジェンダー」概念を語ることに意味はあるのだろうか。

日本政府は女性差別撤廃条約を批准している。性差別を撤廃する義務を負っているのである。また、男女共同参画社会基本法は、本来性差別撤廃のために作られた法律ではなかったのか。その肝心な「性差別撤廃」という目的が、男女共同参画局による「ジェンダー」解説文書の中で明示されておらず、そのかわり「中立性」などという語句が踊っているのだ。 いったい「ジェンダー」概念にこだわる理由は何なのか?これでは本末顛倒である。

もともとは、ムズかしいお勉強の対象として、行政の啓蒙講座などを通じて広がってきた「ジェンダー」概念だったが、ここにきて誤解が広がり、簡単に説明する必要が生じた。が、個々のケースへの具体的な対策を議論するのではなく、「ジェンダー」概念だけを取り出して抽象的な説明をし、その定義にばかり注目が集まるということ自体がおかしくないだろうか。そもそも、「ジェンダー」が正しく理解されていないから男女共同参画社会が実現していないというような前提こそが変である。他に理由があるのではないのか。

いつも同じようなメンバーで構成される行政主導の専門家の集まりが、「ジェンダー」概念を定義し、それが官から市民へ、中央から地方へ下りてくるという状況は、「ジェンダーフリー」と同じだ。この構造自体を変えて行く必要もあるのではないだろうか。下から、運動の現場から、それぞれの地方から、どのような概念が何のために必要なのかを提示し、議論していくことが必要なのではないか。少なくとも、日本の女性運動は行政をリードしてきた歴史をもってきたはずだ。

脚注

  1. 12/8/2005 読売、12/14/2005 朝日
  2. 例えば性教協は、以下のように「ジェンダーフリー」について説明している。「本来「ジェンダーフリー」という用語は、アメリカのバーバラ・ヒューストンが「性別に関して存在する決めつけからの自由」、すなわち性別による偏見からの解放という意味で用いているのを、日本では東京女性財団が紹介し広まったものです。」(性教協  http://www.seikyokyo.org/news/news_30.html
  3. 「世界日報サポートセンター」http://ameblo.jp/senichi-ss/theme-10000119402.html)当初、『世界日報』に掲載されたオリジナル版の記事。私の肩書きが「ジャーナリスト」になっているバージョン。)『世界日報』サイト、「袋小路の欺瞞思想(ジェンダーフリー)」にも同記事の改訂版が掲載(内容が若干変わっており、私の肩書きも訂正されている)。http://www.worldtimes.co.jp/wtop/education/gender/html/050417.html(現在、閲覧にはパスワードが必要な模様)
  4. 斉藤正美さんと運営しているサイト「ジェンダーフリー概念から見えてくる女性学・行政・女性運動の関係」に掲載している。
  5. 斉藤正美、山口智美 「ジェンダー」を含む新聞記事件数及び関連年表
    経年グラフ

「草の根フェミ」による「ジェンダー・チェック」批判とは?

執筆者:斉藤正美

『バックラッシュ!』の上野千鶴子氏インタビュー記事における「ジェンダーチェック」に関する記述を読んで、上野氏の「草の根フェミ」とは何を指すのか、具体的に述べられておらず、上野さんは女性運動について知らないで書いておられるのではないかと思った。同インタビューについては、先にmacska氏がセクシュアルマイノリティの扱いについて厳しく論じておられ、議論になっているところでもある。当ブログでは、上野氏の原稿を読み、フェミニズムが起こした「ジェンダーチェック」批判が表に出ていないことに改めて気づかされたので、ここでは、運動経験者として行政に関わった体験について記しておきたい。フェミニズム内部から行政主導の「ジェンダーチェック」が「検閲」にあたることを怖れて阻止されたケースが確かに起きていたことを明確に記しておく必要があるからだ。

東京女性財団の「ジェンダーチェック」路線には、90年代後半にフェミニズム運動として実際に待ったがかけられていた事実があったのだ。わたし自身が関わったこの「ジェンダーチェック」集刊行阻止のケースは今まで表にはでていなかった。紙媒体でも、ネットでもこれが明らかになるのは当ブログが初めのはずだ。さらに、この事例以外にジェンダーチェックにストップがかかったケースは、わたし自身はまったく耳にしたことがない。行政の検閲、啓蒙批判の動きが間違いなくあり、実際それを阻止し、女性運動のサイドにたった内容の冊子に転換したことはフェミニズム運動の歴史として重要なことだと思うのでここで明確に記録しておきたい。

ところで、上野氏の記述はこうだ。上野氏は、日本でのジェンダーフリーの歴史を語る中で「ジェンダーフリー」という言葉が「行政フェミニズムと草の根フェミニズムの亀裂を衝く、という意味で」「フェミニズムのアキレス腱だった」と述べる。その説明のあと、「日本のフェミニズムはしょせん行政フェだった」という発言への反論として以下のように書く。

「行政フェミの背後には、それを支えたり伴走してきた草の根フェミが存在しました。行政フェミの典型的な事業の事例に、東京都女性財団がつくった「ジェンダーチェック」がありますが、行政側のきわめて啓蒙主義的なやり方に対して、草の根フェミは批判をもっていました」(p.378-9)

行政主導の「ジェンダーチェック」刊行に対し、草の根フェミニズム、すなわち女性運動は断固として反対してきたという文脈を示す箇所である。しかし、これについては異論がある。第1に、1990年代半ば以降のフェミニズムは、ほとんど「行政フェミニズム」一色に塗りかえられ、70-80年代に健在だった行政から距離をおいた「草の根フェミニズム」はほとんど目立たなくなっていったように思う。それを象徴するのが1996年の「行動する女たちの会」解散だった。わたし自身がかかわった「メディアの中の性差別を考える会」も、1996年に上野氏と共編著『きっと変えられる性差別語』を刊行した後、(インターネットでの発信は続けている一方)グループとしての活動は行っていないことも挙げられるかもしれない(この点の考察は別途行う必要があるだろう)。女性運動はどこでどのように「ジェンダーチェック」に抵抗してきたか、上野さんはご存じだったのだろうか。例を挙げて指摘するべきではなかったか。これでは実際にあったことかどうかわからない。想像の産物と言われかねないことを懸念する。

第2に、行政が市民の心の持ちようを『ジェンダー・チェック』することへの批判は、2000年以降、フェミニズムの外部から、つまり「バックラッシュ派」によって引き起こされたのではなかったか。ここで言われる「草の根フェミ」がだれのどの運動を指すのかわからない。実際には、上野氏がいう「ジェンダーフリー」批判や「ジェンダーチェック」批判はだれのどのような行為を指しているのだろうか。実は、フェミニズム内部からの「ジェンダーチェック」批判は、ほとんど起きなかったのではないだろうか。前にエントリーを立てた日本女性学会『Q&A』本でも、山口智美さんとわたしの「ジェンダーフリー」批判や批判をあげている「ジェンダーフリーとフェミニズム」サイトhttp://homepage.mac.com/saitohmasami/gender_colloquium/Personal22.htmlは、まったく言及されていない。匿名でバックラッシュ派の動きと類似のものとされているか、存在しないことにされているのだ。上野さんがあるといわれるのなら、それがだれのどの主張やどの運動を指すのかはっきりさせる必要がある。ここのところはフェミニズムの歴史にとって重要なので確認したい。また、上野氏ご自身のスタンスも明確に示していただきたいと思う。東大ジェンダーコロキアムでのご発言とその後の国分寺事件以降の上野さんの動きを見ていると、上野さんがどのようなスタンスなのか、が極めてわかりづらいものに映っている。

上野氏は何も具体的に言及しておられないが、ここでわたしが今から述べようとする東京女性財団の『ジェンダー・チェック メディア編』作成プロジェクト阻止を事前にご存じだったのだろうか、それとも、それ以外に「ジェンダーチェック」批判の動きをご存じだったのだろうか。上野氏の原稿からは実際の運動の動きがまったく見えてこない。上野氏の原稿を読み、フェミニズム内部から、行政主導の「ジェンダーチェック」が「検閲」にあたることを怖れて阻止した事実が表に出す必要性を感じ、ここに記しておくことにした。『バックラッシュ!』本刊行や上野氏の議論を機に改めて日本のフェミニズム運動の歴史を確かめるいい機会でもあるはずだ。

東京女性財団は、東京ウイメンズプラザがオープンした1995年より毎年『ジェンダーチェック』シリーズ「家族・家庭生活編」(1995年)、「地域・社会生活編」(1996年)、「学校生活編」(1997年)、「職業生活編」(1998年)を1冊ずつ刊行してきた。(それに関わった女性学者から「ジェンダーチェック」批判が起きたという話は聞いたことがないが、実態はどうだったのだろうか。)そして、1998年8月、東京女性財団は、このシリーズの最終弾として、『ジェンダー読本(メディア編:仮称)』普及・検討委員会を設立した。これは、これまで続いた『ジェンダー・チェック』シリーズを締めくくるものとして計画されていた。(「ジェンダー・チェックメディア編」という言葉は、98年12月財団職員の方からわたしがもらった資料にも使われていることから、相当後になるまで内部での規定事項であり続けたようだ。)しかし、新たに設立された検討委員会では、いくら財団法人とはいえ、公的機関がメディア機関に対して、表現をチェックさせる趣旨の冊子を出すというのは「表現の自由」に抵触する行為であり、止めるべきだという議論が起きた。そして、最終的には、これまでのシリーズとは名称も趣旨も異なる『女性とメディアの新世紀へ』という冊子として刊行された(1999年)。それは、当初計画されたメディア組織やメディア人向けの「ジェンダーチェック」ではなく、「女性たちがどのようにメディアを使い、またメディアについてどう考え、行動したらよいのか」という市民のためのメディア読本へと方向転換したのであった。どんな内容かというと、1.みんなが発信者になる 市民とメディアの新時代、2.マスメディアを読みとる 女性はメディアをどう変えてきたか、3.座談会「マスメディアの現場から」、4.マスメディアのしくみを知る、 5.女性とメディアのいい関係をめざして、6.マスメディアが本当に公器なら、巻末資料というものだ。

この時の討議内容記録を引っ張り出して調べたところ、最初の会合で「今まではジェンダー・チェックとして出してきているが、全国・都内からの引き合いが多い。効果は図りにくいが、ジェンダーフリーという言葉が広まってきたように、反響は結構ある」と財団側が述べ、「ジェンダーチェック」シリーズを続行したい由が語られていた。それに対しては、メディアについて公的機関の介入と思われるものを出すのは疑問だということが委員から述べられていた。「メディア人向けジェンダー・チェック」という当初の方針を阻止しようとする委員からは、メール、電話、面会などで働きかけが行われた。「ジェンダー・チェック」を阻止しようとした理由としては、「1.メディアの表現の自由の侵害の危険性、2.行政のチェック(検閲)という反発がメディアから予想される(東京女性財団は、ジェンダー・チェックで名が通っていますので、今度はメディアに向かってきたと反発を受ける)、3.以上の2点から(「ジェンダーチェック」本を出しても)メディアの紹介が期待できない。」と主張されていた(以上は当時の資料より)。

なお、このプロジェクトの「執筆者は、マスメディアに関する市民活動に取り組んできた女性とメディアに関する研究実践をしてきた人、そしてマスメディアで働いていた人たち」(同書・はじめに)5名であった。FCT市民のテレビの会(当時)の竹内希衣子氏と「メディアの中の性差別を考える会」のわたしは、いわばメディアのジェンダーチェックを押し進めてきた市民活動家という役割で検討委員会に加わっていたようであった。先に述べたように、わたしは1996年『きっと変えられる性差別語??わたしたちのガイドライン』(上野千鶴子・メディアの中の性差別を考える会編)刊行に関わっていた。この委員会は、竹内氏とわたしという市民運動家が主張するメディアのジェンダー・ガイドラインを、マスコミ研究者である村松泰子氏と諸橋泰樹氏が正副の会長としてまとめあげるという性格のものとして企画されていたように思われる(富山在住のわたしが東京女性財団の事業に関わったのは、当時お茶の水女子大の院生であったことが関係していよう)。村松、諸橋両氏は、96年に刊行された東京女性財団『ジェンダー・チェック 地域・社会生活編』の編者としても名を連ねておいでであった。最終弾として当初予定されていた当「ジェンダーチェック」メディア編プロジェクトの委員会には、メディア界の重鎮である元共同通信社社長も加わっておられた。

こうした「ジェンダーチェック」プロジェクトのねらいに、それを推し進める立場を授かった市民運動代表と目されたわれわれ二人は、委員辞任をかけて上記のように「ジェンダー・チェック」企画を阻止する動きをした。最終的には、メディアに向けた「ジェンダー表現チェック」という計画はひっくり返り、上述のような一般読者向けに変わったのであった。そのことは、「この冊子は、私たち執筆者相互のコミュニケーションの成果です。会合だけでなく、電子メール(メーリング・リスト)という新しい情報メディアを使って、ひろく今のマスメディアの状況や、インターネットを通じて行われている活発な議論についての意見などを交わしながら執筆・編集しました。東京女性財団という公的な機関が、こういう冊子をつくることの意味についても、議論を重ねました。」(はしがき)という記述からも読みとれる。一方で他の『ジェンダー・チェック』シリーズには、まとめにあたった学者諸氏の名前は列記されているものの、議論があったとか、内容についてどのような議論を経て決めたなどという作成過程に関する記述は書かれていない。

最終的に、これまでの「ジェンダーチェック」シリーズとは名称も趣旨もまったく異なる『女性とメディアの新世紀へ』という冊子として刊行されたことは、東京女性財団が推し進めた「ジェンダーフリー」政策の中で、フェミニズム内部から行政主導の「ジェンダー・チェック」批判が起きた数少ない事例として表に出す必要あるように思い、ここに記すことにした。これは、東京女性財団にとって、作成過程でストップがかかった初めての「ジェンダーチェック」本だったと思われる。「ジェンダーチェック」が「男女共同参画、ジェンダーフリーの観点からの行政による検閲」としていわゆるバックラッシュ派から批判されている昨今から振り返れば、メディアの「ジェンダーチェック」本が幻に終わり刊行されなかったことは、東京女性財団にとっても福音だったのではなかろうか。なお、東京ウイメンズプラザでこの冊子を検索したところ、現在この冊子は「禁貸出」とあった。おそらくこれは、他の「ジェンダーチェック」が批判されたあおりをくったものと思われる。なお、これ以降、わたしが東京女性財団の事業に関わったことはない。

ところで、最初に戻るが、上野氏の言われる「行政側のきわめて啓蒙主義的なやり方に対して、草の根フェミは批判をもっていました」という「草の根フェミ」とはだれのどのような行動を指すのであろうか。(2006-06-30ジェンダーとメディア・ブログエントリー)

上野千鶴子さんの位置取り (「『女の品格』『おひとりさまの老後』から思うフェミニズムの行方」改題)

執筆者:斉藤正美

坂東眞理子さんの『女性の品格』、『親の品格』、それに上野千鶴子さんの『おひとりさまの老後』などフェミニストにより執筆された本がベストセラーの上位に食い込んでいる。お二人は自他共に認めるフェミニストである。そのお二人の本がベストセラーになっている。ウーマンリブの頃とは違い、フェミニズムが日本社会に受け入れられるようになったんだなあと思う今日この頃だ。ついでに言うなら二人とも富山県出身だこと!(その考察はまた改めて・・)

紀伊國屋書店単行本本週間ランキング(12月31日-1月6日)では、『おひとりさま』が3位、同新書ランキングで『女性の品格』が1位、『親の品格』が2位といずれもトップを占めている。文教堂(10分おき更新)では、総合で『女性の品格』が2位、『おひとりさま』が10位に入っている。

「品格」を説く書は啓発本である。『おひとりさま』は読んでいないのでよくわからないが、読者からは「老後の心構え」本と受け止められているのではないか。意識啓発で押してきた主流フェミニズムの面目躍如だなと思う。同じく現在何冊もベストセラー入りしている、坂東さん、上野さんより2周りほど若い勝間和代さんの本は、『効率が10倍アップする新・知的生産術–自分をグーグル化する方法 』などキャリアアップのための「サバイバル本」である。シニア世代は、「品格」という心構えを説き、若い世代は「サバイバル」のための仕事術を伝授する・・・。なんと好対照であることか。なんと世代格差を感じさせることよ。

フェミニズムが日本社会に浸透した今だからこそ、言っておきたいことがある。それは、社会で主流になりつつあるフェミニズムだからこそ、女性の中の多様性を積極的に肯定する動きが必要となっているということだ。要するに、女性の間での違いや批判を積極的に受け止めようということであり、自らを批判的に見ることができなければいけないということだ。新たに求められるフェミニズム像については、macskaさんによって「第三次フェミニズム」 (第三波フェミニズムともよぶ)として1998年にまとめられている。

しかしながら、実際はそうではない方向に進んでいるように思う。例えば、日本女性学会研究会レポ:守旧化するフェミニズム?マッチポンプ、あるいは、対立の禁止が対立をつくりだすで書かれているように、「フェミニズムにとって今闘うべきはバックラッシュである」という大義名分を掲げ、「対立をあおらず共闘、連帯しよう」と叫ばれ、学会運営などでフェミニズム批判がおさえこまれたものになっている。わたしもいろいろ声を上げているが、真剣に取り上げられ改善されたとはなかなか思えない。「バックラッシュ」が名目として便利に使われているのではないかという疑いさえ生じる。

2004年12月、上野さんが主宰されている東京大学ジェンダーコロキアムで「ジェンダーフリー概念」から見えてくる女性学・行政・女性運動の関係」という企画を山口智美さんとわたしで提案した。(報告を参照ください。)しかし、その頃から現在までの3年の間に、女性学をめぐる地図はだいぶ変わってしまった。残念なことに、よりいっそう閉塞的で多様な声が出ずらい状況になっているというのがわたしの見方だ。フェミニズム運動がよりいっそうおだんご状にまとまった気がする。相互批判がなくなり、多様な意見が上がってこない。

それに関連したエピソードとして、上野さんのフェミニズム運動における位置取りが変化したことがある。3年前東大ジェンダーコロキアムでの「ジェンダーフリー概念」企画の時は、東京中心の行政一体型フェミニズムを批判した山口智美さんや私に上野さんは、「私がこういう場に出られる理由は、私は行政と結託していないほうですので、ジェンダーフリーがバッシングを受けても、私自身がその対象にならなかったために、痛くもかゆくもない」と見得を切っておられた。そして、自ら行政とは一線を画していた「非主流派(?)」を主張されていた。ただし、『上野千鶴子対談集・ラディカルに語れば・・・』(平凡社)での大澤真理さんとの対談を見る限りでは、上野さんが「行政と一線を画していた」とは必ずしも言えないと思うが、上野さんが「ジェンダーフリーを死守せねば」というフェミニズムの主流派と意見を異にしていたことは確かだった。

しかし、その後、主流フェミニズムに対して批判的なわたしたちのスタンスはウェブで示しているように変わっていない一方、上野さんはその後メーリングリストを開設し、かつて「行政と結託している方の人たち」と呼んでいた方たちと共に集会を開いたり、それをまとめた『「ジェンダー」の危機を超える!』(青弓社)を共に刊行するなど行動を共にするようになっておられる。ジェンダーコロキアムに企画を出したことから、上野さんと同じ考えだと誤解される方もないとは思うが、明確にしておきたい。傍目には、上野さんは今や行政と連結した主流フェミニズムのリーダーとすら目されている状況にある。

しかし、今やフェミニズムは孤高の人ではなく、行政とも連動してやっていけるし、その考え方がベストセラーにもなるほど受け入れられている。この現状を真っ当に認識する必要があるのではないか。いつまでも自分たちを「少数派」や「弱者」の位置において安住しようとするのは、現状を読み違えている。もちろん、行政との連携ゆえに今の男女共同参画政策が意識啓発に偏ることも受け止め、本筋の性差別是正へと軌道修正すべきである。今の男女共同参画政策が意識啓発に偏るから右派の道徳重視派から反発を受けている部分が大きいのである。それをせずに、「バックラッシュ」を大義名分として持ち出し、内部批判を封じたり、スルーしたりするのでは、フェミニズムは先細りになるだけだ。いくら覇権を握っているのがシニア世代だからといって長生きできなくてもいいということにはならない。

私からの提案としては、批判を含めて内部の議論を活発にすること、メーリングリストや更新の少ないHPにとどまることなく、議論をウェブ時代に適応して拓いていくことをあげておきたい。あー、『女性の品格』には、インターネットは危険なので近寄らないのが女性の品格だといった趣旨のことが書いてあったんだ・・・。(2008-01-13 ジェンダーとメディア・ブログ・エントリー)